今日は、私が34年前に卒業した大学、京都市立芸術大学のお話。1985年3月に、この大学の美術学部デザイン学科というところを卒業して、専攻したプロダクト・デザインをそのまま活かして、工業デザイナーとして就職。
専門学校でもないのに、ここまで学校での勉強と、その後の職業がシンクロすることの方が珍しいかも知れません。つまり、京都芸大と専攻の教授方には随分と恩義を感じているし、人一倍、母校愛を持っている。特に当時、助教授だった先生からの言葉は、今でもたくさん覚えているほど。ほんと、お世話になりました。
京都芸大の歴史は古く、1880年(明治13年)創立の京都府画学校が母体。当時、明治維新の影響で、政治も文化も皇居までも、新首都の東京に移ってしまい、地盤沈下を危惧した京都市民の間から、近代的な美術家養成機関を作ろうとの声で、生まれたそうです。
ちなみに私が入学した時(1980年)の、入試問題の課題の一つが、創立100年を記念したモニュメントのデザインをするというものでした。
卒業生には、著名な日本画家、洋画家、陶芸家、染色家、彫刻家など錚々たるアーティストが名を連ねています。それ以外にも、東京オリンピック(1964年)の施設シンボルデザイン、ロングピース(煙草)のパッケージデザインで知られた田中一光さん、サントリーウィスキーのCM「アンクルトリス」で有名な柳原良平さん。
音楽学部からは、ベルリンフィルの客演指揮者を務められた、私の少し先輩の佐渡裕さん。ちょっと変わった経歴では、在学中はデザインを専攻しながら、卒業後、作曲家になった宮川泰さん。宮川さんは数々の歌謡曲の作曲だけでなく、宇宙戦艦ヤマトの音楽担当としても活躍されました。
京都市西京区にある
京都市立芸術大学キャンパス
出典:ウィッキペディア
さて、何気なく大学の略称を使って「京都芸大」と書きました。学生や卒業生、関係者、地元の京都市民の人々は、もっと縮めて「京芸」(きょうげい)と呼んだりもします。
その親しまれた名前を、京都市内にある別の美術系大学が名乗ろうと発表したのが、今年(2019年)の8月。前身の服飾学校から、1977年(昭和52年)に京都芸術短期大学として発足し、1991年、4年制大学になった私立の京都造形芸術大学。来年(2020年)4月から、校名を「京都芸術大学」とするそうです。
発表前に打診された、京都市長も本家の京都市立芸術大学の学長も「それはアカんやろ」と、再考を促していたのに、無視する形で一方的に発表されました。造形大学の内部でも寝耳に水の事後報告だったらしく、卒業生だけでなく、現役の教授や在学生から疑問視。どうやら理事長の独断による決定のようです。
この理事長、経営者としてはなかなか遣り手で、実績のあるデザイナーとのコラボレーションや、企業との連携、派手なところでは、2013年まで秋元康さんが副学長で、その関係から、秋元さんが校歌を作り、それを歌うAKB48の衣装を在学生がデザインしたり。話題作りには事欠きません。
現在、京都造形芸術大学の在籍者数は1万人を超え、京都市立芸術大学の10倍以上。ビジネスの観点だけで見れば、はるかに大規模。私が嫌だなぁと感じるのは「規模も大きいし、金持ちになったんだから、由緒ある名前を名乗っても文句はあるまい」みたいな、傲慢な態度が見え隠れする点。そうでなければ、わざわざ創立140年になろうかという、同じ市内にある大学に、ここまで似せた名前にしようとは思わないでしょう。
それにしても理解に苦しむのは、その意図。典型的「誰得?」というやつ。両大学の関係者だけでなく、一般のマスコミからも疑問や非難があがり、私がツィッターでフォローしている、噺家の立川志らくさんが、コメンテーターを務める番組の名前を例に取って、「ひるおび!の裏番組、ヒルナンデス!が、ヒルオビナンデスと改名したようなもの」と皮肉。
私も、フィリピンで日系企業っぽい名前を冠した「アカリ」「ペンソニック」などの中国製ブランドを思い出してしまった。
しかも、すでに30年近い歴史を持つ、「造形芸術大学」の名前を捨てる意味が分からんと、在学生や卒業生から、かなり辛辣な反対意見がネットに投稿されています。さらに在学生が発起人となった反対署名運動まで起こる始末。
そしてとうとう9月2日、京都市立芸術大学が「京都芸術大学」の名称使用の中止を求めて、大阪地裁に提訴。まぁ一連のやり取りを見ていると、これも仕方ないなぁ。
ということで、フィリピンやネグロス島の話題を期待しておられる、読者の方々には申し訳ありませんが、あんまり頭に来たので、母校が巻き込まれた名称問題について投稿しました。
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