2018年1月11日木曜日

健康のためにフィリピン移住


50代も半ばを過ぎると、いくら健康だとは言っても、小さな字は読めなくなるし、集中力も記憶力も確実に衰えているのを感じます。また、激しい運動をしたりすると、翌日は疲れが残るし、少し食べ過ぎたら、日本から持って来た太田胃散のお世話になったり。生き死にかかわる重病や大怪我の経験はなく、これと言った持病もないけれど、何かにつけ、若い頃のようにはいかない年齢。

一般的にフィリピンの医療に対しては、不信や不安を感じている在留邦人の方は、少なくないと思います。年末にも少し書いたように、5年前、食中毒で入院した時には、料金の割には劣悪な設備に閉口しました。

定期的な通院治療・投薬などが必要な現状だけれど、信頼できる主治医の確保が難しくて、フィリピンでの生活を諦めざるを得ないという話も、時々耳にします。また、いざという時に、病状を英語などで説明する自信がない人も。

しかし私の場合はその逆。5年前に日本を離れたのは、少なからず健康面の理由がありました。40歳になる頃から、仕事でのストレスのために患った鬱病が原因。幸い、すぐに退職が必要なほど重くはありませんでしたが、10年間で3回の休職。睡眠導入剤として処方された、デパスやサイレースなどの錠剤がないと、眠れない日々。特に冬場は堪えました。

そこで考えたのが、家内の国、常夏のフィリピンへの移住。そういう経緯だったので、私の場合は、海外移住と早期退職の引退生活がワンセット。とは言っても、最低限の生活で年金受給年齢まで食いつなぐだけの人生では惨めすぎる。それなりの住居と生活レベル維持のために、必要な資金を貯めようと、50歳を目標と定めて、何とか働き続けました。

この時私が学んだのは、漠然と頑張るのではなく、具体的な目標と時期を明確すれば、今まで苦行にしか思えなかったことでも、意外と何とかなるということ。

そうこうするうちに、50歳到達まで残り数ヶ月という頃、まるでタイミングを合わせたかのように、勤め先で希望退職者の募集が始まりました。発表当日に速攻で応募。上司が驚くほどのクイックレスポンス。まさに「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書 マタイによる福音書)

会社を辞めた日は、本当に気分晴れ晴れ。著作「バカの壁」で有名になった、元東京大学教授の養老孟司さんが、大学勤務を辞めたら世界が明るく見えたと書いておられましたが、まさしくその通り。それまでの10年が嘘のように、何をしても、何を考えても、楽しくて仕方がない。

この勢いでネグロスに移り住んだせいか、半年もしないうちに、あれほど頑固だった不眠もなくなり、睡眠導入剤も使い切ることなくサヨナラ。生活が規則的になって、やや太り気味だった体形が、30代前半の頃まで戻りました。

こうなると、医療設備に不安があるから、フィリピンで暮らせないのは、ちょっと違うんじゃないかという気がしてくる。食中毒や熱帯特有の感染症、不慮の事故は仕方ないにしても、成人病や生活習慣病は、ストレスフリーな環境こそ最大の予防。その上、もともと酒もタバコも嗜まないし、テニスやサイクリングは移住後も継続。少なくとも心臓病や糖尿病とは縁がなさそう。もちろん、何が起こるか分からないので、医療保険は、フィルヘルスとアクサの二重で契約。

ということで、取り立てて持病はないけれど、健康のことが心配で、フィリピン移住を躊躇している中高年の方がいたら、移住後に心も体も健康的な生活ができるかどうかで、判断してはいかがと、アドバイスしたい。

フィリピンの食べ物や人間関係でストレスを溜め込んだりするようならば、日本に住み続けることをお勧めします。また、仕事なり趣味で、時間を忘れて打ち込めることがない場合も、難しいでしょう。生きがいがないと思うほど、健康を蝕むものはありません。

それでも、ガンを始めとして、予期せぬ病魔に襲われる可能性もあります。しかし、それは日本にいても同じこと。突然倒れて、救急医療が間に合わなければ、それが運命だったと思うことにしています。

いずれにしても、先の心配をしすぎて、今現在の生きる楽しみを削るような生き方は、もうしたくありません。残りが何年あるのか、神ならぬ身の知るところではないけれど、今の所、自分の健康に関しては、人事を尽くして天命を待つ心境です。


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