2023年8月4日金曜日

息子が18歳になりまして

 18年前の8月3日、私の息子が生まれました。家内が妊娠したのは、兵庫県・尼崎市の実家で私の両親と同居していた頃で、既に家内と一緒になって6年。なかなか子供ができず、今で言うところの「妊活」も、いろいろ試してみたんですが、一向に懐妊の兆しがなく、ほぼ諦めてた時でした。

石油ファンヒーターの臭いが気持ち悪いと言い出した家内に、買ってきた妊娠チェッカー。それで陽性が出たのが、ちょうどクリスマスの翌日、忘れもしない12月26日。なぜそこまで日付をはっきり覚えているかというと、2004年のこの日、スマトラ島沖地震があったから。長さが1,000〜1,600キロもあるという断層がずれることで起こったマグニチュード9.1の大地震で、インドネシアを中心に22万人もの犠牲者を出した大災害。

何ともすごい日だったわけですが、ほんの少しだけポジティブな思い出は、同じ日に私の母がゴルフでホールインワンを記録したこと。今は足腰が弱ってしまい、もうコースには出ていない母。あの頃はすこぶる元気で、父と一緒によくゴルフをやってました。すっかり気を良くして帰宅したところへ、母にとっての3人目の孫という知らせでダブルで大喜び。

その翌年の4月、私は横浜のオフィスへ転勤となり、生まれて初めての関東暮らし。息子は、住んでいたマンションの近く、新横浜の産科医院で生まれました。横浜は医療事故が多いと知人におどかされ、ネットで探してみつけた産科医。決め手は英語を解する医師がいること。費用は少々高かったものの、言葉も不自由な異国の地で初産の家内。その心情を思うと、ちょっとでも快適な場所をと考えたわけです。

家内の骨盤がやや小さいとのことで、息子は帝王切開で誕生しました。ずいぶんと心配はしましたが特に問題はなく、今まで大病も大怪我もせずに18年。

その間、息子にとって...だけではなく私たち家族にとっての最大の変化だったのが、小学校1年生の時のフィリピンへの移住。かねてより私が50歳で早期退職して移住と決めていた時期が、たまたま重なりました。ただ偶然とは言え、6歳というのはタイミングとして悪くなく、比較的言葉が早かった息子は、母語である日本語が十分固まっていました。

生来、言葉に関心の高かった息子。幼稚園で家の近所にある漢字の看板を、ほぼ全部読めるようになり、家内の英語絵本読み聞かせが功を奏して英語も分かる。小学校高学年になる頃には、ハリーポッターを原書と日本語訳で読みこなせるレベルに到達。言語環境が激変することで、言葉の面で息子に悪い影響が出ないかとの懸念は、杞憂に終わりました。

さらに中学生になった辺りから、俄然他の言語に興味が湧いたらしく、暇さえあればユーチューブでラテン語や現代中国語を「自習」。先日など、旅行で宿泊したマクタン島のホテルで、韓国人観光客向けのハングル表記をスラスラと読んだのには驚きました。

夕食時に家族でタガログ語のニュースを見ている時も、しきりと家内にタガログの語彙や文法の質問をしています。そんな時は、日本語から英語にスイッチして、なかなかのマルチリンガルぶり。なぜか地元のイロンゴ語だけは、イマイチ学習意欲はないようですが。

そんな息子の目下の目標は、大学で言語学を勉強すること。へぇ〜、それはまったくの予想外。イラスト描いたりマインクラフトが大好きなので、エンジニアにでもなりたいのかと思ってました。ソフトにしろハードにしろ技術系の進路ならば、私も多少のアドバイスはできたんですが、さすがに言語学となると皆目分かりません。


フィリピン大学 出典:Rappler

ということで、少なくともネグロスの片田舎では、息子の望む分野で良い学校や教授がいるとも思えないので、やっぱりフィリピン大学(UP)ってことになるんでしょうか。一番近いUPのキャンパスでも、隣島パナイのイロイロ。おそらくマニラ首都圏なんでしょうね。家内は今から、息子の一人暮らしの心配をしてますが、それよりも入試。

何しろフィリピンでUPと言ったら、日本の東京大学の位置付け。家内はUPの卒業生だし、息子はシライやバコロドでは優等生なので、二人ともあんまりそっちの心配をしてないようですが、大丈夫かなぁ?



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