前回の投稿から、少し間が空いてしまいました。実は投稿翌日の月曜日、新型コロナ感染で州都バコロドに入院していた、家内の職場の同僚が亡くなりました。案の定、重症化のリスクが高いとされる、高血圧だったそうで、私と同じ58歳でした。
既にシライ市内だけでも、30名を超える死者が確認されていて、この人が特別だったわけでもないけれど、家内にしてみれば、同じ職場で働き、顔を知っていて何度か話もしたことがある。やはり身近な場所での死は、衝撃の大きさが段違い。
これは、今回のパンデミックに限ったことではありません。フィリピンで繰り返される自然災害や犯罪で、毎年何千もの人々が亡くなっています。比較的最近の話題だと、ドゥテルテ大統領による「麻薬撲滅戦争」で、裁判なしに警察によって殺害された容疑者が、5,600人以上。
テレビのニュース、ネット経由で、どれだけ多くの人が非業の死を遂げている現実を知っても、直接会ったことがなければ、それほど感情を揺さぶられはしません。いちいち反応していたら、身が持たない。
特に、もう一年も続くコロナ禍。何となく、感染者や死者の数が増えることに、慣れていました。そんな気持ちが、一気に引き締まった感じです。私も家族も、感染の可能性はあるし、そうなったら命を落とすリスクがある。
ちなみにフィリピンで、新型コロナで患者が亡くなった場合、亡骸は荼毘に付されます。つまり火葬。防腐処置を施して、そのままの姿で葬られるのが一般的なこの国では、死後であっても、自分の身体が焼かれることには、多くの人が恐怖心を抱くもの。
まだ、家内が私と日本に住んでいた頃、たまたま私の叔父が亡くなり、焼き場での骨揚げを見て、家内が震え上がっていたのを覚えています。おそらくフィリピンでは、コロナ死の数だけ、その死だけでなく、肉親の身体が焼却されることへの、悲しみがあるんでしょうね。
そんな心理的な負の影響だけでなく、現実問題として困ったのが、メイドのライラおばさんが、怖がって我が家に寄り付かなくなったこと。
どうやら、フィリピン教育省のオフィスでの感染、死亡事例ということで、狭いシライ市内では、尾鰭のついた噂が広まってしまったらしい。家内の検査結果は陰性で大丈夫だと、ライラには伝えたんですが、本人はともかく、周囲の家族や近所の人が引き留めてるのかも知れません。もうかれこれ四日経ちますが、連続欠勤状態。
なるほど。これが風評被害というものか。
今は学校は閉鎖で、中学生の息子はオンライン授業なので、どうということはないけれど、もし日本のように、マスクして登校してたら、どうなっていただろうと怖くなります。実際日本では、感染者はおろか医療従事者の家族や子供にさえ、嫌がらせやイジメがあると聞きますから。
ということで、今日は、フィリピンでのコロナ死の現実について、その一端をご紹介しました。
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