日本のことを書くと、ついディスってしまいがちなこのブログ。祖国が嫌いなわけじゃないけれど、どう考えても日本で子育てしたり、自分が老後を過ごすのには無理だなと思って、フィリピンに移住した私。やっぱり現状の日本の社会や政治には、厳しい目を向けてしまいます。
ただ、誤解してほしくないのは、日本とフィリピンを単純に比較して、フィリピンに軍配が上がったというわけではない事。飽くまでも移住を決めた時の、私の年齢や資産状況、性格やライフスタイルの指向、家族構成などなど...かなり複雑な要因からこうなったというお話。
当然ながら、フィリピンのすべてが素晴らしく、誰にとっても理想郷...なわけがありません。そこで、一時帰国を数日後に控えた今回は、日本とフィリピンを比べて「日本が良いのはこういうところ」を考えてみたいと思います。
そこでまず最初に頭に浮かぶのが、日本の食事。
フィリピンに限らず、長期に海外に住むと、ほとんどの日本人が感じるのが、日本の食事レベルの高さ。これは、神戸ビーフが世界一だとか、〇〇の五つ星レストランが...といった最高級のことではなく、そもそもベースラインがとても高い。
最近どこでだったか、「食に関しては、日本に生まれただけでエリート」なんて発言を聞きました。さすがにそこまでは思わないにしても、一番安く買える食品でも、そのままフィリピンに持って行ったら、物によっては、高級食材で通用してしまうぐらい。
例えばコンビニ弁当。ネグロスの州都バコロドの、かなりお高いレストランのランチ・ビュッフェに並べても、十分通用すると思いますよ。コンビニで大喜びで買い物してる日本人がいたら、長期の海外滞在から帰国した人である確率が高い。
その原点にあるのは、おそらく日本の家庭料理でしょう。
戦後の食糧難時代を経て、私のような昭和30年代頃に生まれた人々は「家での食事が普通に美味い」のが当然になった最初の世代。と書くとかなり語弊があって、誰しも母親の手料理には郷愁を感じ、どの世代であろうとお袋の味は最高、と言われるかも知れません。また作る人の得手不得手にも左右されます。
ただあの時代は、食材の種類や質が、高度経済成長と共にどんどん豊富にグレードアップ。専業主婦の割合が高かったことを考えると、日々の食事を美味しくすることへのモチベーションは十分あったと思います。
今となっては、それが当たり前の家庭で育ったオっさんたちが、品数多く、美味しい料理への感謝を忘れてしまって、配偶者に愛想を尽かされり。さらにはオっさんだけでなく、その母親の世代が「コンビニ食材で済ますなんて、夫や子供への愛情が不足」と、意味不明な価値観を振りかざすこともあるらしい。
なので、必ずしも手放しで評価はできないにしても、家庭料理が、日本人の味覚の底上げに果たした役割は決して小さくはありません。
そんな、ある意味「舌の肥えた」人々が外食に求めるレベルを満足させるためには、普及価格帯であっても作り手は切磋琢磨しないと競争に勝てない。「これなら家で食べた方がマシだ」と、考えてみれば誰に対しても失礼な物言いをする人がいますが、いやいや、日本の家庭料理は決してレベル低くないですって。
ちなみに、思いっきり手前味噌で申し訳ないことながら、フィリピン移住後に始めた私の自炊。フィリピンの家族や親戚、友達に評判がいいのは、間違いなく母の手料理のお陰。実際に作り方を教わった記憶はないけれど、毎日食べさせてもらえば、それを元にして絶対音感ならぬ絶対食感(みたいなもの)ができたんでしょう。我ながら、不思議なくらい味付けが似てくるんですよ。
つまり知らず知らずのうちに、母の、というか昔の日本主婦のクッキングスキルは、グローバル水準に到達してたんですねぇ。ひたすら感謝。
ということで、今日も朝から、餃子の王将や天下一品、家族亭の場所をグーグルマップで検索しながら、グルメ・シミュレーションに余念がありません。グルメというほどではないですが、チェックしないと店舗が無くなったり移転してたりするので。
出典:天下一品 |
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