2025年2月18日火曜日

なぜかミンダナオ 最終回 MCL創設者・松居友さんのこと


松居 友 著「サンパギータの白い花

 前回の更新からちょっと間が空いてしまいましたが、引き続き、ミンダナオ島滞在について。今回は、私が4泊5日でお世話になったミンダナオ子供図書館(MCL)創設者の松居友(まつい とも)さんについて。

実は私、ツイッター経由で知り合った日本人スタッフの梓さんの伝手で、MCLを訪問するまで、日本人が立ち上げたNGOだとは、まったく知りませんでした。てっきりフィリピン人が自ら作った組織に、梓さんがその趣旨に共感して参加したのだと思い込んでいた次第。確かに今現在は、フィリピンのNGOとなっているものの、そもそも松居さんが、ミンダナオの先住民のマノボ族の困窮を見るに見かねて、親を亡くしたり家庭が崩壊して学校に通えない子供たちを、奨学生としてご自分のアパートで世話をしたのが事の始まり。詳しくは「松居友プロフィール」をご覧ください。

最初に私が松居さんと、MCLのダバオ事務所でお会いした時には、そんな予備知識ゼロ。ただ、たいへん穏やかな人柄の中に、ただならぬ「凄み」のようなものを感じ、深夜にもかかわらず話し込んでしまいました。後になってMCL創立の経緯を知り、そりゃ凄いはずだと膝を打ちつつ、失礼なことを言っちゃったんじゃないかと、冷や汗を流してしまいました。

松居さんは「創設者」と呼ばれることを潔しとはされないようで、図書館の運営は、すべてスタッフのお陰と仰います。しかし松居さんがいなければ、MCLは存在していません。その功績で、マノボ族の酋長に選ばれたとのことですから、人々の信任の厚さはたいへんなもの。

さて、そんな松居さんにお会いした時に思い出したのが、私が敬愛して止まない司馬遼太郎さんのエッセー集「以下、無用のことながら」に収録された「並外れた愛 柩の前で」の一節。これは、ジャーナリストであり、ノンフィクション作品「サイゴンから来た妻と娘」で知られ、1986年に夭折された、近藤紘一さんへの弔辞として書かれた文章です。以下少々長くなりますが、引用します。


君は、すぐれた叡智のほかに、並はずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました。他人の傷みを十倍ほどに感じてしまうという君の尋常ならなさに、私はしばしば荘厳な思いを持ちました。そこにいる人々が、見ず知らずのエスキモー人であれ、ベトナム人であれ、何人であれ、かれらがけなげに生きているということそのものに、つまりは存在そのものに、あるいは生そのものに、鋭い傷みとあふれるような愛と、駆けつい抱きおこして自分の身ぐるみを与えてしまいたいという並はずれた惻隠の情というものを、君は多量にもっていました。それは、生きることが苦しいほどの量でした。


私は、近藤さんの全著作を繰り返し読むようなファンだったので、おそらく近藤さんの人となりは司馬さんの描写した通りなのだろうと思う反面、正直なところ、そんな人が実在するのか?司馬さんの盛りすぎじゃないとかとの疑念もありました。ところが、ほぼその描写通りの方がおられたんですよね。

私は常々、ボランティアという行為は自分のためにするもの、と考えております。身も蓋もなく言ってしまうと「褒められたい」からする。でもそれが悪いということではなく、困っている人を助けたい、悲しんでいる人を喜ばせたい(たとえそれが束の間であっても)と思うのは、人間の本能に近い感情。そのためには、喜ばせるための技術が必要だし、それをちょうど良いタイミングと量で提供しないと、しばしば逆効果にもなる。

つまり、単に自分がやりたいからやる、ではなく、それなりの知恵や経験が必要で、決して簡単なことではありません。継続的にやるなら尚更です。そこまで考えてやるなら、自己満足も売名行為も大いに結構。

ところが松居さんのマノボの人々への思いは、司馬さんの言葉を借りれば「生きるのが苦しくなるほどの、並はずれた惻隠の情」。やりたいからやるなんて、生ぬるい気持ちではなく、人々を見捨てれば、自分の身が焼かれるほどの感情が激っているんだろうと推測します。もちろんこれは、私のような凡人が真似ることができない領域。神さまは、ごく稀に、このような魂を持った方を、この世にお遣わしになるようです。


ということで、9回に渡って投稿してきた、私のミンダナオ滞在シリーズはこれで終わりです。ここまで読んでいただいた方、長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。


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