前回(6人様の来客)の続きです。
家内の友人6人宿泊の翌々日の火曜日、今度は、マニラから私の還暦祝いに参加してくれた、若い従妹たちのオフィレニア5人姉妹がやって来ました。残念ながら長姉のダヤンとその子供たちは、パーティに欠席だったものの、4姉妹+2人の彼氏で、偶然の6人組。何とこちらは、我が家と同じ宅地内にある借家を1週間レンタル。B&B(ベッドと朝ごはん)サービスと称して、空き家を短期で貸すビジネスがあるらしい。
オフィレニア姉妹が来るまではちょっとゴタゴタがあって、詳しい経緯は以前に投稿しました。(彼氏同伴で一週間宿泊)
さて、彼女らが乗ったフライトが到着したのは、パーティ開始の数時間前。車で迎えに行くと連絡したものの、入り組んだ宅地の中の分かりにくそうな場所だったので、午前中に自転車で場所の確認。
ちなみに私が住むセント・フランシス・サブディビジョン。フィリピンではビレッジと呼ばれるスタイルの広大な宅地。なぜか道路が碁盤の目状ではなく、意図的に不規則なレイアウトになっています。おそらく防犯目的だったり、自動車の速度を抑えるためなんでしょうけど、10年近く住んでる私でさえ、慣れないエリアでは迷ってしまうぐらい。
かつて私が通勤していた会社のあった、大阪府守口市を思い出してしまいました。というのは、豊臣秀吉の時代に大都市として拓けた大阪。京都方面からの玄関に当たる守口界隈は、軍勢が侵入しにくいよう、わざと入り組んだ街並みにしたんだそうです。なので名前が「守りの口」。確かにメンストリートからちょっと住宅地に入ると、まるで迷路のようでした。
それはさて置き、住所のメモ書き頼りに守衛さんにも確認したのに、いざ行ってみると、ややこしいことこの上なし。通り名を示す標識は、錆び付いて読めなかったり、標識そのものが途中から折れていたり。さらに厄介なことに、ホテルじゃない普通の住宅。別に看板が上がっているわけでもありません。
どうしようもなくなって、たまたま家の前にいた知らないオっちゃんに訊いてみたら、さすがご近所さん。管理人だかの名前を知っていて、バイクで行くからついてこいとのこと。2ブロックほど離れた管理人の家に到着した頃には、ずっと自転車だった私は汗だくのヘトヘト。
一応の場所確認は済ませておいたので、何とかオフィレニア・シスターズを空港で出迎えて、無事1週間の宿泊先まで送り届けることができました。途中でまたちょっと迷いましたけどね。
そういう経緯で、火曜日はお泊まりなしのディナーパーティ。泊まらないと言っても、下は17歳のダリルから、大学卒業したてのハルメニアとダリア、今回は一番年嵩のドリーでも29歳。彼氏二人も同年代でしょうから、これはかなりの分量を用意しないと。
当日は、メイドのグレイスにも手伝ってもらって朝から大忙し。洋風炊き込みご飯のエビ・ピラフ、我が家の定番メニューのカレー。普通だったらこれで十分なんですが、今回はさらに、スパゲティ・ミートソース、ハンバーグにジャーマン・ポテト。炭水化物主体の労働者メニューにして、完全にお子様テーストばかり。
さすがにここまで作っておいたら、翌日のお弁当に使えるぐらいは余るかと思ってたら、いやはや、見事なまでの20代の食欲。カレーがお情け程度に残っただけ。ひさしぶりに清々しいまでの完食でした。
フェイスブックの写真でしか知らなかった彼氏二人。実はあまりいい印象はなかったんですが、実際に会って話してみたら、二人とも、普通に気の良い兄ちゃん。やっぱり思い込みはいけませんね。反省してます。
ということで、大いに喋って歌って、まるで娘たちのような年代の姉妹たちと、楽しい時間を過ごすことができました。
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