2022年12月31日土曜日

日本の餅、フィリピンの爆竹


 今年は、師走の半分を一時帰国に費やしたため、例年以上にあっと言う間に大晦日になってしまった感じです。思い返せば2022年は、前年クリスマス前にネグロス島を含むビサヤ諸島を直撃した、スーパー台風オデットの被害からの復旧で始まりました。年初の2ヶ月ぐらいは、何かとそちらに引っ張られましたね。

その後は、コロナ禍がようやく下火になったことに伴い、やむ無く失効となっていた息子の日本パスポートの再取得。戸籍謄本の写し取り寄せやら領事館のあるセブへの渡航でひと騒動。EMS(国際スピード郵便)は遅れに遅れ、セブパシフィックはフライト前日深夜にドタキャン。久しぶりにフィリピン住まいの不便さを実感させられました。

フィリピンの国全体として最大のトピックは、何と言っても大統領選を含む総選挙。前回のドゥテルテ旋風のような意外性はほとんどなく、実質的にドゥテルテ政策の後継者となった、ボンボン・マルコスが終始リードを保ったまま当選。副大統領候補がドゥテルテの実娘にして、ダバオ市長として父同様の政治手腕を発揮したサラだったことも大きかったでしょう。

選挙と時を同じくして、我が家は臨時支出のラッシュ。シロアリ被害でゲストハウスの押し入れやドア枠の総入れ替えに、突然の愛用パソコン Mac Book Proのクラッシュ。結局合計で10万円仕事となってしまい、年金支給までまだ5年も待つ身としては、厳しいものがありました。

明るい話題は、今年グレード10(日本の高校1年生に相当)になった息子が、丸々2年以上ぶりに学校での対面授業再開。私にとって、コロナ禍の終焉を一番実感したのは、この出来事。やっぱり街を歩いていて、子供をいっぱい見かけるようになると、フィリピンの日常が戻ってきたと感じます。

続けて迎えた、10月の私の還暦。一時は派手なお祝いは無理だろうと諦めムードでしたが、何とか親戚や友人にたくさん来てもらって、思い出に残るパーティを開くことができました。

ちょっと寂しかったのは、4年間我が家で働いてくれたライラおばさんが辞めちゃったこと。本人の健康問題が原因なので、仕方ありません。例によってなかなか次が見つからず、擦った揉んだの挙句、後任のメイドを紹介してくれたのが、私のイロンゴ語の家庭教師バンビ。何と連れてきたのがお姉さんのグレースでした。

ハウスキーピングのスキルは、ライラに比べると見劣りするものの、遅刻はほとんどせず、この半年で一度も無断欠勤がないのが、何より評価できます。

そして迎えた昨夜、12月30日の深夜。例年通り気の早い人たちが、あちこちで爆竹を鳴らし始めました。ちなみに、この日は小晦日と呼ぶんですね。しかも読み方が「こつごもり」。60歳になっても、まだまだ知らないことがいっぱいです。

その爆竹の音を聴いていてフト連想したのが、正月に餅を食べる日本の習慣。言うまでもなくフィリピンでは、毎年爆竹が原因で多数の怪我人が出ます。指を吹っ飛ばしたり火傷したり。運が悪いと大火事でたくさんの人が焼け出されたり、場合によっては命まで落とす羽目に。

方や餅と聞くと、つい脳裏に浮かぶのが、老人が喉に詰めての窒息死。調べてみたら、毎年しつこいほど注意喚起されているのに、やっぱり何百人もの方が亡くなっているそうです。どちらも危険なことは周知の事実。それでも大晦日にドンパチやるのも、正月に餅つきしたり、餅を雑煮に入れて食べるのも、今年から止めよう、とはならないんですよね。

ということで、今年一年を振り返った大晦日の朝でした。


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