前回に引き続き、ミンダナオ島滞在について。今回は、ミンダナオ子供図書館(MCL)の子供たちの前で、日本人である私がタガログ語の歌を歌ったというお話。
急に思いついたわけではなく、30代の頃からカトリック教会の聖歌隊の一員として、ずっと歌ってはいたんですよ。それだけではなく、一時はアマチュアコーラスグループに所属して、クラシックの声楽曲を練習したり。一応ホールを借りて、ハイドン作曲の「テレジア・ミサ」を人前で披露するところまでは演りました。もちろんソリスト(独唱者)ではなく、バックコーラスの一員で、当たり前にノーギャラですが、一回でも聴衆を前に歌う経験があると、病みつきになるもんですね。「役者と乞食は三日やったら止められない」なんて言いますが、多分、歌手とかミュージシャンも同じなんでしょう。
その後も日本にいる間は、所属教会で歌い続け、月に一回ぐらいは「答唱詩編」も担当。これは何のこっちゃというと、その週の聖書の一部を朗読した後、そこにメロディをつけて歌う。これが、先唱のソロと出席者全員の掛け合いみたいに歌います。小さなチャペルでも100人ぐらいは集まるので、先唱者になるとなかなか緊張するんですよね。そのおかげで、人前で歌う度胸は鍛えられたというわけです。
そしてフィリピン移住。さすがに人口の八割以上がカトリックなので、ミサで少々大声で歌っても「聖歌隊へ是非!」なんて声は掛かりません。ものすごく信者層が厚い上に、歌うのが大好きな国民性。大聖堂で歌ってる人など、その中から手を挙げた、ほぼプロのレベルの歌い手ばかり。日本だと、そもそもの信者数が少ない上に高齢化が進み、聖歌隊の成り手が少なくて、転勤先で新しい教会に行くと最初のミサの後に100%の確率でお声えがけがあったものなんですが。
それでも毎週のミサでは、英語やタガログ語、時には地元の方言イロンゴ語の聖歌も、耳で覚えて歌ってました。ちなみに私、歌が好きなわりには楽譜が読めないんですよ。その上日本と違って、全員に「典礼聖歌集」みたいな歌詞と楽譜が記された冊子があるわけでもなく、事前練習もできない。ミサ当日にひたすら聴いて覚えるしかないわけです。さすがに最近では、オーバーヘッドプロジェクターで、歌詞だけは見られるようになりました。
ところが5年前のコロナ禍。ミサに行けなくなっちゃったので、週一の歌う機会が奪われてしまい、仕方なくYouTubeでカラオケ音源を集めて歌詞を印刷し、一人で「ボイストレーニング」と称して歌の練習を始めました。
なかなか孤独な趣味なんですが、始めてみると面白く、何より毎日1時間近くも歌ってると声も出るようになる。最初は途中で息切れしたり、高音部で声がかすれてた曲が、普通に歌えるようになると、ではもう少し難しそうな曲に...とチャレンジ。そうこうしているうちに、レパートリーは100曲以上になりました。日本語・英語だけでなく、タガログ語によるOPM(オリジナル・フィリピノ・ミュージック つまりタガログ語の歌謡曲)や、ラテン語のミサ曲やイタリア語、さらには、家庭教師にイロンゴ語の訳詞を書いてもらった日本の流行歌。
コロナ禍が下火になった後も、習慣になったボイトレはずっと続けていて、今では親戚や友達のパーティで歌ったりしてます。その話は何度もこのブログでも取り上げました。これって日本で同じことしようとしたら、それこそ落語の「寝床」に出てくる、義太夫を無理やり聴かせる長屋の大家さんみたいに、迷惑がられるかも知れませんが、フィリピンではとにかくウケる。まぁ私が歌い出さなくても、パーティがカラオケ会場になっちゃうのはよくあるパターン。
延々と書いてきましたが、そんな背景があったので、今回のMCL訪問に際しても、夕食後の歓迎会と送別会に思いっきり歌いました。曲目は英語や日本語、タガログ語に前述のイロンゴ語訳の歌などなどでしたが、結果的に一番盛り上がったのは、みんなが知ってるアップテンポな曲。特にビートルズの「オブラディ・オブラダ」と、アバの「ダンシング・クーン」が全員で合唱になるほどの大騒ぎ。私はマイクを使わず歌うスタイルなので、自分の歌声が聴こえないほどでした。なぜかフィリピンでは、すごく若い世代でも1970〜80年代のポップスをよく知ってるんですよね。
あと、日本人スタッフの梓さんにいただいたのが「日本人がタガログやイロンゴで歌うと喜びますよ」というアドバイス。イロンゴ訳の歌はイマイチでしたが、タガログ語の「マイ・ブーカス・パ(フィリピン版 明日があるさ)」は、しんみりと聴き入ってくれました。
ちなみに夕食後のミニ・コンサート。私が一方的に歌うのではなく、子供たちもギターの伴奏で歌ったり踊ったりしてくれました。元々それがメインで、ゲストがこんなに歌い倒すのはわりと珍しかったようです。
ちょっと失敗したのは、歌う前に喋りすぎちゃったこと。MCL創設者の松居さんやそのご子息、スタッフの梓さんに、たまたまMCLに滞在中だった日本の学生さんたちと、久しぶりのまとまった日本語会話。こうなるとつい喋り続けてしまうんですよ。何時間ものお喋りの後に歌うのは、喉への負担が大きかった。
というわけで、やや「日本爺さんの自己満足」の気配があったものの、全体的には子供たちが楽しんでくれたようなので、まぁ上手くいったかなと思います。
次回は、ミンダナオ島の複雑な言語事情についてのお話です。
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