2022年9月21日水曜日

還暦祝いの準備着々

 このブログで、すでに何度も触れている私の還暦。ざっと3ヶ月ぐらい前から、いろいろと準備し始めて、とうとう残り十日となりました。

いい歳をして(本当に!)、自分の誕生日を騒ぎ立てるなんて、日本人的な感覚からすると相当恥ずかしいことなのは分かっておりますが、幸か不幸か、ここはフィリピン・ネグロス島。クリスマスとバースディは、お祭り騒ぎするのが国民性と言っていいぐらいな場所。

9月に入ると、テレビの報道番組ですら「クリスマスまで〇〇日」とカウントダウンが始まるのは例年通り。今年はようやくコロナ禍が鎮静の兆しを見せて、街中に普通に人が出歩くようになったし、学校の再開も本格化。「もう幾つ寝ると...」と子供っぽいはしゃぎ方をする気持ちも、分かります。

さて、3ヶ月前からと書きましたが、具体的なアクションは会場の予約。まるで結婚式かという勢いで、4月に義妹ジーナの50歳の誕生日を祝ったのと同じ場所を押さえました。(義妹の誕生日にボルテスVを歌う

実はその場所というのが、はるか四半世紀前、私が家内と両親の前で「お嬢さんをください」をやったレストラン。ネグロス島シライ市内では、老舗にして最大の規模を誇るゴールデン・フードパークという名の郷土料理のお店。聞くところによると、私が生まれる前から営業しているらしい。

数年前までは、還暦祝いをするなら、隣街の州都バコロドのホテルでボール・ルームでも借りるかと、漠然と考えてました。ところが今年にオープンしたのが、フードパーク内の宴会スペース。規模はそこそこながら、それなりに綺麗で近いし料金も手頃。これならジーナのパーティスタイルを、丸パクリしてやろうと思った次第。

場所が決まると家内の動きは迅速。早速招待客のリストアップに、会場飾り付けのデコレーター業者へ連絡。「料理はこれとこれで...。」「やっぱりレッチョン・バボイ(豚の丸焼き)は注文する?」などなどと段取りの良いことこの上なし。そう言えば、私たちの結婚式も、家内に丸投げにしたけれど、フィリピン離れた計画的なマネージメントでしたね。

そしてこの2週間ほどで私がまとめたのが、パーティのプログラム。プロを雇う選択肢もありますが、家内の親戚にはいろんなタレントの持ち主がいます。まず司会は、親族で一番の外交家で、英語もフィリピン語も饒舌な従弟のパウロ君。最後の私のミニ・コンサートでダンスをお願いしたのは、プロ・ダンサーの、これまた従妹のサラ・ジェーン。

大きくは三部構成として、第一部はスライドショーによる私のライフ・ヒストリー。有難いことに、写真だけは母が大量に残してくれたので、ネグロスにまで持ってきたアルバムから、スマホでパソコンに取り込み作業。これをプロジェクターで投影しながら、パウロと掛け合いでプレゼンする手筈。

第二部は、同じくスライドショーで、私が移住後に描き溜めた「フィリピン美女図鑑」のイラストを紹介するデジタル・ギャラリー。フィリピンの有名女優や親戚・友人のポートレイトを中心に、約30枚を選びました。

最後の第三部が、前述のコンサート。5曲歌う予定ですが、所詮は素人ののど自慢レベル。なので、お客さんを退屈させないように、ダンサーの協力を仰いだわけです。他には、家庭教師のバンビのギター、エイプリルのキーボード伴奏も。この二人、本人以上にわくわくしてます。

ということで、ここまで書いた文章を読み返してみると、我ながらの「嬉しがり」ぶり。まぁ、そうそうある事でもないし、たまには、こういうのも良いですよね。


赤いちゃんちゃんこの代わりに
用意した衣装


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