2022年4月28日木曜日

迷い込んだ仔犬・命の軽さ

 水曜日の早朝、飼い犬のゴマの無駄吠えで目が覚めました。

ロクに躾もせずに放置した結果、朝の散歩で家の前の道を人が歩くだけで、猛然と吠えまくるゴマ。もともとあんまり頭が良いとは言えず、相手が犬だろうが人だろうが、果ては水牛にまで喧嘩を売るアホ犬。(隣の空きロットで、畑の耕作用に水牛がいるんです。)

ところがその日は少々様子が違っていて、ゴマの鳴き声が威嚇の「ウォンウォン」ではなく「ワンワン」と「キャンキャン」の中間のような、なんとも微妙な声色。それだけでなく、明らかに仔犬の「キュ〜ンキュ〜ン」が混ざってます。

もしかしてと思って、起き抜けにゲートを開けたら、まだ乳離れも終わっていないような仔犬。門扉の隙間からスルスルと家の敷地に入って来ました。私の足にじゃれつく人間に慣れた仕草を見ると、どうやらどこかの飼い犬のようです。

このまま放り出して、自動車やトライシクル(輪タク)に轢かれると可哀想なので、取り敢えずは台所の勝手口の三和土(たたき)に保護。日本風に作ってもらった家が、変なところで役に立ちました。


さて、仔犬を抱えて「母を訪ねて三千里」。すぐ近所に捜索に出ようかとも思いましたが、8時半には出勤する、メイドのライラおばさんに任せることにしました。その間に朝食を準備して、息子を起こして...。

ところが食べ終わると、仔犬のキュン鳴きが聴こえません。慌てて見に行ったら、四肢を弛緩させてピクリとも動かない。見つけた時からちょっと弱ってる感じもして、あっという間に天国に行っちゃったようです。そうこうしているうちに、ライラおばさんがやって来ました。

死んでしまったのは仕方ないので、ライラに頼んで埋葬しようと持ち上げたら、まだ生きてました。息があるとかじゃなくて、飛び起きて走り回る。文字通り「死んだように」眠ってただけ。やれやれ。

予定通りに仔犬をライラに任せて、まずは一番近いお隣さんに連れて行ってもらったら、いきなりの当たりで、最近生まれた6頭のうちの1頭だったそうです。しかもすでに3頭は死んじゃったとか。

それにしても、仔犬が死んだと思った時に、我ながら冷静だった私。実はフィリピン・ネグロス島に移住してから、犬・猫・鶏を飼って、その大半を死なせてしまったせいか、ペットの死に慣れてしまったようです。最初の仔犬2頭の時はかなりのショックで、しばらく引きずったんですけどねぇ。

ここフィリピンでは、犬や猫の飼い方が野放図。放し飼いが基本のお国柄。避妊もせずに放置する人が多く、これではネズミじゃなくても増えまくる。当然の帰結として、逃げ出したり捨てられた野良が街中にいっぱいで、病気や事故で死んでしまう犬・猫は数知れず。

そもそも、ちゃんと飼われているペットでも、具合が悪くなったからと言って獣医に診せるとは限らない。お金がない飼い主の人間様が、生き死にレベルでも我慢してしまうぐらいなので、いくらペットを可愛がっていても、手厚い看護は無理でしょう。

考えてみればフィリピンでは、ペットも人間も、相対的に命が軽く扱われている気がします。もちろんこれは、死を悲しまないという意味ではありません。一つには経済的な理由で、満足な医療を受けられないこと。もう一つは、知識の欠如から来るもの。

例えば、現代では治せる病気である筈の結核を、不治の病だと思い込んだり、職を失うのを恐れて、治療もしないまま亡くなったり。心臓疾患や糖尿病患者が多いのも、極端な野菜嫌いをそのままにしてしまう、フィリピン特有の子育てが起因していると思います。

もっと言うなら、避妊なしの性行為による多産も、私からすれば、無意識ながら命を軽んじているとしか見えない。乳幼児の死亡率も高いし。結果として、人口が多く寿命が短いので、親戚や友人関係での葬儀に出席する機会が頻繁なのがフィリピン。

ということで、迷い込んだ仔犬の騒動で、いろんなことに思いを馳せてしまった一日でした。



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