2021年2月16日火曜日

コロナ禍一年で牧師錯乱

2021年が明けてもう1ヶ月半。ここフィリピン・ネグロス島のシライ市では、ようやく新型コロナの陽性患者の数が、10名前後で安定してきました。人口12万人の地方都市で、一時は何百人というオーダーだったことを思うと、かなり良化したと言えるでしょう。

2月10日時点では、累計の患者671名で、現在陽性が9名。回復が629名で死者33名となっています。患者の属性は、男性44%、女性56%で、やや女性が多く、世代別だと69%の19〜59歳の就労者層に対して、19歳未満の子供が11%、60歳以上が20%。

フィリピン的な区分としては、海外出稼ぎ労働者が2%。市外から来て、そのまま動きが取れなくなった、ローカル・ストランディッド・インディビジュアル(略称がLSIってすごい)が6%。医療従事者が9%。それ以外のシライ市民が83%という内訳だそうです。

もし私が陽性となったら、やっぱり外国人なのでLSIになるんでしょうか? それとも永住ビザがあるから、シライノン(シライ市民)と見なされるのか。

さて、もうここまで来たら、すぐにでも陽性ゼロになりそうなものなんですが、ここからが減らない。かれこれ何ヶ月も、10名前後が続いている状況です。

陽性患者が出ている場所は、ほぼ固定されていて、半年ほど前は、市内の二大クラスター発生地域だった、貧困層が多いバランガイ(最小行政区画)ギンハラランとマンブラックが1〜2名と、抑え込みに成功したのに対し、富裕層が多いバランガイ・シンコ(第五バランガイ)が、ずっと3〜4名程度の患者数。

私たち家族の住むセント・フランシス・サブディビジョン(宅地)も、ここに属していて、現在の3名の一部、あるいは全員が、どうやらセント・フランシスの住人らしい。

というのは、つい一週間前、同じ宅地に住む家内の友人から「お向かいさんが、家一軒ロックダウンになっちゃった」との知らせ。それを聞いて翌朝に行ってみると、フェンスにイロンゴ語で、「Gina-bawal ang maski sino man nga mag-palapit diri.(ここに誰も近づいてはいけない)」、つまり、立入禁止の張り紙が。

ロックダウンって、もっと物々しく、映画やドラマで見るような、事件現場を黄色いテープで封印するようなイメージだったのですが、実際はあっさりしたもの。とは言え、家に住んでる人や、そのご近所さんにしてみれば、これだけでも十分重苦しいでしょうね。

比較的大きくて周囲から独立した家なら、この程度で済みますが、我が家のメイド、ライラの住むギンハラランでは、狭い場所に密集した住宅地であることが災いして、左右と裏の隣家が全部隔離。ライラも巻き添えで、しばらく欠勤したこともあります。

ちなみに、日本の一部で伝え聞くような、陽性患者本人やその家族に嫌がらせをしたり、差別するなんて話は、少なくとも、ここシライでは聞いたことがありません。貼り紙の写真を撮った私が、後で家内に怒られたぐらいで、同情こそすれ、感染した奴が自己責任で悪いという思考にはならない。

とまぁ、今のところ陽性の数も少なくなり、フィリピンへのワクチン第一陣到着のニュースもあって、息苦しさは相変わらずながら、暗闇の向こうに光明が見えた感じ。ただ、一年もこんな閉塞状況に置かれれば、精神的に追い詰められる人も出てきます。

その一人が、これまた同じ宅地に住む、アメリカ人牧師。年齢は40代ぐらいで、奥さん(カトリック神父ではなく、プロテスタントなので妻帯可能)や子供たちを含めて全員白人。アメリカ人らしく、誰にでもフレンドリーで、私も道で会えば、挨拶と短い会話をするぐらい。

ところが、昨年の10月ぐらいから、一人で聖書を読みたいからと、自家用車を路上に駐車して何時間も過ごしていたり。夕方には子連れで散歩してたのも、最近は見なくなったなぁと思ってたら、深夜に突然の錯乱。

牧師とは思えない言葉(おそらく被害妄想)を叫びながら、車のフロントグラスを壊していたそうです。宅地のガードマンが急行するだけでなく、警官もやって来て、牧師は拘束の上、病院送り。シライ市内には精神科のある病院はなかったと思うので、州都バコロドでしょう。

どうやら、アメリカに残してきた親御さんが、健康面に問題を抱えているのに、コロナ禍のせいで帰国もできず、いろいろ悩んでいたらしい。日本に住む私の母も、似たような状況なので、彼の気持ちは痛いほど分かる。聖職者だって人間ですからね。


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