2022年5月31日火曜日

信仰を甘く見てはいけない

 「私はSNSには向いてない?」の続きです。

ミクシィ全盛期の10年以上前から、SNSで失敗を繰り返してきた私。昨年の後半辺りから、ツイッターにハマり出して、フィリピン在住の日本人、女性や比較的若い人たち中心に、新たな交友を広げることができて喜んでいたのも束の間。

前回投稿の、反ワクチン関係のブログをツイッターでシェアして、友達付き合いをしていた人を怒らせてしまってから、どうもいろいろ上手くいかない。心に小さな棘が刺さるような出来事は多々あれど、一番キツかったのは、マニラ近郊在住のある若者とのやりとり。

まだ未婚らしい彼は、フィリピンの若い女性とのお付き合いを楽しんでおられるようで、時々それに関するトピックを投稿。それはいいんですが、どうやらそのお相手が、プロテスタントの信徒さんらしい。

その彼女に誘われたのか、自分から頼んだのか、教会に足を踏みいれたそうです。恋人や配偶者の影響で、信仰の道に目覚めるのは割とよくある話。ところが何を勘違いしたのか、その教会には美人が多いので、宗教にこだわりのない人は、パートナー探しにどうですか?みたいなツイート。

私自身がカトリック信徒で、その宗派には、私の友達や知り合いが多数入信しています。私はともかく、フィリピンで大人になってからプロテスタントに改宗するような人って、男女を問わず、とても真摯に信仰に向き合っている人がほとんど。

そんな人たちが集う場所に、ガールハント目的で他人を誘うなんて、いくら冗談でもちょっとタチが悪すぎる。私の場合は、信仰が縁で今の家内と知り合ったという経緯もあり、心の中で大切にしていたことを、踏みにじられたような気分。

そしてここからが、大人気ないというか、私がSNSに向いてないところで、黙ってミュートにするかフォロー止めればいいのに、つい「信仰を甘く見ちゃダメですよ」とチクリ返信。

相手にすれば、ロクに自分のことを知りもしないジジィが、何をイチャモン付けとるんや?てなもので、逆ギレの反撃。まぁそうですよね。多少なりとも「マズかったかな?」と思ってたとしても、あるいはまったくの言いがかりだと感じたとしても、「お言葉ごもっとも、私が悪かったです」とは、普通、ならないでしょう。

その後、2回ほどコメントの応酬はあったものの、双方歩み寄るでもなく、私の方からツイートを消してブロック。実に後味の悪い結末。それ以降、自己嫌悪も相まって、ツイッターへの気持ちが一気に冷めてしまいました。

ダメ押しが、ツイッター経由で知った、フィリピンで事業を展開する、ある日本人経営者による求人面接。フルリモートで、パートタイム的な働き方もできるとのことで、Zoom面接を受けたんですよ。面接自体は、特に問題もなく、来週結果をお知らせしますね、と言われて終了。

ところがその来週になっても、一週間過ぎても、十日目になっても梨の礫。こっちは還暦間近だし、特別なスキルがあるわけでもないから、断られるのは仕方ありません。ただ自分から期限を切っておいて放置ってのは、どうなんでしょう。

10年ぶりの再就職への期待も雲散霧消してブロック。これまた、後味の悪さだけが残りました。

ということで、ツイッターだけでなくフェイスブックも含めて、SNS全般に嫌気が差した私は、ツイッターのアカウントを削除。フェイスブックも過去の投稿を全消去。一旦リセットして気分転換することに。

その後、ツイッターは新しいアカウントを起こして、フォローする人の数を絞り、フェイスブックも投稿数をかなり減らして、1週間以前ものは順次消去。そうすると就寝時間が1〜2時間早くなりました。

どうやらSNSが向いてないと言うより、少々依存し過ぎてたようです。たまにはリセットも必要なんですね。いくら平均寿命が伸びても、私の残り時間はせいぜい20年程度。日に何時間もSNSに費やすのは勿体なさ過ぎると、ようやく気付きました。



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