2020年12月24日木曜日

フィリピンのクリスマスは何故「パスコ」?

 9月になると、何となく人々や街の雰囲気がソワソワし始めて、10月末のハロウィン、その翌日の万聖節(諸聖人の日)を過ぎると、完全にクリスマス待機モードに入るフィリピン。1年の三分の一以上が、そのためにあると言っても過言ではないぐらい、老いも若きもクリスマス大好きな人たち。

ところが今年のクリスマスは、今ひとつ盛り上がりに欠けたまま、何となくクリスマスを迎えてしまいました。結局私も、アドベント(待降節:救い主の降誕に向けて心の準備をするクリスマス前の約四週間)の間に、日曜日のミサには一度も与ることができず、子供たちが歌うクリスマスキャロルも禁止。

最近はようやく、新型コロナ陽性患者の数が30名以下で落ち着いて、規制もかなり緩和された、ここシライ市内。今日、12月24日は、たまたま家内の甥っ子アンドレ君の誕生日もあって、すごく久しぶりに、家内の実家に親戚が集まってのパーティとなりました。

今日で18歳になったアンドレ。フィリピンでは18歳で成人となるので、日本風に言えば、今日がアンドレの成人式。本来なら、友達もたくさん招いての盛大な催しになってもいいところが、やっぱりこのご時勢なので、総勢20名ぐらいの、フィリピンにしてはささやかなパーティ。

それでもアンドレの両親が奮発して、豚の丸焼き、レッチョン・バボイが食卓に登りました。これを見ると、ようやくフィリピンの日常が、少しづつながら戻った感じ。

ところで、フィリピンに縁のある方ならご存知の通り、この国ではクリスマスのことを「パスコ」Pasko と呼びます。パスコはタガログ語で、ここネグロスの方言イロンゴ語では、すこし訛って「パスクワ」Paskuwa。微妙に違います。

それをSNSに投稿したら、クリスチャンの友人から、パスクワってイタリア語でイースターのことだよ、と指摘が。調べてみたら、確かにその通り。イタリア語だけでなく、スペイン語でもやっぱりイースターとありました。

あれ?クリスマスはイエスさまの誕生日で、イースターは処刑されてから復活した日。真逆とまでは言いませんが、全然、意味が違いますがな。

同じように疑問に感じた方もおられるようで、フィリピン関係のブログで、投稿もちらほら。ただ、その理由を説明するところまでは行ってないようで、謎は謎のまま。

当のフィリピン人である家内に尋ねてみても、「なんででしょうね〜?」と笑いでごまかす。クイズが大好きな中学生の息子が調べてくれて、スペイン語のパスクワ Pasqua には、イースター以外に、「過越(すぎこし)」の意味があるとのこと。

過越とは、旧約聖書の出エジプト記の中に出てくるお話。エジプトの奴隷となっていたイスラエルの民が、神との約束の地に向けて出発しようとした時、それを阻んだエジプト王ファラオへの懲罰として、神が下した「十の災い」。その最後である十番目が、エジプトのすべての家の、長男・長女を、一夜にして皆殺しにするというものでした。

ただし、神はイスラエル人に「鴨居に子羊の血を塗った家は、災いを免れる」と事前に知らせていたため、厄災が「過ぎ越した」ことから、3月下旬から4月上旬にかけてのこの時期は、ユダヤ教の祝祭「過越の祭り」となりました。

そして、「過越」を意味する、ヘブライ語の「פֶּסַח」Pesach(ペサハ)が転じて、ラテン語の Pascha(パスカ)。それがスペイン語のパスクワになったとのこと。

さらに、スペイン語のクリスマスの呼び方には、 Pascua de Navidad(パスクワ・デ・ナビダッド)というのがあって、ナビダッドとはクリスマスの意。「クリスマスのイースター」ではなく、「クリスマスの祝祭」。つまり、「パスクワ」には祝祭 Fiesta の意味もあるみたいです。

なるほど〜。400年前にフィリピンにカトリックを伝えたスペイン人は、クリスマスの祝祭の意味で、パスクワ・デ・ナビダッドと教えたんでしょうね。それが縮まってパスクワだけが残り、さらに訛ってパスコになった。パスコがイロンゴ語に訛ったんじゃなくて、イロンゴ語の方が元の発音だったのか。

ここまでのお話、私の推測がかなり混じっております。もし、スペイン語やラテン語に詳しい方がいたら、本当のところを教えてください。

ということで、今日はせっかくのクリスマスなので、それに因んだお話をしてみました。



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