2021年11月9日火曜日

フィリピン式子育ての功罪

 珍しく中三日での投稿です。今日は、以前から気になって仕方なかった、フィリピン式の子育てについて。

これは日本と同様に、親や家庭によって振れ幅が大きいので、あんまり主語を大きくすると誤解の元。なので以下は飽くまでもフィリピンに10年近く住まわせてもらっている、一外国人として感じたことです。

私自身は、取り立てて厳しい躾で育てられたわけでもないけれど、フィリピン人の子供に対する接し方を見て思うのは「甘やかし過ぎ」。レストランなどで子供が全力疾走で大暴れしても、叱りつけてる親って見た記憶がありません。また周囲のお客さんも全然気にしてない様子。

昨年の出来事で、隣家の小学生ぐらいの兄弟が絶叫しながら自転車乗り。これがたまになら仕方がないで済ませるのが、連日、早朝から夕方まで、それも選りに選って我が家の、それも私がいる書斎のド真ん前。2週間ぐらい続いて遂にキレた私が、少々キツめに子供を怒鳴りつけたら、速攻で両親が出てきて大喧嘩になってしまいました。

別に手を出したわけでもないのに、警察を呼ぶとすごい剣幕。さすがにこれはダメだと、自宅に招き入れ、お互いに頭を冷やして話してみると、どうやら彼らの教育方針では「叱責」はタブー。体罰はおろか、声を荒げることすらしないらしい。子供たちはショックを受けて泣いてるし、トラウマが心配だと真顔で言われました。

見たところ、悪ガキ兄弟二人は両方かなりの肥満体型。おそらく甘い物でも何でも、欲しがるものはあまり躊躇せず与えてるんでしょうねぇ。

それまでは、どっちかというと貧困層の親が子供を甘やかせるものだと思ってましたけど、この家は両親とも大学の先生。決して教育がないわけではありません。

また、たまたま今日見たナビマニラ(NaviMani Channel)のYouTube動画が、野菜が苦手なフィリピン人カメラマンに、いろいろ食べてもらってインタビューという趣向。野菜嫌いになった理由というのが、やっぱり親が子供の言うがままに、好きなものばかり食べさせてたから。

昨今の日本では「自己肯定感の欠如」がトレンドみたいになってます。躾が厳し過ぎて、やることなすこと全部ダメ出しされ続けて育つと、何をやっても「どうせ私なんて...。」な感情が先立ち、褒められても素直に喜べなくなり、自分が何をしたいのか分からなくなる、という話。

その点、多くのフィリピン人は自己肯定感に関する限り、世界一なんじゃないでしょうか? もう肯定し過ぎて、自分大好きセルフィーマニア。若い女の子ならまだしも、エエ歳したオっちゃんまで自分の写真をSNSのタイムラインにずらりと並べるのは、あんまり良い趣味とは思えませんが。

それだけでなく、仕事でも「根拠なき自信」に溢れかえっているので、できもしない要望でも全部引き受けてパンク。できなくても「私は、俺は、悪くない」。

さらに憶測を深めると、男女とも異常なほど嫉妬心が強い人が多いのは、親からの愛情が過多だからなのかも? 一方的な愛情がシャワーのように降り注ぐのが当然と思って育てば、ギブ&テイク前提の男女の愛情って、根本的な部分で理解できにくくなるように思います。

ところで最近私が知ったのが「自己効力感」。自己肯定とは対照的に、言葉で説明できる理由を背景にした自信、みたいな意味。これを持つには、当然ながらいろんな体験を通じての成功が必須。自己肯定も大切だけど、フィリピンの、特に若い人々には、自己効力がもっと必要な気がしますねぇ。

結局のところ、フィリピンでプロダクトやサービスの質がイマイチで、ひいては、社会システム全体が脆弱なのも、行き過ぎた自己肯定が原因だという気がします。物事を改善する作業って、ある種、それまでの自分の仕事を否定しないとできませんから。

とまぁ、偉そうにフィリピンの子育てを批判っぽく語りましたが、もちろん日本式が優れているとも思えません。私も含めて大多数の日本人は、与えられた仕事はキチンとこなせる実務能力はあっても、創造や挑戦といった分野では弱い。直近の例で言うと、革新的なワクチンは作れないけど、全国民に整然と接種を行うのは世界一。

もっと言うと、主観的にはどっちが幸せなんだろうと考えたら、どうもフィリピン相手では日本の分が悪るそうです。


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