2019年9月21日土曜日

マニラ市長に倣う街の大掃除


少し前の話題ですが、この7月(2019年)、マニラの市長に就任したイスコ・モレノ(Isko Moreno)さん。前任のエストラーダさんに続いて俳優出身。またもやイメージ先行で選出されたのかと思いきや、なかなかどうして、少なくとも正義感と実行力は相当なレベルのようです。

それと言うのも、フィリピンの政治家としては極めて異例な経歴の持ち主。幼少期を、スラム街で有名なトンドで過ごし、古新聞や空き瓶を拾って家計を助けるような暮らし。それがティーンエイジャーの頃にスカウトされて芸能界に。国民的ボクサーのマニー・パッキャオを思い出させるようなサクセス・ストーリー。

1974年生まれなので、まだ40代の半ば。映画の主役を張る俳優だけあって、男前で知名度抜群。しかも貧乏人の気持ちが分かるとなれば、そりゃあすごい人気なのも分かります。ちなみにイスコは芸名で、本名はフランシスコ・モレノ・ドマゴソ。

そこまでだったら、フィリピン国民、マニラ市民に有名、で留まっていたんでしょうけど、彼の名が、まにら新聞やアジア経済ニュース(NNA Asia)などの、日本語の記事で紹介された「電撃的な事件」が、ディビソリア地区を始めとする、マニラ市内の違法露天の撤去。
新マニラ市長の浄化作戦
マニラ新市長、露天を撤去


フィリピンに住んでいたり、多少なりともこの国と縁がある方なら、首都圏でも地方都市でも、大々的に路上を違法に占拠した商店や、貧困者の住宅などを目にしたことがあると思います。

私が初めてその状況を見た時には、フィリピンの後進性の象徴みたいに感じたものの、慣れというのはすごい。何年も住んでいるうちに、いつしか当たり前の景色に。最近ではそんな場所で、普通に食材を買ったり、散髪してもらったり。

ほんの7年ぐらい居候してる外国人でもそうなので、地元の人にすれば、生まれた時からある生活の一部。違法占拠のために引き起こされる、渋滞などの不便すら日常化。これを強制撤去したのですから、そりゃフィリピン人も在留邦人も驚くでしょう。

ただ、モレノさんが突然変異的に蛮勇をふるったわけではなく、対麻薬戦争や汚職撲滅...、3年に及ぶ、ドゥテルテ大統領の強権的政治手法が背景なのは間違いない。それでもモレノ市長には殺害を予告する脅迫状が届いたそうです。当然ながらモレノさんは「脅迫には屈しない」と一蹴。映画の役を地で行く格好良さ。
マニラ市長に死の脅迫状

さて、麻薬戦争の時と同様、中央の派手な動きは、地方政治にも速やかに広がること野火の如し。先日、永住ビザ更新で隣島パナイに出かけた帰り、たまたまタクシーが通った裏通りで、ネグロス版・街並み浄化作戦の現場を目撃しました。

場所は、バコロド市内の海岸沿いを南北に走る、片側二車線のサン・ホアン・ストリート。本来なら並行するラクソン・ストリート同様に、幹線道路の役割を担ってしかるべきところ、左右が違法露天や住居に占拠され、トラック2台がすれ違うのも難しいような状態。

そんなトタンや角材で作られたバラック群を、片っ端から取り壊しの真っ最中。私が見た時には、住民と監視の警官が争ったりすることもなく、至って平和的に作業が進んでました。



西ネグロスの州都バコロドは、ここ何年か経済成長が著しく、マニラ首都圏に周回遅れながら、市内各地でコンドミニアム、商業施設の建築ラッシュ。こちらも街を大掃除しようとの機運が高まっていたんでしょうね。新聞の記事によると、追い出された4,000軒の建物関係者は、全員ではないかも知れませんが、すぐ近くにできる商業施設に引っ越しするとのこと。

こういう話を聞くと、昭和30年代生まれの私としては、いつものように、昔の日本を思い出してしまいます。生まれ育った兵庫県尼崎市で、自宅最寄り駅、阪急塚口周辺が再開発された時の記憶がダブって仕方がない。もちろん当時は、強制執行ではないけれど、古い木造の住宅や店舗が撤去され、道が拡張され、巨大なショッピングモールが建ち並ぶのは似たような風景。

ああいうことができるのも、国全体の景気が良くて、立ち退いた人たちに、多少なりとも仕事や住む場所の当てがあるから。もし退去者全員がその日から路頭に迷うなら、暴動になってしまう。

ただ、その後30年で、先細りの運命を日本が辿ったのを知っているだけに、今は少々複雑な心境なのも正直なところです。


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