2019年6月29日土曜日

腐敗槽とスチール瓦

今日のタイトル。スチール瓦はともかく、「腐敗槽」(ふはいそう)って、日本ではあまり耳慣れない言葉だと思います。英語ではセプティック・タンク(Septic Tank 以下 ST と表記)で、ここフィリピンでもそのままの言葉を使用。

ちょっとややこしいのは、日本でお馴染みの「浄化槽」の英訳も、同じくST。実は私も、今の今まで、フィリピンで言うSTは、日本の浄化槽と同じものだと思ってました。

ところが浄化槽って日本独自で、フィリピンを含む東南アジアやアメリカで使われているSTとは、違うものだったんですね。

浄化槽も腐敗槽も、トイレから出される屎尿をその発生場所、つまり各家庭で簡易的に処理するものという点では同じ。一旦、大きなタンクに貯めて汚物を沈殿させ、水分だけを下水に流すという原理。

ただし、腐敗槽が内部に2室なのに比べて、浄化槽は4〜5室あって、より複雑な手順で汚水を浄化する構造なんだそうです。これだけの記述では少々説明を端折り過ぎてるかも知れませんので、詳しく知りたい方は、冒頭に貼ったウィッキペディアのリンクでご確認ください。

前置きが長くなりましたが、今日(6月29日)土曜日、州都バコロドまで足を伸ばし、この腐敗槽を購入したというお話。

5年前に母屋を建てた時には、腐敗槽は大工さんの手作り。2メートルも縦穴を掘って、周囲をモルタルで固めた四角い空間。それに関して投稿(フィリピン水道事情)した当時は、「浄化槽」って書いてました。


たぶん以前から腐敗槽は売ってたんでしょうけど、やっぱり高くて、特に施主からの要望がなければ、大工さんが作るのが当たり前だったのか。炎天下、ものすごい重労働をやってましたね。

今回も3箇所の大手建材店を回り、どこにも在庫がなかったので、前回同様、大工さんにご苦労を願うかと諦めかけてました。そう言えば、もう一軒の建材屋さんがあったなと家内が思い出し、ダメ元で行ってみた先がビンゴ。

店先に雨晒しになっていた、樹脂製の黒いタンク。ほぉ〜、こういう形状なのか。サイズは直径が1メートル、高さ1.5メートルぐらい。容量1,000リットルなので、満タンになったら重さが1トン。すげぇ。お値段は家内の値引き交渉もあって、ラストプライスが7,000ペソ。(約15,000円)さすがに自家用車には積めない大きさなので、さらに700ペソ追加で配達してもらうことに。


そして今日のお買い物は、この腐敗槽だけではなく、スチール瓦が本命。

母屋の屋根修理で何度も家に来ている、カラースティールの営業担当、フィリップ君。先日、ようやく鉄骨で組んだ屋根下地の計測を済ませて、やっと見積もりの段になって「リブタイプにしますか? それともタイルタイプ?」と、サンプルも何もなしの携帯テキストでの質問が。

こういうのは現物を見ずに発注したら、後でとんでもないことになりかねません。価格差も分からないし。なので、イマイチ頼りないフィリップ君の対応を待つのではなく、事務所に家内と二人で乗り込んだという次第。



上段がタイルタイプ
下2段がリブタイプ

途中でいろいろありましたが、最終的は「リブタイプ」で発注。材料代と工賃の半額を現金で支払いました。これが62,500ペソ。(約13万円)つまり全部で26万円となります。

ネグロスにしては、かなりの高額ではありますが、年中雨の多い、それも土砂降り率が高い熱帯地方。下手に屋根をケチると、結局後でもっとお金も手間もかかります。考え方によっては、100平米を超える広さの家の屋根が26万円なら、安いのかも知れません。

ということで、今日は朝10時から夕方3時過ぎまで、建材店巡りの半日となりました。


2019年6月27日木曜日

苛立つ雨季


出典:ABS・CBN

例年より長くて暑い乾季が、未練たっぷりに居座っていたフィリピン・ネグロス島。今週の月曜日から、遂に本格的な雨季の到来となったようです。

季節の変わり方は例年通りで、グラデーションのように徐々に、ではなく、突然ブチっとスイッチが切り替わる感じ。派手な土砂降りの後、瘧(おこり)か、憑き物が落ちたように、空気がすーっと涼しくなりました。

じっとしてるだけで滲んできた汗も止まり、額に二つも出来ていたニキビが数日で完治。就寝時にはエアコンどころか、扇風機付けっ放しでも寝冷えしそうなぐらい。相変わらず気候変化が極端なフィリピンです。

テレビニュースによると、マニラ首都圏では熱帯低気圧の影響で、水不足なのに(断水 マラテ地区で深刻化)街は洪水と、まったく異常と言う他ない状況なんだとか。ただ、一時的な降雨ではなく、モンスーン(季節風)がもたらす雨季になったので、現在、史上最低レベルまで下がっているマニラ近郊貯水池の水位も、今後戻るだろうとの報道もあります。

元々、水不足の心配があまりなかったネグロス島。過ごしやすくなったのはいいけれど、裏庭のゲストハウス工事現場を抱える施主としては、喜んでばかりもいられません。

順調ならば、今頃は、スチール瓦で屋根が葺き終わり、少々の雨なら問題なく内装作業にかかれたはず。ところが頼みの「カラー・スティール」代理店。営業さんのフットワークがイマイチで、要所要所で数日づつの遅れ。測量が済んで、見積もりを持ってくるのが今日(6月27日)になってしまった。

ここから発注をかけても、材料納入まで、最短で10日かかってしまうとのことなので、屋根が完成するのは、7月の半ば以降。こういう所がフィリピンですね。それでも今回の工事は、全体で見れば致命的なチョンボもないし、フィリピンにしては上出来と言うべきか?

工事以外にも、何かとやることが多かった今週前半。まずは月曜日の朝から出かけたのが、エミッションテスト。日本的に言えば、一種の車検制度。ただ、日本のように車全体の整備ではなく、排気ガスを計測して、このまま乗り続けて良いかどうか、合否判定をするだけ。作業そのものは10分か15分で済みます。

ところが、2年前まではシライ市内にあった、エミッションテストの検査場。これが突然閉鎖され、隣街のタリサイでも去年限り。今年は州都のバコロドまで行く羽目に。人も車も多いバコロドであっても、施設は貧弱なので、一箇所で一日に処理できるのが、せいぜい40〜50台程度。


バコロドとタリサイの市境付近にある
エミッションテスト・センター

市内に検査場が何軒あるのかは分かりませんが、自宅から一番近い、朝8時にオープンの場所で、7時過ぎにはすでに整理券番号が24。周囲には商業施設が何にもない状況で、時折の土砂降りの中、4時間も待つことになってしまいました。毎度のことながら、管轄のフィリピン陸運局(略称 LTO)のサービスの質の悪さ。ドゥテルテ大統領から、フィリピンの役所で最悪と名指しされるのも、よ〜く分かります。

やっとの思いで取得した、エミッションテストの合格証明。次はこれを自動車保険の窓口に持って行って、保険の更新...となるはずが、毎年同じ手続きをしている場所で「ここでは受け付けられない」の一点張り。まったくラチが開きません。面倒なので、家内の時間が取れる時に出直すことにしました。

翌日以降も、現場の巡回中に足場の角材で頭ぶっつけて怪我するわ、反対側隣家の新築工事中の大工とは、我が家のガレージ脇に放置されて、邪魔で仕方ない土砂の撤去を巡って喧嘩になるわ。何だか、雨季になった途端、苛立つ事ばかり起こります。

ということで、昨日はセラピストの出張マッサージで、ボディマッサージの1時間コース。日本への一時帰国以来、放置していた「フィリピン美女図鑑」の新作も再着手。やっと涼しくなったので、この週末にかけては、心穏やかに過ごしたいと思います。


2019年6月25日火曜日

屋根と床

着工以来、もうすぐ丸3ヶ月が経とうという、裏庭のゲストハウス新築工事。私たちの一時帰国やイースター休暇、選挙に伴う休業などがあって、実質的には2ヶ月半ぐらいながら、鉄骨による屋根の下地と、床の嵩上げがほぼ完了し、外観シルエットと屋内の佇まいが、素人目にも完成形を容易にイメージできるまでになりました。

屋根の形状って、一番分かりやすい「家」のアイコン要素なんですよね。壁と柱だけだと、やっぱりただの箱にしか見えません。土台の四角の上に三角が乗った途端、お馴染みの形になるから不思議なものです。

特にこの家の場合、玄関と勝手口の扉に、足元まである大きな窓が2箇所づつの合計4箇所から出入りができる間取り。さらに日本式に湯船と洗い場を設けた、離れの浴室がある関係で、軒をやや深めに1.5メートル取って、雨天でもあまり濡れずに家の周囲を歩けるようにしてます。なので、全体サイズの割には屋根が立派に見えて、ことさら「家」のシルエットを強調した感じ。



写真左、バンブーハウスの奥が浴室

さらに工事の「進んだ感」を醸し出すのは、嵩上げされた床。もちろんタイル仕上げどころか、コンクリート打ちもまだの、土砂を盛っただけの状態。それでも、視線の位置が、完成した時のレベルに達して、中から見る間取りや、窓からの眺めが変わると、ずいぶん雰囲気が出てきます。



大雨が多く、時にはくるぶしぐらいまで簡単に冠水してしまう土地柄。更地から床面までは、30センチから、場所によっては50センチ以上も。嵩上げ前は、ちょうど日本の木造家屋の床下に立っているような感じで、窓や扉が妙に上の方にあって、穴倉の底にいるみたいでした。


ちなみに、嵩上げに使う土砂は、柱のコンクート打ちに使うものや、壁塗りモルタル用の砂とは別。軽石混じりの、こちらでは「ボルカニック」と呼んでいる代物。Volcanic のことだろうと思うので、火山土、とでも訳すんでしょうか。



日本と同様に、全土が火山で形成されたような島国のフィリピン。ここネグロスに至っては、島の中央にあるカンラオン山が、時折水蒸気を上げる活火山。どこからでも採取できる火山土は、一番安い建設用の土砂だと思われます。

ここまで来ると、そろそろ考え始めるのは、仕上げ材料と建具。アルミフレームの窓と網戸は、前回と同じシライ市内のお店。タイルと塗料もだいたいの目安は付けてあります。

それもこれも、スチース瓦が屋根に乗って、雨を凌げるようにならないと、前に進めません。昨日(6月24日)月曜日に、スチール瓦のインストーラーが鉄骨を計測に来るはずが、すっぽかしてくれました。

どうやら、この6月末から7月初めにかけて辺りが、全体作業の収束に向けて、最後の山場になりそうです。


6/17〜6/23の出費

屋根下地用鋼材、その他:40,815ペソ
土砂:4,450ペソ
大工さん給料:17,300ペソ
屋根下地組み立て費用:5,500ペソ
配線作業費用:3,000ペソ

計:71,065ペソ

本日までの合計:668,370ペソ


2019年6月23日日曜日

やっと終わった屋根修理

かれこれ1ヶ月半も前の5月初旬に、今住んでいる家で雨漏りが。(雨だ、雷雨だ、雨漏りだ〜)居室ではなく、元々は屋根がなく全開放だった2階ベランダに後付けで設置した、広さが30畳分ぐらいはあろうかという大屋根。ベランダ床の防水工事が全然ダメで、階下への漏水が甚だしく、止むを得ない措置でした。

後ろ向きな理由でも、屋根が付くことで、雨だけでなく日差しを遮ってくれるので、椅子とテーブルを並べれば、風通しのいいセカンド・リビングになるし、ダンベルを置いてプライベートジムっぽくして、連日、筋トレに励んだり。まぁ、結果オーライという感じ。

そんな経緯で、4年ぐらいは機嫌良くベランダを活用していたところでの雨漏り。新設した屋根の不備ではなく、最初からあった屋根に付属する雨樋が腐食したことが原因。ちょっと穴を塞げばいいかと、移住以来、何かと我が家の面倒を見てくれている、大工のアントニオに修理を頼んで、もう大丈夫かと思ったら、次の夕立で漏りがひどくなってしまった。

時期を計ったかのように、裏庭でのゲストハウス新築工事の噂を聞きつけてやってきた、スチール瓦のセールスマン。新築の屋根に先立って、トライアルを兼ねて雨樋の交換を発注することに。見積もりを頼んだところで、日本への一時帰国となり、ベランダ該当箇所にでっかいポリバケツを応急処置代わりにして、一旦ペンディング。

幸いにも乾季だったので、留守中に事態が悪化することもなかった。既に提出済みだった見積もり内容に応じて、5月の終わりには材料を発注。これが10日も要してしまいました。材料が届き、半額の前払いしてから待たされること、さらに1週間近く。このところの建築ラッシュで、職人さんがなかなか時間が取れないとのこと。

その間に季節は進み、余裕で乾季中に終わらせるはずが、気が付いたら既にフィリピンは雨季。例年に比べると雨量が少なく、1日一回ザッと降る程度なので、ポリバケツで何とか凌いでは来ました。

さんざん待たされた挙句、やっと3人の職人さんが来てくれたのが、一昨日(6月21日)の金曜日。もうこの業者に新築の屋根は任せないと、やや腹立ち気味ながら、セールスはイマイチでも職人さんはなかなか頼りになる。作業自体の手際もさることながら、新築工事中の大工さんと自発的に話をして、足場作りの手助けを頼んだり、不足していた材料を融通してもらったり。



確認のために途中まで登った家内
足が震えてここでギブアップ

コミュニケーション能力があるって、共同作業ではとても大事なんですよね。5年前の自宅新築時は、屋根職人がこの点まったく無能。他の大工さんとの間だけでなく、施主である私や家内とも一切喋らず、いつの間にか帰ってしまう始末。その上新しい屋根は、その後の夕立でいきなり盛大に雨漏り。セールスを呼びつけて、別の職人に無料で補修をさせるという騒ぎになりました。

それがちょっとしたトラウマになっていたので、やや神経質になっていた私。今回は、安心して仕事を任せられました。修理完了後も、水を流しての確認作業をしてくれたし。

ところで、交換した古い雨樋を見ると、穴が開いているどころではなく、錆付いてほとんど崩壊状態。これではダダ漏りになるのも仕方ない。築5年でこうなっちゃうんですねぇ。


ということで、ずっと心に引っかかっていた心配事が、ようやく解消。ゲストハウスの屋根葺きも、引き続き同じ業者に任せることにして、材料発注に向けての計測の日取りも決まりました。(フィリピンでは図面通りに行かないことが多いので、屋根でも建具でも、現場で出来た箇所を計測するのが鉄則)

それにしても、いつ降っても大丈夫だとなった途端、垂れ込めていた雨雲は消えてしまい、またもや真夏さながらの日差しと青空が戻ってくるのは、何とも皮肉なことですね。



2019年6月20日木曜日

定期預金解約で3時間


日本にいる頃から、フィリピンへの送金でお世話になっている、この国の銀行最大手の一つ、通称メトロバンクことメトロポリタン銀行。今住んでいる宅地購入時も、大阪の同行支店から義母の口座に数百万円を入金。

以前にも当ブログに投稿したように、この銀行には、私が30年近くに渡って貯めたお金に加えて、早期退職で得た虎の子の退職金を、ほぼ全額預けております。移住直前、数千万円単位で家内の口座に送金した時、田舎街のシライ唯一のメトロバンク行員に、格好のゴシップネタを提供してしまったらしい。

ちなみにフィリピン全体を見ても、国民の貯蓄率、というより銀行口座所有率は決して高くありません。ここ最近の好景気で、その比率が上がったと言っても、やっと3割程度。(フィリピン、貯めない国に貯蓄の芽)この数字はマニラやセブの大都市も含めた数字なので、ここネグロス島では、せぜい10パーセント前後ぐらいしょう。

ならば、フィリピン経済を支えている、海外出稼ぎ労働者からの送金はどうしているか不思議に思われるかも知れませんが、口座がなくても、携帯電話と公的機関発行の写真付きIDがあれば、受け取りが可能。どんな片田舎にでもあるPawnshop(質屋)は、本来の質屋ではなく送金業務がメイン。

そんな背景なので、シライで1千万円以上の預金残高を持っていたりすると、銀行では「上得意」扱い。支店長はもちろん、一般の行員さんから、ショットガンを持った警備員のおじさんにまで、顔と名前を覚えられる始末。特に日本人だと尚更です。

銀行で有名人になっても、何も嬉しくありません。顔が売れてしまうと、街中でヘタなことができない。どこかの飲食店でサービスが悪いと怒鳴ったり、誰かと口論にでもなったら、あっと言う間に「金持ちで怒りっぽい日本人」の噂が拡散。場合によっては、営利誘拐のターゲットにされかねない。

前置きが長くなりましたが、本題は、このメトロバンクに定期で預けてある預金の一部を解約して、今建設中のゲストハウス用に、ATMで下ろせる普通口座に移動する件。

定期とは言え、何年とかいう期間ではなく、メトロバンクでは最長でも半年で満期。利率は2パーセントで、最近の日本のことを考えると全然悪くありません。

実は次回の満期が8月初旬なのですが、そろそろ資金が心細くなってきたので、2ヶ月前倒しの解約。それも税金対策で二つに分けたうちの一つ。その全額でもなく、半分はもう一度定期に戻すという内容。

当然ながら途中解約なので、利率が悪くなるのは仕方ないけれど、これだけに、なんと3時間もかかってしまいました。

とは言え、フィリピンのお役所でよくある、長蛇の列に延々と待たされて、という訳ではありません。冷房の効いた行内で、担当者デスク前の椅子で、仕事を午後から早引きして来た家内(共同名義なので、手続きには二人の署名が必須)と二人。その行員さんは、最近入ったばかりの新人らしく、ロングヘアーに大きなメガネの、「成人したアラレちゃん」みたいなお姉さん。

大口預金者相手に笑顔でキーボードを叩きながら、確かに作業をしているのは分かるけど、とにかくやたらいろんな書類が必要な様子。手を動かすスピードは決して遅くないし、日本人から見ても手際よくやってます。プリントアウトした書類を取りに行くのにハイヒールで小走りなんて、久しぶりに見る光景。それでもまったく手続きが終わらない。

厄介だったのは、1時間ぐらい経ってから「定期預金証明書」なるものが必要だと発覚したこと。もう口座開設は6年以上前だし、家内も私も、どこに置いたのか全然覚えていない。

ひょっとして、この銀行の貸金庫に入れたかも?と家内が思い出し、家に帰って金庫の鍵を取ってくることに。これでざっと30分は時間を無駄にしてしまった。

鍵を握りしめて再度メトロバンクのシライ支店。奥の小さな隠し部屋みたいな金庫室に、ドキドキしながら二人で入室。こういうのって日本では、一介のサラリーマンはまず経験できない。支店長代理(この人も女性)の鍵とダブルで解錠して、出てきた金属製の箱には、目的の証明書がありました。良かった〜。

そんなこんなで、やっとすべてが終わったのが、営業時間が少し過ぎた午後5時15分。フィリピンでは極めて珍しいことに、先ほどの支店長代理さんから「お待たせしてしまって、本当に申し訳ありません」との丁寧なお言葉。

腰が痛くなるぐらい座ってたし、しょっちゅうは遠慮したいけど、何がどうなっているのか分からないまま、無意味に待たされるのとは違って、経験値としては悪くなかったですよ。みんな愛想良いし、担当のお姉さんは可愛かったし。(笑)


2019年6月17日月曜日

怪我人続出の工事現場

施主である私たち家族の一時帰国による中断などの除き、着工から2ヶ月が経過した裏庭でのゲストハウス建設。先週は大工さんたちにとって、受難の1週間となりました。

現在、作業に従事してくれているのは、総勢12名。当初、大工のリトをリーダーに5名体制で工事が始まり、1ヶ月後に増員で7名。10日前には屋根下地の鉄骨組み立てにアントニオとそのアシスタント含めてさらに3名。そして週に一回ぐらい、工事の推移に応じて配線関係のサルディとその相棒。

今回問題が起こったのは、コアメンバー7名中の2名の大工さん、ポポンとピータウ。本格的な雨季を目前にして、少しでも早く工事を進めようと参加した二人なのに、相次いで同じように足に負傷。そこから悪い菌が入ったらしく、感染症でダウン。週明け月曜日から休業となってしまいました。

ピータウは無理して火曜日から出てきたけれど、やっぱり病院へ行きますと午後から帰宅。

実は5年前の母屋建設時にも、同様に古釘を踏み抜いた大工さんが、傷を化膿させて一時お休みしたことがあります。それに懲りて、私が日に何度か現場を見回る時には、角材などから飛び出した釘を、見つける度に注意してました。それでもこういう事故が起こっちゃうんですね。

そもそもフィリピンでは、大工さんを始めとする工事作業者全般に、安全意識はあまり高くないようです。日本だったらバイトの学生でも、ヘルメットと肌の露出部を抑えた長袖長ズボンの作業服、そして足をちゃんと覆う靴の着用が常識。それに敢えて逆らうかのように、高所作業でも何でも、ノーヘル・短パン・サンダル履きの3拍子揃ってる。

しかも、労働組合なんて気の利いたものは無いし、保険に入っている大工さんなんて見たことがない。小規模でも建設業者に所属していれば、それなりの保障はあるかも知れないけれど、今回のメンバーは皆さんフリー。

実際、今年オープンした州都バコロドの大型ショッピングモール、アヤラ・セントラル・キャピタルの工事中には、かなり規模の大きな事故があったそうで、大工さん5名が亡くなったんだとか。恐ろしいことです。

さて、我が家の現場で怪我をした二人。取り敢えずは、それぞれに傷病見舞いとして1,000ペソ(2日分の日当)を手渡しました。発熱して近所のクリニックで治療して、幸いなことに今日(6月17日)月曜日には、両名とも元気に現場復帰。施主としては一安心。

ざっと4ヶ月と見積もられた工期。今でおおよそ半分が終わったところ。どうか後半は、無事故で通していただきたい。




雨上がりの現場
だいぶ家らしくなってきた佇まい

ところで経費の方は、鉄骨やら床嵩上げ用の土砂の大量購入が重なり、1週間の出費としては、今工事開始以来の最高額となりました。


錆止め塗装済みだけど
鉄骨を雨晒しにするのは抵抗あるなぁ


裏側では、外壁のモルタル塗り作業


6/10〜6/16の出費

屋根下地用鋼材、その他:42,238ペソ
コンクリートブロック、土砂:16,000ペソ
溶接ロッド:200ペソ
大工さん給料(傷病手当含む):21,300ソ

計:79,738ペソ

本日までの合計:597,305ペソ


2019年6月14日金曜日

大阪の真夏並み

わざわざ日本からフィリピンに移住して、暑さに文句を言うのもバカな話ながら、今年のフィリピン・ネグロス島は本当に暑い。ただ暑いだけでなく、本来なら4〜5月の二ヶ月しかないはずの真夏が、もう3ヶ月以上も続いています。

エルニーニョ現象が発生したとかで、あんまり当てにならないフィリピンの気象庁、PAGASAが、今年2月末には早々と、その影響で乾季(フィリピンの夏)の到来が早く、渇水の恐れを指摘していました。これに関する限り、予報は大当たり。

3月の初めぐらいから、もう完全に真夏モードで、マニラ首都圏を含むフィリピン各地からは、案の定水不足の悲鳴が上がり、4月に入ってもその暑さは衰えることなし。

5月の半ばぐらいには、ここネグロスでは数日に一度程度は夕立が来るようになって、これはこのまま雨季(梅雨)になるかとの希望的観測も虚しく、私が日本に一時帰国中も相変わらずだったようです。

日本滞在中は、なぜか5月にしては記録的な暑さをなったものの、さすがに熱帯の乾季ほどではありません。まだ空気が乾いているので、むしろ快適なぐらい。帰る前日には終日の雨。ネグロスの自宅に戻って数日は、暑さに身体が慣れず、怠くて何をする気力もなし。

さらにそれから3週間。
6月に入って、曇りがちな日もあり、たまに午後や夜間には熱帯らしい土砂降りは来ます。ただし、それがないと相変わらずの蒸し暑さ。もう夏休みも終わり、息子も中学生(こちらでは小学生の続きで7年生)になり、この月曜日(6月10日)から登校開始しているのに、ちっとも季節が変わらない。

前にも書いた通り、新築工事の施主としては、仕事が滞らずに助かっている反面、もう全然若くない身には堪える暑さ。中途半端に雲がある日など、暗くなっても気温が下がらず、まるで大阪近辺の真夏みたい。


炎天下に土砂下ろし作業
見てるだけで汗だくになりそう

ちょうど1年前に設置した3台のエアコンの稼働率はとても高い。ついでに電気代も。通常2,500〜3,000ペソ程度が、5,000ペソを超えてます。まぁこれは、エアコンだけでなく、現場で使っている電動工具の影響もあるでしょうけど。


せっかくここまで来たんだから、もう2週間ぐらいは我慢(?)していただき、大雨が降るのは、屋根にスチール瓦が乗ってからにしてほしい。高所での溶接作業が増えるので、少しの雨でも工事が止まるしなぁ。


仕事はキツいけど、昼休み中は
バスケットボールの話で盛り上がる大工さん


2019年6月12日水曜日

3回独立したフィリピン


今日6月12日は、フィリピンの独立記念日。毎年、その前日祭に当たる6月11日と合わせて2日間、フィリピンの各都市で、派手なお祝いが行われます。ここシライでも、昨日は学校は午後まで。昼から市内のメインストリートが約1キロに渡って封鎖され、例年通りパレードが開催されました。



100メートル置きぐらいに冷蔵庫みたいなサイズのスピーカーをいくつも設置。ディスコミユージックを大音量で流しながら、リオのカーニバルさながらのコスチュームで、いくつものチームが踊りながら練り歩く。


もちろん本場のリオに比べれば、スケールは何百分の一でしょうけど、熱気だけは肉薄してるかも。まぁ、熱帯の炎天下なので、本当に暑いといのもありますが。そして、日付が変わる午前零時には、市庁舎前広場で、盛大に花火が打ち上がりました。

さて、今日6月12日は、1898年に、当時フィリピンを支配していたスペインとアメリカとの間に戦争が勃発(米西戦争)。指導者エミリオ・アギナルドが、アメリカによる独立への全面協力を条件に、フィリピン上陸の案内役を受け入れ、亡命先の香港から帰国。自宅にてフィリピン独立を宣言した日に因みます。

その2ヶ月後の8月13日、マニラのスペイン総督府が陥落。アギナルドは初代フィリピン大統領に就任することに。

ところが、そのまま現在に至る、とは全然ならなくて、独立を手伝ってくれたはずのアメリカが、スペインから領有権を2,000万ドルで買った形で、支配者として居座ってしまった。これって17〜18世紀に、アメリカが中西部に対してスペインやメキシコから領土を買収したり分取ったりして、拡大していったのと同じ手口。

今でも、そのままアメリカ51番目の州になった方が、フィリピン人は幸せだったのに、なんてジョークがあるんだとか。

そこから、本当に現在に至る「第三共和国」が成立するまでは、日本軍の占領を経た太平洋戦争終結後、1946年7月4日まで38年もの道程。一応主権は回復したものの、実質的なアメリカによる経済支配は続きました。

さらに追い打ちを掛けるように、1965年から始まった、悪名高いマルコス大統領の20年に及ぶ独裁政権。戒厳令で憲法は停止。マルコスとその一族によって、国家は食い物にされ、同時期に著しい発展を遂げた、マレーシアやシンガポールとの経済格差は開くばかり。

マルコス支配がエドゥサ革命によって打倒されたのは、やっと1986年。そんなこんなで、16世紀のマゼラン上陸以来、フィリピン国民自らが統治する政体を実現するのに、丸々400年を要したわけです。

ということで私が見るところ、フィリピンの独立は、スペインから、アメリカから、そして独裁者マルコスからの3回あったんじゃないでしょうか。(日本が降伏した8月15日も勘定に入れてたら4回かも)7月4日は、特別なお祝いはしないけれど、2月25日のエドゥサ革命記念日は、現在、国民の祝日となっています。

これだけ政治的な抑圧を受け続けた歴史を持つフィリピン。国民の手で権利や自由を勝ち取った実感を持たない日本に比べれば、毎回選挙の投票率が80パーセントを超えてるのも、当然なのかも知れませんね。


2019年6月9日日曜日

屋根葺き準備


6月もそろそろ中旬に差し掛かろうというこの時期。一応フィリピンは、雨季になりました。ここネグロスでも夕刻や夜間など、数日に一度ぐらいザっと降るので、もう渇水の心配はないけれど、どうも例年と比べると降り方がイマイチ。

私たち家族が移住して7回目の雨季。今まではこんな生易しいものじゃなかった。日本なら「ゲリラ豪雨」と呼ばれるようなレベルが終日続いたり、場合によっては数日も。下水設備が貧弱なので、すぐにくるぶしぐらいまで道路は冠水して、落雷での停電も多い。下手すりゃ台風が来てもおかしくない。

雨が少ない状態で、赤道近くの6月の日差しはさすがに強烈。当然のように暑さは4〜5月の真夏そのままだし、ちょっと曇ったぐらいなら、こんどは蒸し暑さに閉口。

もちろん、毎日土砂降りになってほしいわけではありません。今年は裏庭でのゲストハウス建設中。たとえ曇りでも、雨が降らない日が多いのは、大助かり。ちょうど今日からは、屋根葺きの準備作業が始まりました。

ここまでは、ひたすら土方とコンクリートワーク。ベニヤ板と角材で仮枠を作り、コンクリートを流し込んでの柱と梁作り。それと平行してのブロック積み。木と土の仕事が延々と繰り広げられました。


最後の梁が仕上がった先週末

それとは、ちょっと趣きが違うのが屋根。下地は鉄骨を溶接して組み上げます。大工さんなら誰でも出来るというわけではなく、溶接工の腕が必須。なので、今うちの現場で働いている7人の侍、ならぬ大工さんに加えて、他の現場の都合で、最初からは来られなかった、アントニオくんが、満を辞しての参加となりました。

気合い十分で日曜日からの作業開始。事前打ち合わせで頼まれていた、鋼材と鉄筋は入手済みで、アントニオ持ち込みの溶接機がフル稼働。寸法はすでに頭の中に完全インストールで、どんどん屋根の断面形状が姿を現します。頼りになる事この上なし。




左がアントニオ
子供みたいに見えても実は48歳


使い込んで貫禄十分の溶接機

そして来週からは、柱・梁とブロック壁の完成と同時に、床にかかります。日本式家屋と異なり、縁の下はない鉄筋コンクリート。周囲を壁で囲って、床面までは土砂でかさ上げ。洪水に備えて、グランドレベルから床面は50センチかそれ以上。またずいぶん大量の土砂が必要になりますね。

ということで、屋根と床の格好がつくまでは、雨も手加減して降ってもらうよう、祈りたい心境です。


6/4〜6/9の出費

屋根下地用鋼材、その他:19,980ペソ
コンクリートブロック、土砂:14,500ペソ
配管用材料:7,900ペソ
グラインダー替え刃、その他:900ペソ
大工さん給料:18,250ペソ

計:61,530ペソ

本日までの合計:517,567ペソ


2019年6月4日火曜日

フィリピンのネット通信業者


今日はフィリピンのネット通信業者について。

このブログでも何度か触れたように、フィリピン、ネグロス島の我が家では、グローブ(Globe Telecom)という通信業者と契約して、電話とインターネットを使っています。

フィリピンには、このグローブ以外に、PLDT(Philippine Long Distant Telephone Company)があり、規模ではフィリピン最大手。まだアメリカの統治下だった1928年に設立された会社で、1965年から20年続いたマルコス政権では、国有企業だったそうです。


つまり、日本ならPLDTは電電公社から転じたNTTで、グローブはさしずめ au みたいな位置付けになるんでしょうか。その他にもう一社、デジテル(Digitel)があるようですが、私の身近では、使ってる人は見ないですね。

携帯電話だけのサービスだと、Sun、Smart、などの通信業者があって、どの街角にもあるサリサリストア(小規模な雑貨屋)でも、プリペイドのロードを購入できます。


日本と大きく異なるのは、数百円のSIMカードを購入すれば、面倒な契約手続きをすっ飛ばして電話番号が入手できること。手持ちの携帯電話に取り付けたら、その場で通話もネットもOK。SIM2枚を収納できるデュアル式の製品もあるし、番号を変えたければ新しいSIMに入れ替えるだけ。

さて、そんなフィリピン通信業者のサービス状況はどうかと言うと、これがまったくお寒い限り。ネグロスのような地方では、光ケーブルではなく、まだADSLなのは仕方ないにしても、とにかく通信障害が多い。また基本契約が定量制で、私の契約内容は、1日の通信データ制限が7GBまで。YouTubeで、HDの映画でもダウンロードしたら、あっという間に終わってしまいます。

何らかの不具合があって、用意されてるホットラインに電話しても、なかなかつながらない。やっとつながって「確認しますので、しばらくお待ちください」と言われ、そのまま何のリアクションもなし。

家内の弟宅もグローブと契約してましたが、回線の不具合を何週間も放置され、ついに義妹がキレて、PLDTに乗り換えました。(PLDTも似たようなレベルですが)

さて我が家のネットも、一時帰国する少し前から、10分〜30分ぐらいの間隔で接続が切れまくりの不安定な状態に。iTunesで楽曲を買っても、ダウンロードの途中で止まり、何度もやり直してたら、その日のデータ量を使い果たすなんてことも。

日本から帰った後も症状が改善されてなかったので、どうせ無駄かもと思いつつも、家内に頼んでグローブに苦情を言ってもらいました。

ところがどういう風の吹き回しか、つながりにくいのは相変わらずながら、「明日朝に担当の者に伺わせます」との明確な返答。そして驚いたことに翌朝8時過ぎ、ちゃんと制服を着た二人連れの業者さんが家の前に。もっと驚くのは、1時間ほどの作業で、ネットが正常につながるようになったこと。

何が悪かったのかを尋ねたら、家の中だけでなく、サブディビジョン(宅地)の入り口付近から自宅までの電線を全部調べて、老朽化した部品やコードを取り替えたんだそうです。へぇ〜、本気出したらちゃんと仕事ができるやん、グローブさん。

これは長年停滞していたフィリピン経済の、本格的な復調の兆しかも。これだけなら今日のブログは、グローブ大絶賛で終ったところが、今日(6月4日)の昼過ぎから約6時間、大規模なシステム障害をやらかしてくれました。隣島のセブでもネットがダウンしてたみたい。せっかく褒めてあげようと思ったのに...。


2019年6月3日月曜日

新規の大工と配線工


一時帰国があって、何かと忙しかった5月も終わり、一番暑い季節が過ぎて、そろそろ雨季が始まろうかという時期。今年の夏(乾季)は、エルニーニョの影響があったそうで、フィリピン全土で渇水状態。ここネグロスでは、ようやく午後から夕立があったりして、夜間は比較的凌ぎやすくなってきました。

それでも例年なら、6月に入れば連日の土砂降りでもおかしくない筈。ゲストハウスの新築工事を抱えているので、晴天が多いのは助かるけれど、そろそろ35度前後の暑さに体がへばってます。もう若くないしなぁ。(それでも、ここ最近の大阪近辺での殺人的な夏場の蒸し暑さに比べれば、かなりマシですが)

今日(6月3日)は、6月最初の月曜日。2ヶ月余りの夏休みが終わり、多くの公立学校では新学期。ただ、息子が通うシライ市内の聖テレシタ学院は私立。まだもう1週間、休みが続きます。なので、早朝、銀行ATMにお金を下ろしに行った時、子供たちが乗る通学トライシクルの渋滞に遭遇して、やっと始業式の日だと気がついた次第。

さて、その工事の話。
私が日本に帰って不在の間も、作業は順調に進んでいたようです。主要部分の柱や梁、壁のブロック積みはほぼ完了し、先週末からは、付属するカーポートの梁、独立した離れの浴室の基礎作りなどに移行。



日本式のバスタブと洗い場がある
脱衣所込みで8平米の浴室ができます

そして数週間前に、隣街バコロドで買い付けた、電材の出番が。(炎天下の電気材料買い付け)配線工のサルディとその相棒が久しぶりに現場に姿を見せて、手慣れた様子でコンセントや配線用の樹脂パイプの取り付け。



相変わらず細工は雑ですけど

加えて、昨日の夕刻には、当初、棟梁をお願いするつもりで、別の仕事のために参加できなかった、我が家の「守護神」アントニオがやって来ました。(着工、いきなり1週間遅れ)要件は、屋根敷設に備えての鋼材による下地作りと、配管作業の打ち合わせ。アントニオはなかなかのマルチタレントで、通常の大工仕事だけでなく、溶接も配管もお手の物。

ということで、着工から約2ヶ月が経過して、6年前の母屋建設時の主要メンバーが勢揃いです。


5/23〜6/3の出費

鉄筋:44,740ペソ
コンクリートブロック、土砂:12,500ペソ
角材50本:7,250ペソ
釘、その他:1,074ペソ
大工さん給料:28,913ペソ
配線工給料:2,500ペソ

計:96,977ペソ

本日までの合計:456,037ペソ

日本円で、総額が約100万円となりました。


2019年6月2日日曜日

一時帰国の余韻

またまたご無沙汰してしまいました。前回の投稿から十日以上経ち、日本から帰ってからもすでに四日。いろいろバタバタと過ごしております。

多忙の原因は、言うまでもなく4月初旬から始めた、裏庭でのゲストハウス新築工事。これがあるので、家内と私の滞在期間を1週間ずらし、それぞれ2週間づつ家を空けても、二人とも不在になるのが1週間で済むように、日程を調整したほど。

不在と言っても、本当に家に誰もいなくなったわけではなく、昼間は義父とメイドさん、夜間は義妹夫婦が留守居役。それでもその1週間だけは、工事を止めざるを得ず。そして、私が戻るまでの1週間、先に帰宅した家内に、建材の購入や大工さんの給料支払いを一任。

まぁ、フィリピン人離れして、時間やお金に関してはキッチリしている家内なので、別段問題もなかったのですが、フルタイムの仕事があるし、作業の詳細までは把握できてません。先週木曜日の早朝、セブ経由で帰ってきた私が最初にしたのは、現場の確認。やっぱり電源コンセントの位置など、多少の修正箇所がありました。

それ以外にも、母屋の雨樋の修理、来週から新規参入の、屋根周りや配管に携わる大工さんへの説明、配線工との給金に関するネゴなど。いろいろあるんですよね。

さらに加えて、日本で購入したパソコンへの、作業環境の移行が大きかった。移住前に買って使用歴7年目に突入した、愛用のMac Book Pro。これが、ソフトもハードも不具合続出で、いつ「ブチ」っと逝ってしまうか、ヒヤヒヤな状況。

Apple 製品は、フィリピンでも売ってるけれど、安くなるわけでもないし、商品の説明をしっかりしてくれる点では、日本のアップルストア・スタッフが信頼できる。ものすごく手の込んだイラスト描きやら、動画の編集など、結構重たい作業してるしなぁ。


新しいMacを買った
大阪・心斎橋のアップルストア

こんな経緯で、満を辞しての新機種導入。画面は大きいし軽いし、インターフェイスは随分と進化。ワイヤレスのマウスとキーボードも快適な操作感。ところがなぜかメールアカウントの移行だけが、どうしても上手くいかない。

日本にいた時から使い続けているハイホー。何をどうやっても新しい Mac Book さんはお気に召さない様子。ハイホーに問い合わせても梨の礫だったことに腹を立て、結局このアカウントは解約。

問題はApple ID という、関連するソフトの入手や iTunes での楽曲購入など、いろんなことに必要な証明書みたいなものに、ハイホーのアドレスを使っていたこと。それだけでなく、アマゾンやらクレジットカードの明細送付先にも。これを全部変更するのに、丸2日ぐらいかかってしまった。

そんなこんなで、落ち着いてブログを書けるようになったのが、本日、日曜日の夜。フィリピンでの住宅建設に関して、何人かの方からあった問い合わせの回答も、すっかり遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。

ということで、今日は一時帰国の余韻でお茶を濁し、次回は、たくさんの読者の皆さんが期待されている、ゲストハウスの進捗(特に経費の推移)を再開します。