2025年2月3日月曜日

なぜかミンダナオ その5 キューピーすごい


MCLでの食事風景

   前回に引き続き、ミンダナオ島滞在について。第5回でやっと今回のメインイベントとも言える、お好み焼きを作った話に辿り着きました。

今までツラツラ書いてきた通り、ミンダナオ子供図書館(MCL)のみなさんのために、何を作ったら喜ばれるかはずいぶんと考えました。実は当初、そばやうどんの麺類とか、ハンバーグにトンカツなどの、日本でポピュラーな献立も頭に浮かびまました。でも以前に書いた通り、あまり日頃の味覚から遠い食材だと拒否反応が出るだろうし、そもそも豚肉はNG。なんとか日本らしさ(というより関西らしさ?)があって、フィリピンの子供の口も合うかと、捻り出した案がお好み焼き。

結局MCL滞在中、夕食は3回作って、最初がクリームシチュー、2夜目がルンピア(春巻き)、最後の夕食にお好み焼きというフォーメーションにして、まずはクリームシチューがスマッシュヒット。続くルンピアは、元々こちらでも人気料理だし、MCL子供たちも時々作っているそうです。おそらく具材はシンプルな感じだろうと思いますが、それでも結構手間はかかるんですよね。

逆に言うと、皮を巻く作業はみんなに手伝ってもらえるということ。さらに巻きやすいように、ダバオのSM(大型ショッピングモール)で、中国製のちょっと高くて大きい春巻きの皮25枚入りを3パック買っておきました。これなら簡単には破れないし(市場で売ってる丸い皮は、安いだけあって破けやすい)歩留りは良いはず。

なので、私が注力するのは中身の具材のみ。にんじん・インゲン豆・タケノコ代わりのじゃがいも、ニンニク&生姜と、椎茸代わりのマッシュルームを、鬼のように細かく刻み、隠し味の缶入りツナフレーク。これに小麦粉とオイスターソースを水で溶いたものを加え、でっかい中華鍋で炒めます。出来上がった具材を食堂のテーブルに運んで、その日の料理当番全員に手伝ってもらって皮巻き大会。この共同作業がとても楽しくて、なかなかの連帯感。

いつもは丸い皮が、今回は四角いものに変わったので、最初子供たちは「?」となってましたが、私が一個だけ見本を巻くと、あっという間にコツを飲み込んで、速攻で75個のルンピアが巻き上がりました。ここまで来れば、揚げるのは皆さん慣れているのでお任せ。


まぁ食べ慣れたルンピアなので、評判が良いだろうとは思ってましたが、予想以上のバカ受け状態。食事が終わったあと、別棟に住んでおられる、MCL創立者のご子息の方(日本人)が、スタッフから分けてもらって一個口にされたところ「すごく美味しい」と感激され「鰹節でも入ってるんですか?」と聞かれました。たしかにツナは入ってますけどね。

明日はお好み焼きですと言うと、なんだか妙にテンションが上がって「楽しみにしてます!」。うわっ、これはプレッシャー。こう書くと、私が料理の腕を自慢してるいたいですが、ずっとフィリピンに住んでると、ちょっとした日本の味が、とても美味に感じるものなので、そこは差し引いて考えないといけません。

そしてお好み焼きの日。まず前日、市場で買った大きなキャベツを刻むところから。さすがにこれは、みんな初めて見る料理なので、「このオっさん、今度は何を作るんだろ?」とばかりに興味津々。いよいよ焼き始めるという頃には、カマドの周りに数人の子供が観客みたいに集まって来て、ひっくり返すと拍手喝采。ちなみに豚玉ではなくエビ玉です。

ここからが懸案のマヨネーズととんかつソース。いきなり全部かけちゃうと「美味しくない」となった時に取り返しがつかないので、小皿に少し取って混ぜて、一人づつ味見をしてもらうことにしました。結果は取り合いになるほどの盛況。一番ちっちゃな女の子などは、皿に残ったマヨネーズとソースを、持ってたスナック菓子につけて、きれいに拭き取って食べてました。フランス料理か?

こうして焼き上げた17枚は、これまた瞬殺で完食。たまたまこの日は、MCL創立者の松居友(とも)さんも、フィリピン人の奥さんと一緒に食卓に。「ピザって言うからそう思って食べたら、まるでお好み焼きですね」。受け入れらやすいようにと「ジャパニーズ・ピザ」って説明しましたが、間違いなくお好み焼きです。

中でも一番喜んでいただいたのが、松居さんの奥さん。日本の生活が長かったそうで、懐かしい味に再会した、という感覚だったんでしょうね。


お好み焼きの日の料理当番の皆さん。向かって左上は寮母さん。

それにしても、キューピーのマヨネーズは偉大です。私がフィリピンに移住した頃には、すでに輸入食材として出回っていたキューピー。最初はベトナム製の甘いものも併売されてましたが、いつの間にかそちらは見かけなくなり、今店頭に並んでいるのは、フィリピン製。ただし味は紛うことなく日本のマヨネーズ。家内の親戚にキューピーファンがいるぐらい。

ということで、移住して12年。ずっと料理担主夫として台所に立ち続けてきたのは、この日のための伏線だったのか?と思うほどの充足感でした。フィリピンでの食生活については、まだまだ書きたことがあるので、この続きは次回へ。



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