2024年11月28日木曜日

マルコス対サラ 危ないフィリピン政局


出典:One Network

 いやぁ驚きました。現職の副大統領が「もし私が殺されたら、大統領とその夫人を暗殺するよう、殺し屋に依頼した」と発言したんですよ。さすがにこの破天荒なニュースは、フィリピン国内だけでなく、NHKを始め日本でもかなり大きく報道されたので、フィリピン在住じゃなくても、ご存知の方は多いはず。当然のように、当のサラ・ドゥテルテ副大統領に対して大統領のBBMことボンボン・マルコスは猛烈に反発。刑事告発に向けて捜査が開始されました。

周知の通り、BBMは、かの悪名高いフェルディナンド・マルコス元大統領の息子。1965年から約20年に渡り大統領の座にいて、途中から戒厳令による圧政で国家を私物化。かつては東南アジアの優等生と呼ばれたフィリピン経済を「東南アジアの病人」と揶揄されるまで落ちぶれさせ、多くの国民を投獄・密殺しました。

極め付けは、反マルコスの急先鋒で一時アメリカに追放されていたベニグノ・アキノ上院議員を、帰国直後に空港で殺害。この事件については、マルコスが直接指示を下したかどうかは、今に至るまではっきりしていませんが、国民はマルコスが殺したと信じても無理がない状況。結局アキノ暗殺が直接の引き金になり、1986年、マルコスとその家族はアメリカへ亡命し、政権は崩壊しました。これが世に言うエドゥサ革命です。

その息子がなぜ大統領になり、マルコス一族が復権したかは、何度もこのブログに書きましたので割愛します。

さてその副大統領として、現政権を支えてきたはずのサラ。こちらも大統領の2世で、前大統領のロドリゴ・ドゥテルテの娘。父の前職であるダバオ市長を引き継ぎ、父同様の政治手腕を発揮。彼女の場合、殺されたアキノ氏に代わって大統領になった未亡人のコラソン・アキノ氏が、まったく政治経験がなく目立った成果を出せなかったのに比べ、少なくともリーダーとしての素養は証明済み。

ちなみにサラさんは、一時教育省長官を兼務。教育省(DepED)勤務の家内のビッグ・ボスだったんですよね。家内が言うには、短い在任期間ながら的確な政策を実行し、地方にも頻繁に顔を出し、職員には人気だったそうです。

次期大統領の呼び声も高いサラ氏ですが、ここ最近はBBMとの関係が悪化。報道によると、父ロドリゴの大統領時代の「麻薬戦争」政策での超法規的殺人の責任追及で、BBMが国際刑事裁判所へ協力する姿勢が原因とのこと。これに関してはサラじゃなくても「お前が言うな」とツっこみたくなりますけどね。

まぁ、正副大統領の不仲は、ロドリゴ・ドゥテルテとレニー・ロブレドの時も起こったことなので、珍しくはなかったものの、殺害予告まで出てくると冗談では済みません。しかも今回は、両方とも父が、そこに至るまでの経緯は別として、「人殺し」を命じた張本人。もっと言うと、合法・違法を問わず銃器が流通し、堅気の市民でも数万円から数十万円程度で、殺し屋が雇えるお国柄。サラ氏の発言がどれだけ物騒なのかは、日本人の私にも想像はつきます。

なので、サラ氏が自分の言葉の重大さに気づかず、うっかり口が滑ったとも思えないので、刑事事件になることは十分予測していたはず。おそらく自分に注目を集めた上で、公の場で何らかの暴露なり、BBMとの対決を図るんじゃないでしょうか?

ということで、年末になろうかというこの時期、日本、アメリカで政治の世界が大騒ぎなのに加えて、ダントツにきな臭い局面に突入したフィリピンの政治から、しばらく目が離せません。


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