フィリピン・ネグロス島に移住して、もうすぐ8年。現地の言葉であるイロンゴ語を何とか習得したいとジタバタして、結局今に至るも実現しておりません。50歳過ぎてから、新しい言葉をもう一つ頭に入れようという試み自体が、相当チャレンジャブルなのは承知の上。
一応、この8年間、いろいろやってはみたんですよ。
移住直後に、地元で活動する日本のNGOにボランティアベースで協力して、そのお返しみたいな形で、地元メンバーの女性、ティンティンに先生をしてもらったのが事初め。
ティンティンとの関係は良好で、これは思ったより早く喋れるようになるかと期待したのも束の間、ティンティンのボスであるところの日本人マネージャーの、あまりの非常識加減にキレて喧嘩別れ。その顛末は、以前に詳しく書きました。(NGOの闇)
今でもティンティンとは、家族ぐるみの友達付き合いが続いているものの、イロンゴ・レッスンの件は、敢えなく座礁。そこから、自宅新築のバタバタも相待って、約5年ぐらいの空白が。
一昨年頃から、またイロンゴ熱が再び高まって、今度は家内に教えてもらいながら、このブログをイロンゴ語で書いたり(「我が娘 ソフィアとの再会」 / 日本語版 / イロンゴ語版)、高校生の頃の受験勉強よろしく、単語帳を作ってみたり。
誰かに教える立場になったら、少しは学習にも身が入るかと、「イロンゴ講座」と題して投稿したこともあります。たった3回で終わっちゃいましてけど。
そして、やっぱり先生に教えてもらわないとダメかなと、近所にできた日本人向け英語学校の先生を紹介してもらったのが、2年前の10月頃。美人で素直な性格の先生だし、日本人に接することには慣れていたんですが、学校で教えたことがない大学出てすぐの人。
英語と違って、教材も何もない状態では、週に一回2時間のお喋りに終始してしまい、肝心の私のイロンゴ語能力は、あまり変化がありません。まぁ私の方も、娘ほど歳の離れた女の子と会話できるだけで、変に満足してしまったのが原因でもあります。
そうこうしている間に、今年3月ぐらいからのコロナ騒ぎ。チャットでのオンラインレッスンも試してみたものの、ちょっと気まずいことがあってテキストの返事が来なくなり、自然消滅してしまいました。
ここで諦めるという選択肢もありましたが、結構な時間とお金を使ってきたし、ダメ元で、今は地元高校の教師をしているティンティンに、誰かイロンゴ語を教えてくれる人はいませんかと訊いてみたのが大当たり。それが現在の家庭教師、アンとの出会いにつながった次第。(本気でプロの家庭教師)
さすがにティンティンの紹介だけあって、現役バリバリの高校の先生。教え方も堂に入っています。つい最近も投稿したように、クイズ形式にしたり、塗り絵やパズルを用意したり。1ヶ月に一回ぐらいは、テストまで準備して成績表も作ってくれる。宿題もちゃ〜んとあります。
ここまで頑張ってくれると、効果もはっきり。せっかく覚えたフレーズなので、食事時に使って家内を感心させたり、久しぶりにあった親戚が驚いたり。別にそれほど難しいことは言ってないけど、今までが全然でしたからね。
ただ、突然インプット量が増えても、残念ながら短期メモリーの劣化が著しい、もうすぐ還暦の我が脳味噌。1ヶ月もするとせっかく覚えた単語も例文も、忘却の彼方。もちろんノートは取ってはいますが、もう一度探そうとしても、何を何処に書いたか、見つけるまでの手間が多い。
結局、何が難しいと言って、満足な辞典がないのが最大のネック。一応、地元の書店には、イロンゴ語〜タガログ語〜英語の、薄っぺらい辞書はあっても、内容が古くて、全然見当外れな記述が多い。散々ネットで調べても、使い勝手が悪いものしか見当たらない。
英語との対訳ですらこのレベルなので、使い物になる日本語・イロンゴ語の辞典なんて、夢のまた夢。もう万策尽き果てた感じで、自分で作るしかないと思い至った訳です。
どうせ作るならネット上で、他の人も使えるようにと新しいブログを立ち上げて、五十音の一文字づつを一つの投稿に割り振り。これなら、リンクのリストを目次に見立てられて、スマホからもアクセスできる。間違いを直したり、追加もかんたん。
でも、やってみたらこれは大変ですわ〜。
コードを書ける人だったら、もう少しスマートなやり方があるんでしょうけど、そこは素人の悲しさ。そもそもブログのフォーマットで辞典を作ろうというのが、かなり無理がある。我ながら大それたことを始めたものだと思っております。
まだ日本語からイロンゴ語の一方通行だし、全然言葉数は少ない。多少なりとも使い物になるには、2〜3年はかかりそうですね。ということで、イロンゴ語を勉強しようという奇特な方は、是非ご覧いただいて、間違いなど指摘いただけると、たいへん助かります。
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