最近フェイスブックでは、同じ日付の過去投稿を表示する機能が向上し、去年、一昨年、何年前...昔アップした写真や文章をチェックするのが日課のようになっています。
5年前の昨日(12/28)は、私が28年勤めた会社を早期退職した日。転勤先の福岡市内のオフィスで、社章とIDカードを正門の守衛さんに返却し、「ご苦労さまでした」と見送りの言葉をいただいたことを書いていました。ついこの間のような、まるで何十年も前のことのような...。
思えばこの5年間、フィリピン・ネグロス島に移住し、新居を建設、フィリピン人の、そして日本人の友達も増えました。子供の頃を別にすれば、おそらく人生での新しい経験濃度が最高値を記録したであろう日々。50代での5年なんて、生活に大きな変化がなければ、ぶっ飛ぶような速さに感じるはずが、遠い昔のようにも思えるのは、当然かも知れません。
今日は、そんな5年前の自分に手紙を書くつもりで、フィリピン暮らしで考えていたよりも良かったこと、予想より厳しかったことをまとめてみようと思います。
厳しかったこと
ただし、移住計画そのものを見直すほどでもなく、ネグロス島内ならば、よほどの贅沢をしない限りは、生活費は月額6〜7万円程度。10万円を超えるようなことは滅多にありません。しかし、銀行預金の利息は、ちょっと少なすぎ。これも日本に比べればはるかに高いのですが、1980年代以前のような、元金が大きければ利息だけで暮らせるなんて時代は、夢のまた夢。
もう一つ厳しいのは、医療関連。風邪ひいたり、ちょっとした怪我ぐらいなら、医療保険を使うまでもなく、格安に診察を受けられるし、ジェネリック専門の薬局もあって、大した出費にはなりません。
ところが入院が必要な状態だと事情は一変。移住後数ヶ月で食中毒にやられて、病院に2泊。生まれて初めて点滴された時は、かなりつらかった。病状のつらさは仕方ないにしても、大きな総合病院で高額な個室なのに、冷房は調節できず寒いぐらいだし、シャワーには給湯設備はないのが当たり前。トイレは壊れて床は水浸し。日本の病院に比べると骨董品のような医療機器が現役。
救いは家内が、家族全員をカバーできるフィルヘルス(フィリピンの健康保険)に加入していたので、支払いが半額で済んだこと。それにしても入院時にデポジット(前金)をキャッシュで払えないと、救急車で搬送された急患でも門前払いだと知った時には、ちょっとショックでした。
フィリピン移住を考えている方のために、少し書き添えておきます。食中毒や感染症のリスクはあっても、生活習慣病については、あまり心配してません。日々のストレスは少ないし、運動も適度にしている。寒い冬もない。酒もタバコも嗜まない。日本在住時に悩まされた鬱病も完治しました。しかも花粉症がない。
良かったこと
SNSやこのブログも普通に使えるし、新譜の日本の音楽はiTunes、新刊の日本語書籍はKindleといった具合に、海外移住したことを忘れてしまうぐらい快適。さらには、日本だと厳重なプロテクトがあって閲覧不可能な、YouTubeに違法アップロードされた丸々1本の映画も見ることができてしまいます。「君の名は。」など、フィリピンの若い人が公開間もない時期に、妙に内容をよく知ってると思ったら、そういう事情でした。
もうひとつ、完全に予想外だったのが、日本人の友達が増えたこと。それも私と同世代か歳上のオジさんばかりではなく、若い人たち。しかも若い女性が多い(!)。これは、つい先日も投稿したように、西ネグロスの州都バコロドに、最近多くの英語学校ができて、日本からも長期・短期の若い留学生が来られているからです。
そして、このブログの効用もあって、先方からメッセージやメールを頂けるという、望外の幸せ。もう息子や娘と言ってもいい年頃の人たちが、シライの自宅にまで来てくれるなんて、移住前は想像すらできませんでした。日本語も喋れるし、日本にいた時よりもリラックスできるほど。
ということで、もし本当に5年前の自分に手紙を書けるなら、面倒なこともあるけど、思ったよりずいぶん居心地がいいよ、と教えてあげたい。何より家族みんな元気で、家内は就職して家計を助けてくれてるし、子供は現地の学校に馴染んで、もうすぐ中学生。5年前この移住を決断した自分に、感謝とエールを贈りたい気分です。
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