2022年12月31日土曜日

日本の餅、フィリピンの爆竹


 今年は、師走の半分を一時帰国に費やしたため、例年以上にあっと言う間に大晦日になってしまった感じです。思い返せば2022年は、前年クリスマス前にネグロス島を含むビサヤ諸島を直撃した、スーパー台風オデットの被害からの復旧で始まりました。年初の2ヶ月ぐらいは、何かとそちらに引っ張られましたね。

その後は、コロナ禍がようやく下火になったことに伴い、やむ無く失効となっていた息子の日本パスポートの再取得。戸籍謄本の写し取り寄せやら領事館のあるセブへの渡航でひと騒動。EMS(国際スピード郵便)は遅れに遅れ、セブパシフィックはフライト前日深夜にドタキャン。久しぶりにフィリピン住まいの不便さを実感させられました。

フィリピンの国全体として最大のトピックは、何と言っても大統領選を含む総選挙。前回のドゥテルテ旋風のような意外性はほとんどなく、実質的にドゥテルテ政策の後継者となった、ボンボン・マルコスが終始リードを保ったまま当選。副大統領候補がドゥテルテの実娘にして、ダバオ市長として父同様の政治手腕を発揮したサラだったことも大きかったでしょう。

選挙と時を同じくして、我が家は臨時支出のラッシュ。シロアリ被害でゲストハウスの押し入れやドア枠の総入れ替えに、突然の愛用パソコン Mac Book Proのクラッシュ。結局合計で10万円仕事となってしまい、年金支給までまだ5年も待つ身としては、厳しいものがありました。

明るい話題は、今年グレード10(日本の高校1年生に相当)になった息子が、丸々2年以上ぶりに学校での対面授業再開。私にとって、コロナ禍の終焉を一番実感したのは、この出来事。やっぱり街を歩いていて、子供をいっぱい見かけるようになると、フィリピンの日常が戻ってきたと感じます。

続けて迎えた、10月の私の還暦。一時は派手なお祝いは無理だろうと諦めムードでしたが、何とか親戚や友人にたくさん来てもらって、思い出に残るパーティを開くことができました。

ちょっと寂しかったのは、4年間我が家で働いてくれたライラおばさんが辞めちゃったこと。本人の健康問題が原因なので、仕方ありません。例によってなかなか次が見つからず、擦った揉んだの挙句、後任のメイドを紹介してくれたのが、私のイロンゴ語の家庭教師バンビ。何と連れてきたのがお姉さんのグレースでした。

ハウスキーピングのスキルは、ライラに比べると見劣りするものの、遅刻はほとんどせず、この半年で一度も無断欠勤がないのが、何より評価できます。

そして迎えた昨夜、12月30日の深夜。例年通り気の早い人たちが、あちこちで爆竹を鳴らし始めました。ちなみに、この日は小晦日と呼ぶんですね。しかも読み方が「こつごもり」。60歳になっても、まだまだ知らないことがいっぱいです。

その爆竹の音を聴いていてフト連想したのが、正月に餅を食べる日本の習慣。言うまでもなくフィリピンでは、毎年爆竹が原因で多数の怪我人が出ます。指を吹っ飛ばしたり火傷したり。運が悪いと大火事でたくさんの人が焼け出されたり、場合によっては命まで落とす羽目に。

方や餅と聞くと、つい脳裏に浮かぶのが、老人が喉に詰めての窒息死。調べてみたら、毎年しつこいほど注意喚起されているのに、やっぱり何百人もの方が亡くなっているそうです。どちらも危険なことは周知の事実。それでも大晦日にドンパチやるのも、正月に餅つきしたり、餅を雑煮に入れて食べるのも、今年から止めよう、とはならないんですよね。

ということで、今年一年を振り返った大晦日の朝でした。


2022年12月28日水曜日

高校生のクリスマスパーティで歌う

 日本への一時帰国の二週間、歌い倒してた私ですが、フィリピン・ネグロス島に戻ってからも、コロナ禍以降にすっかり習慣化した、毎日のボイストレーニングを続けております。冷たくて乾燥した日本の空気から一変、生暖かく湿った気候がどれだけ喉に優しいかが、よ〜く分かりますねぇ。

そして数ヶ月も前から予定していたのが、高校生が集まるクリスマスパーティでの歌唱。実は私から、イロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師のバンビにお願いしていたこと。とにかく歌うのが好きなので、日々孤独に練習するのも悪くはないものの、やっぱりある程度声が出るようになったら、人前で歌いたくなるというもの。

コロナ前は毎週日曜日に教会でのミサがあったので、曲がりなりにもこの欲求は満たされていたのですが、ようやく規制が緩んだ最近でも、まだまだマスクなしでミサっていうのはリスクが高い。特に不特定多数の信徒さんが全員で歌えるようになるのは、もう1年ぐらいはかかるかも知れません。

そこで、現役の学校教師で楽器を教えてもいるバンビに、何かの機会で歌える場所はないかと尋ねたら、高校の生徒たちを集めてクリスマスパーティをするので、歌ってください、となった次第。

ただ、バンビの教え子たちというのが訳ありで、家が貧し過ぎて通学の交通費もないとか、就学中に妊娠してしまい、通常の授業には出られないとか...。そういう児童や学生のために、フィリピンではALS(Alternative Learning System / 代替学習制度)というしくみがあります。

つまり通常の学校ではなく、各生徒の自宅やバランガイホール(公民館のような場所)図書館などに教師が出向いて勉強を教えるというもの。何を隠そうバンビは、このALS専任の教師なのです。

教えているのは高校生向けのカリキュラムですが、上記のような状況なので、年齢はバラバラ。中にはもう仕事をしていて煙草吸ったりする「オっちゃん」もいたり。

当初、生徒のパーティというので、日本のアニメソングなんてどうかなと思ったけれど、自宅でネットフリックスのような動画配信を視聴できる子は、まずいない。結局、フィリピン人なら誰でも知ってるようなポップスと、クリスマスソングの合計6曲準備しました。

パーティ会場は、バンビの知り合いの家。20〜30人程度は何とか飲み食いできるスペースではあるものの、お世辞にもきれいとは言えない建屋と庭。正直なところ、最初は引いてしまいました。本当は別のパーティスペースを借りるつもりが、高過ぎて予定変更したんだとか。日本円で5,000円ぐらいなんですけどね。

とは言え、こちらから頼み込んだ話なので、不平を言える立場ではありません。ちゃんと襟のあるシャツを着て革靴履いて、いつもと同じように歌いました。



会場となったお宅の飼い犬。
なぜかいきなり懐かれた。

曲目は、フィリピンでカバーされた日本発の歌、「Bawat Bata」として知られるゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」に、サザンの名曲「いとしのエリー」。クリスマス曲は「もろびとこぞりて」と「O Holy Night」。世界中でヒットしたエド・シーランの「Perfect」。最後に映画「アナと雪の女王」から「Lot it go」。ビューティフル・ネーム以外は、すべて英語で歌唱。

さて気になる歌への反応ですが、もっとドンチャン盛り上がるかと思いきや、超真剣に聴き込む一級品のオーディエンス。特に前の方に座っていた数人の女の子たちに、熱い眼差しで見つめられたのは、まったくの想定外。歌い終わってから「あなたの声は天使のようだ」って真顔で言われてしまいました。どっひぇ〜。

ということで、なかなか楽しく過ごすことができた約2時間。ちなみにバンビ先生は、こういう催し物には慣れきっているようで、ゲームやプレゼント交換など見事な司会ぶり。呼んでいただいて、ありがとうございました。



2022年12月27日火曜日

長雨と豪雪のクリスマス

 一時帰国からフィリピンに戻って、なんとなくバタバタしてる間にクリスマスが終わってしまいました。バタバタと言っても、クリスマスパーティが3回あって、ご馳走の残り物をたくさんもらったので、料理はほとんどしてないし、掃除はメイドさん任せ。日本の師走の風景に比べれば、かなりの余裕をカマしております。

パーティに関してはちょっと例年と違ったことがあって、詳しくは次回の投稿で書くとして、問題はクリスマス前後のお天気。

フィリピンでの12月は、通常、乾季の始まりとされていて、雨は降らないけどそれほど暑くもなく、一年で最も過ごしやすい時期...のはずが、なぜか今年は、私が日本から帰宅した翌日だけは晴れて、それから今日までの約二週間というもの、ず〜っとぐずついた空模様。

およそ乾季のフィリピンらしくない、灰色の雲が低く垂れ込め、時折の土砂降り。朝は一瞬だけ陽が差しても、1時間も持たない毎日。さすがの熱帯地方でも、ここまで日照時間が短いと気温は25℃前後止まり。フィリピン人ならぬ私には、「寒い」という表現は当たらないものの、短パンTシャツでは涼し過ぎ。就寝時には長袖・長裾のジャージ姿で、シーツにくるまらないと風邪を引きそうな勢い。

そう言えば昨年の12月には、レイテ、セブ、ボホール、そしてここネグロスを含むビサヤ諸島を、スーパー台風「オデット」が直撃しました。あれからもう1年経ったの?というぐらい、記憶も生々しいのに、今回の長雨で、またもやビザヤ東部とミンダナオで洪水。クリスマスに自宅が流されて何もかも失うという、慰めの言葉もかけられないような被害が出ているそうです。

スーパーコンピューターを駆使した超緻密な天気予報のある日本と違って、テレビのニュースで見るフィリピンの天気予報は、昔ながらの大雑把さ。気圧配置や前線の動き、予測される雨雲の位置を動画で見せるような工夫がイマイチなので、避難するほどの深刻さなのかどうか、あるいはどのタイミングでどこに逃げるかなんて、テレビを見てるだけでは、さっぱり分からない。

そして、フィリピンの異常気象的な豪雨とシンクロするように、同じ時期に日本では近年稀に見る豪雪に見舞われています。日本の気象情報の詳細なんて滅多に報じないテレビのCNNが、日本の大雪の映像を流すぐらい。これはよほどの被害らしい。

しかも極寒の中、北海道などで大停電。気候の良い時期なら「まるでネグロス島やんか」と笑いのネタにするところですが、これはちょっと洒落になりません。冬場、本当に寒い地方では、暖房を電気に頼らないので、生き死に関わるようなことはないかも知れませんが、さぞや心細く不便なことでしょう。

台風が接近する時によく見る「地球の風」というサイトがあって、大陸から日本上空を経た風が、巡り巡ってフィリピンにまで到達する様が分かる。こういうのを見てると、フィリピンの雨と日本の雪は、なんらかの関係がありそうですねぇ。




2022年12月22日木曜日

日本の老害にキレる

 私がフィリピン・ネグロス島に移住した頃からなので、ざっと10年前辺りから頻繁にネット上で見るようになった「老害」なる言葉。言葉自体はもっと前からあって、主に勤め先の会社で聞きました。しょっちゅう、ではないけれど、例えばどこかの部署の定年間近のトップが、必要以上に部下に威圧的だったり、意味なく形式的で物事が決まらない...なんて時に「あの部長は老害やからな」と使ってました。

ところが最近の老害は、どこかの組織内の話ではなく、普通にコンビニとか公共交通機関などで見かける老人を指すことが多いらしい。言うまでもなく、レジで店員さんを怒鳴りつけたり、駅員さんに絡んだりという輩。わざわざ老害というぐらいだから、実際の年齢よりも見た目重視。白髪だったりシワが多かったりの、パっと見が高齢者ってことなんでしょうね。

私が子供の頃は、年老いてくると性格が丸くなって穏やかになるってのが定説だったのが、この頃の老人は、脳の老化で堪え性がなくなると言われてます。この10年ほどで、日本人の老いのしくみが急に変わったとも思えないので、単に元気なジジババが増えたと推測。

今回の二週間の一時帰国で、ひょっとしてそういう難儀な爺さんに出くわすかもと、コンビニを利用する度に身構えてたところ、コンビニではなく地下鉄で遭遇しちゃったんですよ。


出典:株式会社HCI

久しぶりに乗った大阪メトロ御堂筋線。首都圏に比べると、それほどの混み具合ではない関西の地下鉄の中では、ダントツに乗客の多い御堂筋線。ベッドタウンの千里中央を起点に、新幹線の停車駅、新大阪を経て、梅田と難波という二大都心、天王寺から南は堺までを結ぶ大動脈。

その日も、ラッシュ時でもないのに、そこそこの混み具合。旅行カバンを持った外国人観光客の目立つ車内でした。ただ私は乗降客の多い梅田からの利用で、タイミング良く座ることができた...と思ったら、向かいに座ってた、白髪面長できちんとスーツを着た爺さんが、斜め前、つまり私の隣にいた人にブチギレの真っ最中。

怒鳴られているのは、まだ若い、ひょっとして学生さん?という感じのにいちゃんで、どうやら中国人か韓国人か、日本語がよく分からない人のよう。爺さんの言いたいのは、車内に持ち込んだ大きなスーツケース二つが邪魔で、他の人が座れないから、頭上の棚に上げろってことらしい。

でもなぁ、どう見ても棚に上げられるようなサイズでも重さでもない。そもそも混んでると言っても通勤時のギュウ詰めに比べると、かなり余裕の車内。そんなにギャーギャー言うほどじゃないでしょうに。当のにいちゃん、可哀想にどうしようもなくてオロオロするばかり。いくらなんでも、これは理不尽というもの。

そこで私は、義憤に駆られたわけではなく、単にあまりにも目の前の怒鳴り声が耳障りなので「やかましいわ、オっさん!」とブチギレ返しをしてしまいました。こじれるようだったら次の駅で降りて、駅員さんか警官を呼ぼうと覚悟して計画的にキレたんですが、運良く二言三言の応酬で爺さんが沈黙。もちろん納得したわけではなく、私が降りるまでずっとこっちを睨んでましたけど。

よく考えたら、同じことを私がしても、年齢的には立派な老害が成り立ちそうです。おそらく私とその爺さんの年齢差は、せいぜい10年ちょっとぐらいでしょう。この「事件」以降、電車や人混みなどで、周囲の人を観察するようになったんですが、気のせいか不機嫌な顔した高齢者が多く感じました。

こうなると、どうしても普段暮らしているネグロス島の高齢者と比べてしまうのは、自然な流れ。そりゃフィリピンにだって、見るからに不機嫌そうな爺さんはいますよ。ただ、これは高齢者に限ったことではないけれど、道行く人やショッピングモールのお客さんって、もっと穏やかな表情なんですよね。

まぁ、ネグロスが田舎だってのもあるかも知れませんが、やっぱり日本って、老人が心の平安を保つのが難しい国になったようです。



2022年12月21日水曜日

喋り倒した二週間

 早いもので、二週間に渡る日本への一時帰国から、フィリピンに戻って一週間。最大気温差が30℃という、還暦オヤジには少々キツい環境にもようやく慣れてました。10年前の移住以来、何度かの一時帰国はすべて初夏に設定。師走なんて初めてだったので、実質上日本の冬は10年振り。

もちろん、生まれてから50歳を過ぎるまで日本で暮らしていたので、別段驚くような寒さでもありません。しかも本格的な冬到来の1月とか2月でもなく、完全に想定内のはず。ところが意外なところで辛い。というのが、洗面所や浴室。

うがいの水が、こんなに冷たかったかというほど歯にしみるし、風呂上がりに身体を拭く時が寒くて仕方がない。老人が冬の風呂場で急死するというのも、なんとなく想像ができてしまいました。


実家屋上から撮影した早朝の空。気温3℃

ネグロス島自宅からの空。気温32℃

さらに侮り難いのが乾燥した空気。スマホのお天気アプリで比べたら、ネグロス島では湿度は90%超えてて、我が故郷の尼崎では65%ぐらい。今まで湿度なんて意識したことがなかったんですが、この差ってすごいんですね。もう手がエラいことになってしまった。

爪と皮膚の境目が、あちこちでパックリ傷が開いて痛いし、手の甲は粉を吹いたようになって、痒くて仕方がない。

そんな寒さをモノともせず、毎日よく喋った二週間。今回は急遽決まった帰国ということもあって、同窓会的な集まりはほとんど予定しなかったんですが、なぜかイレギュラーな場所でも延々とお喋り。

まずは叔父に、てっちりを奢ってもらった後、叔父の家に行って叔母さんと従妹に会うことになりました。このメンバーが、私を含めて「喋り」ばかりなので、これが当然の如く大阪弁のマシンガントーク応酬。話題はやっぱりコロナ禍をどう過ごしたか。普通に話せば暗くなりそうな内容でも、この親戚たちにかかると漫才になってしまうのが、関西人の不思議なところ。

そして前回も触れた、飲めない男が10年振りにお邪魔したスナック。目的はカラオケだったけど、それ以外の時間に、私が黙っているわけがありません。ある意味、お喋りが仕事の一部のようなママが相手をしてくれたので、実に気持ち良くお喋りさせていただきました。

そんな顔見知りだけでなく、たまたま買い物で立ち寄った心斎橋のアップル・ストア。商品の説明してくれた、流暢な日本語を操る韓国出身の若いスタッフ。私が1980年代からのアップル・コンピューターのヘビーユーザーだと言うと、興味津々で話に乗ってきました。気がつくともう一人の女性スタッフも加わって、30分ぐらい延々とアップル製品の昔話。

そう言えば、比較的最近できた、実家近くのショッピングモールの西宮ガーデンズで、マッサージをしてもらった時も、担当のお姉さんとずいぶん喋ったなぁ。後で壁みたら「コロナのため会話は最小限にさせていただきます」って張り紙してあったけど。

さらに最終日のダメ押しが、小学生からの友人がオーナー兼板前を務める寿司屋さん。「お前が言うな」となりそうですが、彼は私に輪をかけた喋りで、しかもなかなかの話術。平日の夜とは言え、持ち帰りのお客さんが一人来たきりで、夕方から深夜の閉店までほぼ貸切状態。それをいいことに、二人で4時間喋りっぱなし。この友人の驚くべき記憶力と、町内会長をやるほどの顔の広さで、ざっと半世紀に渡る共通の友人・知人の消息を知ることができました。

ということで、何年分かの日本語会話不足を一挙に解消したような気分で、無事フィリピン・ネグロス島の家に帰宅。話し相手になっていただいた方々に感謝です。



2022年12月14日水曜日

歌い倒した二週間

 二週間の日本滞在も実質的に本日が最終日。明日朝のフライトでフィリピンに帰ります。

日本生まれなので「フィリピンに帰る」というのは、変と言えば変なのですが、移住してもう10年。やっぱり私にとってのホームは、フィリピン・ネグロス島。特に寒い時期だったので、常夏の湿気いっぱいで生暖かい気候が、恋しくて仕方ありません。

さて今回の一時帰国。前回、前々回と、学生時代の友達や親戚との再会予定を入れまくって、連日慌ただしく過ごしたのとは違い、比較的余裕を持ったスケジュール。あんまり人と会うつもりはなかったはずが、終わってみれば歌って喋った二週間となりました。

まずは、帰国二日目で参加したゴスペルの1日ワークショップという催事。大学の同級生で、大阪市内の某プロテスタント教会に属している人が、たまたまフェイスブックでシェアしていたお知らせを目にして参加することに。

私も以前は教会の聖歌隊にいましたが、カトリックの聖歌というのは、映画「天使にラブソング」で知られるようになった、踊り歌うゴスペルとは全然方向が違います。日頃は陽気なフィリピンでさえ、ミサ曲はどちらかと言うと、ゆっくり静かに歌い上げるものがほとんど。

聖体拝領(信徒が一人づつ、ちっこい煎餅みたいのを頂くやつ)の時に、フォークっぽいのを歌ったりすることはありますが、そもそも典礼聖歌って、どの部分で何歌うか決まってますからね。なので、私にはまったく未知の領域であるゴスペル。興味津々で出かけました。

集合場所は、大阪市内の住宅地にある小さなチャペル。その2階がミサというか礼拝ができるホールになっていて、信徒さんでありプロのシンガーである女性が指導。予想よりも集まった人は多くて、30人ほどもいらっしゃったでしょうか。

ちなみに指導されたのは、大山奈緒さんという方で、思いっきり大阪のおもろいお姉さん。YouTubeでもピアノ弾き語りで美声を披露されていますので、ご興味のある方はお聴きください。(Nao Oyama - YouTube) 

曲目は、お馴染みのクリスマス曲「もろびとこぞりて」と、「This little light of mine」という、昔の高校生がギターでキャンプファイヤーに歌いそうな曲。1時間半だけだったので、軽い発声練習と数回ざっと歌っただけながら、日頃孤独にボイスとレーニングに励む者としては、10年ぶりのハモリ。懐かしく楽しい時間を過ごすことができました。

しかも、練習後は近所の駅前交差点に出て、フラッシュモブを初体験。ミュージカル映画みたいに、突然一人が歌い出して、通行人のふりしたみんなが、少しづつ集まって歌い、最後はきれいにハモったコーラスになるというアレ。12月4日の黄昏時、大阪環状線の野田駅付近でこれを目撃された方、あの中に私がいました。

そしてさらに翌週。

実は日本にいる間もだいたい毎日、自宅近くのジャンカラに通って、約1時間のボイストレーニングをやってて、面白半分にジャンカラの店の写真をフェイスブックにアップしたら、スナックのママをやってる友達が、歌うならウチの店においでよと、実に真っ当なご提案。

この友達、10年以上前のまだ日本に住んでた頃、ミクシィを通じて知り合いました。お酒は全然ダメな私ですが、移住直前に一度だけ遊びに行ったことがあります。その後もフェイスブックで付き合いは続き、折角のお誘いなので10年ぶりにスナックへ。

平日ど真ん中だったので、それほどお客さんがいなかったのを幸いに、薄ぅ〜いウイスキーの水割り一杯で、ひたすらマイクも持たずに歌い倒した2時間。ビートルズ、クィーンから始まって、日本の歌謡曲にタガログ・ソングなどなど。とっても気持ちよく歌わせていただきました。他のお客さん「今日はケッタイな奴が来とるなぁ」と思われたでしょうね。

ということで、乾燥した空気にも慣れて、ようやく声の調子がエエ感じになったと思ったら、もう明日で故郷にさよなら。でも週明けには、イロンゴ語(西ネグロスの方言)の家庭教師バンビの紹介で、彼女の教え子たちのために、クリスマスパーティで歌うことが決まってるんですよ。



2022年12月12日月曜日

B級グルメ三昧の一時帰国

 11月末以来、ほぼ二週間ぶりの更新は、兵庫県尼崎市の実家からです。

前回から3年半。コロナ禍のためにフィリピンから出ることも日本に入ることもできず、ようやく2022年も師走に入っての帰国。まぁ、コロナがなくても3年ぐらいは間隔を空けているので、それほど望郷の念にかられたわけでもないけれど、やっぱりいつ戻れるか分からないというのは、かなりのストレスでした。

こんなに寒い時期にわざわざ帰国した理由は、また後日書くとして、今日は久しぶりに日本の食べ物を満喫しているというお話。

満喫していると言っても、お高いレストランや料亭を回っているわけではありません。そもそもそんなお金もないし、微妙な味や香りの違いが分かるような食通でもない。早い話がB級グルメ。

今回は格安航空券で関西空港到着が深夜。空港内の、これまた格安のカプセルホテルで一泊。夕食は機内食で済ませたので、最初の食事は空港内の「なか卯」で朝ごはんとなりました。もういきなりの庶民の味。でもこういう何気ないレストランが、フィリピン在住者にはどれだけありがたいか。うれしいことに朝食のセットでうどんと明太子ご飯があったので、迷わず注文。


その後、昼と夜はほぼ外食か持ち帰り。ざっと並べてみると、こってりラーメンの天下一品、カレーのCoCo壱、餃子の王将、和食の家族亭などなど。チェーン店以外では、実家の近所にある、じっくり煮込んだカレーに、お好み焼き、たこ焼き。昨日は、神戸水野屋という関西では有名なコロッケ専門店からお持ち帰りで、さっき新大阪の駅ビルで食べたお昼は、スパゲティ・ナポリタン。我ながら、見事なまでにお子様テースト。




ちなみに朝は、驚くことに86歳になった父親が毎日作ってくれてます。なぜならば今、母が老人ホームにいて一人暮らし。世間的には「独居老人」なんですが、まだ仕事してるし、二人の弟が定期的に様子を見てくれている。なので意外にも家事や自炊を楽しんでいる感じ。

まぁ料理と言っても、野菜はカット済みのキャベツで、ハムとソーセージは袋から出して炒めるだけ。それと目玉焼きとトーストなので、それほど手間が掛かっているわけではありません。ただ、子供のころから父が作った料理を食べた記憶がなく、還暦過ぎて初めての経験。やればできるんや。

さて、朝は別として、外食ばかりだと体重を心配されるかも知れませんが、実は毎日、かなりの運動量。というのも、買い物や旧友に会いにいったり、あるいは昔住んでいた場所を巡回などなど、歩き回ってるんですよ。

しかも今回、なぜか高校生の息子の要望が「鉄道写真」。鉄っちゃんとまではいかないけれど、小さい頃から電車大好き。残念ながらフィリピン・ネグロス島には旅客鉄道がなく、鉄成分が慢性的に不足しているようです。

言うまでもなく関西地方はJR西日本と東海の旧国鉄に加えて、大手だけでも阪急、阪神、近鉄、南海を擁する私鉄王国。首都圏には及ばないものの、鉄道写真の撮影場所には迷うほどあります。





こんな具合に、足の指先に血豆ができるほど歩くのと、10年ぶりにさらされた寒さでカロリー消費が激増。それでなくても何食べても美味しい日本食に空腹が加わって、だいたい1日4食の日々。こんなの学生の時以来かも。

もちろんファーストフードの類ばかりでもなく、父と弟家族を伴って、中学時代の友人が経営する地元の寿司屋さんで腹一杯お寿司を食べたり、80歳の叔父(こちらもまだ働いてます)に、てっちりをご馳走になったり。数日前には、今ワールドカップで有名になった堂安選手ご贔屓の、阪神尼崎にあるてっちゃん鍋の店にもお邪魔しました。




ということで、帰国前はそれほど日本食に執着してない、みたいなエエ格好してたのが、すっかり手のひら返し。連日のB級グルメ三昧(たまにA級)となっております。