2019年11月30日土曜日

「一汁三菜」呪いの言葉その2


前回からだいぶ間が空いてしまいました。フィリピンから見た、日本人の心を縛る「呪いの言葉」第2回です。

今回は「一汁三菜」。
なぜそれが呪い?、と思う方は、おそらく日常的に料理をせず、家族の誰かに食事の準備を完全に依存しているか、ほぼ毎回外で食べている人。あるいは料理が大好きで、毎日三食作るのが、まったく苦にならない人でしょうか。

一汁三菜の由来を調べてみると、儀礼的な食事の献立が元になっているらしい。詳しくは「一汁三菜」「本膳料理」などを参照いただくとして、要するに一般庶民の食生活とは、かけ離れたものだったということ。

戦前の昭和11年(1936年)生まれの、私の母によると、少なくとも母が物心ついた頃の食事って、ずいぶんと質素だったようです。品数もそうだし、毎食、卵や肉を使ったおかずが食卓に並ぶことなんてあり得ない。

私が小学生だった昭和40年代の後半ぐらいの時期に、母がシミジミ「ほんまに、贅沢な世の中になったなぁ」と言ったのが、今でも印象に残っています。当時の母の感覚からすれば、ほんの20年もしないうちに、食糧難から飽食の時代になったのですから。

そこまで極端な比較ではなくても、白米にスープ、メインデッシュに副菜が2種類なんて、フィリピンだったら立派なコースメニュー。前日までの残り物が累積で、たまたまオカズが3品となることはあっても、全部一から用意するのは、来客時とかせいぜい週に一回がいいところ。

フィリピンだけでなく、私が滞在したことのある、東南アジア諸国や西ヨーロッパ、アメリカなど、ざっと10カ国以上で、こんなに気合の入った献立を毎日用意する家庭は見たことがありません。特にアメリカの平日の夕食は、冷凍ピザを電子レンジでチン、以上終わり、みたいな感じ。

もちろん現代の日本でも、一汁三菜を厳格に守る家ばかりではないでしょう。以前に比べれば共働き率も上がったし、時間的にも労力的にもかなり厳しい。フィリピン移住後は、ほぼ毎日、家族のお弁当を含む三食を作っている私には、それがどれだけ大変か、容易に想像がつきます。

ところが、ネットの記事やSNSの書き込みを読んでいると、この習慣に固執する人もいるらしい。

私の知る限り、大抵の場合、一汁三菜が当然と考えるのは夫。しかも料理しているのは専業主婦だけでなく、家事育児+フルタイムの仕事をしている奥さんというのも、相当数おられる。さらに許し難いことに、コンビニのお惣菜や冷凍食品には「手抜きだ」「愛情が足りない」とホザく輩までいるとのこと。

たまに一時帰国して、日本のコンビニで売っている食材のレベルの高さに感動してしまう私にすれば、これはもうハラスメントとかイジメだと言いたくなるレベル。文句あるんやったら、2〜3ヶ月ぐらい、家族の全員のために掃除洗濯ご飯炊き、ワンオペでやってみぃ!

やっかいなのは、これを言うのがオっさん連中だけでなく、毎日の料理に追われる本人が、一汁三菜を守れないのは私がダメで、家族への愛が不足してるからだと、自分を追い詰めてしまったりする。さらに姑が「私の若い頃は...。」的追い打ち。こりゃ地獄ですな。

誤解のないように書き添えておきますが、料理する事に喜びを感じて、あるいは上手に工夫して、毎日無理なく一汁三菜を実行している方を非難する気は、まったくありません。そういう人は尊敬します。その恩恵に預かる家族は超ラッキー。ただ、それが当然のことだと、押し付けるのはマズいというお話。

間違いなく言えるのは、日本の一般家庭料理が、世界的に見てオーバークオリティだということ。私が思うに、日々の献立は一汁一菜でも十分。

例えば、カレーライスと卵スープ。刻んだキャベツとトマトを添えた豚カツに、野菜多めの味噌汁。栄養のバランスも悪くないと思うし、ある程度の量があれば、十分満足感もあるでしょう。(つまり、私が毎日作ってるのが、こんな感じ)

ということで、「食生活の豊かなニッポン、すごい」と、自分で料理もせず満足に浸っている人は、それを誰が支えているのかを、胸に手を当てて、よ〜く考えてみるべきだと思いますよ。


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