2025年5月21日水曜日

日本語の先生を始めました

なんと、62歳のジィさんになって、先生の仕事を始めてしまいました。

実は以前、ボランティアで地元の大学生にちょっとだけ日本語を教えたり、隣街の大学で日本での就職について1時間だけ講義をしたり、という経験があるので、まったくの初めてではないものの、レギュラーで毎日は人生初。ただ、元々日本ではデザイナーをやってた関係上、プレゼンテーションは必須業務でした。人前で何かしらの説明をして、ご理解をいただくことに関しては、一応プロ。加えて関西生まれの「人を笑わしてナンボ」のサービス精神も旺盛なので、教師に不向きなわけでもありません。

さて、どうして日本の企業を早期退職して、10年以上も経ってから再就職に至ったのか? これは、昨年の11月にちょっと書いた(62歳の再就職)通り、日本に長く住み、日本人の旦那さんとの間に4人の子供もいる、10年来の友人ダイアナさんからのオファー。生まれがネグロス島のバコロドのダイアナ女史。日本での幅広い業務経歴を通じて、多くの会社経営者との人脈があり、昨今の日本の労働力不足から、フィリピン人就労の斡旋を依頼されたのが事の発端です。つまり、日本で働きたい人に、基礎の日本語を教えるのを手伝ってほしいという内容。

11月の投稿では、もう最初のクライアントさんが決まっていたはずが、その後、二転三転。何社さんかとは話がまとまったものの、すぐに人を集めて日本語クラス開始...とはならないのがフィリピンの難しさなんですよ。

フィリピンと多少でも縁のある方ならよくご存知の通り、フィリピン経済はOFW(Overseas Filipino Workers 海外フィリピン人労働者)に大きく依存じています。特に中近東へのOFWが多く、我が家のメイドさんも2代続けて元中近東OFW経験者。当然のようにトラブルもあって、賃金未払いや過重労働などが後を絶たない。ひどい場合には、OFWが虐待で殺されたり、性的暴行を受けたりの報道も、時々見聞きします。

さすがにこれはヤバいということで、最近はフィリピン政府の対応も厳格になりました。外国への就労斡旋には、非常に厳しい資格審査があり、許可が出るまで何ヶ月もかかる。当然、就労先の企業との契約内容もチェックされるので、雑なことやってると、普通にフィリピン国内の事務所が閉鎖されたり。つい最近もマニラやダバオで、日本への就職を前提とした日本人経営の語学学校が、この処分を喰らったところ。

なので、ダイアナの方針としては、フィリピン国内での応募者への日本語教育は基本的にタダ。費用は、私のような教師への報酬も含めて、全額クライアントの日本企業に請求するスタイルです。これなら安全な反面、許可が下りるまでずいぶん待たされるのが痛し痒し。昨年末にオファーがあって、授業開始まで半年近くかかったのは、こういう理由からです。

先週の金曜日(2025年5月13日)、ようやく始まったレッスンも、ダイアナがバコロド市内に建てた、生徒さんの宿泊施設まで兼ねた学校ではなく、まずはオンライン授業。しかも生徒さんはたった一人。というのはこの方、先行的に管理職に就こうという28歳の女性なんですが、マニラ在住でオフィス勤務中。寮に入って毎日、日本語一筋、とはいかない事情があります。なのでダイアナの配慮で、いきなり初対面の教師と1対1もやりにくかろうと、臨時でダイアナの妹と姪っ子が生徒として参加。二人ともいずれは日本で働きたいと思っているらしいので、一石二鳥の作戦です。

報酬は最初の提示の1/4で、毎晩7時頃から2時間半の週5日。週末だけ昼間に4時間というスケジュール。まぁ、ほぼ教師歴ゼロの私の実地研修で、最初はダイアナ先生のアシスタントみたいな感じ。土曜日の4時間をいきなり「私は東京出張なのでよろしく」と丸投げされた時は焦りましたが、やってみれば何とかなりました。まだまだ疲れますけど。

ということで、ついに始まってしまった私の再就職。一般的に初心者がN4(初級)レベルになるまで、300時間が必要とのことで、今のペースだと今年の10月まで、ざっと半年ぐらいはかかりそう。少なくともその間は、仕事にあぶれることはありません。とりあえずは、できる範囲で全力投球という感じです。



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