2018年6月22日金曜日

たった四日で辞めちゃった

フィリピン経験があまりない人には、ネタで書いてるのかと思われそう。やっと見つかった新任メイドのジャジャが、今日辞めてしまいました。火曜日の昼前に来て、金曜日の昼過ぎまでの、たった四日間。我が家のメイドの最短就労期間の記録です。

誤解のなきよう、念のために書いておきますが、虐待もセクハラもしてませんよ。それどころか、仕事を与えすぎて疲れないか、反対に暇になって退屈しないか、この四日間、それはそれは気を遣ったんですから。実のお父さんでも、ここまでは心配しないんじゃないかと言うぐらい。

やっぱり高校卒業して、山の中の実家から出てきて、いきなり住み込みはキツかったんでしょうね。こういうケース、フィリピンではよくある話。ジャジャの場合は、ちゃんと自分から「家族に会えず寂しいから、もう辞めます」と意思表示して出ていったので、まだマシかも知れません。

前任二人のアミーとネルジーは、休暇を取って帰ったっきり。ネルジーは一応戻らないとメールして来たけれど、アミーなんて梨の礫。一応フィリピンの成人年齢は過ぎてるんだから、もう少しやり方もあるでしょうに。

家内の逆鱗に触れて解雇された、最初のカトリーナを除くと、これで3人連続でホームシックが原因の辞職。26歳のネルジーですらそうなので、フィリピン人って、どんだけ家族を恋しがる国民なんだろう。

そんな人たちが、家族を置いて大挙して海外に出稼ぎに出てると思えば、これは相当な難行苦行とも言えます。

それはともかく、ちゃんと1日の業務計画を考えていたのが、いきなり出て行っちゃたので、段取り総崩れ。終わらせるつもりだったことが、ほとんど明日以降に繰り越し。ジャジャが四日間を過ごしたゲストルームには、安コロンの香りだけが残りました。キツい匂いなので、抜け切るまではかなりの日数がかかりそう。

さて、またまた元の黙阿弥で1ヶ月前の状況に逆戻り。ジャジャを紹介してくれたジュンジュン君には、もう一度お願いしたし、その他の友人・知人にもメッセージ送信。もう若い方がいいとか、できれば美人なんて、罰当たりなことは言いませんから、ちゃんと居ついて仕事してくれる人を切に希望します。



2018年6月21日木曜日

私的フィリピン美女図鑑 阪急マルーンのドレス


私がフィリピン人の家内と一緒になってから、合計14年間を過ごした茨木市を含む、大阪府の北部を襲った最大震度6弱の地震から、今日で3日が経過しました。23年前の阪神淡路大震災の時と同様、災害直後からJR、私鉄各社、大阪モノレールの各鉄道網はストップ。

私は、多くの関西出身者がそうであるように、阪急電車に強い愛着を感じる者の一人。阪神淡路大震災では、私の実家からの通勤の足、阪急神戸線が半年に渡って不通となりました。

駅が乗降客で賑わう風景が失われるなんて、子供の頃から一度もなかったこと。線路上を走る電車の騒音が聴こえないだけで、あんなに不安感を煽るとは想像もしませんでした。それだけに、半年後に全線復旧した時の嬉しさは格別。

今回の地震では、その日のうちに阪急京都線を始め、ほとんどの鉄道が運転を再開。ところが、茨木市在住時の最寄である南茨木駅が、駅舎のダメージが大きく、乗降不可の通過駅となってしまいました。

大阪万博の頃に新設された南茨木駅。すでに築50年近くになるんですね。確かに私が住んでいた頃には、もうだいぶ古びた感じ。ネットに掲載された、ボロボロになった駅舎の写真を見ると、胸が痛みます。

ところが翌日、驚いたことに徹夜の作業によって駅が再開。まだエレベーターやエスカレーターは使えないものの、駅としての機能は取り戻したそうです。さすが日本というか、私としては、さすが阪急電車と声を大にして叫びたい。

というわけで、今日のフィリピン美女図鑑は、いつもとは趣を変えて、以前描いた阪急電車をバックに、婉然と微笑む美しきフィリピーナ。はるか南の島から、渾身の阪急愛を込めて、被災地の人々にエールを贈る気持ちで描きました。

ベースとなったイラストは、大好きな阪急電車が、私の故郷、兵庫県尼崎市内の塚口駅から、ここフィリピン・ネグロス島のシライ市まで、3000キロ延伸したという妄想を絵にしたもの。夢の国際特急が、シライ市駅に到着したシーンです。


美女のドレスは「マルーン」と呼ばれる、阪急電車のボディカラーとお揃い。落ち着いた雰囲気の阪急だけに、あんまり若すぎない「お姉さま」をイメージしました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び
日比カップル

2018年6月20日水曜日

血縁社会フィリピン


1ヶ月以上のメイド不在期間を置いて、やっと我が家に来てくれた新任のジャジャ。嬉しくて早速ブログに投稿したら、いろんな人から反響をいただきました。

その中でも驚いたのが、友達付き合いをさせてもらっている日本人女性が「私の彼氏の親戚です」と教えてくれたこと。前回書いた通り、ジャジャを紹介してくれた、日本のNGOスタッフのジュンジュン君も、日本人女性と交際中。それとはまた別の人。つまりジャジャは、私の友達二人と恋人経由でつながりがあったということになります。

さらにジュンジュンの親戚で、プロテスタント教会の牧師さんをしているロジャーという人が、以前から私の家内の知り合い。こちらは、2年前に家内が勤めていたNGOの活動で、研修の名目で日本へ。その際、パスポートやビザの手配で家内がずいぶんと世話をしました。

我が家にも何度か来て、私もよく知っています。牧師さんには見えなくて、気のいい農家のオッちゃんという感じ。ジュンジュンと初めて会った時には、ロジャーの親戚かと驚きました。そんな関係なので、ロジャーとジャジャも親戚。

フィリピンでもマニラなどの大都会なら、滅多にないことでしょうけど、田舎のネグロスで、しかも山間部や漁村だとよくある話。兄弟姉妹が5人とか10人がザラだし、固まって住むもんだから、一つの集落に知り合いができると、芋づる式に、ぞろぞろ「友達の親戚」が現れる。

こうして見ると、フィリピンの地方は、本当に地縁・血縁で何重にも人同士が結ばれてるんだと実感します。シライで、メイドを仲介するエージェントがないのも、おそらくそれが理由。見も知らない他人からの紹介より、親戚を頼った方が早いし信頼性も高い。

さらに、子供のゴッドペアレンツ(カトリックでの名付け親)、成人式のスポンサー(後見人)、結婚式のウィットネス(立会い人)などなど、親戚や友達の子供や若者を後援する制度が盛り沢山で、繋がりを強化。

これは私の推測ですが、300年以上も外国の支配下で搾取に苦しんできたフィリピンの人々が、自分たちを守るために、血縁で団結した名残りなのかも知れません。それが今でも、貧困や災害など、いざという時の互助機能として働く。

最近では互助というより相互依存みたいになってしまって、身内に成功者が出ると、寄ってたかって金を無心することも多いようです。こうなると負の遺産。フィリピン人と結婚した人の中には、心当たりのある方もおられるでしょう。

というわけで、こんなに親戚だらけの土地で暮らすのですから、ただでさえ目立つ日本人としては、日頃の行いや発言に相当気を遣います。下手すると、いつどこで足をすくわれるか分かったものではない。

見方を変えると、人に親切にしておけば、すぐにその評判が自分に戻って来る。今回ジャジャがメイドとして我が家に来てくれたのも、結果的には地元の人との付き合いを大事にしたから、とも言えますね。


2018年6月19日火曜日

四代目メイドは19歳


先代のメイド、ネルジーが突然離職して1ヶ月が経過して、四代目となる待望の新人さんが、昨日ようやく就任。やって来たのは、この3月に高校を卒業したばかりで19歳のジャジャ嬢。本名は、デイジー・メイ・ペンドン・ソンブリアなのに、なぜか渾名がジャジャ。本人に由来を訊いても、よく分からない。

生まれ育ちは、ここネグロス島のシライ市内。と言っても市街地から車で小一時間はかかる、山間部のランタワン地区。最近でこそ道路が舗装整備されて、ずいぶんと往来が楽になりましたが、ジャジャが幼い頃は、相当不便な場所だったそうです。

紹介してくれたのは、我が家の近所に活動拠点を持つ、日本の某NGOの現地スタッフ、ジュンジュン君。以前ガールフレンドとツーショットの似顔絵イラストを描いたことがあって、このブログの「美女図鑑シリーズ」で投稿しました。

なかなかの男前で、温厚だし時間もきちんと守るジュンジュン。ネルジーを紹介してくれたティンティン同様、なぜか私の周囲には、フィリピン人離れした生真面目な性格の人が集まります。実に有難いこと。

ジャジャは彼の従姉の娘。日本ではあんまり使わない言葉ながら、ジュンジュンの従姪(読みは「じゅうてつ」)になります。ちなみに男の子なら従甥(じゅうせい)。こんな呼び方知りませんでした。

それはともかく、ジュンジュンがいいと思って連れて来るぐらいだから、真面目な子なんだろうと思ってた通り、いかにも「田舎育ちの娘さん」で純朴そのものな感じ。私の頭の中では、谷山浩子さんが歌う「カントリーガール」が無限ループ。よく日に焼けた顔つきは、ちょっと子供っぽ過ぎて、すぐホームシックで帰っちゃうんじゃないかと、心配になるぐらい。


全然仕事の経験がないわけでもなく、最近急に開発が進んだランタワンにできた、観光客向けのカフェで、バイトのウェイトレスとして働いてたそうです。人件費を抑えるために、すぐ解雇は日常茶飯事のフィリピン。あえなく失業して職探し中に、我が家からの誘いがあったという次第。

気がかりだった家内の反応も悪くないようで、お昼前の面接で即決。早速お昼を一緒に食べて、後片付けに掃除はお任せというスピード雇用。ジャジャも、ちゃんと着替えやらの荷物はバックパックに詰めて持参だったので、ネグロスではそういうものなんでしょうね。そう言えばネルジーも、その前のアミーも、面接に来たその日から住み込み開始でした。

肝心の仕事振りはと言うと、そこはやっぱりまだ素人。6年も他家でメイド経験を積んできたネルジーとは比べるのは可哀想。ただ、包丁の使い方は手馴れていて、昨夜の麻婆茄子の調理では、まぁまぁのアシスタント。料理に興味もあるようだし、これはちゃんと教えたら上達するかも。

ということで、今後どれだけの期間、我が家で働いてくれるかは、まだまだ未知数ながら、できればネルジーの勤続2年3ヶ月の記録は更新してほしいものです。


2018年6月18日月曜日

ネグロスからの安否確認



自然災害の多さでは、世界でも屈指のフィリピンと日本。2013年4月の移住以来、日本にいる親兄弟や友人たちと、お互いの安否確認が必要な事態が何度かありました。

まずは移住最初の年、私たちの住むネグロス島を含むビサヤ諸島を相次いで襲った、ボホール地震とスーパー台風ヨランダ。特にヨランダの時には、数日におよぶ停電のためにネットも電話も不通になって、たくさんの人たちにずいぶん心配をかけてしまいました。

そして、こっちが心配する方に回った中では最大の災害が、今日2018年6月18日の大阪府北部の地震。震源地の高槻市は、まさに6年前まで家族で住んでいた茨木の隣。友達がたくさん住んでいるその場所が、震度6弱の強い揺れに見舞われました。

実家のある兵庫県尼崎市も5弱。82歳の父と81歳の母がいます。フェイスブック経由の連絡で慌ててテレビのチャンネルを合わせたNHKワールド。高槻、茨木、枚方といった北摂各地の懐かしい風景を、英語の解説で、こんな形で見ることになろうとは。本当に胸が締め付けられる思い。

一般の電話はおそらく回線がパンク状態だろうと思って、フェイスブック・メッセンジャーで電話した弟の携帯には繋がらず、もちろん実家も不通。最初に声が聴けたのは、LINE経由での、茨木在住のタイ人の友達でした。

その後、フェイスブックにもツィッターにも、続々と友人・知人の無事を知らせる投稿が続き、どうやら尼崎市内の揺れは強かったけれど、それほどひどい状況でもないことが分かってきました。その後、実家の母とも電話で話すことができて、弟からもテキストで返信。

残念ながら死者が出てしまい、怪我人も多いものの、23年前の阪神淡路大震災の時に比べると、全体としての被害規模はかなり小さかった模様。

日頃、日本とフィリピンは、感覚的・時間的・金銭的にもずいぶん近くなった、いい時代になったと浮かれた投稿をしていても、いざこういう大災害が起こると、その距離感は一挙に昔へ引き戻されてしまいます。

時差がたった1時間しかないフィリピンでもこの焦燥感だったので、アメリカやヨーロッパに住んでいる友人にすれば、その遠さは、歯噛みするほどの苛立ちを伴うことだったでしょう。海外移住で背負うことになるリスクには、こういう精神的な負荷もあるんだと、久しぶりに思い知らされてしまいました。


2018年6月17日日曜日

コンドミニアムには手が出せない

フィリピンと言えばコンドミニアム、とイメージされる人も多いでしょう。英語の Condominium は、日本で言うマンションのこと。そもそもマンション Mansion は共同住宅ではなく「豪邸」の意。フィリピン人に「私は日本でマンションに住んでます」なんて言ったら、正真正銘の大金持ちだと勘違いされること間違いなし。

そういえば、ここネグロス島のシライ市内では、市によって保存されている旧富豪宅を「ザ・マンション」と名付けて、カフェ・レストランを営業してます。確かにすごい家ですね。

そのコンドミニアム。マニラやセブでは、もうずいぶん前から建設ラッシュが続いてます。私のように、フィリピン国籍を持たない外国人は、国内の土地所有は許されませんが、コンドミニアムなら購入可。ひょっとすると、これを読んでいる方にも、オーナーさんがいるかも知れません。

私もフィリピン移住を検討していた頃には、別荘代わりに買っておこうかと、チラっと思ったことも。隣街のバコロドでも遅まきながら、エラい勢いで何棟ものコンドミニアムが建設中。物件によっては、日本の何十分の一ぐらいの価格なので、夢のような話でもありません。


ここは本当にネグロスか?
出典:Shoppers Guide

ただ、実際に住んでいる人の話を聞くと、いろいろ問題があるらしい。何といっても作りが日本ほどキチンとしていない。タイルが少し曲がってる、ぐらいならいいけれど、とにかく水回りのトラブルが多発。大雨が続くと壁から雨水が浸みてきて、そこから漏電したり。エアコンからの水漏れもよく聞きます。

だいたい、こんなに雨の多い国なのに、コンドミニアムに限らず、住宅の防水は杜撰な工事が後を絶たない。我が家の建築中にも、スチール瓦の購入先に紹介された屋根職人が大外れ。屋根ができた翌月には盛大に雨漏りして、ちょっとした騒ぎになりました。

幸い、まだコンクリート打ちが終わってすぐの時期。内装も何もなかったので、損害はなし。瓦メーカーのセールスマンを呼びつけて、無料で別の職人に補修を頼むことができました。

そういうスカタンな工事を間近に見ているだけに、何か不具合があった時に、自分一人では手の施しようがない集合住宅は、とても購入しようという気が起こりません。実際、聞くところによると、新築すぐのものより、数年人が住んでダメ出しも修理も終わった物件の方が無難で価値が上がるケースも。

私のように、向こう何十年も住もうとなると、状況はさらに暗澹たるもの。補修費用の積立など聞いたことがないので、建物が老朽化したり、台風や地震の被害を受けたりしたら、どうするつもりなんでしょう。それでなくても劣化の速いフィリピンの建築物。想像するだけで怖くなります。

投資対象としても、かなり難しいようで、ざっとネットで調べてみても、あからさまな誇大広告を別にすれば、大損したとか後悔してるという話が多い。

実のところ私は、フィリピンだけではなく、大枚叩いて日本でマンションを購入するというのも、厳しいんじゃないかと思っているぐらい。まず平均的な世帯収入に対して、価格が高すぎる。

フィリピン同様かそれ以上に自然災害の多い日本で、支払いが終わるまで何十年もかかるローンを組むのはリスクが大き過ぎ。1995年の阪神淡路大震災の後には、二重ローンの悲劇をいくつも耳にしました。日本での持ち家は到底無理と考えたことが、私のフィリピン移住の理由の一つでもあります。

ということで、今からフィリピン移住を考えておられる同士諸氏には、賃貸ならまだしも、いくら言葉巧みに誘われても、コンドミニアムの購入には慎重になっていただきたい。特に現物を確認せずに支払ってしまうなんて、金をドブに捨てるようなもの。

フィリピン人配偶者名義で土地を購入して、家を建てるほうがまだリスクは小さいでしょう。もちろん夫/妻が信頼できる人だというのが大前提。間違えても、知り合って間もなく入籍した、若いフィリピン女性の言いなりになって...というのだけは止めておいた方がいいですよ。


2018年6月16日土曜日

クリスチャンでも死ぬのは怖い


今日は、当たり前と言えば当たり前のことながら、クリスチャンの私もやっぱり死ぬのは怖いというお話。

そもそも宗教の始まりは、死への恐怖を克服するため、あるいは、誤魔化すためのものだったんじゃないか、というのが私が常々感じているところ。凡そカトリック信徒とは思えない発言ですね。

太古の昔から、人間は死んだらどうなるかを考えなかった人は、物心付く前に亡くなった場合を除けば、まずいなかったでしょう。死ねばすべてが消えるだけ、以上終わり、で思考停止できるのは少数派で、普通の神経の持ち主なら、自分の存在が失われることを突き詰め出すと、恐怖や虚無感で、居ても立っても居られなくなるものだと思います。

そんな時に、死を超越した神が在り、死後も魂は残ると言い切ってくれる「教祖」が現れたら、信じたくなるのも無理はない。もちろんいつの時代も「お前、見たんか?」と突っ込みを入れる疑い深い御仁はいたでしょうが、やっぱり大衆の多くは、神を信じたようです。

さらに自分の死より、年端もいかない我が子を亡くしたりしたら、その子の命が無駄だったと思えないのが人情。神さまの御元で安らかに過ごし、自分があの世にいく時まで待っていてくれると信じれば、どれだけ気持ちが楽になることか。

ところが現代(特に日本)は、そんなシンプルな信仰を持つには難しい時代。宇宙の始まりも、生命の誕生も、自分の体を構成する細胞のことまで、何となく分かったような気になってしまい、少なくとも日常生活で、神さまを介在させないと説明できないことなんて皆無に思える。

(実は、最先端の物理学者や数学者、宇宙飛行士が、神の存在なしに、こんな完璧な世界が創造されるはずがない、と感じるそうです。)

私にしたところで、神の存在やイエス・キリストの復活を信じて洗礼を受けたはずなのに、いざ自分が死んだ後に天国か地獄か、本当に、死後の世界に自分(の魂)が行くのか?と正面切って問われれば、絶対そうだと言い切る自信がありません。我ながら、信仰薄き者ですなぁ。

正直に申し上げて、どうなるかは死んでみないと分からない。なので、やっぱり怖いもんだから、立花隆さんの著書「臨死体験」を始め、その関連書籍を読み漁ったりしております。悟り澄ました信徒のような振りをしても、怖いものは怖い。

そこへ行くと、一般的なフィリピン人の持つカトリック信仰は、ずっと素朴で軽やかに見えます。本人も周囲も、幼児洗礼の信徒が大多数で、幼い頃から刷り込まれているからか、宗教行事への参加は、まったく生活の一部。あまり教養のなさそうな大工さんでも、食事の前のお祈りを頼めば、すらすらと神さまへの感謝の言葉が出てくるお国柄。

生き物として本能的な死への恐怖はあっても、死んだ後のことは、神さまに任せ切っている感じ。たぶん私が何を怖がっているのか、説明してもイマイチ分かってもらえないでしょう。これは心底、羨ましい。

そんな私も、四捨五入すればもう還暦。いくら人生100年になったとは言え、もう若いとは言えない。以前は、この年齢になれば、もう少し性根が座ってジタバタしなくなると想像してたんですけどね。「もう死ぬのは怖くない」と達観したセリフが吐けるまでは、まだ20年ぐらいはかかるんでしょうか?