2016年8月30日火曜日

ラッキー・メイド

このブログを続けて読んでいただいている方には、もう耳タコでしょうけど、改めて書きます。我が家のメイド、ネルジー嬢は、料理が苦手です。しかも、かなりの偏食家で、フィリピン人には珍しく、お肉が食べられません。(野菜はダメでお米と肉だけ、という人は多いですが)

しかし、それ以外の働きぶりについては、歴代のメイドさんの中では、一番。男並みの腕力で、5ガロン入りの水タンクを二つ、合計40キロ超を軽々と運ぶ怪力。いつも家中ピカピカに掃き清めずにはいられない、日本人でも珍しいほどの几帳面さ。炎天下でも小雨の中でも、庭の手入れを続ける粘り強さ。ほんとに助かってます。

食事の用意も、何もしない訳ではなく、私の指示にとても忠実に、下ごしらえの手伝いや、鍋番はきっちりこなすし、包丁だって器用に使います。することがなくなると、調理に使った食器や道具を、片っ端から洗ってくれるので、食事が出来た時には、台所が片付いている。もちろん後片付けは、完全お任せ。

その他には、洗濯の一切と、買い物、子供のお迎えなどなど...正直、これで月3000ペソ(約7000円)では、申し訳ないほど。もちろん相場というものがあって、決して安く叩いている訳ではありません。


鶏の餌やりもネルジーの日課

こういう感じなので、雇い主の私が作った料理を、毎日家族と一緒に食べてさせるのは、何の違和感もなし。時には、肉類を食べられないネルジーのために、少しだけ手間をかけて、一品追加で作るのも、全然苦にはならない。

ところが、先日、隣街に住む友人家族、日本人の旦那さんとフィリピン人の奥さん、そして二人のハーフのお子さんを自宅にお招きした時のこと。メインには、ポークカレーを用意して、煮込んでいる間に、ネルジー・スペシャルと称して、肉なし炒飯を作り始めると、奥さんが「信じられない」という顔をしました。

雇い主が、メイドのために食事を作るなんて、普通のフィリピン家庭では、ありえないことなんだそうです。ふ〜ん、そういうものなのか? でも、たとえ料理ができるメイドさんでも、日本食作れる人は、滅多にいないでしょう。本人の分だけ自分で作らせるのも、食材も余分に必要だし、調理のためのガスや水も無駄が多い。私としては、合理的な判断のつもりなんですけどねぇ。

いずれにしても、食事に関してだけ言えば、我が家のネルジーは、かなりラッキーなメイドさんなのかも知れません。


ネルジー用の野菜カレーと卵カツ
カレーは好きなようで、この日も完食


2016年8月28日日曜日

洪水間一髪 州都バコロド


只今フィリピンは、雨季のど真ん中。つい二週間前に、首都マニラの洪水被害の投稿をしたばかりだというのに、土曜日の昨日は、我が西ネグロスの州都バコロドがエラいこと。

例によって、毎日必ず土砂降りが来て、数時間は激しく降り続く日々。昨日は朝から定期便が。そんな雨の中、久しぶりにバコロド滞在の日本人の友達とテニスをしようと、行ってきました、センターコート・テニスクラブ。ここは自宅のあるシライから、車で約30分の距離にある、バコロド市内のインドアコート。インドアといっても、安っぽいプラスティックの波板の屋根で、それも相当古びていて、土のコートのあちらこちらへ雨漏りしてました。

昼前まで三時間ほど、他のお客さんやコートに雇われているヒッティング・パートナーにも入ってもらってダブルス・ゲーム。その間中、外は激しい豪雨。怒鳴らないと、フォールトのコールも聴こえないほどの雨音。

その後、近くのショッピングモール内のレストランで食事をして、帰路についたのが、かれこれ午後二時過ぎだったでしょうか? その頃には、モール前の大通り「ラクソン・ストリート」は、一部大きな水溜まりが出来ていて、道行く車列は、ノロノロ運転状態。かなりの渋滞が始まっていて、モールの駐車場から出るだけで、20分ほどもかかってしまいました。

ちょっとヤバイかな?と感じましたが、モールを出ると意外とすんなり。渋滞がひどいのは、市の中心部に向かう車線だけ。シライに向かう市外方面は、いつもとあまり変わらない交通量。ただ、雨脚は激しくなる一方で、怖くて60キロも出せない状況でした。

何とか自宅に戻ると、シライ市内の雨はそれほどでもありません。これこそ超局地的に滝のように降る、元祖ゲリラ豪雨。やれやれとばかりに、着替えて少し昼寝をしました。さて、夕方に目が覚めて、フェイスブックで家内のバコロド在住の友達が投稿した写真を見て、びっくり仰天。


ほんの数時間前まで私がいたラクソン・ストリートが、まるで川のように茶色い水に覆われいます。家内によると、その近くの病院で、デング熱で入院している姪のジャスミンの、付き添いをしていた義弟(ジャスミンのパパ)が、帰れなくなって病院に泊まるとのこと。

うわぁ、これは間一髪でした。バコロドは、以前より少し強い雨が降ると、簡単に道路が冠水してしまうとは聞いていましたが、本当にこんなに短時間で洪水になってしまうんですね。おそらく、下水道の設備が貧弱なんでしょう。まったく、フィリピンの雨季、侮るべからずです。


2016年8月26日金曜日

姪っ子ジャスミン受難 デング熱続報


二週間ほど前、私の住む西ネグロス州でデング熱が流行しているという話を投稿しました。その後もデングの猛威は衰える気配を見せず、ついに身内に感染者が。

私の姪っ子で、息子の従姉のジャスミン。11歳の小学校の5年生。私たち家族と同じシライ市内の、家内の実家に住む女の子。この子が今週の月曜日から発熱して、しばらく学校を休んでました。一旦熱が下がったのに、昨日からまた熱が上がり、病院で検査を受けたところ、デング熱との診断。

幸い症状は軽いようなのですが、血液中の血小板数が減っているとのことで、緊急入院となってしまいました。血小板減少はデング熱の特徴。健康な人の場合、血液1立方ミリ中の血小板数は、15万〜40万個。フィリピンの基準では、12万以下になると医師から入院の指示が出るそうです。ジャスミンの場合、検査結果は11万5千でした。

入院先は、州都バコロドにある私立の総合病院。今日は仕事を休めないジャスミンのママ(私の義妹)の代わりに、朝から夕方まで家内が付き添いに行ってきました。もう熱も下がり、点滴しながら血小板の回復を待っている状況で、ちょっと安心。

さて、気になるフィリピンでの入院費用。ジャスミンがいる病院は、西ネグロスでもトップクラスで、入院費用は個室で1日1500ペソ(約4000円弱)。これに治療費や薬代がプラスになるので、義妹家族の収入からすると決して楽な出費ではありません。ただ、義弟は任意の健康保険に入っているので、支払いは半額以下になります。

しかし保険があっても、入院に際しては、最初に現金で5000ペソ(約1万2千円)のデポジット支払いが必要。シライ市内の半分以上の世帯が、月収5000ペソに届かないので、多くの人たちにとっては、入院自体が無理ということになります。お金がないと、シライ市内の公立病院しか選択肢はありません。ところが家内によると、この病院は医療レベルがかなり見劣りして、院内感染のリスクもあるらしい。

こういう話を聞くと、ジャスミンはかなり恵まれた環境にいるんですね。おそらくデング熱の感染者数や死者も、実際は公式発表よりも、遥かに深刻な数字になっている可能性は高い。病院にも行けず、診断すら下されない患者さんは、いくらでもいることでしょう。


【追記】発症後ちょうど一週間で、入院四日目の今日、ジャスミンは無事退院しました。



2016年8月25日木曜日

尼崎発フィリピン往き

このブログの自己紹介にも記したように、私は兵庫県の尼崎という街の生まれ。たいていの人がそうであるように、私も生まれ故郷が大好きです。

なんで、いきなりこんな書き出しから始めたかというと、ここ最近立て続けに、尼崎で生まれたり、住んでいたりする人と、フィリピンを通じて知り合ったからです。私と同じようにフィリピン女性と結婚した人や、尼崎に住みながら、同じネグロス島にご家族で長期滞在している人など、フィリピンとの関わり方はさまざま。

それでも、同じ場所に居たというだけで、まったく未知の人と永年の友達だったような感覚になります。特に、日本から遠く離れて暮らしていると、余計に。

尼崎は、大阪市と神戸市の間に位置する中核都市。市内には阪急・JR・阪神の3本の鉄道が走り、住むにはとても便利で、人口は45万人。そんなに大勢人が住んでいるんだから、中には、フィリピン人と結婚したり、フィリピンに滞在する人もいるでしょう。そう言ってしまうと身も蓋もありませんけど。

かつて私が子供の頃は人口55万を数え、臨海部に工場が林立し、幹線道路を大型トラックが走り回って、大気汚染が深刻な状態でした。市内を流れる庄下川は、工場の汚水や生活排水で悪臭を放ち、一時は、尼崎といえば公害の街というイメージが定着してしまった。

ところが今では、すっかり空気もきれいになり、あの庄下川には小魚が戻ってきたと言います。その代り...でもないのですが、2005年のJR西日本・福知山線の脱線事故やら、2012年の尼崎連続変死事件やらで、イメージそのものは、今でもあまり良くないかも知れませんね。

イメージがいいことだと、テニスのクルム伊達公子さんの母校、園田学園は、私の実家のすぐ近くです。その他に尼崎所縁の有名人では、つい先日亡くなった、人間国宝の桂米朝師匠は、ご子息の米團治さんと共に尼崎にお住まいでした。また、ダウンタウンの松本さんと浜田さんが尼崎生まれ。このお二人、私と1年違いの同年代。

この尼崎を、今の家内との結婚を機に離れて、もう20年が経とうとしています。これだけ時間と距離を置くと、生まれ故郷を、ずいぶん客観的に眺められるようになりました。いろんな経緯があって、今はフィリピン暮らし。もちろんそれは気に入っているのですが、もし事情が許せば、もう一度尼崎で、家族一緒に住んでもよかったかな、とも思える最近です。


2016年8月23日火曜日

出張マッサージ

私がフィリピンに移住する直前の4年前頃、日本でもマッサージが急に流行りだした印象が残っています。それほど広くもない、テナントビルの一角のような場所が多かった。最近一時帰国した時も、東京でも関西でも相変わらずの繁盛ぶり。

フィリピンでは、日本でのブームが始まるずっと前から、マッサージは一般的。ただ、ストレスやら肩凝りやらを溜め込んだ、会社勤めの人たちが仕事の後にリラックス、という需要とはかなり違って、どちらかと言うと有閑マダムの憩いの場のようです。

ここ田舎町のシライに、全国展開のチェーン店「グランド・ロイヤル・スパ」の支店がオープンしたのが、3年前。昨年あたりから私も通うようになりました。だいたい週一回の頻度で、1時間のボディ・マッサージを頼んでます。料金が300ペソ(約700円)で、平日の昼間だと割引があって255ペソ(約600円)。これはお得。

オイルを使った施術が人気で、全身以外には、足・顔があります。その他だとオイルなしの指圧(Shiatsu と日本語名称そのまま)や、タイ式、ストーン・マッサージなど。従業員は、ほとんが若い女性ですが「不健全なサービス」は一切ありませんよ(!)。わざわざ張り紙して「特別サービス禁止」を徹底。お客さんのほとんどが女性なので、変な噂でも立ったりしたら、アッという間に商売できなくなるんでしょう。

マニラなどの風俗系のものは「マッサージ・パーラー」で、普通のマッサージは「スパ」。マッサージャーはセラピストと呼ばれています。くれぐれもお間違えなきよう。

さて、すっかり週一の習慣になったスパ通いですが、最近は出張サービスがお気に入り。これは家内の従弟夫婦が新しく始めたビジネス。2〜3名のセラピストを雇い、自家用車で顧客の家を訪問営業するというもの。わざわざ隣街のバコロドから来てもらうので、最低でも2セットの利用が必須なのですが、私だけでなく家内も施術してもらって、重宝してます。


二階の風通しのいい部屋でサッマージ

フィリピンでは、マッサージだけでなく、ネイルサロンや美容院の出張サービスも多い。大抵は普段店舗勤務で、休みの日だけ自営のフリーというパターン。店に行くより、少し安くしてくれるそうです。同じことを日本でやって店に知れたら、即解雇になりそうですね。

それにしても、家事はメイドに任せ、マッサージにマニュキュア、ヘアケアまで、全部自宅で出張サービス。もう少し余裕があれば、運転手雇ってる奥さんも多い。日本企業の現地駐在員の奥さんが、あまりの居心地の良さに、旦那さんが帰任する時に大揉めになったというのも、分かる気がします。中には地元のお金持ちの男性とくっついてしまい、離婚してそのまま永住というツワモノもいたんだとか...。


2016年8月19日金曜日

私的名曲選4 ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」

1970年代後半から80年代の日本。私が高校生だった頃、流行りましたね〜、ゴダイゴ。ヒット曲は数多いけれど、やはり一番有名なのは、テレビドラマ「西遊記」のテーマ曲の「モッキー・マジック」と「ガンダーラ」。日本人が歌った日本向けの曲なのに、歌詞が英語、しかも流暢な英語で、それが大ヒットしたなんて、それ以前にはあまり記憶がありません。ガンダーラはサビだけが英語でしたが、アルバムでは英語版を収録。

それ以外にも、ミラージュやスプリンターなどの車や、「赤いシャポーの味の素」「森永チョコレート」のCMソング。この頃に青春を過ごした世代ならば、絶対に耳にしてると思います。

私の大好きなアニメ、映画版「銀河鉄道999」のテーマもゴダイゴでした。売れっ子のシンガーがアニメの曲を歌ったのは、多分ゴダイゴが草分けだったように思います。最近でこそ当たり前になりましたが、その前に記憶にあるのは、水原弘さんが歌った「忍風カムイ外伝」のエンディング・テーマぐらいでしょうか。

そんなゴダイゴの人気絶頂期にリリースされたのが「ビューティフル・ネーム」。1979年は「国際児童年」で、この曲はその協賛歌。「みんなのうた」でも使用。そう言えば、当時はNHKでやたら流れてました。

その後、全編英語のゴダイゴによるセルフカバーを始め、国内外のいろんなアーティストにカバーされたビューティフル・ネーム。1991年に Apo Hiking Society というフィリピンのボーカル・グループが「Bawa't Bata 」(子供たち一人づつ)というタイトルで、タガログ語版をリリース。このグループと同じ、アメリカ資本のMCAレコード所属だったゴダイゴのプロデューサーによって、カバーが実現したそうです。だからバックの音源は、オリジナルと同じなんですね。


これが今やフィリピンでは、小学校で教材に使われるほど、超スタンダード・ナンバー。メイドのネルジーも知ってるぐらい。家内など、元が日本の曲だと言っても頑として信じない。それほど、フィリピン人の愛唱歌になってます。

タガログ語の歌詞は、こんな感じです。全体のイメージは日本語の歌詞に近いですが、神さまが出てくるのは、さすがカトリック大国のフィリピン。例によって超意訳ですので、悪しからず。


子供たち一人づつ

世界中の子供たち
一人づつに名前があって、いい子たち
僕らは誰でも歳を取るけど
みんな子供のままなのさ

子供たち、
陽の光の中で遊べ
雨の中を歩め
お金があってもなくても
肌の色が白くても黒くても
そんなことは関係ない
世界は若い君たちのもの

世界中の誰だって
神さまは大好きさ
世界中の子供たち
一人づつに名前があって、いい子たち

子供たちを慈しんで
それは神さまのルール


私的名曲選のバックナンバーは、こちら
五番街のマリーへ
シクラメンのかほり
Habang May Buhay


2016年8月18日木曜日

ここまで来たかグーグル・ビュー

世界中で活用されているグーグル・マップ。ウィッキペディアによると、2005年にβ版としてサービスが始まり、日本で使えるようになったのが2008年。まだ10年余りしか経ってなかったんですね。

グーグル・マップ普及のはるか以前から、私は地図大好き少年。本屋に行ってまずチュックしたのが地図。日本では、どんな小さな本屋さんでも地図は売ってます。世界地図から、日本の詳細図、道路地図に都道府県、市町村の詳細図。小学生の頃から地球儀と世界地図を眺めるのが大好きで、叔父に買ってもらった帝国書院の「最新基本地図 世界・日本」など、舐めるようにして毎日閲覧。もう宝物状態でした。

この最新基本地図は、毎年改訂版が出版されているらしく、2016年でもう40訂版。小学生の頃に持っていたのが、おそらく最初の頃のものだったと思います。もうそれは手元にはありませんが、フィリピンへは、1996年版を持ってきました。

この地図の優れたところは、その時の最新地図が掲載されているだけではなく、各地域ごとに地図を通じた歴史が学べる点。例えば、中国の歴代王朝の最盛期の版図や、ローマ帝国から、中世、近世、第一次大戦・第二次大戦前後の各時代のヨーロッパの地図など、文章で読むより、ずっと感覚的に理解できました。

そんな地図好きの私にとって、フィリピンの地図事情は、実に寂しい限り。一枚物のフィリピン全図ぐらいは、簡単に見つかりますが、ネグロス島やシライ市の詳細図など、どこを探しても見当たりません。せいぜいマニラやセブなど、有名な都市の観光地図ぐらい。

そもそも、フィリピン人は、車を運転するにも、どこかを旅行するにも、地図を見るということをあまりしない国民のようです。最近でこそカーナビ搭載の車をたまに見かけますが、それもまだまだ珍しい。

なので、グーグル・マップは、実に重宝してます。しかし移住当初の2013年には、シライ付近の航空写真は、日本国内と比べると解像度がずいぶん低かったし、肝心なところに雲がかかった写真を使ってたり、相当ひどいものでした。

ところがここ数年で、状況は劇的に改善。このド田舎のシライ市内も写真はきれいになり、レストランや店舗、公共の建物の表示も格段に増えました。(ただ、日本語対応がまだダメで、シライ Silay を「シレイ」、バランガイ Barangay をバランゲイなどと表記)

そして、つい最近気づいたのは、グーグル・ビューがシライ市内をカバーしたこと。撮影日は今年の1月になっているので、もう半年も前。へぇ〜、あの撮影車がここまで来たのか。しかも自宅が写っているので、家の前を通ったんですね。すごい。


つい先月も、早速このグーグル・ビューを使って、隣街バコロド在住で初訪問の友人宅までのルートを下調べ。画期的に分かりやすくて、かなり奥まった場所なのに、一度も迷わずたどり着けました。

携帯電話も含めて、最近のIT関連の技術革新は、多少のタイムラグはあるものの、世界中どこに住んでいても、恩恵に浴することができます。20年ほど前まで、国際電話をするのも大変だったのに、まるで夢のような時代になりましたね。