2017年8月30日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 タクロバンの薔薇

今週のフィリピン美女図鑑です。
今日のお題は「タクロバンの薔薇」。これだけ聞いてピンと来た方は、かなりのフィリピン通。タクロバンとは、ここネグロスの東に位置するレイテ島の中心都市。現在の人口は20万を超え、古くから漁業で栄えたそうです。

タクロバンの名前は、つい最近、2013年にフィリピン中部を襲ったスーパー台風「ヨランダ」の被害で、日本でもかなり大々的に報道されました。レイテ島以外も多くの島が被災したこの台風。とりわけこの街は、竜巻並みの強風と、津波のような高潮の直撃を受けて、市街地は、文字通り壊滅的な状況に。

そんな有難くないことで名が知れてしまったタクロバン、実はフィリピン史上最も有名な美女が育った場所でもあります。1938年(昭和13年)、父の実家があるこの地に引っ越してきた、当時8歳の少女イメルダ。後の大統領夫人となるイメルダ・マルコスです。

彼女は、以後14年間、思春期をタクロバンで過ごしました。生活はかなり厳しく、母の形見の品まで売り払ったんだとか。22歳で生まれ故郷のマニラに戻った彼女は、銀行の秘書として働き、大学で声楽を学ぶ傍ら、数々のミス・コンテストに出場。「タクロバンの薔薇」とは、コンテストでイメルダに与えられた称号の一つ。

今でこそイメルダ夫人というと、見る影もなく太り、ファーストレディになってからの悪行のせいで、強欲・傲慢のイメージが定着してしまいました。ところが20代のイメルダの写真をネットで見てびっくり。ただの美人ではなく、清楚で知的。しかも強い意志も感じさせる、実に魅力的な女性だったんですね。

この美貌で歌がプロレベルですから、マルコスをして「妻のおかげで、少なくとも100万票は上乗せできた」と言わしめたのも分かります。大統領就任演説に押しかけた群衆は、マルコスのスピーチではなく、イメルダの歌が目的だったと言われるほど。

ということで、どこまでそれが表現できたか、甚だ心もとないですが、イラストにしてみました。背景はシンプルに、薔薇と、彼女が20年間住んだマラカニアン宮殿です。


それにしても、イメルダ女史の経歴には驚きます。1986年の革命で失脚し、夫マルコスと共にアメリカに亡命後、1991年に帰国。その翌年、大統領選挙に出馬。さすがに落選したものの、2010年には下院議員に当選。すでに3選を果たし、88歳の今も現役の政治家なんですよ。すごい女性ですね。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年8月29日火曜日

ミニソー侮りがたし

私たちの住むシライ市から車で20分の距離にある、西ネグロス州の州都バコロド。ここはフィリピン中部のビサヤ地方の中核都市。ネグロスにあっては、島外からの流行がいち早く入ってくる場所。マニラやセブのトレンドから周回遅れぐらいの印象です。

一昨年前あたりから、市の中心部にいくつもコンドミニアムが建ち始めたし、もう飽和状態と思えるほど、ショッピングモールやスーパーも増えています。最初のスターバックスや、アップル・ストアが出店して、もう5年ぐらい。100均のダイソーはもっと以前でしょうか。最近では、日本式のラーメン屋さんが続けてオープン。

とは言っても、景気の良い話ばかりでもなくて、ショッピングモール内のテナントは、実に入れ替わりが激しい。面白そうな店ができたので、次に来た時には...と思ってたら、あっという間に違う店に。スターバックスも1軒潰れたし、2軒あったアップル・ストア(正確にはフランチャイズなので、看板は iStore )は両方閉鎖。

そんな中、バコロド最大のモール、SMシティ・バコロドの2階に「ミニソー」がオープンしました。ダイソーの真似してミニソー。なんとも姑息なネーミング。Miniso Japan となっているけれど、経営者に日本人はいないようだし、日本の資本は入っていない100%の中国系。アルファベット表記に従ってミニソーと書きましたが、カタカナでは「メイソウ」で漢字では「名創優品」。ややこしい。

調べてみると、中国国内だけでなく韓国やベトナムにアメリカ、日本にまで進出済みだったんですね。ちっとも知りませんでした。でもはっきり言って、この手の店には全然関心無し。同じようにダイソーをパクってフィリピンに入ってきた、香港資本の日本城(Japan Home Center)の品質の悪さに懲りてます。

自分一人だったら、わざわざ出かけたりはしないけれど、家内は興味津々。そこで、同じモール内のラーメン屋さん「一康流 Ikkoryu 」(こちらは本当の日系)でお昼を食べた帰りに立ち寄ってみました。

最初から先入観満載で、アラ探しモードで足を踏み入れた店内。ところが予想に反して、意外と悪くないんですよ。あちこちに貼り出された、微妙に変な日本語はともかく、ざっと見て回った感じでは、凡百のコピー商品にありがちな安っぽさがない。店内も整然といしているし、100均というより無印良品みたいです。


ネットによると、ダイソー風の値付けに、ユニクロ的なロゴマーク、無印みたいな洒落た品揃え、などと評されてましたが、本当にそんな雰囲気。本家ダイソーが88ペソ(約190円)なのに対して、99ペソ(約210円)と若干割高。





率直に言って、このレベルの品揃えができるのなら、わざわざ「日本品質」と銘打ったり、あたかも日本人が関わったかのような演出は不要。中国のイメージが悪いのなら、しれっと、ヨーロッパっぽいネーミングにでもすればいい。日本の自動車メーカーが、意味なくイタリア語やフランス語を使ったりするみたいに。

家内はかなり熱心に見て回って、食器や水洗トイレ用の芳香洗浄剤(ブルーレット?)を買い込んでいました。帰宅して使ってみたところ、どれも品質には問題はありません。ミニソー侮りがたし。さてこうなると、売り場面積や品数の点で劣勢に立った、ダイソー・バコロド店の動向が気になる。

この分野でも、日本で流通する品物をそのまま持って来れば売れる、という段階は終わったようです。一消費者の観点からすると、競争が起こって、市場に良い商品が増えるのは大いに歓迎するものの、やはり心情的には日本のダイソーに頑張ってもらいたいですね。


【追記】
店の入り口やホームページには、共同設立者として三宅順也という日本人の写真が掲げられています。ところがウィッキペディア日本語版では、経営には関わっていないという記述があったりして、実際のところ、よく分かりません。


2017年8月28日月曜日

民度って言うな


私は「民度」という言葉が大っ嫌いです。
ここ何年か、やたらとネット上で使われるようになりました。それも日本人が外国人の悪口を言う時の常套文句。おそらく一番頻繁なのは、中国や韓国の人々を侮蔑する書き込みの中でしょう。さらには、フィリピン人配偶者がいたり、フィリピンに住んでいる日本人でさえ、この言葉を使ってフィリピン人を見下したり。

「民度が低い」なんて簡単に書きますが、「民度」とは実に意味や定義があいまいな言葉。行儀や礼儀作法とか、役所の対応、教育レベル、果てはインフラ整備具合にまで、日本と比較して劣っていると感じたら、何でもかんでも「民度が低い」。

たまたま旅行先で見かけた、ゴミのポイ捨てや列への割り込み。その当事者が日本人でないと知ったら、まるで鬼の首でも取ったかのように「奴らは民度が低い」となる。13億5千万の中国人、5千万の韓国人、そして1億のフィリピン人を、自分が見た範囲のサンプル数だけで一括りにする、この傲慢さは何なんでしょう。

そもそも日本人って、そんなに民度が高いのか。
公共のマナーがいいというのも、人によって全然違います。人ごみの中でくわえタバコする人、今でもいますよ。以前そんなアホなスモーカーもせいで、右手の甲に火傷したことがあります。

自宅近くの深夜の公園で、タムロして騒ぐ学生に悩まされて、何度も警察に通報したことがあります。車を運転していると、狂ったようなドライバーに出くわすことも。だいたい、駅前など公共の場所が清潔になったのは、バブル期以降。それ以前は、どこでも汚いのが当たり前。高速道路のサービスエリアのトイレの汚さなんて、悪夢のレベルでした。

そして今でも、フィリピンを始めとした東南アジア諸国への、オっさんたちの買春ツアー。私もいい歳をした男なので、一概にそれが絶対ダメだとは言いません。フィリピン経済への一助にもなるでしょう。ただ、徒党を組んで、空港や機内で大声の「武勇伝」を聞かされるのは我慢できません。これが「民度の高い日本人」の姿。日本語を解さなくても、誰が見たって何をしに来たか、丸分かりです。もうちょっとデリカシーを持って行動してほしい。

こう書くと、それは「一部の日本人」であって、大多数の日本人はマトモだと言う人もいるでしょう。でもそれは「一部のフィリピン人」を見て、悪様に書くのと同じだと思いませんか? 思い出してみれば、バブル経済で成金になった日本人が、世界中の観光地で同じように言われて顰蹙を買っていました。

そういうわけで、SNSで安易に「民度」と書く人とは一定の距離を置くのが常。内容によっては一発ブロック。私にとってこの言葉は、対人関係を考える上での、一種のリトマス試験紙みたいなものになっております。


2017年8月26日土曜日

入院先でも誕生日パーティ


去年もちょうど今頃、デング熱についての投稿をしました。2016年は、西ネグロス州でデング熱が大流行。中でも私たちの住むシライ市内での患者数が一番多かった。雨が多いネグロスの8月、ちょっと油断して短パンで庭に出ただけで、瞬く間に数箇所ぐらいは蚊に刺されてしまいます。

この時は、小学生の姪っ子ジャスミンがデング熱に罹患して、州都バコロドの総合病院に入院の憂き目に。そして今年は、ジャスミンの叔母、ジジが入院。ジジの場合、症状が重篤化してしまいました。

デング熱に罹ると、血中の血小板数が減少するのが特徴。通常1立方ミリ中15万〜40万で、それが12万以下になると、フィリピンでは入院が義務付けられています。ジジはなんと3万にまでなってしまい、輸血治療することに。見舞いに行った家内によると、顔色が真っ白だったそうです。

間が悪いことに、入院して数日目にジジの誕生日が巡ってきてしまいました。誕生日をとても大事にして、毎年楽しみにしているフィリピン人。可哀想にジジは、今年はケーキもパーティもしばらくお預けか...と思っていたら、なんとフェイスブックに病室でパーティやってる写真が。

病状が好転していたこともあるでしょうけど、これは日本人には真似できません。もちろん病室なので、集まったのは身内の4〜5人。それでもささやかながら飾り付けもして、Happy Birthday, Gigi と文字入りバースディケーキも用意。こうなると、かえって忘れがたい誕生日になったことでしょう。

その後、入院一週間で、ジジは無事退院しました。

私も移住以来この時期は、決まって体調が悪くなります。日本とは逆に、朝夕の気温が下がる7〜8月。20度以下にはならないものの、どうしても寝冷えしやすくなる。実は数日前から、咳とくしゃみが。

早く医者に行けよと言われそうですね。ところがこの程度でも、近所のクリニックに行くと抗生物質を処方。どう考えても体に良いとは思えないので、最近では熱が出ない限り、我慢する癖がついてしまいました。

お陰さまで、タチの悪い感染症の類ではなかったようで、咳止めシロップを服用して10時間ぐっすり寝たら、今朝はずいぶん楽になりました。起き抜けは寝過ぎで腰が痛かったほど。この歳になると、長時間睡眠には体力が必要なんだと悟ります。


2017年8月24日木曜日

驚きの大阪吹田大停電


フィリピンのネグロス島に住んで、4年と半年近く経過して、すっかり停電慣れしてしまった今日この頃。つい先日も、停電対策用に購入した発電機の修理について投稿したばかり。しかし昨日(2017/08/23)の停電のニュースにはびっくり。

午前中、フェイスブック友達の何人かが「電気止まった!」と書いていたので、最初はフィリピンのどこかで、また大規模停電でもあったのかな?と思ってしまいました。よく読むと、どうやら日本。しかも私が以前住んでいた大阪・茨木市の近くで、同じ北摂エリアの吹田市でのこと。

私が関西に住んでいた約50年間。落雷などで数分の停電はたまにあったものの、長時間と言えば阪神・淡路大震災の時しか記憶にありません。どうせ日本のことだから、長引かないだろう。ちょっと電気が止まったぐらいで、大騒ぎしてからに...と楽観的に見ていました。

フィリピン人の家内は、日本で停電があったと嬉しそう。いつも何かにつけ、日本とフィリピンを比較してため息をついているので、たまにこんなニュースに接すると、つい顔に出てしまいます。

ところが午後になっても復旧しないし、商業施設や病院などでは笑い事では済まされない状況。結局8時間から最長で12時間近くも停電状態だった場所もあったんだとか。これは完全にネグロス島レベル。しかも相当広範囲だったので、フィリピンでは一部地域の「ブラウンアウト」ではなく、広域長時間停電の「ブラックアウト」と呼ばれる規模。さすがのネグロスでも、これは年に1回あるかどうか。

こうなると、停電慣れしていない日本の悲しさ。そこそこお金に余裕のある家ならば、個人宅で発電機を用意するネグロス島。病院やホテルはもちろん、レストランやスーパー、コンビニですら自家発電が当たり前。なので、12時間程度の停電ではさほど騒がないし、不便ながらも普通に日常生活が続きます。テレビのニュースにもならない。

今回の事故でつくづく思ったのが、社会レベルでも個人レベルでも、日本ってほんとうに脆弱だなぁということ。世界的に見ても珍しいほど一般人の食事がおいしくて、交通機関は時間通り。電気は安定供給で、シャワーが痛いほど高い水圧。駅ですら洗浄便座があって、お役所では賄賂を払わなくても手続きが進む。

だから頻繁に停電がある国の方がいい、などと言うつもりはありません。先人たちが営々と築き上げてきた、インフラに関しては世界で一番便利で快適な国。そこで生まれ育った人々が、世界一の文句言いで、逆境に弱い現実は、なんとも皮肉。

おそらくこれから日本人お得意の、「犯人探し」が始まると思われます。でも電力会社やお役所、ミスをした誰かを非難しておしまい。自分と家族の身は自分で守ろう、という発想になる人は少ないでしょう。昨日は日本でも大停電のニュースを見て、そんなことを考えてしまいました。


2017年8月23日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 スーパーの警備員

前回の美女図鑑「マニラ・ガール」は、なかなかの人気だったようです。やっぱり手間暇かけた絵は、それなりのインパクトがある。それ以上に、タイトルとモチーフもネット受けしたんでしょうね。

今回はフィクションではなく、またまた身近な人がモデル。と言っても親戚や友達ではありません。初対面で声をかけるという、私の人生初めてのナンパ(まがい)で写真を撮らせてもらった女性。半年ほど前「制服萌え」と題してアップした投稿に登場した、近所のスーパーの警備員です。

治安に問題ありのフィリピン。銀行・スーパー・レストラン、それにコンビニまで、現金を扱うありとあらゆる商業施設では、ほぼ必ず銃で武装した警備員がいます。しかも女性が多い。正確には分かりませんが、3〜4割は女性というのが私の印象。

その中でも、一昨年シライ市にオープンしたフィリピン大手のスーパー、セーブモアの警備員はちょっと驚くほどの美形。人間離れしたスリムさで、ウェストは私の太ももと同じぐらいのサイズかも。たいへん大きなお世話ながら、警備員にならず、モデルさんになった方がよかったと思ってしまうほど。

実は、このブログを読んでいただいている、フィリピン在住の日本人の方から、次の美女図鑑で是非にとリクエスト。

まったく予想していなかったご要望で、最初はどうしようかと考えました。元になる写真はたったの2枚で、ほとんど同じアングル。そこで、拳銃を構えたハードボイルドなポーズにして描いてみました。喜んでもらえるかと投稿したところ、ご要望をいただいた方が、お気に召さない様子。

約2ヶ月が経過して、その間にいろんな美女イラストを描きました。描画手法もだいぶこなれてきて、リアルな表現もかなり安定してできるように。スーパーの警備員さんも、こんな風に描いてほしかったと、複数の方から再度の有難いご要望があって、満を持しての描き直し。

今度は、あまり小細工はせず、元の写真をできるだけ忠実にトレース。ネットで拾ってきた写真では、あまりにもそのままだと色々問題ですが、これは自分で撮影したものだったので、どこからも苦情が出る心配はありません。


描き上げて感じるのは、自分の好きなテーマやモチーフに限らず、たまには他の人の意見や要望でトライするのも悪くないということ。一人で妄想しているだけでは、思いつかない絵ができたりします。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年8月22日火曜日

発電機は精神安定剤

ここ半年ほど、不調が続いていた我が家の発電機。バッテリーを搭載して、車と同じ要領でキーを回して始動するタイプ。購入後2年目にして、キーを回しても無反応になってしまいました。そこでバッテリーのみ取り外して、近所の車のパーツ屋さんで充電。

その時はそれでエンジンが掛るように。停電がなくても週に1回ぐらい、10分程度は運転するようと教えてもらいました。これで一件落着かと思い、言われた通り1週間後に動かそうとしたら、またもや無反応。今度はバッテリーそのものを新品に交換。ところがさらに1週間後に、同じことに。

私は、日本で発電機など買ったことも使ったこともなく、そっちの方面の知識はほぼ皆無。おそらく大抵の日本人は、そんな感じだろうと思います。よほどの災害でもなければ、長時間の停電になることはない日本。たまに落雷などで電気が止まっても、ものの数分で復旧するのが当たり前。ネグロス島に住んで、それがいかに有難い状況だったかを、思い知るハメに。

無知だったので、約10万円もする買い物にしては、適当に選んでしまいました。燃料費が安いからディーゼル、始動が簡単だからバッテリー搭載。後から日本人の知り合いに聞いたら、ガソリンエンジンの方がメンテナンスは楽なんだとか。また、バッテリーは数年でダメになるし、これが思ったより高価。

うちのディーゼル発電機、バッテリーなしでも手動で始動できるよう、ワイヤーが付いているのに、これがいざやってみると、かなりの腕力と微妙なタイミングが必要。小一時間も格闘しましたが、私にはどうしても動かすことができませんでした。

ところがしばらく停電もなく、何となく忘れていた、ここ最近。突如として、数日置きに停電が頻発する事態に。特別なことがあったわけでもないけれど、なぜか続くときは続くんですよ。特に困るのが夕飯の支度時。炊飯器も電子レンジもダメだし、真っ暗になるし。あの灯りが消えた瞬間の「ガッカリ感」は、日本では分からない感覚。

とうとう我慢できなくなって、この土曜日、怪力メイドのネルジーに手伝ってもらい、大汗かいて発電機を車に積み、購入元の隣街バコロドの販売店へ。アフターサービスが、からっきしダメなこの国。電話一本で出張修理なんて気が利いたことは、まずしてくれません。

とは言え、さすがに餅は餅屋。修理担当のオっちゃんに見せたら「これはスターターがダメだ」と、すぐに悪い箇所を指摘。そうか、そっちだったのか...。昼食を食べに行っている間に修理完了。結局バッテリーも、また新しいものに交換したり、フィルターがヘタっていたりで、1万円近くの修理代。発電機そのものを買い換えるのに比べたら、はるかにマシだけど、決して安くはありません。


ということで、久しぶりに「停電したらどうしよう」との心配が解消。発電機って、実用品である以上に、日常生活での精神安定に絶大な効果があったんですね。修理が終わって、それがよ〜く分かりました。

さて、それから4日が経過。早速、日曜日の朝食準備中に短いのが1回。そして連休明けの今日、火曜日に早朝から約5時間の長時間停電が。いずれも発電機が大活躍で、滞りなくお米炊いたりトーストを焼いたり。発電機が初体験だった仔犬のゴマは、始動の轟音で一目散に逃げてしまいました。

聞くところによると、以前に比べてマニラ首都圏では、ずいぶん停電が減ったそうです。ネグロスでも、たまに半日の計画停電があるものの、だんだんと少なくはなってきている。それでも、4年前のスーパー台風ヨランダの記憶も生々しく、電気が何日も止まる可能性もあります。それを思うと、やっぱりまだまだ発電機とは縁が切れそうにありません。


2017年8月18日金曜日

「まだ東京で消耗してるの?」を読んで


しばらく前に出版された、有名ブロガーのイケダハヤトさんの本「まだ東京で消耗してるの?」。結構話題になったようですね。私も先日、電子書籍版を購入して読んでみました。

ネット上では、既にずいぶんたくさんの書評があって、毀誉褒貶さまざま。ここで本の内容を改めて詳しく説明はしませんが、要約すると、何をするにも不便で生きづらい東京を捨てて、田舎に移住して違う環境に身を置けば、人生が変わる。昔と違って21世紀の今では、田舎のメリットは驚くほどたくさんありますよ。ということ。

フィリピンのネグロス島に移住した私としては、つい「まだ日本で消耗してるの?」と読み替えたくなります。ググってみると、やっぱり同じこと考えている人が多くて、この投稿のタイトルで真似するのはやめたほど。

でも読後感としては、海外移住を考える際に参考にできそうな記述も多々ありました。例えば「東京の子育ては、親に罪悪感を抱かせる」「地方で豊かな人生を生きなおす」「月3万円で駐車場・庭・畑付き一軒家に暮らす」「地方移住で過酷な子育てから解放される」

これは、「東京」を「日本」に、「地方」を「ネグロス島」に置き換えても十分通じる、今現在の私の実感。

小学生の子供を連れて、家族でネグロス島シライ市に来て、一番良かったのは住環境の劇的な改善と、子育てのしやすさだろうと思います。ただし私の場合、住みやすい家を建てるには、10年がかりの周到な準備があってこそ。誰でもここに来れば、広くて快適な家に住めるわけでもありません。

また子育てについても、家内の実家近くに住んでいる関係で、親戚の協力を得られたり、子供自身が思ったより早くネグロスの暮らしに馴染んでくれたことは幸運でした。それにしても、子供がたくさんいるのが当たり前で、いじめの心配をしなくてもいいのは大きい。

次に、「田舎に行きたいなら『二段階移住』が大前提」「移住地には難易度がある」「移住前に旅行して、知り合いを作っておく」

こちらは、フィリピン移住(おそらくそれ以外の海外移住)にも適用できる心構え。日本並みの国土面積と人口を擁するフィリピン。場所によっては住み心地にも、天地ほどの差があります。よくあるパターンが、フィリピン人配偶者の故郷にそのまま住むスタイル。これも必ずしも悪いとは言いませんが、配偶者の家族や親戚が付き合いやすい人とは限らないし、住むにも子育てにも劣悪な環境だったりする可能性も。

最初のベースキャンプとして、現地での義父母宅やその近所に数週間から数ヶ月ほど滞在するのはいいけれど、いきなり土地家屋に投資してしまうのは、まったくお薦めしません。また信頼できるフィリピン人(親戚でも友人でも)を確保しておくのは、本当に重要。

私の場合、結果として家内の生まれたネグロス島のシライに住んでいます。しかしこれは、15年間も里帰りの度に、本当に移住して大丈夫かどうかを見極めた結果。もし不安があれば、同じネグロス島内でも、別の街を探していたでしょう。

さて、フィリピンと決定的に違うのは、仕事に関する記述。暮らすにはいい場所でも、日本にいた時よりも収入がアップしたり、見方を変えるだけで、いくらでもビジネスのチャンスが転がっている...とは思えないフィリピン。特にマニラ首都圏の過密や交通渋滞ぶりは、東京とさほど変わらないか、もっとひどいかも知れません。

ここネグロスでも、ネット活用や日本人顧客を見つけるなどの活路を見出せば、可能性がないわけではないものの、これから学ぼうという若い人ならばともかく、やはりフィリピンでも役に立つ技能や知識がないと、こちらで生きる糧を見出すのは難しい。ということでネグロスに住んで、「まだ日本で消耗してるの?」と言うには、ある程度の蓄えができて、働かなくても生活できる備えが必要なようです。


2017年8月16日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 マニラ・ガール

戦争や特攻隊のことを2本続けて投稿したら、気力を使い果たしてヘトヘト。気分を変えて、今週の美女図鑑です。

フィリピン美女と聞いて、やっぱり多くのオジさんたちが思い浮かべるのが、フィリピン・パブやゴーゴーバーで働くホステスやダンサーでしょう。正直に言いまして、私もその世界を知らない訳ではありません。1995年、30代の前半に仕事で初めてマニラに来た時、夜の接待は案の定ゴーゴーバー。

ご存知ない方のために、説明をしておきます。ゴーゴーバーとは、店内にステージが設置してあるバー。ステージでは番号札をつけた女性が踊っていて、気に入った人をその番号で指定すると、お客さんの席まで来て一緒にお酒を飲んでくれるというシステム。女性と直接交渉してOKならば、店外デートも可。表向きは早退の罰金、バー・ファインを支払ってのプラーベートなお付き合いなのですが、要するに公然たる売春行為です。

マニラを始めてとしてフィリピンの主要な大都市では、だいたいどこでもこの類の店はあって、それ以外ではタイのバンコクが有名。念のために書いておきますが、フィリピンでもタイでも、売買春は違法。特にフィリピンで相手が18歳未満だった場合、極めて厳しい罪に問われます。

私も初めてゴーゴーバーの店内に入った時は、驚きのあまり目が点に。「ジャパゆきさん」が流行語になり、日本でもテレビや雑誌で盛んに情報が流れていたので、映像や活字では見聞きしたことがあっても、実際にその場にいると、熱気で圧倒されてしまいました。

興味がない人は眉をしかめるでしょう。それでもフィリピンにすれば、外貨獲得に小さくない効果を持つ一大産業。国籍に関係なく、こういうのが好きな男性にとっては一種のパラダイス。のめり込んで、母国での生活を捨ててでもフィリピンに通い詰め、全財産を無くしてしまうのも、分からないではない。(あまり利口な散財とは思えませんが)

という訳で、今回のイラストはこの場で披露するかどうか、少々迷ったものの、好むと好まざるに関わらず、これもまたフィリピンの一面。ただし見ていただくからには、手抜きはせず、僅かな記憶と想像力を総動員して、いつになくディテールまで丁寧に描画。


とにかく情報量を増やし細かく描くことで、あの一種独特の猥雑な感じを、できるだけ美しく表現してみました。背景にはマニラ首都圏マカティ市の高層ビル群や、フィリピン名物のジプニーも。おヒマのある方は、じっくりご覧くださいませ。




2017年8月14日月曜日

終戦記念日に思うこと 国の礎?


前回に続き、今日も終戦記念日に思うことです。

前回は、マバラカット飛行場についてのお話を投稿しました。日本では、この地に特攻隊員の像が建てられたことはあまり有名ではなく、私もそういう施設がマバラカットにあると知ったのは、フィリピンに移住してからでした。

最初にネットで見たのは、ここを訪れた日本人によるブログ。現地の看板屋さんに依頼して安価に制作したであろう、およそ慰霊や平和祈願を目的に作られた場所にそぐわない、俗っぽい案内板の写真を見た時には、あまりの配慮のなさに、一体誰がどういう経緯でこの施設をつくったのかと訝しんだのは、前回投稿した通り。

さらに何とも言えない違和感を持ったのは、ブログの内容。「今の日本があるのは、特攻隊の尊い犠牲のおかげ」「国の礎となった若者たち」といった、特攻隊礼讃の美辞麗句が並んでいました。気になったので他にも検索してみたら、同様な内容のものばかり。中には「特攻隊はフィリピンでは英雄だった」などという、どう考えても一般的なフィリピン人の意見を、ちゃんと取材したとは思えない記事まで。

「今の日本があるのは...。」「国の礎」と言う人は、特攻がなければ、その後の日本の復興や繁栄はなかった、とでも思ってるんでしょうか。冗談ではありません。今の日本を築き国の礎になったのは、戦火を生き延び、焦土と化した故郷の瓦礫の片付けから始めた、私の祖父母や両親の世代。二度と家族を、戦災や飢餓で苦しめない社会を作ろうと、必死で働いた人々です。

戦略的に意味があったとは考えられない、体当たり攻撃。特攻で命を落とした若者たちは、勝ち目のない戦争の、捨て石になる人材ではなかったはず。生きていれば、高度経済成長の中核を担ったでしょう。ひょっとすると、世界レベルの技術やアイデアを生み出した人だっていたかもしれない。そう考えれば、特攻を命ずることが、いかに愚かで狂気の沙汰だったかと分かりそうなもの。

以下、多数の特攻機が飛び立った、鹿児島県の知覧に建てられた、知覧特攻記念会館のホームページに掲げられた文章ご紹介します。


 この知覧特攻平和会館は、第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。
 私たちは、特攻隊員や各地の戦場で戦死された多くの特攻隊員のご遺徳を静かに回顧しながら、再び戦闘機に爆弾を装着し敵の艦船に体当たりをするという命の尊さ・尊厳を無視した戦法は絶対とってはならない、また、このような悲劇を生み出す戦争も起こしてはならないという情念で、貴重な遺品や資料をご遺族の方々のご理解ご協力と、関係者の方々のご尽力によって展示しています。

私は、この文章に、100%同意し共感します。特攻など、絶対に命じてはいけない戦法であり、誰よりも亡くなったパイロットたちが、自分のような死に方をする人が二度とないようにと願っていたでしょう。
そういう意味で私にとって特攻隊員は、きわめて痛ましい戦争犠牲者に他ならず、その死を悼み回顧しこそすれ、決して英雄や軍神に祭り上げてはいけない。それが私の子供や孫たちの世代で、この悲劇を繰り返えさないこと、延いては無意味な戦争をさせないことにつながると信じています。
また、「特攻隊はフィリピンでは英雄だった」という記事。自殺を禁じたカトリックを信じる国民が人口の8割で、今現在、自爆テロを辞さないテロリスト集団と、事実上の内戦状態にあるこの国において、特攻を英雄的行為だと思う人が、どれだけいるというのでしょうか。
終わりに、特攻最初のパイロットで、当時23歳だった関行男大尉が、出撃前、記者に語ったとされる言葉を記します。

日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。


2017年8月13日日曜日

終戦記念日に思うこと マバラカット飛行場


今年も8月15日が巡ってきます。太平洋戦争中、50万人以上の日本人と100万人を超える現地人戦没者を出してしまったフィリピン。ここネグロス島も、マニラ市街戦、レイテ沖海戦に次ぐ激戦地だったそうで、8000人もの日本兵が亡くなりました。フィリピンに住む日本人としては、毎年いろいろと考え込んでしまう時期。今回は、2回に渡って終戦記念日に思うことを投稿しようと思います。


フィリピン・ルソン島、首都マニラから北西約60kmに位置する、東マバラカット飛行場跡。戦争末期の1944年(昭和19年)10月、ここから最初の特攻機が飛び立ちました。その後の3ヶ月間、当地にあった全機体が失われるまで特攻は続けられ、約700名のパイロットが体当たり攻撃で命を落としたそうです。

その後マバラカットは、1947年のアメリカ・フィリピン両政府間で合意された軍事基地協定により、クラーク空軍基地の主要飛行場の一つとしてアメリカ軍に使用され、1975年までのベトナム戦争中には一大軍事拠点でした。

1991年、基地から20kmのピナツボ火山の大噴火で、マバラカットを含む基地周辺は火砕流に埋まり、冷戦終了という世界情勢の変化もあって、クラークはフィリピンに返還。

そして2004年、このマバラカット飛行場跡に、地元の歴史家ダニエル・ディゾン氏の発意で、特攻隊員の像が建立されました。これは1974年に同地に置かれ、噴火で埋没した記念碑に置きかわるもの。フィリピンでの日本兵の残虐行為を目の当たりにしたはずのディゾン氏が、どうしてこれを思い立ったのか、私にはよく分かりません。それでも日本の関係者からの協力もあり、この像の完成以降、かなりの数の日本人がマバラカットを訪れているようです。


出典:Kamikaze Images

像がある敷地内の日本語の碑文には、こうあります。

「マバラカット観光局が神風平和記念公園の建立を推進した理由は、神風特別攻撃隊の栄光を賞賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて、世界の人々に平和と友好の尊さを訴える為であります。」

フィリピンに特攻隊関連の記念物を設置するならば、これ以外の理由はないだろうと思うし、国籍に関係なく、すべての戦没者を慰霊する場とすることに、何の異論もありません。

ところが、像そのものや、背景にフィリピン国旗と並んで刻まれた旭日旗のレリーフ、入り口付近の看板の意匠を見ると、私にはどうしても、平和祈念や戦没者の慰霊という意図が感じられない。だいたい看板に使われている「神風」「Kamikaze」の書体からして、まるで安物の商業施設。


出典:Kamikaze Images

マバラカットに関するいくつかの英語の記事を読むと、フィリピンでは、碑文を額面通りに受け入れられない人の方が多数派のようで、肉親を日本兵に殺害された地元住民や、フィリピン大学の教授などからも、像設置への反対意見が寄せらています。

参考:ABS-CBN News / INQUIRER NET / the japan times

同様に多くの特攻機が飛び立った、鹿児島県の知覧にある知覧特攻平和会館と比べると、マバラカットの施設全体のデザインが、いかに配慮に欠けたものかというのが、よく分かります。これでは日本からの観光客集めが目的だと言われても仕方がない。

私は、特攻隊に関して、隊員たちが家族に送った遺書や、生き残った関係者の証言など、若い頃からたくさんの本を読んできました。また関連したテレビのドキュメンタリー番組も、気がつけば必ず視聴。二十歳前後で家族や愛する人たちを残して、死地に赴いたパイロットたちの無念さを思うと、決して彼らのことを忘れてはならないと感じています。

それだけに、現状のマバラカット施設の体裁は、残念でなりません。誤解してほしくないのは、特攻隊員の慰霊と平和祈願のために、何らかの記念碑や公園を作り、そこに参拝すること自体を否定する気は、まったくないということ。だからこそマバラカットが、日本人だけでなく、あらゆる国の人々にこの悲劇の実態を知らしめ、平和について静かに思索できる場所になってほしいのです。

次回に続きます。


2017年8月11日金曜日

宿題なしの夏休み


もう8月も半ばに差し掛かり、今が子供達の夏休み真っ最中の日本。いつの間にか8月11日は「山の日」という国民の祝日になってるし、多くの職場でも来週からはお盆休みということでしょう。

さて、4年前にフィリピンのネグロス島に移住して、子供を地元の小学校に通わせるようになってから気づいたのが、夏休みの過ごし方の違い。フィリピンの場合、一番暑いのが4〜5月で、夏休みもこの時期。日本では40日間というのが普通なのに対して、こちらでは丸々2ヶ月。息子の通う私立小学校では、3月の最終週と6月の初めの週まで休みで、ざっと2ヶ月半近くも登校しません。

さぞや、どっさりと宿題が出るだろうと思いきや、そんなものは一切なし。夏休みが学年の変わり目だということもあって、この長い休みの間、子供はほぼ完全な自由ということになります。

もちろん家庭によっては、サマー・プロジェクトと称して、スポーツやダンス、お絵描きや音楽などの習い事に通わせることもあり、今年は息子も毎日4時間のテニス・レッスンを2週間。従兄姉は、ブラスバンドにサッカーをやってました。

でも、塾や予備校に毎日行かせるとか、大量の宿題が出て、休みの最後になると子供が泣きながら机に向かうという話は、聞いたことがありません。大学受験を控えた高校生にでもなれば、それなりの勉強をしているのでしょうけど、日本のように誰もが大学に行くわけでもなく、公立ならば、小学校から高校までは受験の必要がないので、わざわざ夏休みに追加の勉強をする子供の方が珍しい。

ただし、小学校でも年4回の定期試験がきっちりあって、成績が悪ければ落第もあるのがフィリピン。チューター(家庭教師)を雇う親もいるし、勉強する子は長期休暇以外の、授業のある時期に頑張っている印象です。そして就職時に学歴がモノを言うのは、日本並みかそれ以上。

こんな感じなので、優秀でやる気のある子供でも、頑張って集中する時と、力を抜いて休む時を、自然と理解する。これに対して日本の子供は、夏休みなのに休むことが許されない。勉強もそうだし、クラブ活動でも「強化合宿」などと称して、むしろ夏休みの方が厳しいトレーニング。

そう言えば、昔「キャプテン」という中学野球のマンガがありましたね。真夏に朝から晩まで無茶苦茶な練習して、練習試合を1日3ゲームもこなして、苦労の挙句に全国大会優勝。当時はスポ根もの全盛の時期だったので、何の違和感もなく読んでたけれど、今だったら虐待と言われそうな内容。ああいうストーリーを子供の頃から刷り込まれたから、大人になってから、死ぬまで働いたりしてしまう人間が出来てしまうのかと思ったり。

いつ頃からそうなったのか、よく分かりませんが、どうも日本人は、長期休暇などの空白の時間を過ごすこと罪悪だと、教育されてしまっているらしい。私がかつて勤めていた会社は、日本で最初に週休二日制を導入しました。その時のスローガンが「1日休養1日教養」。つまり2日間、会社に来なくてもいいのは、2日とも休んでいいという意味ではないぞ!と言っていたわけです。まったく大きなお世話。

そんな意識が根付いてしまったものだから、本来休養のための土日なのに、昼まで寝てしまったら大損したように感じるし、たまの3〜4日の休みでも、予定ギチギチの海外旅行をして、平日より疲れてしまう。

どんな分野でも、日本一とか世界一を目指すような人たちは、他人の何倍もの努力が必要なのは分かるけれど、どうも日本人の場合、才能の有無に関係なく、誰もが努力だけは、トップレベルを義務付けられているような気がします。また社会人になってからも、キャリアにブランクが空くことを極度に恐れるし、育児で1年休んで復職することすら、認められないケースの方が多い。

だからと言って、フィリピンのように平日の昼間から、何もしない大人が町中に溢れているというのも考えものですが、疲れたら十分休息が取るという、人間として当然の権利が行使できない社会は、普通ではないでしょう。


2017年8月9日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 フィリピーナ in キモノ

皆さまお待ちかねの、今週の美女です。美女なんですが、今日のモデルは家内です。がっかりしてはいけません。「フィリピン美女図鑑」と銘打って、他所の女の絵ばかり描いて、自分の妻を描かないなんてことは、フィリピンでは許されません。これはフィリピーナと結婚した男の、神聖なる義務でございます。

前々回、友達のティンティンのイラストの時もそうでしたが、本人が見るかも知れない似顔絵というのは、実に難しい。まず印象が似ていないといけないし、その上で「そこそこ美人」に描かないとダメ。いくら似てても、本人が嫌がるような箇所を強調すると怒られる。だからと言って美人にしすぎても、皮肉と取られかねない。

ところで家内の顔について。
フィリピン女性と聞くと、目が大きくパッチリしてて、少し前に流行った言い方を借りると「ソース顔」や「濃い顔」を思い浮かべる人が多いでしょう。ところが家内は、フィリピン人から中国人や日本人と間違われるほどの「しょうゆ顔」。目は二重でもパッチリという感じではなく、切れ長の印象です。肌色もそんなに濃くない。

童顔だというのは、このブログでも何度か書きました。結婚した時、既に33歳だったのに、日本では高校生と思われたり。この童顔+日本人顔効果で、日本に住んでいる時、よく道を尋ねられていました。

そして、来日して最初の冬。どうしても雪が見たいと言うので、兵庫県の日本海側にある、城崎温泉へ。当時はまだ新婚早々だったので、張り込んで、城崎マリンワールドに隣接するホテル金波楼(きんぱろう)に泊まりました。

とにかく生まれて初めての日本で、しかも温泉。純和風の食事にして、何も食べられなかったりすると可哀想なので、和牛ステーキも追加で頼むという超豪華コース。ところが生魚以外は、なんでも美味しいと平らげて、結局ステーキは私が頂きました。それより驚いたのが、初めて着た浴衣が不思議なほど似合うこと。

顔つきが南方系っぽくないだけでなく、かなりの撫で肩。食事の用意をしてくれた仲居さんが「本当にフィリピンの方ですか?」と聞き直したほど、浴衣姿がサマになってました。


ということで、今回選んだコスチュームは着物です。結婚して子供までいて、もう50過ぎなのに、なんで振袖なんだというツッコミは禁止。いいんです。フィリピン人はそんなことに拘りません。綺麗だったら何でもいいんです。

一緒になって、来年で20年。いまだに童顔だし、息子のクラスメートの女の子に「マダムは、フィリピンの言葉は喋れますか?」と英語で訊かれたりしてる。ここは家内の生まれ故郷なんですけどねぇ。


【追記】
その後、イラストを描き続けること3年半。ずいぶんと手慣れてきて、最初の頃のイラストの詳細がいろいろ気になってきたので、2021年のバレンタインデーを機に、家内の似顔絵も再描画しました。

過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年


2017年8月8日火曜日

拳銃痴漢


半月ほど前のこと、いつものように家族で日曜日朝のミサに与り、神父さまの説教を聴いておりました。「聞く」ではなく「聴く」と書いたのは、ほとんど意味が分からないから。ここでは通常、ミサは英語で行われるのですが、なぜか説教だけは地元の言葉のイロンゴ。たまに英語も混じるのに、ジョークの落ちだけイロンゴになるので、肝心なところで笑えません。

この日も例によって、イロンゴが片言レベルの私と息子は、蚊帳の外。だいたい30〜40分くらいは黙想会みたいなもの。ミサの後家内が、拳銃強盗のことだったと事後通訳をしてくれました。どういう流れで強盗の話になったのかはよく分かりませんが、わざわざ神父さまが言うぐらいなので、単なる噂ではないでしょう。

日頃このブログでは、私たちの住むシライ、とりわけこの宅地の治安の良さについて書いてきたのに、やっぱりフィリピン。油断できないですね。それもまだ宵の口の午後7時頃に起きたそうで、場所も宅地の管理事務所やサリサリストア(雑貨屋さん)がある、比較的人通りの多い場所。これは物騒な。

それから1週間ほどして、お隣さんにして「情報屋」、家内の高校からの友達ナンシーが、詳細を報告してくれました。被害者は女性でメイドさん。雇い主に頼まれて、雑貨屋さんへ買い物に行く途中、二人組の男に襲われました。

ところがよく話を聞くと、金品が目的ではなく痴漢だったらしい。いきなり体を触られたとのこと。さらによく聞くと、暗かったので犯人が拳銃を持っていたかどうかも定かではなく、痴漢のついでに有り金を盗られたという感じ。といっても雑貨屋で買い物なので1000円も持ってなかったと推測します。

被害にあったメイドさんには気の毒で、さぞ恐ろしかったでしょうけど、なんともケチで情けない犯罪。警備員は銃で武装しているし、見つかれば射殺されるリスクも。これが命がけでやるようなことかいな。

最近は地方のネグロスでも、ドゥテルテ大統領の対麻薬戦争の影響で、仕事にあぶれた薬の売人が、強盗などの他の犯罪に流れているらしい。最初はこれもその一端かと思いましたが、どうもそこまで危ない話ではなく、酔っ払いの悪ふざけだったのかも知れません。

とは言え、住民からすると冗談では済まされない。案の定それからは、宅地の警備が厳しくなりました。「No ID, No Entry」の標識が掲げられ、外部から入ってくる人は、かならずIDカードか免許証をゲートで預けるルールが厳格化。

先週、倉庫を大掃除して大量に出たガラクラを、廃品回収業のオッちゃんに取りにきてもらったら、荷物を持って出るのに許可が必要だから、覚書をくれと言われてしまいました。うわぁ、そこまで徹底するのか。面倒なので、一緒にゲートまでオっちゃんと同行。

それにしても、身近なところで犯罪がジワジワ増えてきたように感じます。少し前、監視カメラと護身用拳銃について投稿したばかり。やっぱり自分と家族の身を守る手段は、そろそろ真剣に考えた方が良さそうですね。


2017年8月6日日曜日

宗教音痴の日本人


総務省の統計によると、2014年現在、日本の仏教徒は約8,712万人もいるんだそうです。これは「うっそ〜!」と言いたくなる数字。仏教徒と言うからには、当然家に仏壇があって、連日連夜、念仏やお題目を唱え、週に一回ぐらいはお寺に行って、お坊さんの講話を聞いているはず。仏教徒をどういう定義で捉えているのか、はなはだ疑問。

もちろんそういう日本人も、少なからずいます。親戚にも創価学会の会員がいて、熱心に「南無妙法蓮華経」を唱和。でも、国民の75%がそうだというのは違うでしょう。おそらく電話などで質問されて、本当は特定の宗教の信者ではないのに、そういうえば実家にある仏壇は、〇〇宗のだったなぁ、程度の根拠で回答したと推測。

私には、少なくとも過半数の日本人は、明確な信仰の対象があるとは思えないし、日常的に神や仏を意識していない。つまり信仰がある日常生活というものを、具体的なものとして想像しずらい人の方が多い。

こういう状況なので、日本で宗教と聞くと、天使か菩薩のように清らかな暮らしをしている「敬虔な〇〇教徒」と思うか、淫祠邪教の類で、洗脳されて財産も自由も、場合によっては命すら取られかねないといった、両極端なイメージを持たれがち。1995年のオウム真理教によるテロの影響もあるでしょう。

しかし、カトリック信徒として20年生きてきた私の実感からすると、信仰とは良くも悪くもそんなに浮世離れしたものではなく、超自然的な体験があったわけでもない。朝夕や食事前に祈りを唱え、日曜日には教会に通う。家を建てたり車を購入すれば、神父さまに「祝福」してもらい、家族の誰かが離れていれば、その無事を祈願する。まさに生活の一部という表現がぴったり。

そして誤解されやすいのが、他宗教の信者との付き合い。ローマ教皇は、他宗教への敬意と共存を呼びかけているし、私個人でも、前述の創価学会員の親戚とは、何のわだかまりもなく付き合っています。またマレーシアやインドネシア、パキスタン、ドバイなどで、イスラムの人たちと普通に仕事をしてました。

ただし、会話や行動にはそれなりの注意も必要。言ってはならないことや、してはならないことはわきまえておかないと、かなり面倒なことになるのも事実。でもこれは宗教に限ったことではなく、どこの国の人であっても、文化背景の異なる人たちに接する時の、基本的なマナー。まずは、安易に政治や宗教の話題を持ち出さないことです。

私の考えでは、宗教の違いイコール生活習慣の違い。経典にある一言一句の解釈の差で、殺し合いをするようなことは、現代社会では、そう簡単に起こることではありません。スペインによる侵略を遠因にして、ずっとフィリピンの内政問題になっている、ミンダナオ島での争いを、宗教戦争だとする人もいますが、これはたいへん危険な認識。

純粋に信仰の違いで戦争が起こっているのではなく、11世紀の十字軍遠征のような昔はいざ知らず、私の知る限り、ほとんどは、領土争いや、弾圧や圧政、差別への反抗が本当の原因。その上で相手を異教徒扱いすることで、殺戮や暴行、破壊、掠奪を正当化して、後付けで宗教の違いを強調しているだけなんじゃないかと思います。宗教音痴な日本人が、それを真に受けているだけの話。

注意深く見れば分かるように、フィリピン政府はイスラム教徒全体を敵視するような発言は、絶対にしていません。むしろラマダン明けなどイスラム関連の休日を設けたりして、歴史的に辛酸を舐めてきた人々の慰撫に努めている。現在マラウィで紛争を起こしているISは宗教団体ではなく、テロリスト集団と規定しているはず。これをカトリック対イスラムという構図で捉えてしまうと、それこそ憎しみの連鎖に、お墨付きを与えるようなもの。

ところで、私は最初に、日本人の多くは特定の宗教を持たないと書きましたが、実はそうではなく、日本人全員が「日本教」の信徒だという説(?)があります。1970年に刊行された、イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏が執筆した「日本人とユダヤ人」がそれ。

例えば、根っからの悪人は存在しなくて、どんなに気難しい人でも「話せば分かる」と思っている。神も仏も拝まないけれど、死んだらそれで終わりでもなくて、お彼岸やお盆にはお墓まいりしたり。周囲の空気を読んで、命じられもしない残業をしたり、行間を読んだり。最近の流行り言葉で言うと「忖度」上手。「他人に迷惑をかけない」なんて信条も共有。

そういう目で見ると日本人は、まるで教祖の言葉や経典による、宗教的な共通の行動規範にでも従っているよう。しかも誰も日本教の信者と意識しないほど、その教義に一片の疑いも持たない。山本七平氏に言わせると、これは人類史上、他に例を見ないほど強固な宗教。因みにこの説に従うと、私は日本教カトリック派の信者、ということになるそうです。

著作「日本人とユダヤ人」は出版直後から、現代ユダヤ人に関する記述の間違いに対してなど、ずいぶんと批判や反発があったらしく、私も書いてある内容すべてを鵜呑みにはしていません。それでも、初読の時には、目から鱗で、いろいろと腑に落ちました。

今でも「日本教」の件りは、なかなか面白い見方だと思うし、宗教のことは分からないと敬遠しがちな日本人も、自分が日本教の信者だと仮定してみれば、何らかの信仰を持つ人たちの気持ちが分かるかも知れません。

海外生活をすると、思い知らされる日本人独特の習慣(特に日本食や入浴への執着)が、日本人にとって当たり前だと思うのと同様に、大多数のフィリピン人にとってのカトリック信仰が、何も特別ではない生活の一部だと考えれば、それほど理解しにくい話でもないと思いますよ。


2017年8月4日金曜日

シャワールーム・リノベ大作戦


今年の3月、そろそろ自宅のリノベーションを考えているという投稿をしました。それから5ヶ月。なかなか大工さんや職人さんと連絡が取れず、のびのびになっていた計画。やっと新築時の大工さんの一人、便利屋のダリ(フランスの画家ではない)が来てくれました。

フィリピンではSIMフリーの安い携帯電話が出回っていて、SIMカードも100ペソ(約220円)も出せば、いくらでも新しいものが購入可能。つまり電話番号の変更が簡単。だからと言って番号変えなくてもいいのに、半年も経つと誰の電話もつながらなくなってしまいます。

ダリの場合は、末っ子がまだ小学生。家内がその子が通う学校まで行って「パパに私の家に来るように、お願いして」と伝言したのでした。その数日後、やっと顔を見せたダリ。早速シャワールームのリノベーションを頼むと、義理のお兄さんが配管工なんだそうで、次の週末、朝から工事を始めますとのこと。

竣工後たった3年の我が家。リノベが必要なのは、老朽化したわけではなく施工ミス。シャワーブースの取り付け方が悪く、半年ほど前からフロアとの間からジワジワと漏水。その上、既製品のブース自体もあまり品質がよくなくて、いきなり把手はもげるし、樹脂製の床面は傾斜がついていなくて、排水がちゃんとできない。カビも臭いもひどいので、取っ払ってしまうことに。

そして洗面台。モノは悪くないけれど、奥を高く手前を低くするところを、逆にしてくれたもんだから、手や顔を洗って跳ね返った水が、全部奥に溜まり、左右から水漏れ。これまたカビやシミの原因に。


写真だときれいに見えるんですけどねぇ

ようやく日取りが決まったので、材料購入のため、隣のタリサイ市に最近オープンしたホームセンターへ。フィリピンで家を建てたり補修したりする場合、建材は施主自らが買い付けるのは珍しくない。大工さんに任せてしまうと、値段や品質の点で、まず思い通りの品物は入手できません。


タリサイ市にできたウィルコン

買ったのは、タイル数枚と角につけるコーナー・モール、シャワーカーテンとカーテン用のバー、排水口の金具。たったこれだけですが、完成のイメージと大雑把な工法の知識が頭にないと、何を買ったらいいのか分からない。自分の家を建てた経験がモノを言います。これが、フィリピンでの住宅建設の難しいところ。

いよいよ工事当日。約束の朝9時ちょうどに、義兄の配管工、兼左官屋さんのジュンを伴ってダリがやって来ました。初対面のジュンは、40歳過ぎぐらい。スリムでなかなかの渋い男前。英語もちゃんと理解できるし、仕事ぶりも悪くありません。これは頼りになりそう。私が用意した材料を見て、コーナー・モールまで揃っていることに満足そう。「お前さん、分かってるやんけ」と言いたげでした。


昼食中のジュン(左)とダリ(右)

工事は思ったより早く、翌日曜日の午前中には完了。シャワーブースは撤去され、畳1枚分程度の広い新シャワーブースが出来上がりました。洗面台も再設置。これなら排水もスムーズだし、カビや悪臭に悩まされることもありません。最初からこうしておけば良かった。



さて、今回の教訓。フィリピンで大工さんに仕事を依頼する場合、施主が具体的な要望をどこまで明確にイメージしているかで、仕事の良否の9割は決まってしまいます。大工さんの腕がよくて、丸投げ仕事で上手くいくのは日本でしか考えられない。

実はこれ、私がかつて所属していたデザインの世界でも同じ。仕事を頼む側(大抵はデザイナーではない経営者や商品企画担当者)が、最終完成形のイメージが希薄だったり皆無だったりすると、ロクな結果にならない。どんなアイデアを出しても、決定者に判断基準なしでは、いつまでも決まらないし、第一どんなアイデアを出すべきなのか不明。

いいデザインの商品を作るには、優秀なデザイナーや設計者の存在だけでなく、経営者や仕事を依頼するクライアントが、デザインの目利きである必要があるということ。有名な例では、スティーブ・ジョブスや本田宗一郎さんのような人たち。デザインとはメーカーの総合力だと言われる所以です。

そこまで偉大な人物を引き合いに出さなくても、フィリピンで住み心地のいい家を手に入れようと思ったら、それなりの熱意と知識、そしてある程度の経験が必須条件。今の私だったら、日本人施主向け建築コンサルタント業ができるかも知れません。誰か仕事くれませんかね? 良心的なお値段で引き受けますよ。


2017年8月2日水曜日

私的フィリピン美女図鑑 サウンド・オブ・パラダイス

今週の美女図鑑です。
このイラストは、最初に南国風景のイメージが先にありました。それもフィリピンに初渡航する前の1990年代に、一度イラストとして完成させたもの。つまり本物は一度も見たことなしに、写真や想像だけで描きました。文字通りの絵空事。タイトルは何となく頭に浮かんだ「The Sound of Paradise」という言葉。特別な意味はありません。

それでも割と気に入っていて、時々描き足したり。何年経っても、追加や修正が簡単にできるのが、デジタルの良さですね。(と同時に弱点でもありますが)

何度目かの修正を加えたものをSNSにアップしたところ、友人が目敏く見つけて、Tシャツにできないかとのご要望。この方は日本在住で、仕事も子育ても忙しい中、わざわざ私たち家族に会いに、観光地でもないシライまで海外渡航。そのお礼として、7色に分版してシルク印刷したオリジナルTシャツを、謹んで贈呈しました。

それから2年。
その構図を利用して、女性を組み合わせたら面白いかも、と思い立って描いてみたのがこれ。骨格になる構成はそのままにして、個々の要素を、フィリピンに移住してから身の回りで見たこのとある動植物に置き換えて、ディテールを描き込みました。

最初の作品に比べると、女性も含めて表現はずいぶんリアルに。ここまでやっちゃうと、良し悪しはともかく、まったく別の作品ですね。パソコンの性能もずいぶん上がったし、描画アプリも何回ものバージョンアップ。素人の趣味ながら経験値も20年分追加されたので、そうもなるでしょう。


それにしても、高校生のころは松本零士さんの影響で、宇宙戦艦ヤマトのスターシャや、銀河鉄道999のメーテルみたいな女性ばかり描いてたのに、この頃はフィリピンに住んでいるせいか、肉感的で肌は浅黒く、瞳パッチリが好みに。細身・色白・切れ長の目とは真逆もいいところ。

ということで、この一枚も「フィリピン美女図鑑」に加えることにしました。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

2017年