2018年6月11日月曜日
関西人にして完済人
今日は借金のお話。
実は私、今はフィリピン・ネグロス島の片田舎で、悠々自適の生活をしておりますが、30代後半に、ちょっと面倒な借金を抱え込んだ経験があります。
当時は大企業のサラリーマンで、フィリピン人の家内と大阪で賃貸マンション住まい。まだ子供が生まれる前の、比較的気楽だった時代。個人で設計事務所を経営していた父に頼まれて、銀行融資の保証人になりました。
親でも保証人にはなるな、とはよく言ったもので、父は、ビジネスパートナーに金を持ち逃げされ、自己破産。担保に入っていた自宅の土地家屋は、差し押さえのピンチ。たまたま父がお金を借りていた銀行に、私の給与支払い先の口座あって、数百万円あった預金は全部凍結。
父親が事前に何の相談もしてくれなかったので、事が発覚した時には後の祭り。とても手痛い目に遭ってしまいました。
とは言え、タチの悪い消費者金融などではなく、大手都市銀行が相手。中小企業を支援する公的機関が管財人となり、担当者が付いてくれました。その担当者の男性は、ちょうど今の私と同じぐらいの50過ぎぐらいの、たいへん温厚な方。
時あたかも、バブル崩壊後の不況時代。多分、厄介な案件をいっぱい処理してたんでしょうね。お金関係の事務仕事と言うより、まるでカウンセラーみたいな物腰。決して言葉を荒げることもなく、淡々と、しかしながら随分と親身になって、返済方法についての指示をしてくれました。
自宅の方は、弟が引き受けてくれて、私は一千万円の借金対策。ただ幸運なことに、その頃の私は、後から思えばキャリアのピーク。その上、住宅ローンも子供もいない身軽な夫婦二人暮し。収入の半分近くを返済に充てても、まだ余裕があったぐらい。
結局、予定よりかなり早く約2年で完済。担当者が「あなたのように真面目に返済する人は珍しい」とお褒めの(?)言葉を頂戴して、金利分を請求放棄の手続き。これは本当に助かりました。
公的機関の担当者と言うと、融通の利かない冷徹な人物と思われるかも知れませんが、そんなイメージとは全然違う、実に人情味に溢れた対応。相当な裁量権もあったんでしょうね。お陰さまで私は、関西人にして完済人。
あれから約15年。
フィリピンに移住してから、いろんな人が家に来てくれました。よく言われるのが、「引退するのは勿体無い、何かビジネスを始めるつもりはないんですか?」
正直に言って、日式カレーのトロトロ(フィリピンの惣菜屋さん)とか、Tシャツ・看板などのデザイン、あるいはパソコン描画の似顔絵など、特技を活かした起業を考えたことはあります。ただ、年金生活に入るまでの10年間の生活費を、商売の元手につぎ込む度胸はないし、家内名義で銀行から借金なんて、絶対にしたくない。
毎月「返済残高○○○○○円」と記入された催促状が郵便受けに入っているのが、トラウマになってます。家内も同様に感じていたようで「また、金返せメール来たよ〜」と、暗い顔。
やっぱり生半可な金の苦労なんて、するもんじゃないですね。あれ以来、すっかり意気地なしになってしまいました。今ならネット活用のビジネスで、金銭的なリスクは最小限にできるし、クラウド・ファウンディングという手段もあるというのに...。
ラベル:
日本の話題
場所:
フィリピン シライ市
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