2022年6月30日木曜日

再読「ロシアについて」

 今年(2022)の前半最後の投稿は、2月に始まって現在も予断を許さない状況の、プーチンによるウクライナ侵略について、思うところを書きます。

はるか離れたフィリピンの僻地でも、深刻なガソリン価格高騰によるインフレで、たいへんな迷惑を被っている、プーチンの蛮行。


そこで思い出したのが、日本から持ち込んだ大量の蔵書の中の一冊、司馬遼太郎さんの「ロシアについて 〜北方の原形〜」という本。


再読と書きましたが、社会人になって数年目ぐらいで購入してから、45回は繰り返し読んだと思います。決して分厚い書物ではなく、エッセイなので読みやすい。それでいて司馬さん独特の深い考察には、読む度に発見がある良書。


最近ツイッターで「司馬遼太郎を読んで歴史を学んでるつもりの方はここに居ないと思いますが」なんて、司馬さんの著作の大部分を読んで、日本史にハマった中高年(つまり私みたいなオッさん)には、いささかパンチの効いたセリフが流行ってます。


確かに司馬さんは、フィクションがメインの小説家であって、歴史学者ではないし、彼が創作したストーリーを、そのまま史実と思い込むと、大きな落とし穴にハマりかねません。


この「ロシアについて」も、飽くまで司馬さんの視点、経験(かつて戦車兵として、第二次世界大戦当時の満州に送り込まれた)を通じて書かれたエッセイです。


それでも、改めてロシア側から、ウクライナ侵略について考えるには、多くのヒントがありました。


この本が書かれたのは、まだこの世界にソビエト連邦という国家が存在していた頃。その後のベルリンの壁崩壊に続いて、連邦が解体され、ウクライナを始めとする各国が独立したのは、ご存知の通り。


まず司馬さんが語るのは、大国ロシアの母体となったモンゴル帝国の一部、キプチャク汗国(ジョチ・ウルス)


領土欲だけで隣国に攻め入り、破壊・虐殺・掠奪に加えて、住民まで連れ去るという、13世紀モンゴルの戦法の由来などを、淡々と描写。


ところが今読むと、まるでモンゴルの亡霊が、21世紀のロシアの支配者に憑依したのかと錯覚するほど。かつてのモンゴル騎馬軍団のような圧倒的な強さとは異なり、現代のロシア軍は、装備も士気も、戦前の評価に遠く及ばなかったのは、ウクライナにとって幸いでした。


ただCNNBBCの報道によると、ロシア兵が占領地でやってる行為は、800年前のモンゴル人と変わらない。死後20年以上を経て、司馬さんが、現在の情勢を予言したんじゃないかと思ってしまいました。


司馬さんの筆致は、モンゴルの衰退に続き、その領土を引き継いだ、ロシア皇帝によるシベリアへの拡大政策。その帰結として、東方の島嶼国家、日本との邂逅。遂には悲劇的な日露戦争を経て、先の大戦最末期の対日宣戦布告から、今も未解決の北方領土に及びます。


今回、読了して強く印象に残ったのは、かつて祖国をモンゴルに蹂躙され、数世紀もの「タタールの軛(くびき)」と呼ばれる圧政に苦しんだロシア。その反動のように、ひたすら領土拡大に奔走し、拡がった領土を守るため、病的なまでの軍事偏重、特に大砲を偏愛する悪循環。


プーチン自身が、自らをピョートル大帝に擬えたスピーチを行ったのには、寒気がしてしまいました。結局今も昔も、ロシア政治の行動原理の根幹には、領土拡大への衝動が、動かし難く存在するのかも知れません。




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