前回に引き続き、ミンダナオ島滞在について。今回は、ミンダナオ島の複雑な言語事情の話です。かなり刺激的なタイトルですが、実際にこう語る、ミンダナオの先住民の方がいるそうなんですよ。
このシリーズ投稿の最初に、ミンダナオの歴史について簡単にたどった通り、ざっと島の3/4を占めるビサヤ語やイロンゴ語話者がマジョリティの地域。これは歴史的には新規入植者。第二次大戦後と言いますから、せいぜい80年しか経っていません。実は以前から、なぜフィリピン中央部の言葉であるビサヤやイロンゴを話す人たちが、南部のミンダナオに多く住むのか疑問に思っていました。ちなみにミンダナオの最大の都市ダバオの市長を長く務めた、ドゥテルテ前大統領もビサヤ語が母語。家内によると、彼の喋る英語やタガログ語は、ベタベタのビサヤ訛りなんだとか。
こういう経緯があるので、ビサヤ語ほどではないものの、私が訪問したミンダナオ子ども図書館(MCL)周辺には、私が住む西ネグロスの言葉であるイロンゴを解する人が多い。なので、イロンゴに訳した日本の歌を歌ったわけです。まぁ言葉がどうこうより、子供たちにすれば聴き慣れないメロディだったので、ノリはイマイチでしたけど。
とは言え、一緒に食事の用意をした時には、私のイロンゴが結構通じて面白かった。お互いに第二・第三言語なので、かえって分かりやすいし聴きやすい。これは以前に仕事でヨーロッパに行った時、イギリス人とより、ドイツ人やイタリア人との英語会話が通じたのと似てます。ただ、最初はイロンゴで話しかけても、ところどころでビサヤ語が混ざり、聞き返しているうちに結局英語、なんて感じにもなりました。
ところでミンダナオのビサヤ語って、発祥の地であるセブやその周辺のビサヤ(セブアノ)とは、語彙や言い回しがかなり違うそうです。と言うのは、入植者は必ずしもセブからだけではなく、フィリピンの他地域からの人もいるので、タガログやその他のフィリピンの諸言語が混ざっている。私にはまったく分かりませんが、同じ言葉を話してるはずのセブから来た人が、戸惑ったりすることも。
このようにミンダナオは、いろんな意味での多言語地域なんですが、少なくとも私が滞在したMCLでは、ビサヤ、イロンゴ、ミンダナオ土着の言葉でMCLの子供たちが話すマノボなど、どの言語を母語としていても、みんな平和に暮らしています。食材の買い出しに行った公設市場では、私がイロンゴを話すとみんな面白がって、周囲にいた人たちがすぐに言葉をスイッチしてました。
ところが残念なことに、ミンダナオ全島がそうではなく、今も地域によっては、言葉の違い、あるいは宗教の違いを理由にする争いが続いてるとのこと。他島の住民かつ外国人である私には、それについてどちらにも批判的なことは言えませんし、ビサヤやイロンゴを「侵略者の言葉」として忌み嫌う先住民の人がいるのも、仕方ないのかも知れません。
それだけでなく、私がたいへんだなぁと思うのは、こういう環境で勉強する子供たち。特にマノボ出身だと、まず普通に街へ出て買い物をするだけでも、ビサヤ語を覚えないとなりません。さらに学校ではフィリピンの公用語である英語とタガログ(フィリピノ)語を教科としての学習が必須。教科書は公用語で書かれているので、それが不得手だと全教科で成績が悪くなる。いやもうこれは、虐待に近い。せめて公用語は英語だけにしてあげてよと、お願いしたくなります。実際、小学校一年からフィリピンで育った息子など、幸い英語は問題ないけれど、フィリピノ語には悪戦苦闘の12年。
この状況を間近に見ていると、日本語だけで高等教育が受けられるのは、なかなか素晴らしいことだと再認識。日本が明治時代以降いち早く近代化に成功し、20世紀初頭にヨーロッパ諸国に列するところまで行けたのは、母語か比較的母語に近い単一の共通語で、教科書を編纂できたのが大きかった。おそらくどんな方言であっても、書き言葉の漢字を共有してたのも重要だったでしょう。
ということで今日は、言葉の観点からミンダナオ滞在を振り返ってみました。次回は遂に最終回、MCL創設者の松居友(まつい とも)さんについての投稿です。
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