2023年3月31日金曜日

願望 シン・ウルトラセブン


ひし美ゆり子さん演じるアンヌ
出典:アニメージュ・プラス

 今日本では、シン・ゴジラ、シン・ウルトラマンに続き、庵野秀明監督のシン・仮面ライダーが好調。私より数年だけ歳上の庵野監督。やっぱり子供の頃に影響を受けた映画やテレビ番組は、だいたい同じのようです。

彼の作品では、「新世紀エヴァンゲリヲン」シリーズが嚆矢なんでしょうけど、放送開始が1995年。私の人生で公私共に一番多忙だった時期なので、見るきっかけがなかったんですよ。年初には阪神淡路大震災があったし、11月にはフィリピンを含む東南アジア諸国の連続出張してたり。

そんなわけで、庵野作品として最初に意識して見始めたが、シン・ゴジラ(庵野さんは総監督で、監督は樋口真嗣さん)。つまりフィリピンに移住してから。作風はまったく違いますが、アニメから出発して、実写も手がけている有名監督としては、押井守さんがいますね。こちらは、「うる星やつら2」を始めとして「パトレイバー」「攻殻機動隊」など、だいたいの映画は観ております。

さて、庵野さんのような、日本を代表する映像クリエーターになると、どうしても「撮りたい映画」だけ撮ってるように思われがちですが、実は、国内外の多くのヒット・メーカー同様、マーケティングの感覚は臆病なほどに鋭いそうです。観客に受けなければ、次作にお金はかけられないし、まず企画自体が通らないから、当たり前と言えば当たり前。

社会現象化したシン・ゴジラほどではないにせよ、十分「大ヒット」のシン・ウルトラマン。その直後にもかかわらず、昔を知るライダーファンに寄せるか、若い人にアピールするかで、すごく悩んだそうです。それを探るためにわざわざ早い段階で、1970年代の特撮風と今風の予告編を用意。両方ともYouTubeで見ましたが、言われてみれば確かにそうでした。

ちなみにフィリピンでもゴジラは、ハリウッドで再三映画化されてることもあり、それなりの知名度。ところがウルトラマンになると知ってる人が激減して、仮面ライダーは誰も知らない。同じ石森章太郎さん原作でも、パワーレンジャー(アメリカでリメイクされた秘密戦隊ゴレンジャー)は、ファンが多いんですけど。

そしてネット界隈での話題は、次の「シン」は何か? 

もし出渕裕さんの「宇宙戦艦ヤマト2199」や、安彦良和さんの「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」が世に出てなければ、絶対にヤマトかガンダムってことになったんでしょうが、さすがにそれはもうない。ガメラも、樋口真嗣さんが「平成ガメラ・シリーズ」で3本も特撮監督やってるし。

そこで私が一番に推したいのがウルトラセブン。いやウルトラマンが既出なんだから、ヤマト以上に無いだろ?と言われるのは承知の上。だって最初の1970年代に小学生だった世代にすれば、おそらくウルトラマンよりセブンの方がハマった人は多いはず。

当時としては破格の大ヒット作品なのに、あまりにスケジュールが厳し過ぎて、半年余りで一旦休止せざるを得なかったウルトラマン。予算や時間がもう少しあったら、ああしたいこうしたいというスタッフの思いの丈を、次作のウルトラセブンにぶつけたそうです。ある意味、セブンこそ「シン・ウルトラマン」だったのかも知れません。

リアルタイムで視聴してた当時は無我夢中でしたが、大人になってその魅力を分析すれば、やっぱり「メカニック」と「恋愛」の二大要素。

まずはメカニック。空前の格好良さだったウルトラホーク1号とウルトラ警備隊の各種兵器。何より富士山麓の地下にある設定の秘密基地からのホーク1号発進シークエンス。なぜか構内アナウンスが英語だったのは、少し前に、同じく子供たちを熱狂させた、イギリス製の「サンダーバード」への対抗心だったんですね。

このホーク1号って、合体メカの先駆けだったように思います。前作のキャプテン・ウルトラにも3機が合体するシュピーゲル号はありましたが、造形センスも特撮の凝り方も、ずいぶんと洗練されてたなぁ。

そして、主人公モロボシ・ダンと、アンヌ隊員の恋愛。正直、幼稚園から小学校の年齢だった私にはイマイチ理解できなかったものの、シリーズ全話を通じて通奏低音のように流れる、アンヌの淡い恋心。ファンの間ではもはや神話になった、最終回での劇的な別れのシーンは、ダンが自分の正体を明かすというより、大人になって見たら完璧にアンヌからの愛の告白。BGMがシューマンのピアノ協奏曲という格調高さも感涙もの。

ということで、庵野さんも当然ウルトラセブンは知ってるでしょうし、ファンにとっての勘所も熟知しているのは間違いなし。監督の次回作には、ぜひ「シン・ウルトラセブン」をお願いしたいものです。

令和のアンヌ隊員に会いたいのは、絶対に私だけじゃないと思いますよ。


5年前に描いたウルトラセブンのイラスト



2023年3月30日木曜日

ダブル腰痛


出典:株式会社石井マーク

 少し前にぎっくり腰について投稿をしましたが、今回は私ではなく、家内と私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)家庭教師のバンビ。かれこれ1ヶ月ぐらい前に、たまたま二人が同じタイミングで腰を「いわして」しまいました。いわすとは関西の方言で、痛めたとか怪我したという意味で、家内が自分の腰に何か喋らせたわけではありません。

バンビの家族はその昔、引っ越す前の家内の実家のお隣さん。そして今も、二人はシライ市内のフィリピン教育省の分室に勤務するオフィスメイト。その縁で、一昨年(2021年)私の家庭教師が辞めた時に、後任で紹介してもらいました。ついでにバンビの10歳年長の実姉グレイスは我が家のメイドさんで、グレイスの娘のエイプリルがたまに先生の代打。結果的に家族ぐるみの付き合いとなっております。

さて、最初はバンビ。昨年不惑を迎えた彼女は、月のものがとても重い。痛みがひどい時は、とても家庭教師どころではなく、半日は寝込んでしまうこともしばしば。なので当日の朝になってから「ごめんなさい、今日は休みます」メッセージが来たりします。まぁ、遅れるのも休むのも、ちゃんと連絡してくれるだけフィリピンでは悪くない対応。基本的に真面目な人ですからね。

ちなみにフィリピンでは、女性の生理に関しての男性側の理解が、日本よりずっと進んでいる印象。さりげなく察して気遣うといった、ちゃんと分かっていて行動で示せる男性が多い。

それに対して、いまだに日本では、生理であることをパートナー以外の異性に悟らせるのは女の恥、みたいな雰囲気が残ってる気がします。それどころか、災害避難所に支援物資として送られた生理用品を「こんな時に不謹慎な」と叩き返したオっさんがいたと聞いて、どこまで無知でアホなんやと呆れたことがあるぐらい。

それはさて置き、週末が三連休になった2月末の土曜日。急な休みの知らせにも、てっきり生理かと思い「またか、お大事に」だったのが、翌週も痛みが引かないとのこと。後で聞いた話では、金曜日が休みになって、朝からタライで洗濯しようとかがんだ拍子に、腰がグキッ!うわぁ、もう絵に描いたようなぎっくり腰じゃないですか。

それとシンクロするかのように、週明け月曜日に、腰をさすりながら仕事から戻った家内。なんとか歩くことはできるものの、夕食後はすぐに横になるほどの痛み。結局二人とも、痛みが引くまで丸々二週間ぐらいかかってしまいました。

年齢差は20年近いバンビと家内。高校卒業してすぐ結婚・出産も多いフィリピンなので、下手すると母娘と言っても通ります。2回連続で私のイロンゴ語レッスンが休講になった時、家内が言ったのが「私よりずっと若いくせに」。う〜ん、多分この手の腰痛は、年齢関係ないと思うよ。



2023年3月29日水曜日

8時間労働の意味が理解できない日本人

 先日ツイッターで紹介されていた「男性育休・育児のロング・アンド・ワインディング・ロード」という記事が、なかなか考えさせられる内容でした。これは岩波書店が運営しているサイト「たねをまく」への寄稿で、筆者は大学の教授。

同じく大学の研究者である奥さんの出産に伴い、諸般の事情から夫の筆者が、1年10ヶ月の育児休業を取得し、その後も単身で家事・育児。今の日本で、共働き夫婦が子育てすることの難しさを、思い知らされるような内容でした。

詳しくは記事をお読みいただくとして、シンプルに疑問に思ったのが、なぜ日本では8時間労働が根付かないのかということ。一応は法律でも1日の労働時間は8時間で、その間、最低45分の休憩が必須、1週間では最大40時間となってますが、実際に日本で会社勤めした経験がある人なら、いかにこれがザル法かは、言うまでもないでしょう。

海外で仕事したり住んだ経験からすると、連日帰宅が夜9時、10時、下手すれば終電が当たり前なんて国は、日本以外に見たことがありません。ちなみに我が家では、家内がフィリピン教育省の職員で、月〜金勤務。私はメイドさんの助けを借りながら主夫業を営んでおます。

移住して家内が就職して、かれこれ6〜7年ぐらいですが、帰宅が深夜に及んだことなんて、本当に記憶にない。たまに翌日、本省からエラいさんが来るので準備に残業、とかがあっても、せいぜい夜8時ぐらい。それも年に数回あるかどうか。

基本は夕方の5時に仕事は終わり、トライシクル(オート輪タク)で10分もかからない場所なので、少々遅くても6時には家内は戻っています。なので我が家の夕食は毎日6時過ぎ。当然、高校生の息子も一緒に食卓を囲み、その日あったあことなど話したり。フィリピンならば、ごく普通の風景です。この「ごく普通」が、日本で成立する家庭は、一体どれだけあるのやら。

そもそも8時間労働って、19世紀に1日12〜14時間働かされていた欧米の労働者たちが、とんでもない苦労をして資本家や経営者から勝ち取った血と汗の成果。そんな経緯があるので、彼の地での労働観の根底にあるのは「苦行」。働くことは辛く苦しいことなので、少しでも早く年金を受け取り、悠々自適の生活に憧れる人が多いそうです。

そしてちょうど今(2023年)フランスでは、現行の62歳から64歳に定年退職年齢の引き上げをめぐって、大揉めに揉めている真っ最中。すでに65歳からしか年金を貰えない日本人からすれば、羨ましいぐらいです。

フィリピンも、300年以上に及ぶスペインの占領を経て、搾取され続けた歴史があるせいか、労働に対する感覚は似たようなもの。オフィスでは定時近くになると、タイムカードの前に行列ができる。1分1秒でも余計に職場に居たくないらしい。でも、この逸話を笑ったあなたは、完全に日本的仕事中毒に毒されていますよ。

これが30年ぐらい前の、まだ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」神話が生きていた、バブル経済華やかなりし頃ならまだしも、非効率的な長時間労働の悪習は引きずったまま、給与は相対的に下がり続け、今では日本でオフィス勤めするより、アメリカや西ヨーロッパでウェイターやウェイトレスやってる方が割りが良いぐらい。

もうフィリピンに住んで10年も経つ私にすれば、地滑り的に労働力の海外流出が起こらないのが、不思議で仕方がない。冒頭に紹介した記事を書いた方は大学教授。日本の外で知的労働に就くだけのポテンシャリティはお持ちのはず。なぜ日本に固執するのか。

こう書くと、日本を捨てるなんて非国民が!みたいな前時代的な罵声が聴こえてきそうですが、他に選択肢があると示されれば、必ず、人材を引き止めるために待遇が改善されると思うんですよ。今、人不足が深刻な教員とかトラックの運転手って、結局仕事が厳しく長時間なのに、給与が安いから。決して「若者の○○離れ」の類いでも、やりがいがないわけじゃないでしょう。

日本以外の場所での8時間労働って、野球が9回まで、サッカーが45分ハーフの90分で終わるのと同様の絶対的なルール。延長戦になることがあっても、飽くまでそれは例外。プロの選手だって、毎試合延長戦させられたら、疲労は回復せず、メンタルやられちゃいますよ。


2023年3月27日月曜日

やっと真夏のネグロス島

 いやぁ、今年のフィリピン・ネグロス島は、年明けから天候不順が続きました。2月の初めに、天候が安定してきたなんて投稿もしましたが、実はあれからもイマイチ。1月に比べれば、そこそこ晴れの日もあったものの、例年の涼しい乾季とはほど遠い雨の多さ。

そして、ようやく3月も半ば辺りになってから、今度こそ本格的な乾季となった次第。もう涼しくも何ともなく、先週には遂に体感温度が40度到達で、いきなり夏になっちゃいました。あんまり嬉しそうにブログに書くと、フェイント食らいそうで様子見てたんですけど、どうやら本物の夏らしい。やっぱりフィリピンは、こうでなくっちゃ。

ただ、体感温度40度と言っても、大阪や東京の7〜8月に比べたら、はるかに凌ぎやすい暑さ。不快指数で比べたら、ずいぶん低めに出るかも知れません。まず、湿度がそれほどでもないし、田舎なので緑が多く、日没と同時にグっと気温が下がる。もちろん就寝時にはエアコンも使いますが、せいぜいオフタイマーで2時間ぐらい。我慢してたら命にかかわる、みたいな殺人的な暑さではありません。

これはフィリピン国内の、マニラ辺りと比べても過ごしやすい。このブログで何度も書いているように、もし老後のフィリピン移住をお考えならば、マニラ・セブより、地方の州都とその近辺がお勧めです。

方や、母国の日本はと言いますと、1〜2月はやたら雪が多くて、これは春もゆっくりかと思いきや、急に暖かくなったらしく、私のSNSのタイムラインには、日本の友達による桜の写真がずらり。フィリピンにいても、季節感が皆無ではないんですが、やっぱり圧倒的な存在の桜の前には、最高気温が5〜6度に上がったぐらいの変化は、全然大したことないですね。フィリピンに比べればまだ寒いし、花粉の心配もあるので、今帰国したいとは思いませんが。

それはさて置き、フィリピンの夏。本来ならば、1年で一番暑くなる4〜5月は、2ヶ月丸々学校の夏休み。ところがコロナ禍で生じたスケジュールの混乱が、まだ収拾されていないため、夏休みもずれ込む模様で、せっかくの安定した夏空なのに、子供連れの行楽は週末に限られそう。とか言いながら来月、息子を1日休ませて2泊3日の家族旅行を予定してはおりますが。

ということで、やや夏バテ気味ながら、長雨よりはよっぽど気分のいい、ネグロス島の近況でした。



2023年3月24日金曜日

子育てを阻む日本、放置するフィリピン 後編

 引き続き、子育て支援のお話。

前回の投稿では、明石市の泉房穂市長の子育て支援を取り上げました。彼の取り組んでいる「所得制限なしの五つの無料化」に代表される政策は、本人さんも言っている通り、ある意味当然。本気で出生率を上げて経済を回したいのなら、誰が考えたってそれしかないだろうという王道。

ところが、素人でも分かるシンプルな話って、変に裏を知っている玄人ぶった連中が、滔々と出来ない理由を数え上げて潰してしまいがいち。これは政治の世界に限ったことではなく、組織が大きい民間企業でも同じなんですよね。私もサラリーマン時代、嫌というほど思い知らされた日本の現実。

実際、子育てには心配が山積み。もし障害を持って生まれたら、病気になったら、学費が高過ぎたら...。特に、病的なほど失敗を恐れる傾向が顕著な若い世代。保険も年金も、自分たちの負担額は上がるのに、老後には年金が貰えるかどうかも分からない。あまりの待遇の悪さに教員の成り手がない。PTAに入らないと子供が不利益を受ける。イジメ(と呼ばれる犯罪)で子供が自殺。

これだけ嫌になるような報道ばかりだと、いざ子供を持とうと思っても躊躇してしまって当然でしょう。一人目はもちろん、二人目三人目には相当なハードルになる。

幸いにも私たち夫婦の場合、経済的にはそこそこ余裕があって、家内の出産に際しては、多少高くても英語が話せるドクターのいる産婦人科を選んだり、保育園〜幼稚園一貫のモンテッソーリ式施設に通わせたり。家内が専業主婦だったのも大きかった。

これまた幸いに、生まれた時から息子は健康優良児。言葉も早く、幼稚園の時には、最寄り駅まで歩く間、商店街の漢字や英語の看板を全部読み上げて、ママ友を驚かせたりしてました。これは少々親バカが過ぎますね。

それでも小学校に入ろうかという頃に心配したのが、日比混血であることを理由にしたイジメ。実際には日本の小学校には1年通っただけで、2年に上がるタイミングで移住。その間、イジメに遭うことはありませんでした。

そこから現在に至る10年の間、小中高、ずっとネグロス島の地元私立学校に在籍する息子。なぜ私立かと言うと、全教科を英語で教えてくれるから。もちろん教師も生徒もほぼ全員がイロンゴ語(西ネグロスの方言)ネイティブで、一般の会話はイロンゴとなるんですが、少なくとも授業中は英語。

おかげさまで、普通に友達もできたし、不登校になるようなこともない。むしろ小学校低学年の頃は、日本人っぽい風貌が珍しがられて、女の子にモテたりしてました。その後、モテ期(?)は過ぎたものの、成績は上々で英語・数学・科学(理科)では、時々学年トップの賞状を貰ってます。

この経験を持ってして、フィリピンでの子育てが日本より楽だと言うと、かなり語弊はあるでしょうけど、親同士や教師との人間関係の不和、あるいは差別・イジメの類で悩んだことがなかったのは事実。もっとも、日本への帰国前提で、マニラやセブの日本人学校に通学となったら、いろいろあったかも知れません。

ともかく、国公立ならば大学まで含めて学費は無料。また、予期せぬ妊娠・出産、あるいは病気や貧困、服役などで義務教育の機会を失った人のための専門のスタッフもいます。私のイロンゴ語家庭教師のバンビの本職が、このALS(Alternative Learning System / 代替学習制度)の先生。

とは言うものの、五つの無料化なんて夢のまた夢だし、親の無知・貧困による教育格差は、残酷なほど厳然とあるのがフィリピンの現実。国民皆保険がなく、たとえ生き死にに関わる病気になっても、満足な医療も受けられない子供は、決して少なくない。実際フィリピンの新生児の死亡率は、1000人当たり13人にも及び、1人未満の日本に比べると大変な高さ。(2022年WHOの調査

それでもフィリピンの出生率は、まったく下がる気配すらない。これだけ子育てに対する不安要素があっても、結構若いカップルはガンガン結婚するし、結婚しなくてもガンガン子供を作っちゃいます。また生まれた子供は、たとえ母子家庭でも、周囲の親戚や隣近所が寄ってたかって育てちゃう雰囲気がある。

この辺りは、ベビーカーで満員電車に乗ると露骨に嫌がられる、日本の社会的な子供嫌いからは想像も難しいレベル。ほんと、フィリピンでは老若男女、子供好きが多いですから。

ごく最近、21世紀になって20年以上経過した今頃になって、カトリックの総本山バチカンでは、避妊を認める動きが出てきたので、ひょっとするとフィリピンでも、多少の人口増加抑制のきっかけにはなるかも。

誤解のないよう書き添えますが、フィリピンでも、マトモな教育を受けた男女なら普通に避妊はするし、薬局で避妊具はちゃんと売ってます。

ということで、積極的に子育てを難しくしている(としか思えない)日本と、ほぼ子育て支援は放置状態なのに、子供がうじゃうじゃいるフィリピン。正直、ここまで差が極端だと、どっちが幸せなのか判断が難しい。いつものことながら、中間ぐらいの国って、ないものかと溜息が出ます。



2023年3月22日水曜日

子育てを阻む日本、放置するフィリピン 前編

 1年ほど前からツイッターでフォローし始めた、明石市の泉房穂市長。最近にわかに各種メディアに取り上げられることが増えているようです。その政策は至極真っ当でシンプル、しかも私より一つ年下なだけの世代、私と同様、コテコテの関西弁話者とあって、親近感を持たないわけにはいきません。

子育て支援だけがクローズアップされてはいますが、彼がずっと主張しているのが、弱者に優しい社会の実現。貧しい漁師の家に生まれ、弟さんが身体障害者。政治や社会がいかに弱者を冷遇しているか、身をもって体験されたそうです。確かに私が子供の頃って、高度経済成長のイケイケどんどんの時代。ハンディのある人を、思いやる余裕さえなかったなぁ。貧困や障害者だけでなく、被差別部落や韓国・朝鮮籍の人たちへ差別意思がむき出しでした。

そしてそこからが泉さんのすごいところ。本気で社会を変えるために東大の教育学部へ進学し、NHKやテレビ朝日のマスメディアの職を経て弁護士に。普通なら、それだけでもすごい経歴なのに、そこから衆議院議員に当選。紆余曲折のあと現在の明石市長に就任されました。

以後は、よく知られているように、子育て支援(医療費・給食の制限なしの無料化など)の予算倍増を推進して、全国の自治体ではトップクラスの出生率を実現。子供が増えたお陰で地域の経済成長も回復し、今では日本で一番住みたい街、住みやすい街の常連となるほど。

ただ、最優先である子育て支援への充当のために、不要不急のインフラ予算を削るという、本来あるべき「政治」を行った結果、そちらに利権を持つと思われる、多くの市会議員の執拗な反対を受けたそうです。言論によるものだけなく、完全な虚偽まで含む誹謗中傷にエスカレート。果ては殺害予告まで受ける始末。

肝心の市民からの評価はというと、2019年の出直し選挙で、70%を超える得票率で再選されたことを見れば明らか。

ここまで有言実行で分かりやすい実績を残し、しかも関西弁のお喋り市長というタレント性も兼ね備えた泉さんを、マスコミが放っておくはずがありません。最初は現政権の顔色伺いをしながら...みたいな感じだったのが、今年(2023年)に入った頃からは、やたらワイドショー出演や取材が相次いでいるらしい。YouTubeでは、ホリエモンこと堀江貴文さんと対談もされてますね。

こうなると、本人が言ってるだけでなく、近年稀に見る実行力のない岸田政権と比べられるのは仕方がない。ほんと、いつまで「検討」するんでしょうかね。弱小地方自治体とは言え、こんなにはっきり効果が出てるんだから、子供のための医療費・給食の制限なしの無料化ぐらい、さっさと実現すればいいのに。

要するに、泉さんの政策が注目を集める背景には、裏を返せば、どれだけ今まで自公の与党が、問題を先送りしてきたかということでしょう。これから親になろうという若い世代の給与を上げない、教職に至っては残業代の支払いも認めない。支援どころか、徹底して子育てを阻むのが目的としか思えません。

手前味噌で恐縮ながら、息子が小学校1年生になった10年前に、日本を離れてフィリピンに移住したことは、子育ての観点からすると、残念ながら大正解だったとしか思えません。もちろん、ライフスタイルの違いや、フィリピン暮らしの向き不向きがあるので、誰にでもお勧めする特効薬でもないですが。

ということで、序盤が長くなり過ぎましたので、お話は後編に続きます。



2023年3月21日火曜日

恐怖の鳥軍団「ピスピス」

 ピスピス(Pispis)っていうのは、個別の鳥の名称ではなく、私の住むフィリピン・西ネグロスの方言イロンゴ語で、鳥全般の意味。

公用語のタガログでもそうなんですが、こちらの言葉って、名詞でも動詞でも繰り返し音が多い。例えば、雑貨屋はサリサリ(Sarisari)、散歩はラカット・ラカット(Lakat lakat)。形容詞は、繰り返すことで強調するので、「大きい」のダコ(Dako)が、すっごく大きいとダコダコ(Dako dako)。何だか幼児言葉のようで、オっさんが喋っても妙に可愛く聴こえます。

この辺りの語感が、フィリピン国内でもイロンガ(女性イロンゴ話者)が、魅力的だと言われる所以。差し詰め日本なら、京都弁みたいな感じかも知れません。

ところでピスピス。タガログとも、お隣のセブアノとも全く違う言葉。タガログではイボン(ibon)でセブアノだとランガム(langgam)だそうです。あまり可愛くないですね。

なぜイロンゴ語の鳥の話から始めたかと言うと、最近、自宅の向かいにある木に大量の鳥が集まるようになって、毎日鳴きまくっているから。日本でもありそうな、椿に似たような葉の樹木で、それほどの大木でもなく、高さがせいぜい4メートルぐらい。ただ、水平に広く繁茂して大きな木陰ができるので、庭木にすると良さそうな樹相。

今この木に、小さなサクランボみたいな実が鈴成り。おそらくそれを目当てに鳥が来るんでしょう。実と同様、鳥もかなり小型で、成鳥でも鶏のヒヨコ程度。これが何十羽、あるいは百羽近くいるのか、朝からやかましいことこの上なし。なるほどなぁ、確かに「ピスピス」と聴こえます。さすがネグロスの鳥だ。

一羽づつなら可愛い小鳥でも、これだけいたらちょっと怖い。私の同世代なら、映画『ヒッチコックの鳥」を思い出すでしょう。もっと怖いのは、子供の頃に見た「妖怪人間ベム」のエピソード。無数のカラスが路面電車を襲い、満員の乗客を皆殺しにしてしまうという、およそ子供向けとは思えない、トラウマ級のアニメ。

それはさて置き、音量から言うとすごいレベルのはずが、意外にもそれほどの不快感がないのが不思議。ブログやイラスト作業に集中すると忘れてしまう程度で「あれ、いつの間に鳴きやんだ?」てな具合。何なら余裕で昼寝でもできそう。

同じ鳥類でも鶏だとこうはいきません。なぜか近所で数羽の雄鶏が放し飼いされてるもんだから、朝の暗いうちに至近距離で時を告げられると、早朝覚醒で二度寝もできないという目に遭います。我が家の飼い犬、ゴマも同様。まぁゴマの場合は番犬なので、吠えないと意味がないんですけどね。

ということで、緑が多い(つまり周囲が空き地ばかり)私が住んでいる宅地セント・フランシス。今、このブログを書いている書斎の窓からの景色も緑がいっぱい。冒頭のピスピスだけでなく、何種類いるのか分からないぐらい、毎日・毎朝、いろいろな野鳥が囀ります。これが本来のフィリピンの自然。

こんな楽園に生まれ育った人たちが、なぜ騒音のような大音量音楽を好むのか、はなはだ理解に苦しむところです。



2023年3月15日水曜日

突然普及の電動ジプニー

 フィリピンの代表的な公共交通機関と言えば、フィリピン人も、私のような外国人でさえ「ジプニー」だと答えるでしょう。それぐらいこの国の生活に定着しているジプニー。日本のバスと違い、ルート上ならば停留所の有無に関係なく乗り降りできるし、数十円から百円程度で利用できる手軽さ。私も、このフィリピンらしい大雑把さは嫌いではありません。

だからと言って、ジプニーの車両そのものが好きかと訊かれたら、私は即答で「ノー」。混雑時は狭い車内にぎゅう詰めにされるし、一部のエアコン付きを除けば、窓ガラスがないので雨が降るとたいへん。透明ビニールのカバーを下ろすと濡れない代わりに蒸し風呂状態。

何よりも問題なのは、ほとんどが何十年も使い続けた旧式のエンジン搭載車ばかりだということ。あの黒煙を撒き散らしながら走る姿を見ていると、フィリピンの大気汚染の元凶は、ジプニーであるのは間違いない。

そもそも「ジプニー」という愛称は、太平洋戦争で米軍が使い古して置いていった「Jeep」が語源。つまりアメリカの自動車ブランドが、交通機関そのものの名前に転化したわけです。何となく、ベトナムでバイク一般を「ホンダ」と呼ぶのに似てますね。

そんなわけで、かれこれ80年に及ぼうかというジプニーの歴史が、今年(2023年)は大転換を迎えそうな勢い。2017年から始まった、ジプニーの近代化政策が、いよいよ今年で総仕上げ。つまり、古い車両を全部電動車に置き換えるそうです。

実際のところ、5年かけて徐々にという感じではなく、ガソリン車廃止の期限が3月末に迫った頃になって、いきなり電動車が走り出した印象。これはマニラなどの首都圏ではなく、私が実際に見た、西ネグロスの州都バコロドでのお話。

先日、久しぶりに出かけてバコロド市内に入った途端、見慣れないマイクロバスみたいなのがたくさん。一緒にいた家内によると、あれこそが噂に聞くE(電動)ジプニー。よく見ると日本の日野自動車のマークが付いてます。正直、あんまりスタイリッシュな見栄えではなく、個性的なクラシック・ジプニーの外観に比べたら無味乾燥。これも時代の流れなのか?

それはさて置き、何となくこういうのって、全部中国製になるのかと思ってたんですが、以前の日経の記事を見てみると、ドゥテルテ大統領の時代に、日野といすゞがいち早く動いたらしい。

私はまだ乗ったことはないけれど、地元新聞の記事によると、静かだしエアコン効いてるし、乗客にすれば少しぐらい高くなっても、もう古いのには乗りたくないそうです。そりゃそうでしょう。ちなみに乗り合いバスやオート三輪の電化の流れは、フィリピンだけでなく、タイやインドネシア、インドなどでも同様とのこと。

ただ、こうなると問題になるのが、ジプニーのオーナーやドライバーへの経済負担。新車購入には5〜600万円ぐらいかかるの言うのに、政府からの補助金が無い。当然のように今月には大規模なストライキが起こり、切り替え期限が当初の3月末から年内一杯にまで延期となりました。昨年の大統領選で、公約の一つにジプニー・ドライバーの収入増を掲げて当選したボンボン・マルコスは「嘘つき」の謗りを受けている始末。

私としては、新しくて快適なジプニーになるのは大歓迎だし、バコロドに住んでた日本人の友達が、揃って気管支炎を患うほどの大気汚染も少しはマシになるでしょう。日本メーカー生産の車両ならば尚更です。

ということで、すんなりジプニーの近代化が今年で完了するかどうかは、まだまだ不透明ですが、ストをしている人たちも電化そのものには抗えないと自覚している様子。結局、政府が補助金をどれだけ出せるかが、軟着陸の鍵になりそうです。



2023年3月14日火曜日

フィリピンで運用開始のスターリンク

 前回は、12時間と思っていた週末の計画停電が、実は朝と夕方の1時間づつの2時間だけだったという投稿をしました。この停電来る来る詐欺(?)と直接関係があるのかどうかはよく分からないけれど、電源復旧後、ものすごく繋がりにくくなってしまった我が家のインターネット。

SNSやニュースの記事を読もうとしても、写真や動画の読み込みが遅すぎる。もうストレスが溜まって、閲覧できないレベル。まぁ、以前から公称 100Mbps のはずが、実際には20〜50 Mbps 程度で、30分ぐらい急に不通になる不安定さはあったとは言え、停電前は、これほどひどくはなかった。

さらに痛いのは、なぜかVPNを起動すると、ネットそのものが見られなくなってしまうこと。昨年末以来、日本版のネットフリックスやアマゾン・プライムを楽しみにしている身としては、腹立たしいことこの上なし。仕方がないので、家内に頼んで、PLDT(大手プロバイダーのフィリピン長距離通信)のサポセンに連絡。一旦ルーターの電源を落として5分後に再起動してくださいとのメール指示も虚しく、まったく改善の兆しなし。

結局、担当者のお兄ちゃんがやって来たのは、丸々1週間後の日曜日でした。

速度を測って「こりゃ遅すぎでダメです」って、分かっとるわ!だからあなたを呼んだんでしょうに。と、お約束のやり取りの後、サーバー側の問題らしいと、何やらメッセージを送ってます。そして数分もしないうちに、200Mbps まで通信速度が戻りました。こんなに簡単なら、なんで最初に苦情入れた時に対応できなかったのかなぁ?

ここまでがモデムを設置してある母屋2階の話。身分不相応なサイズの家を建てちゃったので、1階やら別棟のゲストハウスなどに配置したルーターをそれぞれ確認。この間、兄ちゃんには居間で待っててもらってたら、何やら本棚を興味深そうに眺めている。視線の先は、SFドラマのスタートレックのDVDボックス。フィリピンにも時々トレッキー仲間がいるんですよね。作業が終わって帰り際に、宇宙人スポックの挨拶「長寿と繁栄を」をやりましたよ。

そんなドタバタを経て、インターネット環境は回復したものの、相変わらず快適とは程遠い、フィリピンの通信プロバイダーとのお付き合い。このPLDTもそうだし、以前使ってたグローブもサービス品質の点では、どんぐりの背比べ。もう一つ、最近参入したディト(DITO)もありますが、あまり評判を聞きませんね。

去年までなら、フィリピン住まいだから仕方がないと、ここで思考停止になるところが、実は先月(2023年2月)から、何とこの国でもスターリンクがサービスを開始したとの報道が。コロナ禍で昨年末の予定から少し遅れたものの、すでに7万円程度の機材を買って、月額約6,000円を払えば利用できるとのこと。

ちなみにスターリンクとは、凄腕プログラマーにして実業家、今では世界一の富豪となったイーロン・マスク氏が運営する、人口衛星を使ったインターネット利用システム。詳しい理屈はともかく、テレビの衛星放送みたいに小さなパラボラを設置して、空から降ってくるシグナルを受信するというサービス。

気になる速度は20Mbps程度なので、まだ既存のブロードバンドの方が安くて速い。今の所、山間部や離島、あるいは災害時のバックアップということなんでしょうけど、低価格化・高速化はすぐでしょう。私としては、PLDTより少し高いが倍はしない、ぐらいになったら、トットと乗り換えようと思ってます。

かつての有線電話から携帯に大変革が起こったように、既存の通信業者は廃業の危機。もちろん日本も例外ではないでしょう。なるほどなぁ、ホリエモンこと堀江貴文さんが、宇宙事業に入れ込んでいるのも分かります。人口衛星打ち上げって、数少ない日本が生き残る可能性を秘めた、前途揚々たる先端技術。

ということで、近頃ツイッター買収など、何かとゴシップを提供してくれるイーロン・マスクさんですが、やる気のないPLDTやグローブに、鉄槌を下してもらいたい。



2023年3月12日日曜日

フェイント停電

 先週末、ここフィリピン・ネグロス島では、ほぼ定例行事化している計画停電がありました。だいたい1ヶ月から2ヶ月に一度、昼間の8時間とか12時間、土日のいずれかに電気が止まります。理由がメンテナンスなのは分かりますが、日本の電力会社だったら送電したままやりますよね?

おそらく、どこかの変電所の施設を点検だか修理をするんでしょうけど、今回は、私たちが住むネグロス島西側の主要部分を管轄するセネコ(CENECO / ネグロス中央電力)の責任ではなく、その上部組織である NGCP(National Grid Corporation of the Philippines / フィリピン国家配電網株式会社)が、送電を止めるからだとか。

住民からすれば、どっちでも結果は同じながら、セネコが何かをらかした場合は、影響が出る範囲は広くても市内レベル。こちらでは「ブラウン・アウト」という呼び方をします。たまに全市停電もありますが、大抵の場合、どっかの電柱が強風や車両の衝突、はたまた焚き火が延焼などの理由で倒れての断線。バランガイ(町内会)レベルの局所的な停電になります。

ところが NGCP が関わると大ごとで、一昨年のスーパー台風「オデット」の大被害による、ビサヤ全域に及ぶ広域停電なんて話になる。これが「ブラック・アウト」。そこまで行かなくても、以前には隣島パナイとネグロスを結ぶ送電線に問題があった時など、両島の州都とその周辺の100万人規模の地域で半日ぐらい電気が止まりました。

前置きが長くなりましたが、先週末の計画停電が、そのNGCP管轄。それを聞いただけで、もう長時間停電になる気配が満々です。案の定予定時間を見ると、朝6時から夜7時までの12時間。さすがにこれでは、自宅に設置した発電機をフル・タンクにしても全部はカバーできません。仕方がないので、前日に10リットルのポリタンク2つ分のガソリンを購入しました。

もちろん日曜日なので、わざわざ6時から起きて発電機回すのも勿体無い。目覚ましは8時にセットして朝食が済むぐらいまでは、電気なしの時間稼ぎをすることに。ちなみに昼間の時間帯に使えなくて不便なのは、扇風機とインターネット。ネットに関しては、電気がなくても、モデムさえ通電すれば問題なくアクセスできます。

唯一引っかかったのが、私のイロンゴ語(西ネグロスの方言)レッスン。いつもの授業は土曜日なんですが、家庭教師のバンビが体調不良で土曜日にダウン。日曜日に振り替えてほしいとの要望でした。発電機回しながらでも授業はできるものの、けっこうな騒音なんですよね。なのでその週は休講に。

そんな感じで準備万端整えて、迎えた日曜の朝。8時過に目が覚めたら、普通に電気が来てるんですよ。あれ?っと思ってフェイスブックのセネコのホームぺージを見たら、投稿が追加されてて「6:00am 〜 7:00am / 6:00pm 〜 7:00pm」になってる。何じゃそりゃ。こっちは12時間のつもりで準備してたのに、たったの2時間でした。

まぁ、ガソリンはいつでも使えるし、停電なんて無い方がいいに決まってます。結局イロンゴ・レッスンはキャンセルのままとして、いつも通りの日曜日...と思ったら、今度はインターネットが不調。モデムの電源は入るんですが、シグナル受信を示すLEDが全然点灯しない。リセットしたら、一応は繋がったものの、やたら遅い。SNSやニュースサイトの写真や動画が歯抜け状態で、とてもストレスを感じます。

停電の方は、夕方の部が予定通り1時間あって、その後復旧。ネット不調だけがそのまま残ってしまいました。ユーチューブやネットフリックスはブツ切りで、VPN入れるとネットそのものが見られない。難儀なことです。

ということで、このフェイント停電。その後始末が片付くのに一週間かかることに。その顛末は次回の投稿に続きます。



2023年3月5日日曜日

日本が排他的なのは田舎だけじゃない

 少し前の話題ですが、福井県の池田町という町の役所が発表した「池田暮らしの七か条」。(ご存知ない方は、リンク先をご覧ください。)私が感じるに、都会からこの町に移住しようとする人への警告みたいなもの。

人は少なく自然は厳しいので相互扶助が必要だ、というのは分かります。ところが「どんな人か、何をする人か、どうして池田に、と品定めされることは自然です」とか、「これまでの都会暮らしと違うからといって都会風を吹かさないように」なんてのは、内容も書き方も、明らかに文句があるなら移住するな、としか読めません。

ところが、本当は来て欲しくないわけではなく、移住は歓迎というのがまったく解せない。調べてみるとこの100年前に9,000人近くいた人口は、現在3,000人を切るまでに落ち込んで、福井県の条例で定められている「人口1万人以上」の町としての条件すら満たしていません。これでは、ネットで炎上するのも仕方ないでしょう。

ただでさえ昔から、田舎というのは若い世代には居心地の悪いもの。閉鎖的・排他的・プライバシーはダダ漏れ。学生時代によく読んだ、金田一耕助の探偵小説に出てくる、八つ墓村とか鬼首(おにこべ)村の描写では、こういうのを嫌って故郷を捨てた若者が登場するのは、お決まりのストーリー展開。

ちなみに私の母は、大阪市内の都島区出身。市内とは言え梅田や心斎橋界隈に比べると、終戦の頃はまだまだ人間関係が濃密。大家族に加えて、又従兄弟姉妹ぐらいまで近所に住んでいたこともあって、高校卒業してすぐに私の父と駆け落ちしちゃいました。

さらに、私が大きくなってからも親戚への愚痴は尽きることなく、特に母の叔父、通称「表具屋のオっさん」のことは、何十年経っても悪口を言い続けてたぐらいの嫌いよう。なので、田舎暮らしの鬱陶しさは、実体験はなくてもだいたい想像はつきます。

そしてこの類の話は、日本に限ったわけではなく、何を隠そう私が今住んでいるネグロス島のシライも似たようなもの。自宅は中心地からやや離れた新興住宅地にあるので、母のいた頃の都島とは違いますが、家内の実家がある、昔からの建て込んだ地区などでは、隣近所との人付き合いはかなり濃いめ。兄弟姉妹の多さや、親族が固まって住むのも同じ。

仕事がなくてマニラやセブ、あるいは海外に出稼ぎが多いというのも、実は日本同様、田舎から逃げ出したいという気持ちもあると思います。基本は家族大好きなフィリピン人なので、割合は少ないかも知れませんけど。

まぁ日本でもフィリピンでも、度を越した排他性・閉鎖性が改善されないなら、いずれは限界集落化して地図から消えてしまうだけのこと。ましてや、ここまで田舎の嫌ったらしさを明文化しちゃった池田町。煮えガエルを通り越して自爆ですね。

ところがどうも現在の日本は、国ぐるみこうなってるんじゃないか、という気がしてます。

若者に良い仕事が少なく、官民こぞって子供とその母親に冷たい社会。会社勤めすれば、給料は少ないのに長時間労働の上にプレッシャーだけはキツくて、心が病むまで追い詰められる。自分のことだけでなく、子供の将来も考えると、私がフィリピンに移住した背景は、まさにこれです。

致命的なのは、この後に及んでも断固として移民の受け入れない石頭。この辺りがフィリピンとの決定的な違いとも言えるでしょう。私がネグロス島で暮らし始めて10年。少なくとも外国人であることを理由にした、生き辛さは感じたことはありません。

ということで、冒頭に引用した「池田暮らしの七か条」。田舎者の爺いたちの、世間知らずな戯言と笑ってられない気分になっております。