出典:Philstar |
5号台風フィリピン名エガイ(Egay)が、ようやくフィリピンから去った本日7月28日。今回のエガイを含めて、その前のドドン(Dodong)、フィリピンでは真夏の5月に接近したベティ(Betty)と、この数ヶ月で、私たちの住むネグロス島におおきな影響があった台風が三つも。
この台風三連発、どれも比較的似たようなコースで、ネグロスを含むビサヤ諸島に直撃はせず、ルソン島の北部を掠めたり、上陸するというパターン。台風が最も近づいたルソン島では相当な被害が出たのはもちろん、ネグロスでも激しい豪雨と強風。しかもそれが1週間前後も継続。
今回もその例に漏れず、まだフィリピンの東はるか遠方の海上にある時期から、台風がインド洋からの湿った空気を吸い込むような形で、次々と雨雲がネグロス上空を通過。台風が遠ざかるタイミングで、今度は雨に加えて強烈な西寄りの風が吹き荒れました。
もうこのブログで、何回書いたか覚えてないほどなんですが、強い台風が近づく度に、ここネグロス島のシライ市内では、同じような場所での洪水被害が繰り返されます。以前のメイドさんが住んでいたギンハララン、これまた以前の家庭教師の自宅があるイーロペス、そして今回は、週一で出張マッサージをお願いしているセラピスト、ラケルおばさんの地元のランタッド。
可哀想にラケルは、家が水浸しになっただけでなく、ランタッド地区からの唯一の公共交通手段であるトライシクル(輪タク)が、道路の冠水で運行できず、一週間近くも仕事にも行けない状況に。数千円程度の日銭稼ぎで家族を養っているので、さぞや大変だったろうと思います。ようやく今日、マッサージに来てくれたので、350ペソの料金のところをチップ込みで500ペソ払いました。
さて、これらの洪水が頻発する地区。どこも川沿いで、潮位が高い時にゲリラ豪雨が来たら、あっという間に床上浸水。最寄りのバランガイ・ホール(公民館みたいな建物)や学校に、避難した住民が溢れ、市が備蓄する支援物資を、市長が得意げに配給するのがまるでルーティーンワーク。その様子を撮影した写真が、大量にフェイスブックに投稿されるのも、お決まりのパターン。
もう恒例行事みたいになってるんだから、とっとと、排水溝なり堤防なりを作ればいいのに、と私が何度も投稿したのが聞こえたのか、ようやく最近になって、ギンハラランでは堤防工事が始まったらしい。ただ例によって、迅速な作業は望むべくもない。やっぱりギンハラランでも各所で冠水したようです。
繰り返されるのはそれだけではなく、相変わらずの停電もその一つ。特に強風時の停電は、理由がはっきりしていて、周囲の樹木の枝が電線にかかってショートしたり、木製の電柱が風で倒れちゃうから。これまた最近になって、木製からコンクリート製に電柱の入れ替えが進められてるようなんですが、いつになったら終わるのやら。
ただ、私がフィリピンという国と関わり始めた1990年代に比べれば、ここ10年ほどは、少しづつとは言え、いろんなことが改善されてはいます。例えばインターネット。まだ不安定さは残りつつも、ネグロスの田舎ですら光ケーブルが敷設。山間部への道路もずいぶんと整備されました。少し前に投稿したように、日本からの輸入食材が宅配便で届いたりもします。
1960年代生まれの私は、高度経済成長期に、周囲のインフラが次々と整備されたのを子供の頃に目撃した世代。私が小学生の頃ってテレビは白黒だし、家に電話もなかったんですからね。それを思えばフィリピンは、当時の日本ほどスピーディに、というのは無理にしても、これからどんどん良くなっていく可能性は大きい。
ということで、ようやく風雨がおさまったネグロスで、取り止めもなく考えた事を書いてみました。ちなみに次の台風ファルコン(Falcon)が、太平洋を北上中とのことです...。
0 件のコメント:
コメントを投稿