2023年8月31日木曜日

金のために働いて何が悪い

 もちろん皆さん、お金のために働いてるんですよ。お金のため「だけ」でもないでしょうけど。そりゃ、給料も報酬も利益も何にもなければ、誰も働きませんって。ボランティアっていうのもありますが、あれは飽くまで期間限定の人助け。

そして常識で考えれば、労働の対価が高ければ高いほど、アウトプットは良質になるもの。マカティにある最高級ホテル、ザ・ペニンシュラのスタッフと、シライ市内のセブンイレブンのレジの対応にある差は、もらってる給料の差ということです。当然ながらペニンシュラとセブンでは、就職するのに何十倍・何百倍も難易度が違います。

私の住むフィリピンの場合、この法則が露骨なほどで、それなりに高額な支払いを見込まれる顧客に対しては、こっちが恐縮するほどのサービスぶり。例えば銀行。移住に際して、退職金を全額フィリピンの銀行口座に送金して、キャッシュカードを作るためにシライ支店に家内と二人で出かけたら、支店長自らが、揉み手をせんばかりの丁寧な対応。これは別室で...とかじゃないんですよ。窓口で待っている他のお客さんから見えるところでの話。

日本の銀行でも預金者への態度は丁寧ですが、預金額でこれほどの極端な差をつけるのは、あんまり聞いたことがありません。むしろ、高島屋や阪急百貨店と近所のコンビニのお客さん扱いに、それほど大きな違いがないという事がすごい。海外からのインバウンド客が驚いたり感動するのも無理はない。なので、たまに一時帰国すると逆カルチャーショック。

給料が安くても仕事をキチンとこなすのは、日本人の美徳だとは思うものの、それも度を過ぎると害悪。最近は勘違いした中高年の客、つまり私の同世代のオっさんが、バイトに怒鳴りつけたり土下座謝罪を要求したり。まぁ実際には、それほど多くはないんでしょうけど「日本の常識は世界の非常識」の典型的な事例。

そこへ付け込むのが「やりがい搾取」や「ブラック会社」。すごく高給なら、心身をすり減らすような激務に耐えるのも分かりますが、安月給で過労死するまで働く人が後を断たないのは、日本の社会や教育に構造的な欠陥があるとしか思えません。同じ会社に28年も在籍して鬱を病んだ私が言っても説得力はないけれど、少なくとも業界平均よりは良い給料をもらってましたし。

なぜそうなっちゃうのかと言うと、金は汚いもので、給料の多寡で働きを変えるのは恥ずべき行為、みたいな変な感覚が残っているのが、背景にあるんじゃないか。これをそのままフィリピンに持ち込んだ日本人起業家が、現地従業員を雇ったはいいけれど、せっかく一から仕事を教えて育てたのに、すぐにライバル会社に転職した、と憤慨したりする。

当のフィリピン人にすれば、仕事を教わるのはビジネスの一環で、在籍期間の長短に関係なく、給料が良い会社へ移るのは当たり前。キャリア形成のために転職を繰り返すのが常識なんですから。むしろいつクビになるか分からない不安定な立場だし、そこに義理人情を持ち込まれても困るでしょう。もちろん辞め方がドン臭くて、ちゃんと辞職の手続きしてないのにバっクレて、他で働き始めるのは良くないですけど。

日本では、ごく最近になってようやく、身を守るためにさっさとブラックな職場から退職すべきで、キャリアアップのために転職は罪悪ではないという雰囲気が醸成されているのは喜ばしい限り。ただ、民間企業はそれで良いとしても、問題は教職や医療関係者。特に先生に対する仕打ちは、フィリピンからネット経由で漏れ聞こえる範囲では、相当ひどいらしい。

実は私も知らなかったんですが、公立校の教師には残業手当が付かないですってね。そんな状況で、夜遅くまでクラブの顧問をやらされたり、親からの苦情を対応させたり。ちょうど今も、プールの水道閉め忘れた責任で、その先生と校長に水道代95万円を請求したと、ネットで話題になってます。

こんなことしてたら、若い人は教師を目指そうなんて思わなくなるし、教員不足は当然の帰結。それでも政府は、教員免許がなくても教えられる人を増やすとか、教員採用試験の年齢制限を撤廃するとか小手先の対応に終始。頑ななまでに「労働環境の改善」「給与の増額」と言った、根本的かつ常識的な対策を拒んでます。史上最高額の税収があって、史上最高額の国家予算を組んでいるのに。

同じように、教師・医師を含む高学歴労働者や、公務員・警官の給与を長年ケチったフィリピンでは、能力のある人材はどんどん海外に流出し、公的機関のスタッフは賄賂を要求するのが当然の状況になってしまったのは周知の通り。

日本の場合は、賄賂天国になるとは想像しにくいですが、すでにタクシーや運送会社の運転手さんが人手不足。赤字の鉄道路線を廃線にしたくても、代わりのバス運転手が見つからない地域もあるそうです。若干様相は違っても、かつて「東南アジアの病人」と揶揄されたフィリピンの二の舞になりかねません。

フィリピンでは、お金が無くて満足な医療サービスが受けられないのが、数年後の日本では、医師や看護師の数が足りなくて入院できなくなる、なんて空恐ろしい想像をしてしまいます。

ということで、書いているうちに腹が立ってきて、少々感情的な長文になってしまいましたが、国家としての品格を保つためには、どんな職種であっても、国民が楽に生活できて家族を養えるだけの収入が必須という、当たり前の話でした。



2023年8月30日水曜日

フィリピンで生活費 月40万円?

 少し前のことなんですが、ツイッターで目にした、フィリピン在住邦人の方によると思われる「1ヶ月の生活費が40万円になってしまった」という投稿。マニラやセブなどの物価高騰が著しい大都会ではなく、私の住むネグロス島と同じく地方都市。さすがにこれは驚きました。

ちなみに私たち家族、お役所勤めの家内と私立高校生の息子、一応専業主夫で収入のない私の3人での生活費がだいたい月10〜15万円ぐらい。移住後1年目にざっと1,000万円近くの投資で家を新築し、自家用車を購入したので、月々の家賃は不要。もちろん学費や宅地の共益費、税金などなどは含まれています。

私が酒には無縁、かつほとんど引き籠りに近い出不精なせいもあって、3人揃っての外食は月に1度あるかどうか。南国なので着る物といえばTシャツに短パン、サンダル。唯一、自炊の食材は、味噌や味醂の調味料、インスタントラーメンにキューピー・マヨネーズを欠かさないので、そこだけはかなり贅沢してるぐらい。

引き籠りと表現しましたが、病的なそれではなく、600平米のロットに、日本の一般的な感覚からすれば「豪邸」レベルに広い家。これは、そんな家に住むことが昔からの夢だったし、現役時代の私の稼ぎでは絶対に実現不可能。なのでフィリピンに移り住んだわけですから、そこは大目に見ていただきたい。自宅の居心地をよくすれば、そうやたらと出歩かなくても、QOL(生活の質)は十分保てるとの目論見が当たりました。

もちろん、良い生活を安く上げてるからスゴいと、マウントを取るつもりはまったくなくて、大都会と比べたら仕事はないし刺激も乏しいネグロス島。私のライフスタイルと定年退職という状況があってのQOL。20〜30代の働き盛りで好奇心旺盛な人々にすれば、ほんの1ヶ月もネグロスに住めばすれば退屈してしまうかも知れません。

そしてつくづく思うのが、この10年ほどの間に、短期・長期あるいは永住を問わず、フィリピンに住む日本人のバラエティの幅が大きくなったこと。ちょっと前まで、企業の駐在か、フィリピーナを追っかけて日本から脱出した中高年男性がほとんどだったのが、今では年齢も性別も実にさまざま。親子留学もあるので、若者どころか幼児や小学生までと実に多彩。

フィリピンに来てから、水商売とは無関係にパートナーを見つけ、結婚・出産してママやパパになる人もいるし、本格的に起業してたくさんの現地従業員を雇いバリバリに仕事してる人もいる。もちろん男性も女性も。こういう情報をSNSやユーチューブで発信するのが当たり前なのも、私がフィリピンに初渡航した四半世紀前からすれば隔世の感。

なんてことを勘案すれば、良い悪いではなく、収入がたくさんあって、たとえ地方在住でも一月に何十万円も使う(使わざるを得ない)暮らしの人も出てくるでしょう。その反面、敢えて離島や僻地に根付いて、金銭面だけで見れば実に質素な暮らしの方々もいる。中には計らずも財産を失って「困窮邦人」化してしまう人も。

ということで、月々の生活費の多寡で、勝ち組・負け組のレッテル貼りをする必要もなく、この国で自由に自己実現をする日本人が増えたのは、フィリピン在住邦人の一人としては、ある意味、良い時代になったなぁと感無量です。



穴を埋めるのが下手な人々


冠水したシライ市内の目抜き通り
出典:Digicast Negros

 今年は例年になく、フィリピンに接近したり上陸する台風が多い気がします。一昨日(2023年8月28日)も、9号台風の影響で終日の豪雨に見舞われた、ここネグロス島シライ市。日本の酷暑の原因である、強い太平洋高気圧に行くてを阻まれたのか、ルソン島の東方海上に停滞していたこの台風。驚くことに通常の台風とは逆に南下して来て、ネグロス近辺に逆最接近。

シライでは毎回大雨の度に、河川沿い同じ場所が冠水被害があって、今回もギンハララン、ランタッド、マンブラックなど4箇所でマリスボッグ川が氾濫しました。このマリスボッグ川 は、市域に含まれるシライ山を水源とした2本の川で、海岸近くで合流。その中洲や周辺が、洪水の頻発地帯になっています。

以前にも投稿した通り、ここ10年ほどで台風の頻度は上がっているとは言え、何世代も前から大雨が降ったら市街地が水浸しになるのは分かっている。なので結果的に地代は安く、貧困層が密集することになります。我が家の先代メイドや毎週マッサージに来てくれるセラピスト、以前のイロンゴ語の家庭教師もこの地域の出身者。

もう恒例行事と思うぐらい、大雨→洪水→住民避難が繰り返されているのに、相変わらず市役所がやることと言えば、最寄りの市営体育館や公民館(バランガイホール)への避難者受け入れと、数日分の米の配給。どうして堤防を作ったり、排水設備の整備をしないのか、不思議で仕方ありません。

マニラ首都圏のような大都会は別格としても、他の自治体、例えば近隣のバコロドやバゴなどでは堤防が作られているし、シライが特別貧乏なわけでもない。その証拠に、山間部のリゾートと市の中心部を結ぶ道路なんて、環境保護団体の反対をブッチギりで強行して建設。昨年は、馬鹿デカい新市庁舎を着工。

流域に複数の市町村を含むような川なら、いろいろと調整が難しいかも知れませんが、マリスボッグは市内で完結している河川。市長が決断さえすれば、何とかなりそうなものなんですけどねぇ。しかも現市長のガレゴ氏は、シライ憲政史上初の貧困層出身者。まさに毎度洪水で酷い目にあっている、イーロペス地区の生まれ。

ここからは私の想像ですが、どうもシライ市に限らずフィリピンの国民性として、一から新しい物を作るのは大好きで得意だけど、穴を埋めるようなマイナスの状況をゼロに戻すのは下手なようです。

卑近な例で言えば、公共の場所を清潔に保てないこと。商店街なんて、せめて自分の店の前ぐらい掃除すりゃいいのに、誰も気にしない。もっと酷いのが墓地。市営墓地も、ちょっと値の張るプライベート・セメタリーもゴミが散乱状態。さすがにこの感覚は信じられません。

どうしても人前で喝采を浴びるような、派手な新規事業ばかりが優先されている印象が否めないフィリピン。マニラの鉄道網(LRT、MRT、PNR)にしても、導入はしても、地味にメンテナンスするとかはからっきし苦手、というかまったく重要視していない。なのでおそらく安くあげるために韓国の業者を使って散々なことになり、結局お高い日本の会社に頼ることになる。

せっかくなら、ここで自国の技術者に日本のノウハウを吸収してもらって、将来的には外国に頼らなくてもいいようにするところなんでしょうけど、そういう取り組みをしてるのかなぁ? 今現在は、地下鉄建設が始まっているそうですが、LRTなどと同じ轍を踏まないことを祈るばかり。

ただ、希望が皆無なわけではありません。ドゥテルテ前大統領が打ち出したマニラ湾浄化やボラカイ島の再生は、処理をせずに汚水を垂れ流した施設や業者を問答無用で閉鎖するなどの強行措置によって、ある程度の成果が出たし、ボンボン・マルコス政権になってからも、「死の川」と呼ばれたパシッグの大規模な清掃プロジェクトが進行中。

一見地道で、フィリピンの有権者受けしないと思われてきた、マイナスをゼロに戻す作業も、ちゃんとアピールすれば評価される実績を作ったのは、さすがのドゥテルテさん。コロナも下火になって景気も回復してきたので、これからは地方都市のシライでも「穴を埋める」仕事に脚光を当ててほしいものです。



2023年8月23日水曜日

8月15日を知らないフィリピン人

 もう一週間以上も経ってしまった今年の8月15日。言うまでもなく1945年に日本が先の大戦に敗北を喫した日。戦後17年目に生まれた私も、父母・祖父母の世代から生々しい戦争体験を聞かされて育ったし、戦争を題材にした映画やドラマ、ドキュメンタリーなどを散々見たこともあって、今でもこの日には感慨深いものがあります。

さらに、戦争当事国でもないのに、日本が大変な被害を与えたしまったフィリピンに在住。このブログで何度も書いている通り、ここネグロス島は、マニラ市街戦・レイテ沖海戦に次ぐ第三の激戦地。日本の将兵だけでも8,000名が命を落とし、そのほとんどが病死、餓死だったという悲惨さ。巻き添えで亡くなったフィリピン人も多かったでしょう。

以前は、日本で反戦というと、いかに戦争を「起こさない」ようにするかが主な課題。それを是とするか否とするかは別として、日米安保がある限り、他国が一方的に日本に攻め込むというのは、考えにくいとされてきました。ところが昨年、日本の隣国でもあるロシアが、ウクライナに侵略戦争を仕掛けました。

若かった頃の私は、たとえ紆余曲折があっても、歴史というのは概ねポジティブな螺旋を描くと思っていたんですよ。特にベルリンの壁が崩壊し冷戦が終わり、差し当たっては核戦争の脅威が去った頃までは。ところが人間のアホさ加減は、そう簡単に矯正できるものではないらしく、21世紀も20年以上経過した今でも、独裁者が自国民の自由を奪ったり殺害したり、隣国を侵略したりの愚行・蛮行は、ちっとも無くなりません。

そして、フィリピンに住んでると、隣の覇権国家からの圧迫を嫌でも感じてしまいます。領有権で揉めている島を平然と埋め立て、滑走路を作っちゃうという暴挙が、すぐ近くで行われている。ニュースでも頻繁に取り上げられてますから、地元の人々にも危機感はあると思います。ほんと、ウクライナは他所事ではありません。

ところが比較的若いフィリピンの人たちって、意外なほど過去の戦争について無知なんですよね。さすがに第二次大戦中は日本に侵略されて、多くの民間人が犠牲になったことは、何となく知っていても、それ以上はまったく興味すらない様子。おかげで対日感情はすこぶる良好で、日本人であることを理由に差別されたり嫌がらせを受けたりしないのは、とてもありがたいんですが、ちょっと複雑な心境です。

そもそも高校でも、系統だったフィリピン近代史や世界史は教えていないらしい。というのは先週のイロンゴ語のレッスンで「日本人にとっての8月15日」みたいなテーマでA4一枚のイロンゴ作文を書いたところ、20代で教員免許もあるエイプリル先生は「へぇ〜、それは知りませんでした。」の連発。知ってたのは、戦犯の判決で絞首刑となった山下大将の名前ぐらい。それも日本軍が密かにフィリピン国内に隠したと噂される「ヤマシタ・ゴールド(山下財宝)」の影響。

まぁ日本だって、歴史教育に関してはお世辞にもきちんとしているとは言えませんけど、フィリピンはそれに輪をかけた状況。太平洋戦争どころか、まだ40年も経っていないエドゥサ革命ですらちゃんと知らなかったりする。なので「マルコス時代は、フィリピン経済が発展した良い時代だった」なんて、あからさまなフェイク・ニュースを信じた有権者が、その息子を大統領に選んだりしちゃうわけです。


2023年8月18日金曜日

猖獗 アフリカ豚熱


出典:Pig Progress

 日常会話ではまず使わない「猖獗(しょうけつ)」なんて熟語を引っ張り出しましたが、私的には、疫病が流行ると、この文字が頭のスクリーンに浮かんでしまいます。この3年余り、人間の世界では、まさに新型コロナが猖獗を極めて、大変なことになり、今もコロナ禍は完全収束とは言えません。そしてほぼ同時期、フィリピンに蔓延しているのがアフリカ豚熱(African swine fever / ASF )。

中国やインド、東南アジアで大流行中のASFの影響で、大量の豚が殺処分となり、フィリピンでも豚肉価格が上昇。「肉」と言えばポークのフィリピン。人間への感染はなく、感染した豚の肉を食べても大丈夫とは言え、インフレで食材が高くなっているところへのASFは、まさに泣きっ面に蜂状態。

以前は「豚コレラ」なんて名称だったASF。人間のコレラが細菌感染なのに対して、ASFはウィルスが原因で全然無関係だったのに、たまたま最初に確認された時、コレラも流行っていたので混同されたんだとか。さらにややこしいのが、日本でも発生が報告されている豚熱は、また別の病気。幸い日本は、今のところASFの清浄国です。

さて、ここネグロスはと言うと、意外にもAFSに関しては無風状態。感染マップを見てみると、セブ、パナイ、ネグロスなどの中央〜西ビサヤは、流行を免れています。スーパーでは、ハムやベーコンなどの豚肉加工品が、まったく流通しなくなったのとは対照的に、地元の豚肉は以前と変わらず。なので、日常の家庭料理にはほとんど影響は出てません。

それでも、朝食にはハムやベーコンが食べたいので、この半年ぐらいは、チキン・ハムにビーフ・ベーコン。不味くはないので、我慢してる感覚はありませんが、やっぱりポークのハムやベーコンが恋しい。

ちなみにネグロスでは、普段からあまり良い牛肉がなく、我が家のカレーもハンバーグも全部ポーク。もし豚肉が買えなくなったら、かなり痛い。代替品の鶏肉も、値上がりするのは見えています。

今回のポークについては、因果関係がはっきりしているのでまだマシなんですが、昨年大騒ぎになった玉ねぎ不足。結局何が原因だったのか分からないまま。一応、ローカルマーケットで普通に玉ねぎは買えるようになったものの、今だに白玉ねぎはやや品薄。

それだけでなく、フィリピンでの食材って、イマイチ供給が不安定なんですよね。おそらく地方のネグロスだからって言うのも大きいんでしょうけど、よく欠品になるのが、毎朝、息子が飲んでるヤクルトと私のトマトジュース。中華料理に欠かせない胡麻油に豆板醤。餃子の皮とちょっと大きめの春巻きの皮。最近ではセーブモア(SM系列のスーパー)から、缶入りのドッグフードが消えてます。

ここまでは、一般のフィリピン人の食生活に欠かせない...わけでもないけれど、驚くことに、フィリピン人のソウルフードのスパゲティ用のトマトソースが、たまに無いことがあるんですよ。急にホームパーティやることになって、慌ててスーパーに走ったら、甘い甘い「フィリピノ・テースト」しか残ってなかったりすると、日本人としては暴れたくなります。

ということで、前回の代替食材で春巻き作った話にも通じるんですが、フィリピン暮らしで、こと食事に関しては「⚪︎⚪︎じゃないとダメ」みたいな拘りを持つと、なかなか苦しくなります。豚肉がダメなら鶏肉が、それもダメなら魚があるさ、ぐらいの柔軟性が必要ですね。もっともこれは、フィリピンに限ったことでもないですけど。


2023年8月17日木曜日

美人家庭教師 素麺を食す

 またもや一週間以上も放置してしまった、このブログ。読んでいただいている方でも、前回の投稿(卒業生は80歳)の内容は忘れておられるかも知れません。今日は前回取り上げた、私の家庭教師のバンビ先生のバックアップ要員、バンビの姪っ子エイプリル嬢が登場です。

とても一児の母とは思えない魅力的なエイプリル。実年齢も若いんですが、知らないこと、新しいことに好奇心いっぱいで、イロンゴ語レッスンの合間に、私のくだらないジョークにも大笑いしてくれる、関西風に言うと「エエお客さん」。これは叔母のバンビも同じ。

そして、日本のアニメやカルチャーが好きなフィリピン人あるあるで、YouTubeで見つけた日本関連の動画を、フェイスブックのメッセンジャーで送って来て「これは何?」と尋ねて来る。

しばらく前にエイプリルがシェアしたのが「流し素麺」。なるほど、知らない人にすれば、何とも不思議な食文化。全然背景が分からないもんだから、竹筒に流れているのは熱湯だと思ったらしい。まぁフィリピンで麺類と言ったら、茹でたスパゲティとか熱いスープのバッチョイ(フィリピン風のラーメン)。麺と冷水の組み合わせは、思いつかないようです。

素麺に興味があるのならと、その翌週のレッスンの休憩時間に、素麺を用意しました。さすがに流し素麺はできないので、代わりに卵焼きとセットで出したら、これがバカ受け。日曜日の午後で、昼食は済ませてる筈なのに、美味しい美味しいと完食。まぁ、こっちでは「ミリエンダ」とか「パマハウ(イロンゴ語)」と称して、午後3時頃にかなりの量のおやつを食べたりはしますけど。


ちなみに日本製の素麺や蕎麦は、ロビンソンズやスーパーメトロなどの大手スーパーの輸入食材コーナーに常備されているので、ネグロスでも普通に購入可能。

こんな具合に、日本のアニメ好きの人が日本食に興味津々になるケースが多いらしく、私が作る「日本っぽい」料理にも、こっちの親戚や友達にファンがいたりします。もちろん、本格的な和食ではなく、カレーやトンカツ、オムライスにお好み焼きの類。子供が喜びそうな献立ばかり。日本なら、わざわざお客さんに出すようなものでもない。

そして、バンビの本職、多忙なALS(Alternative Learning System / 代替学習システム)の卒業式が終わったので、ご苦労さんを兼ねて二人の家庭教師をランチに招待した、先週の日曜日。この日は、地元のエビをたくさん使ったエビピラフと、春巻きがメイン。


フィリピンでは、ルンピアという名前で一般的な春巻き。ただし、日本で食されるものとは中身がだいぶ違います。ほぼ挽肉だけとか、トウガラシを巻いた「ダイナマイト」、さらにはバナナを使った甘いもの等々。サイズもかなり小ぶり。

私の場合は、日本で買った料理本がネタ元なので、いろんな野菜を刻んで巻きます。ただ、椎茸やタケノコが、シライの市場ではなかなか見当たらないので、缶詰のマッシュルームやサヤエンドウみたいな緑の長い鞘にはいった豆を代用に。さらに挽肉ではなく、これまた缶詰のコーンツナ。この組み合わせが結構いい感じ。

この日本風と言うか、オリジナルスタイルの春巻きが、またもやバカ受け。バンビもエイプリルも、フィリピン式マナーに則って、素手でバリバリ食べてました。例によって好奇心満々のエイプリルは、その後のイロンゴの授業で、材料を熱心にメモるほどのお気に入り。

ということで、ささやかな日比交流に役立っている、先人が営々と築き上げてきた、日本の食文化に感謝することしきりです。



2023年8月9日水曜日

卒業生は80歳

 先週投稿した、私のイロンゴ語家庭教師のバンビ。彼女はALS(Alternative Learning System / 代替学習システム)で、訳あって学校に通えない人たちに、高校の授業をする先生です。先日、ALSの卒業式が、ここネグロス島・シライの市営体育館で行われました。

その写真が、フェイスブックの市長のページで共有されていたのですが、私が驚いたのは卒業生の数。一般の高校と同じぐらいで、ざっと数百人はいる感じ。こっちの学校って、小中高、どこも生徒数が多い(というか、子供の数が多い)とは言え、普通校に通えない人って、こんなにたくさんいたんですね。

注目すべきは、卒業生の年齢。何と卒業証書を受け取った80歳の婆ちゃんが、バンビに手を取られて降壇する姿が。その後ろでは、同じく60歳の教え子。おそらく、卒業後の就職とか何とかじゃなくて、若い頃に学校を諦めざるを得なかった事への、執念なんでしょうね。昨年還暦の私が、バンビの生徒最高齢と思ってましたが、20年も先輩がおられました。


バンビ先生(左)と最高齢の卒業生


市長をはさんで60歳と80歳の卒業生


ALSの先生たち

もちろん、そうした生徒全員をバンビが一人で教えているのではなく、何人もの教師がいるとのこと。ただバンビの場合、プライベートな時間を犠牲にして「誰一人見放さない」ポリシーを貫いているので、特に多くの卒業生を送り出したそうです。ということは、バンビの担任クラス以外では、最後のチャンスとも言うべきALSを、途中でドロップアウトしちゃう生徒が、少なくないんでしょうね。

先週、久しぶりに私のイロンゴ・レッスンに来てくれてバンビ曰く「頑張ってたくさん卒業できたので、何か美味しいものでも食べなさいって、上司がボーナスくれました。」なんだか、親戚の子供が、予期せぬお小遣いを貰ったみたいで、不惑のバンビが幼い子供のように嬉しそうにしてました。

それにしても、いくら地方分室とは言え教育省勤務の国家公務員で、そこそこの給料があるはずのバンビ。それなのに、パートナーのマイケル君と住んでいるのは、約6畳程度の狭いワンルームで、洗濯機を奥スペースもない。よくよく話を聞いてみると、すでに亡くなった親の借金をまだ払ってるんだとか。あと2年で完済すると話してくれました。

兄弟姉妹はたくさんいるバンビなので、一人で背負わなくてもよさそうなものですが、そこは、収入のある人が家族全員を助けるフィリピン的なメンタリティ。これって一人の出稼ぎ労働者の送金に、親族全員がぶら下がっているのと似てます。それだけでなく、国内でロクに働きもしないのに、送金額をケチってると文句を言われ、それに耐えかねて逃げちゃう人もいるんだとか。たまたま出稼ぎ先で知り合った既婚者同士が駆け落ち、なんて話も時々あります。

バンビの場合は、流石にそんなことはないにしても、兄弟姉妹や親戚には何かと問題を抱えているケースが多い。例えばバンビの姉にして我が家のメイドさんのグレイスおばさん。若くして旦那さんに先立たれ、その後苦労して二人の子供を大学まで卒業させました。その娘が、バンビの交代要員で私のもう一人の家庭教師のエイプリル。

このエイプリルも、昨年、夫が精神の病を患いやむなく別居。すぐに激昂して、家具を壊したり本を焼いたりと、とても家庭生活を営める状況ではなかったそうです。それに輪をかけて、親戚には酒で身を持ち崩す人が多い。実はつい数日前も、バンビの27歳の従弟が、飲酒が原因の病気で亡くなったばかり。

何だか「薄幸なるゴレツ(バンビの苗字)一族に幸あれ」と、本気で祈りを捧げたくなりますね。なので、次週のレッスンでは、バンビとマイケル、エイプリルの三人を昼食に招待することにしました。ということで、卒業式の話題でハッピーにまとめるつもりが、ずいぶんと暗い方向に行ってしまってすみません。



2023年8月4日金曜日

息子が18歳になりまして

 18年前の8月3日、私の息子が生まれました。家内が妊娠したのは、兵庫県・尼崎市の実家で私の両親と同居していた頃で、既に家内と一緒になって6年。なかなか子供ができず、今で言うところの「妊活」も、いろいろ試してみたんですが、一向に懐妊の兆しがなく、ほぼ諦めてた時でした。

石油ファンヒーターの臭いが気持ち悪いと言い出した家内に、買ってきた妊娠チェッカー。それで陽性が出たのが、ちょうどクリスマスの翌日、忘れもしない12月26日。なぜそこまで日付をはっきり覚えているかというと、2004年のこの日、スマトラ島沖地震があったから。長さが1,000〜1,600キロもあるという断層がずれることで起こったマグニチュード9.1の大地震で、インドネシアを中心に22万人もの犠牲者を出した大災害。

何ともすごい日だったわけですが、ほんの少しだけポジティブな思い出は、同じ日に私の母がゴルフでホールインワンを記録したこと。今は足腰が弱ってしまい、もうコースには出ていない母。あの頃はすこぶる元気で、父と一緒によくゴルフをやってました。すっかり気を良くして帰宅したところへ、母にとっての3人目の孫という知らせでダブルで大喜び。

その翌年の4月、私は横浜のオフィスへ転勤となり、生まれて初めての関東暮らし。息子は、住んでいたマンションの近く、新横浜の産科医院で生まれました。横浜は医療事故が多いと知人におどかされ、ネットで探してみつけた産科医。決め手は英語を解する医師がいること。費用は少々高かったものの、言葉も不自由な異国の地で初産の家内。その心情を思うと、ちょっとでも快適な場所をと考えたわけです。

家内の骨盤がやや小さいとのことで、息子は帝王切開で誕生しました。ずいぶんと心配はしましたが特に問題はなく、今まで大病も大怪我もせずに18年。

その間、息子にとって...だけではなく私たち家族にとっての最大の変化だったのが、小学校1年生の時のフィリピンへの移住。かねてより私が50歳で早期退職して移住と決めていた時期が、たまたま重なりました。ただ偶然とは言え、6歳というのはタイミングとして悪くなく、比較的言葉が早かった息子は、母語である日本語が十分固まっていました。

生来、言葉に関心の高かった息子。幼稚園で家の近所にある漢字の看板を、ほぼ全部読めるようになり、家内の英語絵本読み聞かせが功を奏して英語も分かる。小学校高学年になる頃には、ハリーポッターを原書と日本語訳で読みこなせるレベルに到達。言語環境が激変することで、言葉の面で息子に悪い影響が出ないかとの懸念は、杞憂に終わりました。

さらに中学生になった辺りから、俄然他の言語に興味が湧いたらしく、暇さえあればユーチューブでラテン語や現代中国語を「自習」。先日など、旅行で宿泊したマクタン島のホテルで、韓国人観光客向けのハングル表記をスラスラと読んだのには驚きました。

夕食時に家族でタガログ語のニュースを見ている時も、しきりと家内にタガログの語彙や文法の質問をしています。そんな時は、日本語から英語にスイッチして、なかなかのマルチリンガルぶり。なぜか地元のイロンゴ語だけは、イマイチ学習意欲はないようですが。

そんな息子の目下の目標は、大学で言語学を勉強すること。へぇ〜、それはまったくの予想外。イラスト描いたりマインクラフトが大好きなので、エンジニアにでもなりたいのかと思ってました。ソフトにしろハードにしろ技術系の進路ならば、私も多少のアドバイスはできたんですが、さすがに言語学となると皆目分かりません。


フィリピン大学 出典:Rappler

ということで、少なくともネグロスの片田舎では、息子の望む分野で良い学校や教授がいるとも思えないので、やっぱりフィリピン大学(UP)ってことになるんでしょうか。一番近いUPのキャンパスでも、隣島パナイのイロイロ。おそらくマニラ首都圏なんでしょうね。家内は今から、息子の一人暮らしの心配をしてますが、それよりも入試。

何しろフィリピンでUPと言ったら、日本の東京大学の位置付け。家内はUPの卒業生だし、息子はシライやバコロドでは優等生なので、二人ともあんまりそっちの心配をしてないようですが、大丈夫かなぁ?