2023年10月2日月曜日

日本が動き始める予感

 外国に住んでいる方が日本のことが客観的に見られる、なんて言われますが、国内にいる人のほとんどが感じてるんじゃないかと思うのが、日本の行き詰まり。「失われた10年」だったはずが気がつくともう30年。私やその上の世代なら、失われる前の「行け行けドンドン」の時代を知っているけれど、今の30代前半ぐらいまでの人たちって、物心ついた時から失われっぱなし。この閉塞感が当たり前なんですよね。

収入が増える見込みはないのに、税金と保険や年金の重圧だけはのしかかる。しかも40代以上の、声だけはデカくて異様に元気なオっさん供が、社会全体を牛耳っていて、どっちを見ても良い方向に変わる気配すらない。政治にも期待できない。そりゃ頑張って家庭を持って、子供を産み育てようと思わなくなるのも、無理はありません。少子化は必然。

なので私は、定年を迎える10年前に精神的な限界を迎えてしまい、トットと国外逃亡を図って、家族と一緒にフィリピンに住んでいるわけです。とは言え、母国が没落してゆく様を見て嬉しいはずもなく、移住してからもずっと心の端っこに、魚の骨でも引っかかったような嫌な感じは続いてました。数年後の年金支給も当てにしてますし。

ところがここ数年ほどで、それまで微動だにしなかった状況が、俄かに動き始めました。代表的な例を上げると、まずはただいま大騒ぎ中のジャニーズ事務所の性加害スキャンダル。典型的な「黒船案件」で、イギリスBBCが制作した告発ドキュメンタリーが発端。あっと言うまに火が燃え広がって、遂にNHKやその他の放送局でも番組にジャニーズのタレントを使わない方針を発表。

この件は、大手新聞社や放送局の衰退が背景にあるのは間違いないでしょう。購読者数は激減し、テレビの視聴率も上がらず。企業広告は新聞・テレビの旧態依然たるメディアからネットへ大幅にシフト。

さらに驚いたのが、昨年の元首相暗殺に始まる、統一教会の政治からの影響力排除の流れ。当初は「統一教会」の名称すら報道を躊躇っていたNHKも、さすがに黙殺できなくなったほどで、当の政治家にしても教団との関係を断たないと選挙で負ける、という所まで追い詰められたんでしょうね。とうとう教団に対する解散命令が出そうな情勢。

決定的なのが、元明石市長の泉房穂氏の登場。登場と言っても、明石市政を担って12年で、すでに政治家は引退と表明済みなんですが、退任後の半年ほどで、各地の知事・市長選の応援で、連戦連勝の勢い。そのどれもが、既製政党や業界団体の支持に頼らず、というか敵に回してなお圧勝。従来の、組織票なしでは選挙に勝てないという常識を打ち破って、正真正銘の市民派首長を次々に誕生させています。

それぞれの事象は別々に起こっていても、私の目からすると30年間も押さえつけられ、期待を裏切られ続けた人々の情念が、火山のマグマが地殻を突き破って噴火しているように見えます。正確には、まだ大噴火には至らない、活発な火山性微動の段階かも知れませんが。

ここまで延々と書いた事に共通するのは、無理だ不可能だ、変わるわけがないと考えられていた状況が、実はきっかけさえあれば、意外なほど容易く変化してしまうということ。明治維新もこんな具合に進行したのかと思うほどです。戊辰戦争が起こる直前に、当時の市井の人々に「江戸幕府は無くなると思いますか?」と聞いたら「そんなアホな」と一笑に付されたであろうと同様に、一昨年頃、これらの変化を予測した人は、まずいなかったでしょう。

ついでに言うと、実に時流に敏感な日本人。西郷隆盛さんは、大政奉還の後も何年も戦火が続き、日本が焦土となるだろうと思ってたのが、案に相違して幕府と共に最後まで戦ったのは、会津藩などの少数派のみ。関ヶ原然り、第二次大戦の集結後然り、大勢が決まったとなった瞬間に、コロっと態度が変わる。ディスっているのではなく、犠牲を最小限に抑えつつ社会の大変革が可能な、世界でも稀有な国民性だと言いたいのです。

そして私には、その流れの延長線上にあると感じられるのが、フィリピンを始めとする海外への英語留学者のと海外で働く若者の増加。日本からの転職組だけでなく、大卒から国内就労を経験せずにいきなりフィリピン、という人も結構おられます。もちろん全員が大成功してるわけではないし、やむを得ず帰国するケースもありますが、多くの人が「苦労をしても、日本で働くよりはずっと楽しい」と感じているらしい。すごくよく分かります。

人生の選択肢は日本の外にだってあると、多くの人が気付けば気付くほど、逆に国内の居心地を何とか良くしようとの動きも、出てくる可能性があります。これは予想ではなく、私の願望なんですが。というのも、今は私も家族も健康で経済的にもそこそこの余裕とは言え、さすがに還暦も過ぎると、この先何があるかは分かりません。それを思うと、日本に帰国しても何とかなるという選択肢は、あった方が良いに決まってます。

ということで、久しぶりに(と言うか、このブログでは初めて?)日本の将来に悲観的ではない投稿をしてみました。



1 件のコメント:

  1. しばらく前から記事を購読させていただいている60代後半男性です。フィリピンでの移住生活などについて楽しく読ませていただいています。

    私は30年ちょっと前に初渡比し、その後毎年ではありませんがフィリピンを貧乏バックパッカーとして地方を中心に訪れるようになり、またそれと前後してインターネット上のIRC(Internet Relay Chat)という場所で海外の外国人、それも主にフィリピン人たちとチャットすることが日課になりました。

    当時学生だったチャット相手の中で、今はもう彼ら自身も中年(それでも大半は私より若いですが)の数人とリアルライフでも付き合うようになり今に至ります。(正味私は彼らの親と同世代であることが多いです)

    (米軍基地の街で育ち、その後米国南部にある米国社で勤務していたこともあって、英語にはほとんど困りません)


    一人息子である私は現在高齢の母の面倒を看ていますが、母が亡くなって一人になった後は、フィリピンに移住して余生を過ごしたいと思っています。いや、正確に言えば、フィリピンで死にたい、日本では死にたくないというか。

    そう思うようになり始めた頃は、数十年の付き合いがある現地のフィリピン人の友人らの近くに移住しようと思っていたものの、最近では逆に誰も知り合いが近くにいないところのほうがいいかも、と考え始めました。

    もちろん人によるでしょうが、私は今日本で暮らしていてため息ばかりです。単なる年寄のため息なのかもしれませんが、私にとってはいや、違うだろ、それは駄目だろ、止めないと変えないと、があまりに多すぎるのです。

    では私が変革するチカラや気力があるかといえばそうではなく…

    フィリピンでも別なところでも、同じようなことを感じることはあるんでしょう、きっと。しかし外国人である私には声を上げたりはできないことが、諦められるのではないかと、母国である日本とは違って。

    もちろんフィリピン、フィリピン人が好きであるからというのがフィリピンを選択しようとしている大前提ではありますが。

    とにもかくにも、今はフィリピン料理が恋しくてたまりません。かつては数種類は日本でも自分で作って食していたんですが、高齢の母と一緒では作ったすべてを自身だけで食べなければならず… はぁ…

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