2016年3月12日土曜日

竹塀バッタン

フィリピンのネグロス島で、1ロット150平米の土地を4っつ、合計600平米購入したのが、もうずいぶん前。日本の建築家に設計を依頼してからでも、今年で10年経過します。当初の計画では、4ロットをフルに活用してのデザインでしたが、義父との同居が取りやめになったり、施工費用の高騰などのいろんな理由から、規模を半分サイズに縮小。

それでも延べ床面積180平米の、日本の庶民感覚からするとかなり大きな家が完成。結局2ロット分は丸々空き地で残り、図らずも300平米の「裏庭」ができました。日本だったら、高級住宅地にこんな広さの土地を遊ばせていたら、固定資産税が大変そうですが、フィリピンではほとんど無税。土地より上物の方が、はるかに資産価値が高いぐらいです。

とは言っても、草茫々のまま放置するわけにもいかなかったので、周囲に竹塀を巡らせて、バンブーハウスを設置したり、芝を植えたりして、一応それなりの体裁にはしました。

家ができて1年半以上が経過した先月のこと。別に台風が来たりしたわけでもないのに、この竹塀がバッタンと倒れてしまいました。実は倒壊は初めてではなく、昨年、本当に強風が吹いた後に一度同じ箇所が倒れて修理したところ。また、同じ大工さんにお願いしたのですが、その大工さんが「もう塀全体が腐ってボロボロですよ」。


そう言えば、このブログやフェイスブックで写真を見た何人かの友達から、竹だと年に一回はメンテナンスが必要と指摘されてましたね。それを考えると、熱帯で雨が多い場所にしては、よく保ったものです。

同じように作り直して、また1年半後に倒れるのも芸のない話。そこで今回は少しだけコンクリートの基礎を追加して、下からの湿気や虫食いを少しでも防げるよう、大工さんに頼みました。図面も何もなしでの口頭指示の割りには、こういう仕事は慣れているようで、数日後にはほぼイメージ通りの竹塀が完成。

ところで、この塀の位置。倒れる前より1メートルほど手前に移動させました。つまり少し裏庭が狭く。塀を最初に作った時、当時の大工さんたちがかなりエエ加減に測量してたので、少々心配でした。今回は基礎を作ることもあり、家内も気にしていて、念のため管理事務所に再測量を依頼したら、案の定の結果だったというわけです。こういう所は、さすがのフィリピンですね。






2016年3月11日金曜日

マルコスの娘?

前回の投稿では、今年5月に投票日を迎えるフィリピンの大統領選の候補者、グレイス・ポー女史について書きました。孤児〜有名俳優の養女〜アメリカ移住〜帰国・上院議員当選〜大統領に立候補。まるで小説かドラマのような半生ですが、これは表向きの経歴。

実はグレイス・ポー女史は1986年に失脚・亡命した元大統領、フェルディナンド・マルコスの娘だとする噂が、まことしやかに囁かれています。本当は捨て子ではなく、養父のフェルナンド・ポー氏の妹で俳優だった女性と、時の権力者マルコスとの間に生まれた非嫡出子だと言うのです。

これが本当だとすると、マルコス失脚後「アキノ王朝」と揶揄されてきた現政権に対して、一種の挑戦みたいなことにもなります。もちろん私には事の真偽を確かめるすべもありません。しかし絶大なる人気を誇った俳優フェルナンド・ポー氏が、わざわざ身寄りのない赤ん坊を養女として引き取ったり、その子をアメリカに渡航させたりした理由の説明にはなりますね。

あまり興味本位で、ただの居候外国人が首を突っ込むような話題でもありませんが、フィリピンの場合、得てして政策や政治家としての適性以外のことで票が集まりやすい。典型的なのが、俳優のエストラーダを大統領にしてしまったこと。その後不正蓄財が発覚して市民革命が起きたのは、記憶にも新しいところです。
さて、今回の選挙でフィリピン国民は、どんな判断を下すのでしょうか?


クリーンなイメージが売りのポー候補
出典:PhilStar


マルコス元大統領と妻イメルダ

2016年3月10日木曜日

ドラマチック大統領選

前回に続いてフィリピンの選挙について。

1965年から1986年の約20年間、事実上マルコス大統領の独裁政権が続いたので、その間は大統領選など無きに等しかったフィリピン。それ以前のことはよくわかりませんが、それ以降の歴代大統領の顔ぶれを見ると、叩き上げのプロの政治家というのはいなくて、軍人や学者、俳優などから転身した人ばかり。それだけでなく、みんな何かしら劇的なバックストーリーを持っている。

マルコス政権打倒後に大統領になったコラソン・アキノ女史は、マルコスに暗殺された夫の復讐に立ち上がった、悲劇の未亡人。立候補前は、政治経験がないどころか、ただの主婦だったそうです。次のラモス氏は革命の趨勢を決定付けたとされる元国軍参謀次長。

エストラーダ氏は国民的な人気を誇る俳優でした。この人は大統領になってからの方が劇的で、不正蓄財が発覚して「ピープル・パワー2」と呼ばれる市民革命で失脚。逮捕・勾留されたはずがいつの間にか恩赦で出獄し、2013年の選挙で現マニラ市長の椅子に。

その次のアロヨ女史は、アメリカの大学で学んだ経済学博士で、マルコスの前の大統領だったマカパガルの娘でもあります。劇的な経歴というより、生まれの良さと学歴、そしてなかなかの美貌の持ち主でした。在任中に来日し、家内もレセプションに出席して直接見たことがあります。この人も退任後、汚職で逮捕されてしまいました。

そして現職の「ノイノイ」こと、ベニグノ・アキノ大統領。前述のコラソン・アキノの息子で、母が大統領だった頃にクーデター未遂事件に巻き込まれ、銃撃を受けて瀕死の大怪我。5発も被弾しながら生き延びたそうです。

さて、こうなると次期大統領には、どんなドラマチックは半生を歩んだ人が立候補するかと、無責任な期待をしてしまうところ。そう次々とそんな人は出ては来ないだろうと思っていたら、いたんですよ、ものすごい人が。

候補者の一人、グレース・ポー女史は、何と教会の前に置き去りにされた捨て子だったそうです。孤児だったグレースの養父となったのが、これまたフィリピンでは超人気俳優で、アロヨ女史と大統領選を戦ったこともあるフェルナンド・ポー氏。それだけでも十分劇的なのですが、選挙後に病気で急逝した父の意志を継いで上院議員になり、昨年大統領に立候補。

フィリピンではフィリピン国籍を有するだけでなく、10年以上はこの国に住んでいないと、大統領にはなれない決まりがあります。長くアメリカに住み、アメリカの市民権も持つポー女史は、この資格を満たしていないと選挙管理委員会から失格を言い渡されましたが、先日最高裁判所がこの決定を覆す判決を出しました。

いよいよドラマチックな展開になってきましたね。私の完全なる独断によると、ポー女史が当選間違いなし。でも家内に言わせると「フィリピンから一度逃げ出したような人はダメ」なんだそうです。う〜ん、そう言うと私も国外逃亡した同類なんやけどなぁ。


今大統領選の有力候補 中央がポー女史
出典:Batangas Today


2016年3月9日水曜日

混沌 フィリピン総選挙

月曜日から風邪を引いてしまったらしく、微熱やら咳やらでブログの投稿が滞っておりました。まだ多少、喉がイガイガしてます。

今年はフィリピンで6年に一度の大統領選。そして同時に3年に一度の、バランガイ・キャプテン(町内会の会長)から、市長、市会議員、州知事、上下院議員(議席の半数)などの改選が行われます。私にとっては移住後初めての大統領選。5月9日の投票に向けて、そろそろ選挙戦も盛り上がってきました。

とは言っても私自身は、選挙権の無い外国人なので、実際はあまり関係はありません。もっと言ってしまうと、選挙の結果で一般市民・国民の暮らし向きが良くなるとは思えない。しかし、多少なりともお役所関係者と利権を共有している人たちにとっては、誰が権力者になるかは一大事らしい。

これは日本でも同じなのでしょうけど、この国の場合はそれが露骨。例えば市の公共事業の発注先など、市長の親戚縁者・友人関係で独占されるのは当然のことで、誰もそれを不審には思わない。選挙前になると有力者の誕生日パーティなどの祝いには、続々と候補者が詰めかけるそうです。

市長が変わると、この勢力地図が一変するのもフィリピンでは当たり前。実際に金品の授受を私が見聞きしたわけではありませんが、家内を含めて多くのフィリピン人が「政治家=泥棒」と決めつけるのは、故なきことではないんでしょうね。

こんなお国柄なので、選挙に関するルールも至ってええ加減。例えば選挙ポスターなど、貼る場所や期間など何の制約もないようです。空港への抜け道沿いに延々と貼ったり、交通標識と並べたり、しかも市長も議員も大統領も同じように貼る。もう混沌(カオス)状態。これって、場所争いで喧嘩になったりしないのか心配になります。



実際に各陣営同士での争いは頻繁で、選挙戦も終盤になると本当に傷害や殺人事件になることも。前回の2013年の総選挙の時は、フィリピン人の友人から、選挙前後の1週間は夜間の外出は控えた方がいいと忠告されてしまいました。

さて、我がシライ市の現市長は「オティ(Oti)」ことホセ・モテリバーノ氏。名前も外見もスペイン系メスティーソ。もう2選され6年の任期が満了なので次の選挙には出られません。しかし抜け目なく奥さんを次期市長候補に送り込んでます。

この市長さん、私たちの住むセント・フランシスを夕方よく散歩してるのを見かける。それだけだったら親近感を抱くところなんですが、どう見てもヤクザ者にしか見えない男たちを、用心棒よろしく常に10名程度従えている。マフィアのボス以外の何物でもないなぁ。


現シライ市長のオティ
市が発行する公式文書にも顔写真載せるのがフィリピン流
強烈な自己顕示欲ですね。


2016年3月4日金曜日

久しぶりのフィリピン旅行?


前回前々回と在セブ日本領事館での息子のパスポート更新手続きについて、愚痴日記みたいな投稿をアップしてしまいました。手続きは面倒でしたが、日帰りとは言えセブへの旅行自体はかなり楽しかった。

まずネグロス島の外に出るのが、去年5月のマニラ行き以来。隣街のバコロドですら数週間に1度ぐらいしか出かけず、軽い引きこもり。ただ、それが嫌だということではなく、自宅をかなり居心地良く作った結果もあります。またネットは普通につながり、映画やドラマ、音楽に書籍と、日本語コンテンツにも事欠かない生活なので、あまりフィリピンにいるという自覚がなくなる。

そんな日常から、飛行機に乗ってリゾートで有名なセブ・マクタン空港に降り立つと、まるで海外旅行の気分。たまたま天気が良くて、これから真夏を迎えようという時期だったこともあるでしょう。しかも、自宅のあるイロンゴ語圏の西ネグロスとは言葉が違って、セブはセブアーノ語圏。

日本領事館のあるオフィス街と、そこに隣接する巨大ショッピングモール「アヤラ・センター」に来ると、いよいよ異国情緒満載。どっちを向いても観光旅行客ばかりだし、ネグロスではほとんど見かけない高層ビルがいっぱい。フィリピン人の家内ですら「まるでフィリピンじゃないみたい」と呟いていました。


こう開発が進むと、街の佇まいは世界中どこに行っても変わらなくなるという見本みたいなもの。レストランやカフェの中だと空調も効いているし、東京や大阪と大差ありません。コーヒー一杯の値段が、ネグロス島のシライ市内なら十分満腹になる料理とライス分ぐらいもする。でも、たまにはそういうのも悪くない。



すっかり家内とデート気分を満喫して、午後からはこの旅行のメイン、日本食材店の「町屋マート」というお店へ。セブ島やその周辺に滞在している日本人にはかなり有名な場所で、「セブ」「日本食材」でキーワード検索かければ一発で当たります。どんな店かというと、日本の狭いコンビニがそのままフィリピンに引っ越してきた感じ。

生鮮食料品がないぐらいで、レトルトやインスタント食品、お菓子にペットボトル飲料に胃薬・風邪薬などの常備薬もあります。ただし当然ながら価格はペソで、しかもかなり割高。でも、こっちに長期滞在してると大喜びで、一種の興奮状態になるのは、間違いなし。

私より家内がはしゃいでしまい、あっという間に3000ペソ分(約8000円)も購入。私たちの前にレジに並んでいた日本人らしきお客さんは、5000ペソ支払ってましたね。もしこの店が近所にあったら、1か月に1回ぐらいは買い出しに来そうです。

さて、戦利品をバックパックに詰めて、夕方のフライト目指して少し早めに空港へ。空港内の店で土産物を物色していると、何だかこのまま日本へ帰国するような錯覚を起こしてしまいました。20年前のハネムーンはセブでしたからね。



2016年3月3日木曜日

日本語が不自由な日本領事館員


息子のパスポート更新のため、ようやく申請書と写真を揃えて、やって来ましたセブ市内にある日本領事館。約1年半ぶりのセブ。今回はフィリピン人の家内と一緒で、リゾート地のマクタン島あたりで数日宿泊してゆっくりしたいところですが、家内は仕事があるし息子を置いて来ているので、もったいないけど日帰り出張。

朝7時バコロド・シライ空港発のセブ行き便で、たった30分のフライト。天気も良く順調な滑り出しと思ったら、空港からの幹線道路が拡張工事中やら事故やらで大渋滞。1時間半以上もかかって、ようやく日本領事館のあるセブ市中心部のオフィス街に着きました。ちょっと嫌な予感。

お馴染みのビルの7階にある領事館。狭いのは仕方ないにしても、内装も、椅子・テーブルも安っぽいのは相変わらず。まるで田舎の公民館みたいな佇まい。入居しているビルが立派なだけでに、貧相さが際立ちます。一応世界第3位の経済大国を代表する場所なんだから、もうちょっと何とかならんものかと、いつも気になる。些細なことかもしれませんが、一事が万事、在留邦人に対する日本政府の冷たい態度がよく分かる風景ですね。

さて、肝心の手続き。さほど待たされることなく窓口へ。何度か見たことのある若い女性が対応。ストレートの長い髪にポロシャツという、一見典型的なフィリピン女性のスタイル。肌はやや浅黒く、どうやら日比混血のようです。「おはようございます。」と日本語で挨拶してくれましたが、イントネーションはネイティブではありません。

苦労して作成した書類を見せると、いきなりサイズが違うと言われてしいました。持って行ったのはフィリピンでは一般的な「リーガル・サイズ」。こちらではA4での紙ってあんまり売ってないんですよ。申請用紙だから少々サイズが違っても大丈夫だろうとタカをくくっていたのが間違いだったようです。

さすがに飛行機に乗ってわざわざ来たので、サイズが違うと受理できない理由を訊いたら、受付嬢の日本語が途端に分かりにくくなってきました。やっぱり日本語は母語ではないんでしょうね。型通りの受け答えから外れると、語彙の少なさを露呈してしまう感じ。

仕方がないので、私が英語に切り替えてよ〜く訊いてみると、用紙にあるQRコードのサイズが変わってしまうと、スキャナで読み取れるかどうか分からないとのこと。私は用紙サイズは違っても(A4よりリーガルの方が少し大きい)同じスケールでプリントアウトしたつもりだったのですが、慣れないWindowsパソコンだったので、知らない間に自動でリサイズされていたようです。たったこれだけの話を理解するまで10分以上かかってしまった。

そういう理由ならば、ホームページに書いておいて欲しかった。それにしてもまた飛行機で出直しか?これは困った。しかしさらによ〜く聞いてみると、12歳未満の子どもの場合の署名は親の代筆でも大丈夫。息子はまだ10歳なので、その場で申請書の書き直しができます。そんなこと、どこにも書いてなかったぞ〜!それなら最初から自分でダウンロードなんかしなかったのに。

まぁ結果オーライで、無駄足を踏むことなく手続きが終わったのは良かった。それにしても、この領事館に足を運ぶのは、ほとんどが日本人のはず。その対応窓口に日本語能力がイマイチの人を配置するのは問題ですね。

それでなくても物事が思った通りには進まないフィリピンで、お役所スタイルの四角四面を押し付けるのなら、少なくとも日本語はネイティブレベルで、もうちょっと臨機応変な実務対応能力のある人を雇って欲しいものです。


パスポート申請書ダウンロード


この4月1日に息子のパスポートの期限が切れます。タイミングが悪いことに、フィリピンでは学校の夏休みは4月から。4月になってからだと、いつでも息子を連れて行けるのですが、期限切れの後に申請すると、日本から戸籍謄本を取り寄せる必要があってとても面倒なことに。お役所は当然のように土日や(フィリピンの)祝祭日には一切対応してくれません。

厄介なのはマニラの大使館やセブ、ダバオの領事館に行かないと、申請用紙が入手できないことです。自分のことならばとっとと出かけて行って、その場で用紙に記入すれば何も問題ないけれど、息子のパスポートなので息子の署名が必要。つまり私たちのように、大使館・領事館がない島に住む日本人は、とても不便なことに。「学校ぐらい休ませろ」ってことでしょうか?

ところが偶然にも、つい最近外務省が「パスポート申請書ダウンロード」なるサービスを開始しました。この投稿を書いている2016年3月3日現在、日本国内での申請にはまだ使えないようですが、海外の大使館や領事館では受付できる。これは助かったと思って早速試してみたら...。

PDFのファイルはあっさりダウンロードできたのに、なんとMacではプロテクトがかかって開かない。Windowsマシン限定って、何のためにこんなことするの? 仕方がないので家内のWindowsで試してみましたが、日本語OSが入っていないので、これもダメ。

そこで日本語OS搭載のWindowsを持っている日本人の友達にお願いして、わざわざ自宅にパソコンを持って来ていただきました。慣れないWindowsと悪戦苦闘して、1時間ばかりでようやく2枚プリントアウト。

次は、パスポートに貼る写真。これは日本にいる時から知ってましたが、撮影された顔の大きさがプラスマイナス2ミリ以内の誤差で決まっている。日本の写真屋さんなら簡単にできるかも知れませんが、少なくとも田舎町のシライでは、できる場所があるとは思えない。仕方なしに隣街の州都バコロドのパスポート写真を撮ってくれるスタジオへ。

かなりの労力を消費して準備が終わり、やっとセブの日本領事館に行ったのが昨日でした。ところがそこでもすんなりとは終わってくれません。長くなりそうなので、次回に続きます。