早いもので、もう明日から5月。日本ではゴールデンウィークの真っ最中という時期になりました。幸いにもフィリピン〜日本の渡航には、ワクチン接種を済ませていれば、何日間にも及ぶ隔離は不要。その結果、在比邦人の方々が3年ぶりに一時帰国という知らせも、SNS経由でちらほら。
オミクロン株の新種に感染した事例が、ルソン島のバギオで確認されるなど、まだまだ油断はできないにせよ、去年の今頃の「お先真っ暗」な感じに比べたら、どれだけ気持ちが軽くなったことか。
さて今日は、まだしつこく学習を続けている、西ネグロスの方言、イロンゴ語について。
2020年6月から21年の11月まで、私の家庭教師だったアン先生が考案してくれた、イロンゴによる日記形式の作文スタイルは、今も健在。それに加えて、昨年末からのバンビ先生には、日本の歌をイロンゴに翻訳してもらい、それを練習、というのもやってます。
と書くと、ずいぶんと喋れるようになったと思われそうですが、実は会話がイマイチ。読み書きは我ながら上達したと思えるし、メイドのライラおばさんに家事の指示するぐらいは大丈夫になっても、聴き取りがダメ。
考えてみれば、受験勉強の英語みたいな学び方をしてるから、それも仕方がないのかも知れません。基礎の語彙は身に付いてきたので、そろそろ日常会話の訓練への舵取りが、必要なようです。
そしてもう一つの壁が、イロンゴ語独特の用語。差し当たっては「sang」の使い方。
これが実に多くの意味を併せ持つ変幻自在の単語で、英語の「when」と同じく「〜する時」になったかと思えば、日本語の助詞「を」に近い使い方だったり。他には、英語の「of」や日本語の「の」のような用法も。例えばシライ市、City of Silay は、Syudad sang Silay。
絶望的にややこしいのは、助詞としての「sang」が、先立つ動詞の活用によっては前置詞の「ang」に置き換わったりする。
変わるのはいいんですが、どういうルールで変わるのか、歴代の先生や家内に聞いてみても、分からないという答えしか返ってきません。ネイティブ話者なら、入れ替わっているとおかしいと気付くので、必ずルールはあるはずなのに。
ちなみに、フィリピンの第一公用語である、タガログ語を母語にする人にとっても、これがなかなかマスターできないらしい。家内曰く、セブアノの「ug」がイロンゴの「sang」に相当するので、ビサヤ系言語の特徴なんでしょうか?
兎にも角にも、タガログのように外国語としての学習者が多いメジャーな言語ではなく、マイナーな方言の悲しさ。以前にイロンゴを流暢に話す日本人に会ったことがありますが、どうやって勉強したんでしょうねぇ?
最近では、フィリピンの小学校の1〜2年生にMother Tongue(母語)と称して、それぞれの方言を教えているそうですが、この教科書が噴飯物。「一体誰がこんな喋り方するんや?」みたいな、古式ゆかしい表現ばかりで、しかも間違いが多い。最初は、息子の教科書借りようかとも思ったんですが、これもダメのようです。
ということで3年前、家庭教師を雇って本格的に勉強し始めた頃に比べると、だいぶ上達したとは言え、まだまだ試行錯誤が続く私のイロンゴ語学習なのでした。
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