先週の8月3日に、日比ハーフの一人息子が17歳の誕生日を迎えました。私の転勤で横浜に住んでいた2005年出生なので、ほんの半年足らずながら浜っ子。その後、私の地元、関西に戻って、小一まで大阪府茨木市で育ち、フィリピン移住前のこれまた半年だけ、福岡在住の博多っ子。そして今はシライノン(シライっ子)というわけです。
両親の文化背景や母語が違う場合、下手に多言語環境で育てると、どの言葉も母語として定着しない、バイリンガル・マルチリンガルならぬセミリンガルという、抽象的な思考に支障を来たす、かなり困った状況に陥る危険性もあるんだとか。
幸い息子に関しては、比較的言葉が早く、6歳までは家庭内も友達関係、幼稚園〜小学校でほぼ日本語だけだったせいか、第一言語=日本語が定着したようです。移住後の9年間は、英語教育のみながら、家では私だけでなく、フィリピン人の家内とも日本語で普通に喋り、一方で英語の映画やドラマは字幕なしで鑑賞。読書大好きで、「ハリーポッター」は原書、「精霊の守り人」は日本語で全巻読破という具合。
少なくとも言葉に関しては、特に悩んだりすることもなく順調に育ったようで、父親としては、ホっとしている次第。ただ、さすがに日本語はやや物足りないのか、まにら新聞が運営する、オンラインの日本語クラスの高校生コースを、自分から希望して受講中。実は、週一回の3時間ながら、メインで通っている近所の私立高校より学費が高い。もちろん、それだけの価値はあると思ってはおりますが。
それにしても、このコロナ禍の2年間。ちょうど対面授業が行えなくなった時期に合わせるように、背丈が急激に伸びました。昔から外で走り回るより、家で本読んだりするタイプだったので「逞しい」という感じはなく、ヒョロっとしますが、それでも家の中での存在感は爆増。母親の身長は遠に追い抜いて、今では私に迫る勢いです。
加えて、もうそろそろ「反抗期」っていうのが来ても良い頃合いながら、その気配は感じないですねぇ。まぁ、口数は少なくなって、スマホを向けるとおどけて変顔するようなことはなくなったものの、メイドさんがいない時には、食器洗いや犬の散歩を頼んでも嫌がらずにやってくれるし、食事時など、こっちから話題を振れば、それなりに会話が成立しております。
次はいよいよ大学進学を考えなければなりません。
私が息子と同年代の頃には、かなり早くから美大に行くと決めていて、夏休みには美術系進学での予備校に相当する「美術研究所」で、連日デッサンや色彩構成の精を出しておりました。息子もイラスト描いたりするのは好きなようですが、プログラミングにも興味があって、おそらくは理系、エンジニアを目指したい様子。
それならば、隣町のタリサイ市に、フィリピン工科大学 Technological University of the Philippines 略称 TUP という西ネグロスの州立大学があります。フィリピン国内では、なかなか名の通った学校だし、公立なので授業料がタダ。
フィリピン大学卒の家内にすれば、TUPも悪くないけど、やっぱり国内最高学府とされるフィリピン大も...という思いがあるようです。でも一番近いビサヤ校でも、隣島パナイのイロイロ市内。子離れできてない家内は悩むところ。どっちにしても親が強制することではないので、息子が好きな道を選べばいい話。
ということで、遂に来年には成人年齢に到達する息子。大学進学や就職なんて、ずっと先のことだと思ってたのに、いつの間にか具体的な準備が、必要な段階になってまいりました。たまに息子から聞き出すところでは、日本やフィリピンよりも、シンガポールで働きたいとの漠然とした希望もあるらしい。
40年前の自分の学生時代からすると、振り出しからいきなり、当たり前のように海外というのが、たいへん羨ましいですなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿