2019年8月14日水曜日

プチ鬱からの帰還


かれこれ1週間もブログを休んでしまいました。
実はいろんなトラブルが立て続けで、精神的に参ってしまい、土曜日からの四日間、ベッドで無為に過ごしていたため。言うなれば「プチ鬱」。

先週更新した交通事故の件だけでなく、停電対策の発電機がバッテリー交換後も、別の部品が壊れたり、隣で新築中の現場からのラジオ騒音に、文句を言いに行って大喧嘩になったり。他にも小さな問題が連続発生。

私の場合、ある一定のストレス量を越えると、突然何をする気力も失われる感じ。この時点では無理して頑張れば、日常の家事やSNS閲覧、ブログ投稿など、やってやれないほどでもない。今月初めの投稿では、その日の予定をキャンセルして、何もしない1日にしたら、気分が楽になったと書いたばかり。でも今回は、とても1日でリカバリーできそうな雰囲気ではなかった。

実はこの状況、初めてではなく、私にとってはお馴染みの古い友人みたいなもの(腐れ縁ですけど)。


このブログで度々書いている、かつて患った鬱。2012年末まで28年勤めていた、日本の某大手企業にいた頃、辞めるまでの10年間ぐらいは、休職・復職を繰り返し、何度も心療内科医のお世話になってしまいました。

一番症状が悪化したのは2005年の、ちょうど息子が生まれた前後。その年の4月に転勤した先が、今でいうなら「超ブラック」。組織責任者の部課長が、気に入らない部下を意図的に(としか思えない)潰しにかかるような職場。度を超えた激しい叱責や、人格攻撃。目の前で提出した書類を破るなどパワハラ行為。行く着く先は完全無視。今思い出してみても、怒りが湧いてくるような環境でした。

当然、若手や中堅社員の転職・退職が相次ぎ、抑鬱状態と診断されて休職した人も、私が初めてではありません。ところが当時、この部署が担当していたのが携帯電話とそれに付随するシステムの開発。

2005年頃と言えば、携帯電話のメーカーはどこも飛ぶ鳥を落とす勢い。メンバーが辞めても、補充はそれほど難しくなかったし、ちょうど派遣社員の業務内容や業務期間の規制が、大幅に緩和されたことも追い風。そういう状況だったので、人事も労組も、問題の解決に動き出す気配は皆無。「ブラッック企業」なんて言葉もまだなかった。

結局私は、半年の休職を経て、産業医や本社人事担当者の勧めもあり、再転勤となった次第。はっきりした原因が取り除かれたので、私の精神状態も取り敢えずは復調。

その後、日本の携帯電話市場は、アップルの参入で、勢力地図がほとんど一瞬にして描き替わったのは、みなさんご存知の通り。経営不振に陥るのと並行するように、それまで放置されていた患部にメスが入り、私の上司だった人たちは退職や配置転換となりました。そして私がフィリピンが移住した年に、事業から撤退。職場そのものが消滅。

あれから10年以上が経過し、フィリピンに住んでからは、日々のストレス量は劇的に少なく。もちろん、公共サービスのレベルとか、日本では想像もできない生活環境など、まったく質の違うストレスはありましたが。

しかしこの4月から始めた、ゲストハウスの新築工事。大きな問題もなく順調な進捗だったものの、それなりに精神的な負荷がかかっていたようです。加えて、ここ数週間の長雨と連日の停電。意識はしなくても、いろいろと頭の中に溜まってたんでしょうね。

ということで、「昔取った杵柄」...とはちょっと違いますが、40代のつらい経験は伊達でなく、風邪も鬱も、初動の良し悪しが、その後の治りに大きく影響するのは、痛いほど分かってます。

会社勤めだったら、不調を自覚しても体が動く間は、簡単に休んだりはできない。でもここはフィリピン・ネグロス島。しかも早期退職の引退状態。家内に「これはディプレッションだ。」と宣言して、家事(と言っても食事の用意だけ)と現場監督を全面休業。スマホもパソコンも極力触らず、日がな一日ベッドで読書。疲れたらウトウト。

家内も私の持病とは長い付き合いなので、嫌な顔もせず、フルタイムの仕事をこなしながら、食事の準備や建築資材の買い付けに走ってくれました。すまんのぉ。

幸いにも若干食欲が落ちた程度で、不眠にはならず。これ、大事なポイント。私の経験からすると、眠れないのが一番キツい。お陰さまで、早めの対応が功を奏したのか、今日、水曜日の朝には、ほぼ回復。

「休める環境」がいかに大切かを、改めて実感した四日間でした。


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