もう7月も終わって明日からは8月。フィリピンでは、学校にもよりますが、8月から新学期がスタート。本来の夏休みは、乾季で一番暑くなる4〜5月だったはずが、4年経ってもコロナ禍の影響で2ヶ月ずれたまま。かわいそうに学童・学生たちは、体感温度が40度前後だった猛暑の中を登校させられて、せっかくの休みは連日の雨。これはアカんと気付いたのか、来年から元の日程に戻しますと、教育省からのお達しがありました。
高校三年生の息子の通う、ネグロス島シライ市内の私立高では、一足早くこの月曜日から新学年。最近、ヒョロっという感じで背が伸びた息子も、以前と変わらず飄々と毎朝登校しております。
さて今日の本題は、フィリピンに移住した多くの日本人が悩まされるであろう、近隣からの騒音について。もうすぐ62歳になる私より一回りぐらい先輩の、ある邦人女性は、フィリピンで悠々自適の引退生活を楽しむはずが、連日の隣近所からの大音量音楽に悩まされて、残念ながらの帰国に至ったとのこと。そこまでいかなくても、ストレスを抱えながら日々を過ごしている人も多いでしょう。意外とフィリピン人でも、そいうい人は一定の割合でいるようです。
移住11年を迎えた私の場合、騒音を出さないことがルールの宅地内に家を建てたはずが、そんなことお構いなしの住民たちの騒音との戦いの連続。最初は、夜な夜な、宅地では禁止されている闘鶏を開催してた裏の大金持ち。そのオーナーが病気で寝たきりになって静かになったと思ったら、隣で新築工事が始まって、大工が大音量の音楽を流しながらの作業。何度苦情を入れても元の木阿弥で、ついに現場監督相手に大喧嘩。
工事が終わったら、次は向かいのオバはんが、これまた禁止されてる養鶏場を始めました。それもただの雄鶏ではなく、闘鶏用のを多数。深夜の2時3時に一斉に時を告げるもんだから、こちらは毎日寝不足。私が出るとまた喧嘩になるので、家内に間に入ってもらい、何とか養鶏は断念させました。
そしてコロナ禍。養鶏オバはんとは反対側の隣家の小学生の兄弟二人が、毎朝私の寝室の前を絶叫しながら自転車遊び。その次は、その隣の空きロットで、オーナーのオっさんが畑を始めました。ただ畑仕事するなら構わないんですが、野外ディスコに使うようなでっかいスピーカーで、終日大音量の音楽。宅地の警備員経由で苦情を入れたら、バランガイ訴訟に。いや、話が逆でしょ?
さすがにこれは、オッさんの言い分に無理があって、軽くバランガイ・キャプテン(町内会長みたいな役職)にいなされて、事無きを得ました。
直近が、新築工事の時に揉めた家。引越してからオーナーと直接話したことはなく、何となく嫌な感じながら平穏だったところ、わざわざ私の寝室の前の路上で、子供二人とバスケットボール。まだバトミントンなら良かったんですが、あのドリブルの音と振動って、頭に直接響くんですよね。それも1回だけじゃなく、二日続けてだったので「頼むからやめてくれ」と言った瞬間に、オーナーの男性(多分30代後半ぐらい?)がいきなりのブッチ切れ。
「ここはお前の道路じゃな〜い」と叫び出しました。一緒に遊んでた女の子二人はドン引き。まるでダダっ子。このまま怒鳴り返したら、拳銃でも持ち出しそうな勢いだったので(フィリピンでは民間人でも銃所持OK)、努めて冷静に「もちろん私の道路じゃないけど、あなたのバスケットボールコートでもないでしょ?」と理詰めの説得モード。しばらく話して、最後は握手で別れることができました。やっぱり子供みたい。
ここまでなら「またか」なんですが、さらに今回は、先月から介護移住で同居している高齢の父が、戦線に加わってきました。88歳のこの爺さん、若い頃から建築現場で仕事をしていてやや難聴。加齢で拍車がかかって、テレビを見る時の音量が半端ではありません。日本にいる頃から、ネットフリックス用にと買い与えたクロームキャストが、思いの外お気に入りで、こっちでも毎日「大谷選手」と「嫌韓・嫌中・日本すごい」番組のユーチューブ。わざわざ一軒家の離れまで用意したのに、それでも全開した窓から、フィリピン人もびっくりの大音量。
前回の投稿でも書いた通り、元々あまり仲が良いとは言えない親子の私たち。うるさすぎるからテレビ見るんなら窓閉めてエアコン使えを言ったら、例によっての逆ギレ。
実は、これ以外にも、ネガティブな出来事が立て続けだった7月。2週間ぐらい雨ばかりで気圧も低かっただろうし。かつて日本のサラリーマン時代に10年以上も苦しんだ鬱が、またぞろ頭をもたげて来て、一時はちょっとヤバかった。
しかしながら、分かりやすいというか現金なというか、雨季の中休みのように青空が広がり出すと、精神状態は一気に上向き、それとシンクロするように、周囲の状況も少しづつ好転。ということでやっと更新する気になった今日のブログは、愚痴大会になってしまいました。