早いもので、二週間に渡る日本への一時帰国から、フィリピンに戻って一週間。最大気温差が30℃という、還暦オヤジには少々キツい環境にもようやく慣れてました。10年前の移住以来、何度かの一時帰国はすべて初夏に設定。師走なんて初めてだったので、実質上日本の冬は10年振り。
もちろん、生まれてから50歳を過ぎるまで日本で暮らしていたので、別段驚くような寒さでもありません。しかも本格的な冬到来の1月とか2月でもなく、完全に想定内のはず。ところが意外なところで辛い。というのが、洗面所や浴室。
うがいの水が、こんなに冷たかったかというほど歯にしみるし、風呂上がりに身体を拭く時が寒くて仕方がない。老人が冬の風呂場で急死するというのも、なんとなく想像ができてしまいました。
さらに侮り難いのが乾燥した空気。スマホのお天気アプリで比べたら、ネグロス島では湿度は90%超えてて、我が故郷の尼崎では65%ぐらい。今まで湿度なんて意識したことがなかったんですが、この差ってすごいんですね。もう手がエラいことになってしまった。
爪と皮膚の境目が、あちこちでパックリ傷が開いて痛いし、手の甲は粉を吹いたようになって、痒くて仕方がない。
そんな寒さをモノともせず、毎日よく喋った二週間。今回は急遽決まった帰国ということもあって、同窓会的な集まりはほとんど予定しなかったんですが、なぜかイレギュラーな場所でも延々とお喋り。
まずは叔父に、てっちりを奢ってもらった後、叔父の家に行って叔母さんと従妹に会うことになりました。このメンバーが、私を含めて「喋り」ばかりなので、これが当然の如く大阪弁のマシンガントーク応酬。話題はやっぱりコロナ禍をどう過ごしたか。普通に話せば暗くなりそうな内容でも、この親戚たちにかかると漫才になってしまうのが、関西人の不思議なところ。
そして前回も触れた、飲めない男が10年振りにお邪魔したスナック。目的はカラオケだったけど、それ以外の時間に、私が黙っているわけがありません。ある意味、お喋りが仕事の一部のようなママが相手をしてくれたので、実に気持ち良くお喋りさせていただきました。
そんな顔見知りだけでなく、たまたま買い物で立ち寄った心斎橋のアップル・ストア。商品の説明してくれた、流暢な日本語を操る韓国出身の若いスタッフ。私が1980年代からのアップル・コンピューターのヘビーユーザーだと言うと、興味津々で話に乗ってきました。気がつくともう一人の女性スタッフも加わって、30分ぐらい延々とアップル製品の昔話。
そう言えば、比較的最近できた、実家近くのショッピングモールの西宮ガーデンズで、マッサージをしてもらった時も、担当のお姉さんとずいぶん喋ったなぁ。後で壁みたら「コロナのため会話は最小限にさせていただきます」って張り紙してあったけど。
さらに最終日のダメ押しが、小学生からの友人がオーナー兼板前を務める寿司屋さん。「お前が言うな」となりそうですが、彼は私に輪をかけた喋りで、しかもなかなかの話術。平日の夜とは言え、持ち帰りのお客さんが一人来たきりで、夕方から深夜の閉店までほぼ貸切状態。それをいいことに、二人で4時間喋りっぱなし。この友人の驚くべき記憶力と、町内会長をやるほどの顔の広さで、ざっと半世紀に渡る共通の友人・知人の消息を知ることができました。
ということで、何年分かの日本語会話不足を一挙に解消したような気分で、無事フィリピン・ネグロス島の家に帰宅。話し相手になっていただいた方々に感謝です。
0 件のコメント:
コメントを投稿