2016年7月15日金曜日

私的名曲選1 ペドロ&カプリシャス「五番街のマリーへ」



私の世代(1960年代生まれ)ならば、知らない人はいないと思う名曲「五番街のマリーへ」。1973年の発売で、今は亡き阿久悠さんによる歌詞が素晴らしい。おそらく五番街というのは、ニューヨーク五番街(5th Avenue)からの着想だろうと思います。

実際の五番街は、エンパイヤー・ステート・ビルやロックフェラー・センターなどの超有名な建築物が並ぶ華やかな通り。しかし、歌詞に「五番街は古い街で、昔からの人が、きっと住んでいると思う」とあるので、繁華なところではなく、1970年代のハーレム近辺のイメージだったんでしょう。

この曲を初めて聴いたのは、父が買ってきたペドロ&カプリシャスのレコード。33回転のEP版で、17cmのディスクに4曲収録されていました。「五番街のマリーへ」「ジョニーへの伝言」「イエスタディ・ワンス・モア」(カーペンターズのカバー)「別れの朝」。

まだ小学生だった私ですが、生意気にもこのレコードが大のお気に入り。特に最初の「五番街のマリーへ」に惚れ込んで、カセットにコピーして日に何度も聴いたものでした。

それから二十数年後、私は本物の「マリー」に出会いました。最初の結婚生活に失敗した直後で、今の家内と知り合う以前。人生の谷間のような辛い時期でした。その頃は、東南アジアを中心にした海外出張に明け暮れた日々。

出会った時のマリー、マリー・アン・サンホセは、25歳で、マニラ首都圏のマカティに住む女性。丸くて大きな黒い瞳に、「五番街で住んだ頃は、長い髪をしてた」の歌詞の通りの長い黒髪でした。もっとも、フィリピン女性のヘアスタイルと言えば、昔からロングのストレートが定番。取り立てて珍しいわけでもありません。

フィリピン美人と聞くと、スペインの血が入ったメスティーソかと思う人も多いけれど、マリーは、どちらかというと中国系の顔立ち。時々ベトナム人に間違えられることも。童顔で「愛くるしい」という形容がぴったりくるタイプでした。今だったらMNL48(フィリピン・マニラで活動予定のAKB48の姉妹グループ)のセンターを取れたかも知れません。

見かけは、ティーンエイジャーのようだったマリー。実は3歳になる娘を持つシングルマザー。父親は、やっぱり日本人だったそうです。妊娠が分かった途端、マリーの前から姿を消しました。あまりにもお決まりのパターン。

アホのように真面目だった当時の私は、本気でマリーと結婚し、その娘も自分の子供として育てようかと、どこまでも直線的に悩みました。離婚の痛手、仕事の重圧、さらに自分で背負い込んだ苦しい恋愛。最初の「抑うつ状態」に陥ったのもこの時期です。

そして結局、出会って1年半ほどで、国際電話でマリーにさよならを言う羽目に。あのまま続けてたら、私は、精神的に持たなかったでしょう。電話口で泣きじゃくるマリーの声は、今でも耳から離れません。最後まで歌詞の通り「悲しい思いをさせた」結末に。

「五番街で噂を聞いて、もしも嫁に行って、今がとても幸せなら、寄らずに欲しい」
小学生の頃には、漠然としか理解していなかったこのフレーズ。最近になって、痛いほど胸に迫ります。

「五番街は近いけれど、とても遠いところ、悪いけれどそんな思い、察して欲しい」
今住んでいるネグロス島シライからだと、マニラまでは飛行機で、ほんの1時間の距離。でも20年もの時が隔てる、遠い遠いところになってしまいました。


高層ビルが林立する現在のマニラ首都圏マカティ市
出典:PILIP TOURS


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