2017年8月13日日曜日

終戦記念日に思うこと マバラカット飛行場


今年も8月15日が巡ってきます。太平洋戦争中、50万人以上の日本人と100万人を超える現地人戦没者を出してしまったフィリピン。ここネグロス島も、マニラ市街戦、レイテ沖海戦に次ぐ激戦地だったそうで、8000人もの日本兵が亡くなりました。フィリピンに住む日本人としては、毎年いろいろと考え込んでしまう時期。今回は、2回に渡って終戦記念日に思うことを投稿しようと思います。


フィリピン・ルソン島、首都マニラから北西約60kmに位置する、東マバラカット飛行場跡。戦争末期の1944年(昭和19年)10月、ここから最初の特攻機が飛び立ちました。その後の3ヶ月間、当地にあった全機体が失われるまで特攻は続けられ、約700名のパイロットが体当たり攻撃で命を落としたそうです。

その後マバラカットは、1947年のアメリカ・フィリピン両政府間で合意された軍事基地協定により、クラーク空軍基地の主要飛行場の一つとしてアメリカ軍に使用され、1975年までのベトナム戦争中には一大軍事拠点でした。

1991年、基地から20kmのピナツボ火山の大噴火で、マバラカットを含む基地周辺は火砕流に埋まり、冷戦終了という世界情勢の変化もあって、クラークはフィリピンに返還。

そして2004年、このマバラカット飛行場跡に、地元の歴史家ダニエル・ディゾン氏の発意で、特攻隊員の像が建立されました。これは1974年に同地に置かれ、噴火で埋没した記念碑に置きかわるもの。フィリピンでの日本兵の残虐行為を目の当たりにしたはずのディゾン氏が、どうしてこれを思い立ったのか、私にはよく分かりません。それでも日本の関係者からの協力もあり、この像の完成以降、かなりの数の日本人がマバラカットを訪れているようです。


出典:Kamikaze Images

像がある敷地内の日本語の碑文には、こうあります。

「マバラカット観光局が神風平和記念公園の建立を推進した理由は、神風特別攻撃隊の栄光を賞賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて、世界の人々に平和と友好の尊さを訴える為であります。」

フィリピンに特攻隊関連の記念物を設置するならば、これ以外の理由はないだろうと思うし、国籍に関係なく、すべての戦没者を慰霊する場とすることに、何の異論もありません。

ところが、像そのものや、背景にフィリピン国旗と並んで刻まれた旭日旗のレリーフ、入り口付近の看板の意匠を見ると、私にはどうしても、平和祈念や戦没者の慰霊という意図が感じられない。だいたい看板に使われている「神風」「Kamikaze」の書体からして、まるで安物の商業施設。


出典:Kamikaze Images

マバラカットに関するいくつかの英語の記事を読むと、フィリピンでは、碑文を額面通りに受け入れられない人の方が多数派のようで、肉親を日本兵に殺害された地元住民や、フィリピン大学の教授などからも、像設置への反対意見が寄せらています。

参考:ABS-CBN News / INQUIRER NET / the japan times

同様に多くの特攻機が飛び立った、鹿児島県の知覧にある知覧特攻平和会館と比べると、マバラカットの施設全体のデザインが、いかに配慮に欠けたものかというのが、よく分かります。これでは日本からの観光客集めが目的だと言われても仕方がない。

私は、特攻隊に関して、隊員たちが家族に送った遺書や、生き残った関係者の証言など、若い頃からたくさんの本を読んできました。また関連したテレビのドキュメンタリー番組も、気がつけば必ず視聴。二十歳前後で家族や愛する人たちを残して、死地に赴いたパイロットたちの無念さを思うと、決して彼らのことを忘れてはならないと感じています。

それだけに、現状のマバラカット施設の体裁は、残念でなりません。誤解してほしくないのは、特攻隊員の慰霊と平和祈願のために、何らかの記念碑や公園を作り、そこに参拝すること自体を否定する気は、まったくないということ。だからこそマバラカットが、日本人だけでなく、あらゆる国の人々にこの悲劇の実態を知らしめ、平和について静かに思索できる場所になってほしいのです。

次回に続きます。


2017年8月11日金曜日

宿題なしの夏休み


もう8月も半ばに差し掛かり、今が子供達の夏休み真っ最中の日本。いつの間にか8月11日は「山の日」という国民の祝日になってるし、多くの職場でも来週からはお盆休みということでしょう。

さて、4年前にフィリピンのネグロス島に移住して、子供を地元の小学校に通わせるようになってから気づいたのが、夏休みの過ごし方の違い。フィリピンの場合、一番暑いのが4〜5月で、夏休みもこの時期。日本では40日間というのが普通なのに対して、こちらでは丸々2ヶ月。息子の通う私立小学校では、3月の最終週と6月の初めの週まで休みで、ざっと2ヶ月半近くも登校しません。

さぞや、どっさりと宿題が出るだろうと思いきや、そんなものは一切なし。夏休みが学年の変わり目だということもあって、この長い休みの間、子供はほぼ完全な自由ということになります。

もちろん家庭によっては、サマー・プロジェクトと称して、スポーツやダンス、お絵描きや音楽などの習い事に通わせることもあり、今年は息子も毎日4時間のテニス・レッスンを2週間。従兄姉は、ブラスバンドにサッカーをやってました。

でも、塾や予備校に毎日行かせるとか、大量の宿題が出て、休みの最後になると子供が泣きながら机に向かうという話は、聞いたことがありません。大学受験を控えた高校生にでもなれば、それなりの勉強をしているのでしょうけど、日本のように誰もが大学に行くわけでもなく、公立ならば、小学校から高校までは受験の必要がないので、わざわざ夏休みに追加の勉強をする子供の方が珍しい。

ただし、小学校でも年4回の定期試験がきっちりあって、成績が悪ければ落第もあるのがフィリピン。チューター(家庭教師)を雇う親もいるし、勉強する子は長期休暇以外の、授業のある時期に頑張っている印象です。そして就職時に学歴がモノを言うのは、日本並みかそれ以上。

こんな感じなので、優秀でやる気のある子供でも、頑張って集中する時と、力を抜いて休む時を、自然と理解する。これに対して日本の子供は、夏休みなのに休むことが許されない。勉強もそうだし、クラブ活動でも「強化合宿」などと称して、むしろ夏休みの方が厳しいトレーニング。

そう言えば、昔「キャプテン」という中学野球のマンガがありましたね。真夏に朝から晩まで無茶苦茶な練習して、練習試合を1日3ゲームもこなして、苦労の挙句に全国大会優勝。当時はスポ根もの全盛の時期だったので、何の違和感もなく読んでたけれど、今だったら虐待と言われそうな内容。ああいうストーリーを子供の頃から刷り込まれたから、大人になってから、死ぬまで働いたりしてしまう人間が出来てしまうのかと思ったり。

いつ頃からそうなったのか、よく分かりませんが、どうも日本人は、長期休暇などの空白の時間を過ごすこと罪悪だと、教育されてしまっているらしい。私がかつて勤めていた会社は、日本で最初に週休二日制を導入しました。その時のスローガンが「1日休養1日教養」。つまり2日間、会社に来なくてもいいのは、2日とも休んでいいという意味ではないぞ!と言っていたわけです。まったく大きなお世話。

そんな意識が根付いてしまったものだから、本来休養のための土日なのに、昼まで寝てしまったら大損したように感じるし、たまの3〜4日の休みでも、予定ギチギチの海外旅行をして、平日より疲れてしまう。

どんな分野でも、日本一とか世界一を目指すような人たちは、他人の何倍もの努力が必要なのは分かるけれど、どうも日本人の場合、才能の有無に関係なく、誰もが努力だけは、トップレベルを義務付けられているような気がします。また社会人になってからも、キャリアにブランクが空くことを極度に恐れるし、育児で1年休んで復職することすら、認められないケースの方が多い。

だからと言って、フィリピンのように平日の昼間から、何もしない大人が町中に溢れているというのも考えものですが、疲れたら十分休息が取るという、人間として当然の権利が行使できない社会は、普通ではないでしょう。


2017年8月9日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 フィリピーナ in キモノ

皆さまお待ちかねの、今週の美女です。美女なんですが、今日のモデルは家内です。がっかりしてはいけません。「フィリピン美女図鑑」と銘打って、他所の女の絵ばかり描いて、自分の妻を描かないなんてことは、フィリピンでは許されません。これはフィリピーナと結婚した男の、神聖なる義務でございます。

前々回、友達のティンティンのイラストの時もそうでしたが、本人が見るかも知れない似顔絵というのは、実に難しい。まず印象が似ていないといけないし、その上で「そこそこ美人」に描かないとダメ。いくら似てても、本人が嫌がるような箇所を強調すると怒られる。だからと言って美人にしすぎても、皮肉と取られかねない。

ところで家内の顔について。
フィリピン女性と聞くと、目が大きくパッチリしてて、少し前に流行った言い方を借りると「ソース顔」や「濃い顔」を思い浮かべる人が多いでしょう。ところが家内は、フィリピン人から中国人や日本人と間違われるほどの「しょうゆ顔」。目は二重でもパッチリという感じではなく、切れ長の印象です。肌色もそんなに濃くない。

童顔だというのは、このブログでも何度か書きました。結婚した時、既に33歳だったのに、日本では高校生と思われたり。この童顔+日本人顔効果で、日本に住んでいる時、よく道を尋ねられていました。

そして、来日して最初の冬。どうしても雪が見たいと言うので、兵庫県の日本海側にある、城崎温泉へ。当時はまだ新婚早々だったので、張り込んで、城崎マリンワールドに隣接するホテル金波楼(きんぱろう)に泊まりました。

とにかく生まれて初めての日本で、しかも温泉。純和風の食事にして、何も食べられなかったりすると可哀想なので、和牛ステーキも追加で頼むという超豪華コース。ところが生魚以外は、なんでも美味しいと平らげて、結局ステーキは私が頂きました。それより驚いたのが、初めて着た浴衣が不思議なほど似合うこと。

顔つきが南方系っぽくないだけでなく、かなりの撫で肩。食事の用意をしてくれた仲居さんが「本当にフィリピンの方ですか?」と聞き直したほど、浴衣姿がサマになってました。


ということで、今回選んだコスチュームは着物です。結婚して子供までいて、もう50過ぎなのに、なんで振袖なんだというツッコミは禁止。いいんです。フィリピン人はそんなことに拘りません。綺麗だったら何でもいいんです。

一緒になって、来年で20年。いまだに童顔だし、息子のクラスメートの女の子に「マダムは、フィリピンの言葉は喋れますか?」と英語で訊かれたりしてる。ここは家内の生まれ故郷なんですけどねぇ。


【追記】
その後、イラストを描き続けること3年半。ずいぶんと手慣れてきて、最初の頃のイラストの詳細がいろいろ気になってきたので、2021年のバレンタインデーを機に、家内の似顔絵も再描画しました。

過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年8月8日火曜日

拳銃痴漢


半月ほど前のこと、いつものように家族で日曜日朝のミサに与り、神父さまの説教を聴いておりました。「聞く」ではなく「聴く」と書いたのは、ほとんど意味が分からないから。ここでは通常、ミサは英語で行われるのですが、なぜか説教だけは地元の言葉のイロンゴ。たまに英語も混じるのに、ジョークの落ちだけイロンゴになるので、肝心なところで笑えません。

この日も例によって、イロンゴが片言レベルの私と息子は、蚊帳の外。だいたい30〜40分くらいは黙想会みたいなもの。ミサの後家内が、拳銃強盗のことだったと事後通訳をしてくれました。どういう流れで強盗の話になったのかはよく分かりませんが、わざわざ神父さまが言うぐらいなので、単なる噂ではないでしょう。

日頃このブログでは、私たちの住むシライ、とりわけこの宅地の治安の良さについて書いてきたのに、やっぱりフィリピン。油断できないですね。それもまだ宵の口の午後7時頃に起きたそうで、場所も宅地の管理事務所やサリサリストア(雑貨屋さん)がある、比較的人通りの多い場所。これは物騒な。

それから1週間ほどして、お隣さんにして「情報屋」、家内の高校からの友達ナンシーが、詳細を報告してくれました。被害者は女性でメイドさん。雇い主に頼まれて、雑貨屋さんへ買い物に行く途中、二人組の男に襲われました。

ところがよく話を聞くと、金品が目的ではなく痴漢だったらしい。いきなり体を触られたとのこと。さらによく聞くと、暗かったので犯人が拳銃を持っていたかどうかも定かではなく、痴漢のついでに有り金を盗られたという感じ。といっても雑貨屋で買い物なので1000円も持ってなかったと推測します。

被害にあったメイドさんには気の毒で、さぞ恐ろしかったでしょうけど、なんともケチで情けない犯罪。警備員は銃で武装しているし、見つかれば射殺されるリスクも。これが命がけでやるようなことかいな。

最近は地方のネグロスでも、ドゥテルテ大統領の対麻薬戦争の影響で、仕事にあぶれた薬の売人が、強盗などの他の犯罪に流れているらしい。最初はこれもその一端かと思いましたが、どうもそこまで危ない話ではなく、酔っ払いの悪ふざけだったのかも知れません。

とは言え、住民からすると冗談では済まされない。案の定それからは、宅地の警備が厳しくなりました。「No ID, No Entry」の標識が掲げられ、外部から入ってくる人は、かならずIDカードか免許証をゲートで預けるルールが厳格化。

先週、倉庫を大掃除して大量に出たガラクラを、廃品回収業のオッちゃんに取りにきてもらったら、荷物を持って出るのに許可が必要だから、覚書をくれと言われてしまいました。うわぁ、そこまで徹底するのか。面倒なので、一緒にゲートまでオっちゃんと同行。

それにしても、身近なところで犯罪がジワジワ増えてきたように感じます。少し前、監視カメラと護身用拳銃について投稿したばかり。やっぱり自分と家族の身を守る手段は、そろそろ真剣に考えた方が良さそうですね。


2017年8月6日日曜日

宗教音痴の日本人


総務省の統計によると、2014年現在、日本の仏教徒は約8,712万人もいるんだそうです。これは「うっそ〜!」と言いたくなる数字。仏教徒と言うからには、当然家に仏壇があって、連日連夜、念仏やお題目を唱え、週に一回ぐらいはお寺に行って、お坊さんの講話を聞いているはず。仏教徒をどういう定義で捉えているのか、はなはだ疑問。

もちろんそういう日本人も、少なからずいます。親戚にも創価学会の会員がいて、熱心に「南無妙法蓮華経」を唱和。でも、国民の75%がそうだというのは違うでしょう。おそらく電話などで質問されて、本当は特定の宗教の信者ではないのに、そういうえば実家にある仏壇は、〇〇宗のだったなぁ、程度の根拠で回答したと推測。

私には、少なくとも過半数の日本人は、明確な信仰の対象があるとは思えないし、日常的に神や仏を意識していない。つまり信仰がある日常生活というものを、具体的なものとして想像しずらい人の方が多い。

こういう状況なので、日本で宗教と聞くと、天使か菩薩のように清らかな暮らしをしている「敬虔な〇〇教徒」と思うか、淫祠邪教の類で、洗脳されて財産も自由も、場合によっては命すら取られかねないといった、両極端なイメージを持たれがち。1995年のオウム真理教によるテロの影響もあるでしょう。

しかし、カトリック信徒として20年生きてきた私の実感からすると、信仰とは良くも悪くもそんなに浮世離れしたものではなく、超自然的な体験があったわけでもない。朝夕や食事前に祈りを唱え、日曜日には教会に通う。家を建てたり車を購入すれば、神父さまに「祝福」してもらい、家族の誰かが離れていれば、その無事を祈願する。まさに生活の一部という表現がぴったり。

そして誤解されやすいのが、他宗教の信者との付き合い。ローマ教皇は、他宗教への敬意と共存を呼びかけているし、私個人でも、前述の創価学会員の親戚とは、何のわだかまりもなく付き合っています。またマレーシアやインドネシア、パキスタン、ドバイなどで、イスラムの人たちと普通に仕事をしてました。

ただし、会話や行動にはそれなりの注意も必要。言ってはならないことや、してはならないことはわきまえておかないと、かなり面倒なことになるのも事実。でもこれは宗教に限ったことではなく、どこの国の人であっても、文化背景の異なる人たちに接する時の、基本的なマナー。まずは、安易に政治や宗教の話題を持ち出さないことです。

私の考えでは、宗教の違いイコール生活習慣の違い。経典にある一言一句の解釈の差で、殺し合いをするようなことは、現代社会では、そう簡単に起こることではありません。スペインによる侵略を遠因にして、ずっとフィリピンの内政問題になっている、ミンダナオ島での争いを、宗教戦争だとする人もいますが、これはたいへん危険な認識。

純粋に信仰の違いで戦争が起こっているのではなく、11世紀の十字軍遠征のような昔はいざ知らず、私の知る限り、ほとんどは、領土争いや、弾圧や圧政、差別への反抗が本当の原因。その上で相手を異教徒扱いすることで、殺戮や暴行、破壊、掠奪を正当化して、後付けで宗教の違いを強調しているだけなんじゃないかと思います。宗教音痴な日本人が、それを真に受けているだけの話。

注意深く見れば分かるように、フィリピン政府はイスラム教徒全体を敵視するような発言は、絶対にしていません。むしろラマダン明けなどイスラム関連の休日を設けたりして、歴史的に辛酸を舐めてきた人々の慰撫に努めている。現在マラウィで紛争を起こしているISは宗教団体ではなく、テロリスト集団と規定しているはず。これをカトリック対イスラムという構図で捉えてしまうと、それこそ憎しみの連鎖に、お墨付きを与えるようなもの。

ところで、私は最初に、日本人の多くは特定の宗教を持たないと書きましたが、実はそうではなく、日本人全員が「日本教」の信徒だという説(?)があります。1970年に刊行された、イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏が執筆した「日本人とユダヤ人」がそれ。

例えば、根っからの悪人は存在しなくて、どんなに気難しい人でも「話せば分かる」と思っている。神も仏も拝まないけれど、死んだらそれで終わりでもなくて、お彼岸やお盆にはお墓まいりしたり。周囲の空気を読んで、命じられもしない残業をしたり、行間を読んだり。最近の流行り言葉で言うと「忖度」上手。「他人に迷惑をかけない」なんて信条も共有。

そういう目で見ると日本人は、まるで教祖の言葉や経典による、宗教的な共通の行動規範にでも従っているよう。しかも誰も日本教の信者と意識しないほど、その教義に一片の疑いも持たない。山本七平氏に言わせると、これは人類史上、他に例を見ないほど強固な宗教。因みにこの説に従うと、私は日本教カトリック派の信者、ということになるそうです。

著作「日本人とユダヤ人」は出版直後から、現代ユダヤ人に関する記述の間違いに対してなど、ずいぶんと批判や反発があったらしく、私も書いてある内容すべてを鵜呑みにはしていません。それでも、初読の時には、目から鱗で、いろいろと腑に落ちました。

今でも「日本教」の件りは、なかなか面白い見方だと思うし、宗教のことは分からないと敬遠しがちな日本人も、自分が日本教の信者だと仮定してみれば、何らかの信仰を持つ人たちの気持ちが分かるかも知れません。

海外生活をすると、思い知らされる日本人独特の習慣(特に日本食や入浴への執着)が、日本人にとって当たり前だと思うのと同様に、大多数のフィリピン人にとってのカトリック信仰が、何も特別ではない生活の一部だと考えれば、それほど理解しにくい話でもないと思いますよ。


2017年8月4日金曜日

シャワールーム・リノベ大作戦


今年の3月、そろそろ自宅のリノベーションを考えているという投稿をしました。それから5ヶ月。なかなか大工さんや職人さんと連絡が取れず、のびのびになっていた計画。やっと新築時の大工さんの一人、便利屋のダリ(フランスの画家ではない)が来てくれました。

フィリピンではSIMフリーの安い携帯電話が出回っていて、SIMカードも100ペソ(約220円)も出せば、いくらでも新しいものが購入可能。つまり電話番号の変更が簡単。だからと言って番号変えなくてもいいのに、半年も経つと誰の電話もつながらなくなってしまいます。

ダリの場合は、末っ子がまだ小学生。家内がその子が通う学校まで行って「パパに私の家に来るように、お願いして」と伝言したのでした。その数日後、やっと顔を見せたダリ。早速シャワールームのリノベーションを頼むと、義理のお兄さんが配管工なんだそうで、次の週末、朝から工事を始めますとのこと。

竣工後たった3年の我が家。リノベが必要なのは、老朽化したわけではなく施工ミス。シャワーブースの取り付け方が悪く、半年ほど前からフロアとの間からジワジワと漏水。その上、既製品のブース自体もあまり品質がよくなくて、いきなり把手はもげるし、樹脂製の床面は傾斜がついていなくて、排水がちゃんとできない。カビも臭いもひどいので、取っ払ってしまうことに。

そして洗面台。モノは悪くないけれど、奥を高く手前を低くするところを、逆にしてくれたもんだから、手や顔を洗って跳ね返った水が、全部奥に溜まり、左右から水漏れ。これまたカビやシミの原因に。


写真だときれいに見えるんですけどねぇ

ようやく日取りが決まったので、材料購入のため、隣のタリサイ市に最近オープンしたホームセンターへ。フィリピンで家を建てたり補修したりする場合、建材は施主自らが買い付けるのは珍しくない。大工さんに任せてしまうと、値段や品質の点で、まず思い通りの品物は入手できません。


タリサイ市にできたウィルコン

買ったのは、タイル数枚と角につけるコーナー・モール、シャワーカーテンとカーテン用のバー、排水口の金具。たったこれだけですが、完成のイメージと大雑把な工法の知識が頭にないと、何を買ったらいいのか分からない。自分の家を建てた経験がモノを言います。これが、フィリピンでの住宅建設の難しいところ。

いよいよ工事当日。約束の朝9時ちょうどに、義兄の配管工、兼左官屋さんのジュンを伴ってダリがやって来ました。初対面のジュンは、40歳過ぎぐらい。スリムでなかなかの渋い男前。英語もちゃんと理解できるし、仕事ぶりも悪くありません。これは頼りになりそう。私が用意した材料を見て、コーナー・モールまで揃っていることに満足そう。「お前さん、分かってるやんけ」と言いたげでした。


昼食中のジュン(左)とダリ(右)

工事は思ったより早く、翌日曜日の午前中には完了。シャワーブースは撤去され、畳1枚分程度の広い新シャワーブースが出来上がりました。洗面台も再設置。これなら排水もスムーズだし、カビや悪臭に悩まされることもありません。最初からこうしておけば良かった。



さて、今回の教訓。フィリピンで大工さんに仕事を依頼する場合、施主が具体的な要望をどこまで明確にイメージしているかで、仕事の良否の9割は決まってしまいます。大工さんの腕がよくて、丸投げ仕事で上手くいくのは日本でしか考えられない。

実はこれ、私がかつて所属していたデザインの世界でも同じ。仕事を頼む側(大抵はデザイナーではない経営者や商品企画担当者)が、最終完成形のイメージが希薄だったり皆無だったりすると、ロクな結果にならない。どんなアイデアを出しても、決定者に判断基準なしでは、いつまでも決まらないし、第一どんなアイデアを出すべきなのか不明。

いいデザインの商品を作るには、優秀なデザイナーや設計者の存在だけでなく、経営者や仕事を依頼するクライアントが、デザインの目利きである必要があるということ。有名な例では、スティーブ・ジョブスや本田宗一郎さんのような人たち。デザインとはメーカーの総合力だと言われる所以です。

そこまで偉大な人物を引き合いに出さなくても、フィリピンで住み心地のいい家を手に入れようと思ったら、それなりの熱意と知識、そしてある程度の経験が必須条件。今の私だったら、日本人施主向け建築コンサルタント業ができるかも知れません。誰か仕事くれませんかね? 良心的なお値段で引き受けますよ。


2017年8月2日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 サウンド・オブ・パラダイス

今週の美女図鑑です。
このイラストは、最初に南国風景のイメージが先にありました。それもフィリピンに初渡航する前の1990年代に、一度イラストとして完成させたもの。つまり本物は一度も見たことなしに、写真や想像だけで描きました。文字通りの絵空事。タイトルは何となく頭に浮かんだ「The Sound of Paradise」という言葉。特別な意味はありません。

それでも割と気に入っていて、時々描き足したり。何年経っても、追加や修正が簡単にできるのが、デジタルの良さですね。(と同時に弱点でもありますが)

何度目かの修正を加えたものをSNSにアップしたところ、友人が目敏く見つけて、Tシャツにできないかとのご要望。この方は日本在住で、仕事も子育ても忙しい中、わざわざ私たち家族に会いに、観光地でもないシライまで海外渡航。そのお礼として、7色に分版してシルク印刷したオリジナルTシャツを、謹んで贈呈しました。

それから2年。
その構図を利用して、女性を組み合わせたら面白いかも、と思い立って描いてみたのがこれ。骨格になる構成はそのままにして、個々の要素を、フィリピンに移住してから身の回りで見たこのとある動植物に置き換えて、ディテールを描き込みました。

最初の作品に比べると、女性も含めて表現はずいぶんリアルに。ここまでやっちゃうと、良し悪しはともかく、まったく別の作品ですね。パソコンの性能もずいぶん上がったし、描画アプリも何回ものバージョンアップ。素人の趣味ながら経験値も20年分追加されたので、そうもなるでしょう。


それにしても、高校生のころは松本零士さんの影響で、宇宙戦艦ヤマトのスターシャや、銀河鉄道999のメーテルみたいな女性ばかり描いてたのに、この頃はフィリピンに住んでいるせいか、肉感的で肌は浅黒く、瞳パッチリが好みに。細身・色白・切れ長の目とは真逆もいいところ。

ということで、この一枚も「フィリピン美女図鑑」に加えることにしました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年