先日、家内の同僚がコロナで亡くなった件を、まだ引っ張っております。
結局メイドのライラおばさんは、死亡が伝えられた月曜日からずっとお休みで、丸一週間の連続欠勤。週明けの月曜日は出勤してくれるかどうか、まだ連絡はありません。
また、検査結果待ちだった同じ職場の人から、もう一人陽性が出てしまい、これで亡くなった人を含めて三人の感染が明らかになりました。いわゆる「クラスター」の状況。シライ市全体で見ると、ずっと10名前後で推移していた陽性患者数が、ここ数週間で一挙に60名以上。西ネグロス州の、夜8時以降外出禁止も続いています。
さて、亡くなったのは、フィリピン教育省のシライ支部職員で、元々は市内の高校で英語を教えていた先生。それも、あちこちの学校で教鞭を取っていたらしい。同じく高校の英語教師で、私にイロンゴ語(西ネグロスの方言)を週一で教えてくれているアンも、よく知っていました。
亡くなった方が教えていた 市内のドーニャ・モンセラート高校 |
そして、小学校の先生である義妹のジーナも、フェイスブックにお悔やみの投稿をしていたし、驚いたことに、毎週、出張マッサージを頼んでいるラケルが「あの人は、私の先生だったんですよ」とのこと。
私と同じ歳だったので、大学卒業以来、先生をやってたとすると、もう30年ぐらいになるでしょうか。こんな小さな地方都市で、ずっと公立学校の教師ならば、自然と顔も広くなるし、ちょっと道を歩いただけでも、かつての教え子を出会うことも多いと思われます。
15年ほど前に他界した、家内の母、つまり私の義母が、これまた高校の先生。定年まで勤め上げた肝っ玉かぁちゃんみたいなおばちゃん。人望が厚かったので、それこそ市内の至るところに、「あの先生には頭が上がらない」みたいな、子分同様の教え子がいっぱいいました。
庶民レベルのシライの顔役だったので、今住んでいる宅地を買う時など、すいぶんと世話になったものです。生きていてくれたら、家を建てたり、近所とトラブった時には、きっと頼りになったでしょうね。今も少々早過ぎた死を悼んでおります。
こんな具合に、みんながよく知る有名人がコロナで亡くなったとなると、感染に対する恐怖心が、改めて拡散されるもの。今日、日曜日に久しぶりに市内のショッピングモールに出かけても、人は少なかった。緩みかけていた警戒心が、また巻き直された感じ。
それにしても、もうコロナ禍は1年以上。再び巡って来た暑い季節も、半ばを過ぎようとしています。来年の今頃は、どこかのビーチリゾートに遊びに行けるかなぁ?
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