少し前の話題ですが、福井県の池田町という町の役所が発表した「池田暮らしの七か条」。(ご存知ない方は、リンク先をご覧ください。)私が感じるに、都会からこの町に移住しようとする人への警告みたいなもの。
人は少なく自然は厳しいので相互扶助が必要だ、というのは分かります。ところが「どんな人か、何をする人か、どうして池田に、と品定めされることは自然です」とか、「これまでの都会暮らしと違うからといって都会風を吹かさないように」なんてのは、内容も書き方も、明らかに文句があるなら移住するな、としか読めません。
ところが、本当は来て欲しくないわけではなく、移住は歓迎というのがまったく解せない。調べてみるとこの100年前に9,000人近くいた人口は、現在3,000人を切るまでに落ち込んで、福井県の条例で定められている「人口1万人以上」の町としての条件すら満たしていません。これでは、ネットで炎上するのも仕方ないでしょう。
ただでさえ昔から、田舎というのは若い世代には居心地の悪いもの。閉鎖的・排他的・プライバシーはダダ漏れ。学生時代によく読んだ、金田一耕助の探偵小説に出てくる、八つ墓村とか鬼首(おにこべ)村の描写では、こういうのを嫌って故郷を捨てた若者が登場するのは、お決まりのストーリー展開。
ちなみに私の母は、大阪市内の都島区出身。市内とは言え梅田や心斎橋界隈に比べると、終戦の頃はまだまだ人間関係が濃密。大家族に加えて、又従兄弟姉妹ぐらいまで近所に住んでいたこともあって、高校卒業してすぐに私の父と駆け落ちしちゃいました。
さらに、私が大きくなってからも親戚への愚痴は尽きることなく、特に母の叔父、通称「表具屋のオっさん」のことは、何十年経っても悪口を言い続けてたぐらいの嫌いよう。なので、田舎暮らしの鬱陶しさは、実体験はなくてもだいたい想像はつきます。
そしてこの類の話は、日本に限ったわけではなく、何を隠そう私が今住んでいるネグロス島のシライも似たようなもの。自宅は中心地からやや離れた新興住宅地にあるので、母のいた頃の都島とは違いますが、家内の実家がある、昔からの建て込んだ地区などでは、隣近所との人付き合いはかなり濃いめ。兄弟姉妹の多さや、親族が固まって住むのも同じ。
仕事がなくてマニラやセブ、あるいは海外に出稼ぎが多いというのも、実は日本同様、田舎から逃げ出したいという気持ちもあると思います。基本は家族大好きなフィリピン人なので、割合は少ないかも知れませんけど。
まぁ日本でもフィリピンでも、度を越した排他性・閉鎖性が改善されないなら、いずれは限界集落化して地図から消えてしまうだけのこと。ましてや、ここまで田舎の嫌ったらしさを明文化しちゃった池田町。煮えガエルを通り越して自爆ですね。
ところがどうも現在の日本は、国ぐるみこうなってるんじゃないか、という気がしてます。
若者に良い仕事が少なく、官民こぞって子供とその母親に冷たい社会。会社勤めすれば、給料は少ないのに長時間労働の上にプレッシャーだけはキツくて、心が病むまで追い詰められる。自分のことだけでなく、子供の将来も考えると、私がフィリピンに移住した背景は、まさにこれです。
致命的なのは、この後に及んでも断固として移民の受け入れない石頭。この辺りがフィリピンとの決定的な違いとも言えるでしょう。私がネグロス島で暮らし始めて10年。少なくとも外国人であることを理由にした、生き辛さは感じたことはありません。
ということで、冒頭に引用した「池田暮らしの七か条」。田舎者の爺いたちの、世間知らずな戯言と笑ってられない気分になっております。
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