2020年1月20日月曜日

飲酒のお話


出典:Rappler

私は、日常的にアルコールをほとんど摂取しておりません。ドクターストップで断酒してるとかではなく、若い頃から飲めない体質。無理すれば、ビールをコップ二杯程度は飲めますが、即効で顔は真っ赤で、頭はガンガン。ワインならばグラス半分ぐらいで、睡魔に襲われます。

最近でこそ日本では、飲酒を無理強いするような習慣はなくなったようだし、会社などでは、忘年会・新年会などの「職場の飲み会」自体が敬遠される傾向なんだとか。正直に言って、アルコールに関する限り、私は早く生まれ過ぎたのかも知れません。

私が若い頃には、大学の部活の一気飲みで、死ぬかと思うような目に遭ったし、下請け会社の社長に、嬉しくもない接待で飲まされて、帰宅時の電車のホームで盛大に嘔吐したり。40代ぐらいの頃に、ようやく酒席を断れるポジションになってからは、自分が飲まないだけでなく、上司や同僚に付き合うことも無くなりました。

今から思えば、自腹を切ってまで、別に取り立てて仲がいいわけでもないのに、たまたま同じ場所で働いている他人と、飲食や旅行を強制されるって、実に不可解なカルチャー。男の私ですら嫌だったんだから、若い女性が、オっさんの集団に同行させられてたのは、拷問に等しかったでしょう。

私自身は、フィリピン移住後、どこかのオフィスに勤めたりした経験はありませんが、今もフルタイムで仕事をしている家内や、その友人・親戚、あるいは自宅を建ててくれた大工さんの仕事振りを見る限り、日本のような習慣はありませんね。

もちろん、飲んで騒ぐのが好きな人が多いこの国なので、職場でバースデー・パーティ(しかも就業中)があったりしても、嫌ならば参加しなくてもいい。終業後の飲食も、飽くまで「有志」が基本。上から下まで全メンバーの参加が義務なんてのは、聞いたことがない。

そんな、どちらかと言うと、飲酒に対して嫌悪感を抱いている私が「やっぱりそうやったんや」と思ったのが、2年ほど前(2018年)に発表された記事。アルコール摂取は、少量でも健康リスクがある、というもの。

ネット上で、同じ情報ソースを元に繰り返しアップされているので、ご存知の方も多いでしょう。試しに「アルコール、適量なし」で検索すれば、たくさん出て来ます。

「一滴でも飲んだらガンになる」みたいな極端な話ではないけれど、従来、適量とされてきた摂取量でも、やっぱり何らかのダメージはあるということらしい。

詳しくはググって頂くとして、飲めない私にすれば、今更驚くこともないぐらいの実感そのもの。ちょっと飲んだだけで、頭は痛いし吐き気はする。少なくとも私の体には、良いはずがないと思ってました。

その記事を読んでから、偶然にも、身近にいる同年代で、重病で入院したり、あるいは急逝した人は、ことごとく日常的に飲酒。これは日本人、フィリピン人に関係ありません。実はつい先ほど、家内に連絡があって、高校時代の同級生(なので50代前半)が脳梗塞で半身不随になったとのこと。やっぱり酒飲みだったそうです。

私の同郷、兵庫県尼崎市生まれの作家、中島らもさんの著作に「今夜すべてのバーで」という自伝的小説があります。まさに「アル中」をテーマにした内容で、大量飲酒、連続飲酒に陥ってしまうプロセスを淡々と描写。私には長年の謎だった「なぜ健康を害するほど酒を飲んでしまうのか」という問いに、正面から答えてくれた傑作。

まぁ、らもさんほどのレベルにハマってしまう人は、そんなにたくさんはいないでしょうけど、酒そのものが目的ではなく、手段になったら危ない。つまりストレス発散のためだけとか、眠れないから飲むとか。

だから飲酒を控えましょうなどと、説教じみたことを言う気はサラサラなくて、ここまで読んだ酒好きな人も、これを機会に断酒とは、絶対にならないのは分かっております。

だた、還暦近くまで生きて多少分かったのは、どうも人間というのは、何かに依存しないと、生きるのが難しい生き物らしいということ。私の場合は、一時期まではタバコでした。今では、もう少し健康的な趣味や習慣にハマって(つまり依存して)いますが、それが、たまたまアルコールではなかっただけ、なのかも知れません。


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