2022年11月30日水曜日

バスが時間通りに来る国

 一時帰国を明日に控えて、前回に引き続き「日本が良いのはこういうところ」第二弾。今回は公共交通機関についてです。

こう書くと、フィリピンに限らず、海外に長く住む日本人なら言わでもがなでピンと来ると思います。鉄道にしろバスにしろ、公共交通機関が時刻表通りに運行されているのって、多分日本だけじゃないでしょうか?

かれこれ30年ぐらい前になりますが、仕事やプライベートで頻繁にヨーロッパ旅行をしていた頃、ロンドン〜カーディフ(ウェールズの首都)、ハンブルグ〜ハノーバー(ドイツ)、アムステルダム〜ロッテルダム(オランダ)そしてアムステルダムからブリュッセル、ルクセンブルグを結ぶ国際列車などに乗車。当時はまだEU統合前だったので、客車の中でパスポートにスタンプを押してもうらう経験もしました。

地下鉄や都市内鉄道なら、ロンドン、パリ、ミラノ、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、シンガポール、香港、台北...。思い出してみると、我ながらずいぶんといろんな国で鉄道を利用したもの。もちろんマニラのLRT・ MRTにも何度か乗ってます。

そのどれもが、定時運行という点では、日本に比べるとユルユル。定時どころか、突然の欠便があっても誰も驚かない国も多く、数分の遅れを神経質なまでに気にするのは、間違いなく日本だけ。

さすがに路線バスになると、日本でも寸刻の遅れなく...とはならないけれど、それと分かる渋滞や事故でもない限り、せいぜい10分以内程度の誤差で来ますからね。しかも路線によっては、次のバスがどの辺りを走ってて、到着時刻のデジタル表示があるバス停だってある。前回の一時帰国で、久しぶりに大阪市バスに乗って驚いた浦島太郎は、私です。

それとフィリピンの地方都市を比べるのは、あんまり意味がないかも知れませんが、そもそも私の住むネグロス島には、旅客鉄道がない。わずかに敷設された線路も、走ってるのは、サトウキビ運搬のための蒸気機関車。これがまた機関車ヤエモンを彷彿とさせる、博物館展示品級の車両。一時引退してたのが、ここ最近のガソリン価格の急騰を受けて、また使い始めたそうです。

運転が殺人的に乱暴で、ドライバーに覚醒剤中毒者が多いと噂される、ネグロスの路線バスのセレスなど、時刻表なんてあったっけ? 歩合制なのでぶっ飛ばしてできるだけたくさんの乗客を運んだ方が儲かるから、もしあっても完全無視でしょうね。乗り合いバスのジプニーに至っては、乗客の求めに応じて臨機応変に停車する自由気ままな運行。乗る人が少ないと、増えるまで延々待たされたりする。

こんな状況に慣れてしまうと、携帯アプリやヤフー検索の路線情報を見て、軽く感動してしまいます。行き先と目的地、時間さえ入力すれば、最適の乗り継ぎを一瞬で探してくれる。しかもネグロスに居ながらにして調べられる。何より、そのナビゲーションに従ったら、本当に時間通りに着いてしまうんだから、やっぱりすごいですわ。

ということで、今日は朝から荷造りしたり、日本に滞在中の予定を立てたり。待ち合わせ時間から逆算して、電車に乗る時間をスケジュールに入れつつ、カウンター・カルチャーギャップに浸っております。



2022年11月28日月曜日

一時帰国前のグルメ・シミュレーション

 日本のことを書くと、ついディスってしまいがちなこのブログ。祖国が嫌いなわけじゃないけれど、どう考えても日本で子育てしたり、自分が老後を過ごすのには無理だなと思って、フィリピンに移住した私。やっぱり現状の日本の社会や政治には、厳しい目を向けてしまいます。

ただ、誤解してほしくないのは、日本とフィリピンを単純に比較して、フィリピンに軍配が上がったというわけではない事。飽くまでも移住を決めた時の、私の年齢や資産状況、性格やライフスタイルの指向、家族構成などなど...かなり複雑な要因からこうなったというお話。

当然ながら、フィリピンのすべてが素晴らしく、誰にとっても理想郷...なわけがありません。そこで、一時帰国を数日後に控えた今回は、日本とフィリピンを比べて「日本が良いのはこういうところ」を考えてみたいと思います。

そこでまず最初に頭に浮かぶのが、日本の食事。

フィリピンに限らず、長期に海外に住むと、ほとんどの日本人が感じるのが、日本の食事レベルの高さ。これは、神戸ビーフが世界一だとか、〇〇の五つ星レストランが...といった最高級のことではなく、そもそもベースラインがとても高い。

最近どこでだったか、「食に関しては、日本に生まれただけでエリート」なんて発言を聞きました。さすがにそこまでは思わないにしても、一番安く買える食品でも、そのままフィリピンに持って行ったら、物によっては、高級食材で通用してしまうぐらい。

例えばコンビニ弁当。ネグロスの州都バコロドの、かなりお高いレストランのランチ・ビュッフェに並べても、十分通用すると思いますよ。コンビニで大喜びで買い物してる日本人がいたら、長期の海外滞在から帰国した人である確率が高い。

その原点にあるのは、おそらく日本の家庭料理でしょう。

戦後の食糧難時代を経て、私のような昭和30年代頃に生まれた人々は「家での食事が普通に美味い」のが当然になった最初の世代。と書くとかなり語弊があって、誰しも母親の手料理には郷愁を感じ、どの世代であろうとお袋の味は最高、と言われるかも知れません。また作る人の得手不得手にも左右されます。

ただあの時代は、食材の種類や質が、高度経済成長と共にどんどん豊富にグレードアップ。専業主婦の割合が高かったことを考えると、日々の食事を美味しくすることへのモチベーションは十分あったと思います。

今となっては、それが当たり前の家庭で育ったオっさんたちが、品数多く、美味しい料理への感謝を忘れてしまって、配偶者に愛想を尽かされり。さらにはオっさんだけでなく、その母親の世代が「コンビニ食材で済ますなんて、夫や子供への愛情が不足」と、意味不明な価値観を振りかざすこともあるらしい。

なので、必ずしも手放しで評価はできないにしても、家庭料理が、日本人の味覚の底上げに果たした役割は決して小さくはありません。

そんな、ある意味「舌の肥えた」人々が外食に求めるレベルを満足させるためには、普及価格帯であっても作り手は切磋琢磨しないと競争に勝てない。「これなら家で食べた方がマシだ」と、考えてみれば誰に対しても失礼な物言いをする人がいますが、いやいや、日本の家庭料理は決してレベル低くないですって。

ちなみに、思いっきり手前味噌で申し訳ないことながら、フィリピン移住後に始めた私の自炊。フィリピンの家族や親戚、友達に評判がいいのは、間違いなく母の手料理のお陰。実際に作り方を教わった記憶はないけれど、毎日食べさせてもらえば、それを元にして絶対音感ならぬ絶対食感(みたいなもの)ができたんでしょう。我ながら、不思議なくらい味付けが似てくるんですよ。

つまり知らず知らずのうちに、母の、というか昔の日本主婦のクッキングスキルは、グローバル水準に到達してたんですねぇ。ひたすら感謝。

ということで、今日も朝から、餃子の王将や天下一品、家族亭の場所をグーグルマップで検索しながら、グルメ・シミュレーションに余念がありません。グルメというほどではないですが、チェックしないと店舗が無くなったり移転してたりするので。


出典:天下一品
最後に念の為に書いておきますと、フィリピン家庭料理のレベルが低いとか、マズいって意味じゃないですよ。好き嫌いがあるので、何でも美味しいとは言いませんが、やっぱりフィリピンの食材を活かして、その気候にベストマッチした料理がたくさん。日本の味とは比べられない美味しさがあります。



2022年11月26日土曜日

フィリピンからワールドカップ観戦


出典:BBC

 インターネットの日本語環境では、かなり贔屓目に見ても、盛り上がってるようには感じなかったカタールでのサッカー・ワールドカップ。それが勤労感謝の日の深夜、日本がドイツに勝ってからというもの、どこを見てもワールドカップ関係の記事ばかりがずらりと並ぶ状況に一転。フィリピンで視聴できるCNNやBBCでさえ、ビッグニュース扱いで報道されてました。

かく言う私も「ああ、ドイツと試合か」ぐらいなもの。ケーブルテレビで放送してたかも知れませんが、まったくノーチェック。実は大学時代に2年だけサッカー部に所属していたので、一応気にはしてたものの、騒ぎに気づいたのは、後半に日本が同点に追い付いた頃。

ツイッターでフォローしている人たちが、一斉にエキサイトし始めて、どうなってるのかと速報を見たら、ちょうど2点目のゴール。興奮がピークに達してました。

さて翌日、家族に話題を振ってみると、一応、家内も息子も知ってました。でも知ってただけで、別に喜んだり騒いだりのリアクションは皆無。そもそもドイツ代表がどれだけ強くて、そのチームから逆転で2点取ったことの凄さがまったく分からないのだから、共感を求めても土台無理というもの。

ここフィリピンにはプロのサッカーリーグがあるにはあります。ただ、財政難を理由にチームの離脱があったりして組織や名称が何度か変わり、日本に比べるとイマイチ存在感が薄い印象。ちなみに我が地元のセレス・ネグロスFCはフィリピンでは強豪チーム。

そんな状況なので、一般的にフィリピンでのサッカー人気は、バスケットボールに比べるとかなり地味。周囲の人たちに聞いても、たぶんワールドカップ開催中ってことすら、ほとんど知らないでしょうねぇ。下手したら「そもそも、ワールドカップとは?」から説明する羽目になりそう。

そこで、なぜドイツに勝って大騒ぎになるか、端的に分かってもらうために考えたのが「バスケでフィリピン代表が、シカゴ・ブルズに逆転勝ちしたようなもの」というフレーズ。家内にそう言ってみましたが、ここまで言うと現実味がなさ過ぎて、「そうでっか?」みたいな反応。う〜ん、バスケのワールドカップがあれば説明しやすいのに...。

と思って調べてみたら、あったんですね、FIBAワールドカップ。私が勉強不足なだけでした。それも意外にも70年以上の歴史を誇る由緒ある大会。アメリカばかり優勝してそうなイメージですが、直近2019年大会のチャンピオンはスペインなんだそうです。さらに驚いたことに、来年(2023年)は日本、インドネシア、そしてフィリピンの共同開催。全世界のバスケファンの皆様、たいへん失礼しました。ちなみに家内も知らかったとのこと。

ところで、例のサポーターが試合後に観客席のゴミ掃除をしたり、選手がロッカールームに紙屑一つ残さなかったという出来事は、フィリピンでも、試合結果より関心を集めてるようです。まぁ、話としては分かりやすいですからね。

こっちに関しては、特に誇らしいとかニッポンエラいとは思わず、散らかってたら片付けようというのは当たり前の反応、と感じるぐらい。道徳的な視点じゃなくて、子供の頃から教室の掃除させられてたら、自然とそうなるでしょう。特にフィリピンでは、自分の家族や親戚が埋葬されている墓地ですら、ゴミ捨て放題にしちゃうお国柄。感覚が違い過ぎて、何やら神秘的に見えるのかも知れません。


2022年11月23日水曜日

生き方を変えられない日本人

 前回に続いて、ホリエモンチャンネル(堀江貴文さんのYouTubeチャンネル)を視聴して感じたこと。

もう3年ぐらい前の話題で恐縮なんですが、ツイッターで「手取り14万円 日本終わってる」とのつぶやきに、堀江さんが「手取り14万?お前が終わってんだよ」と返して炎上した件。これを説明するための動画。

冒頭に本人さんも言っておられるように、そもそも、短い言葉でやりとりするところに面白ろ味があるツイッター。それを長々と動画で解説するなんて無粋もいいところ。ただ、当初のツイートから切り離してみても、これはなかなか納得する内容でした。

詳しくはYouTubeをご覧いただくとして、要するに、33歳で10年間も手取りが月14万円をずっと我慢してるって、あんたアホなの?ということ。今時ネットをそこそこ使えば、1ヶ月に14万円以上の収入を得るのは、そんなに難しいことではない。それは私もそう思います。

実際に私も、ほんの一時期とは言え、海外旅行をテーマにしたサイトに、短いエッセイみたいな文章を書いてお金を貰ってました。単価は安くても、複数のサイトに頑張って投稿すれば、月14万円ぐらいは十分稼げたでしょう。

そして別の角度からの指摘がもっと鋭くて、仮に14万円を固定して考えても、ネットで仕事するなら、家賃も物価も安い地方に住めばいい。ネットフリックス、YouTube、ゲームの類は、どこに住んでも同じように楽しめるし、格安航空券を使えば月に一回ぐらい東京に遊びに行っても金額は知れてる。

このライフスタイルこそ、まさに今現在の私が実践している生き方。私の場合は現役で働いているわけではなく、若い頃の貯蓄や退職金を少しづつ切り崩しているわけですが、コンセプトは完全一致。つまり14万円しか収入がないのなら、14万円で楽に暮らせる場所に移ればいいってだけのこと。

これが20年前なら、地方には仕事はないし、不便だし...ってなったんでしょうけど、今やここフィリピンのド田舎でも、ブロードバンドが敷設される時代。多少の工夫は必要とは言え、日本にいた頃よりもQOL(生活の質)はむしろ格段に上がったぐらい。ちなみに2022年現在でのネグロス島での生活費は、1ヶ月10万円に届いてません。

結局のところポイントは、収入の低さ云々ではなくて、生き方の問題。おそらく月収14万円で文句を言いたくなるってことは、物価の安い地方ではなく東京などの大都市の住民なんでしょう。ちっちゃな賃貸でも、家賃はバカ高いので、収入の半分ぐらいはそっちに取られてるのかも知れません。確かにそれでは、文句も言いたくなる。

しかし10年ってのは、どんだけ我慢強いねん?と思ってしまいます。

昇給の見込みがないなら、転職を考えるとか、ネットで副業するとか、何か方法がありそうなもの。さすがに海外移住っていうのは敷居が高いにしろ、国内であっても住む場所を変えれば、他の可能性も見えてくるはず。

日本の経済がここまで低迷して、回復の兆しがなかなか見えないのは、ひょっとすると「日本終わってる」氏のような生き方を、心ならずも選んでしまう人が、若年層に多いからなのかも知れません。給料は上がらないのに税金は上がる、生活に金がかかり過ぎて結婚もままならない。子育ても難しい。老後の年金も貰えないかも知れない。これって日本以外の国だったら、暴動が起こっても不思議じゃないレベル。

ここまで虐げられても、ゼロリスク指向が身につき過ぎて、自立することも海外に出ることも最初から無理だと諦め、たまたま最初に入った会社にしがみつき続ける。ついでに選挙にも行かないから、為政者にとってはいいカモですわなぁ。

当然そんな人ばかりではなく、フィリピンに来て頑張りつつも生活を楽しんでる日本の若者がたくさんいるのも事実。私にしたって、定年まで日本で働き続けるよりも、何倍、何十倍も人生を謳歌している実感があります。

ここは声を大にして言いたい。生き方って才能の有無に関係なく、決断さえすればいつでも変えられますよ。特に20代30代ぐらいなら、やり方次第でどうにでもなりますって。


フィリピン人がコメ大好きな理由

 このところホリエモンこと堀江貴文さんのYouTubeチャンネルにハマって、いろいろ見てます。相変わらずの「いまさら」で、申し訳ないんですが、とても面白い。何が面白いって、話題の幅が実に広い。宇宙開発に東京オリンピック絡みの一連の逮捕劇、グルメ、ジャニーズ、お笑い、演劇...。そしてすごいのが、どれも聞き齧りの知識を披露してるんじゃなくて、全部自らビジネスを展開していること。

なので、いちいち言うことがリアル。最初はホンマかいなと思って聞いてたら、実際に自分でやってみた、あるいはその道でバリバリの実績を上げてる人が、実はビジネスパートナー、みたいなネタばかり。

一番最近見た動画が日本の農業に関するお話。対談形式で、お相手が茨城県で農場を経営している久松達央という方。和牛やラーメン、カレーなど数々のフードビジネスを展開する堀江さんに、有機野菜を供給されているそうです。

私を含め、身近に農業従事者がいない人は大抵そうだと思いますが、農業=仕事はキツいのに儲からない、お嫁さんが来なくて困ってる、みたいなイメージを抱きがち。ところが今や日本の農業って、守るべき可哀想な産業でもなんでもなく、集約化・合理化が進んで、儲ける人はすごく儲けている分野。農家の数が減っていること自体は、別に憂慮する必要はない...。というような話で、目から鱗の連続。

その中で出てきたのが、稲作は儲からないというトピック。

農業機械が発達して、しかも補助金まで出るので、稲作自体は昔に比べると人手はかからないし、ずいぶんと楽になった反面、広大な田んぼで大量に収穫しないとペイしないらしい。逆に手間はかかっても、ネットのお陰で、生産者と消費者が直接やりとりできる今なら、付加価値の高い野菜や果物を多品種少量に作るほうが、ビジネスとしては旨味が大きい。実際、上記の久松農園のホームページには、オンラインショップがあります。

つまり、米さえ腹一杯食べられて、おかずの野菜やお肉はそこそこあればいい、というのは遠い昔。少なくとも今の日本で求められるのは、量よりも質とバラエティ。

そこで堀江さんが例に出したのが、バングラデシュ。今でもアジア最貧国とされるこの国では、多くの国民にとって食糧はまだまだ質より量。日本やフィリピンと同じく主食の米は食べられても、タンパク質やビタミンの摂取がまったく足りない。

その結果が、身体の抵抗力が弱く、感染症などで命を落とす確率が高くなる。人口は多くても寿命が短い。

ここまで聞いて、私はハタと膝を打ちました。程度の差はあれど、フィリピンも似たような状況。なるほど、フィリピン、特に貧乏な人たちに、異常なまでにお米好きが多いのは、こういう背景なのか。


出典:The Culture Trip

豚肉や魚を十分に買う余裕がなければ、せめて米で腹を膨らまそうと思うのは理の当然。私が子供の頃すでに昔話だった、おかずが梅干しだけの「日の丸弁当」が、フィリピンではリアルだったりします。もちろんこちらでは梅干しではなく、代わりに「塩」。住み込みメイドさんの虐待例として、食事は米と塩だけなんて話も。

まぁ塩だけは極端としても、我が家の先代メイドだったライラおばさんのお昼は、本当にそんな食べ方。好みは塩っ辛い魚の干物とか、醤油たっぷりのアドボ。これをおかずに山盛りの白米を掻き込んでたなぁ。たまに前夜のカレーなんかがあると、大喜びでした。

米好きが多いというと、日本人としては親近感を覚えて嬉しくなったけれど、貧困の裏返しだと思うと、何だか複雑な気持ちになります。日本では、食材を買う場所が市場の八百屋さんから、品数が豊富なスーパーに取って代わるのと時を同じくして「米離れ」なんて言われました。日本人の寿命が延びて、人生100年になったのも、それが理由の一つなんでしょう。




2022年11月16日水曜日

石山永一郎 著「ドゥテルテ」

文春オンラインで、一部抜粋の記事を読んだだけなんですが、今日はこの著作「ドゥテルテ 強権大統領はいかに国を変えたか」についての投稿です。

著者の石山永一郎さんは、1957年(昭和32年)のお生まれなので、私より5歳年上のほぼ同世代。共同通信社を経て、在比邦人にはお馴染みの日刊まにら新聞の編集長をされていたことも。石山さんの著作は、私がネグロス島に移住する前に「マニラ発ニッポン物語」を読みました。

そんなフィリピンに詳しいジャーナリストなので、抜粋だけでも切れ味の鋭さが感じられる文章。ドゥテルテ前フィリピン大統領に関しては、6年前の就任直後から「対ドラッグ戦争」のセンセーショナルな部分のみ切り取って、日本でもかなり報道されました。そのほとんどが、いわゆる超法規的殺人での死者数や、巻き添えになったとされる子供や女性にフォーカス。

おそらく文春がつけたであろう、今回の記事の見出しも「『抵抗する者は殺せ』警察による超法規的殺人で6000人超が死亡、なかには3歳の少女も…腐敗していた警察組織の“リアルな実態”」(長っ!)と、煽りまくってます。

詳しくは記事をご覧になるか、著作を購入いただくとして、私が注目したのは、前大統領の荒療治について書くだけでなく、警官や軍人の給与を引き上げた逸話に触れている点。現地に住む日本人でさえ、関心がなければ知らないでしょうけど、フィリピン国民には相当なインパクトがあった事件。

なにしろ初任給がきなり倍の3万ペソですからね。

日本円にすると円安の今でも10万円に届かない金額なので、安過ぎると思うかも知れませんが、教育省の地方分室で管理職やってる家内の月給と、ほぼ同額なんですよ。マニラ首都圏でさえ、日給が1,000円(時給じゃないですよ)ちょっとで働いている人がザラなことを鑑みると、高給取りとまでは言えないにしても、贅沢しなければ、普通に生活できる収入。このニュースを最初に聞いた時は、家内がずいぶんと不機嫌になったものです。

つまり、それ以前に不正や汚職が蔓延していたのは、単純に給料が安過ぎたから。貧すれば鈍するのことわざ通り、悪事に手を染めないと、食っていけないし家族も養えない。やっぱり長くフィリピンに住んだ人だけあって、石山さんは見るべき所をちゃんと見てますね。

実際、数年前にマニラに行ったら、驚くほど街並みが綺麗になっていた記憶があります。たまたま乗ったタクシーの運ちゃんも、大統領のおかげで治安が良くなったと、ドゥテルテさんを褒めることしきり。こういう部分が、日本では報道されないんですよ。

さて、治安改善の特効薬が結局のところ給料倍増だったというと、後進国のフィリピンだからだと馬鹿にする日本人もいるでしょうけど、現代日本の問題のほとんどが、同じ処方箋で解決できるんじゃないでしょうか?

例えば、教師の不足。なぜか文科省の打ち出す対策が、素人が考えても一番の課題「給与アップ」「職場環境改善」じゃないんですよね。ドゥテルテさんに倣って、来年度から初任給を倍!ってやれば、一撃で解決でしょう。どうせ、できない理由を滔々と説明されるのがオチでしょうけど。

このブログで何度も取り上げている、明石市の泉市長がやった子育て支援も、まさにこの考え方。子供のための予算を倍にして、子供の医療や学校給食を無料にする。財源は無駄を省いて切り詰めたら、10年後に市の人口は増え、税収も増えたという、輝かしい成功事例。それに倣う地方自治体も多いそうで、完全シカトしているのは中央政府だけという現実。

実は、これと同じようなことを、企業勤めの頃にも感じました。かつて私が所属していたのは、一部上場の大企業。世界各地に進出しているので、社員の国籍も多様。当然、世界中から優秀な人材を引き抜けるだけのお金はあったはず。

ところがいざ途中採用となったら、社内規に縛られて最初はすごく安い給料しか出せない。これでは「今の給料の二倍三倍出しますよ」と誘いをかけてくる、中国や韓国企業に勝てるわけがありません。私の同僚にも、韓国の会社に転職した人が何人もいるぐらい。

ということで、退任間際まで80%近い支持率を残したドゥテルテ大統領。官民関係なく、彼に学ぶべきところはまだまだあると思います。この投稿を書きながら、石山さんの本をキンドルでポチりましたので、近いうちに読後感を共有しますね。



2022年11月15日火曜日

ぎっくり腰こわい


出典:株式会社石井マーク

 前回の結核に続いてが「ぎっくり腰」って言うのは、ちょっと落差が激しすぎると思われるかも知れません。でも結核は、ちゃんと薬を飲んで然るべき治療を受ければ、現代では完治が期待できる病気。まるっきり放置とかしない限り、それが原因で死ぬことはありません。

むしろ癖になった腰痛って、なかなか治らないそうだし、長期的に見れば、QOL(生活の質)を下げることに関しては、治療方法が確立された感染症より、タチが悪いとも言えます。とまぁ、唐突にぎっくり腰の話を始めたのは、つい最近、ヒヤッとすることがあったから。

いつもの通りに厨房に立って、朝ごはんの支度をしている時に、前夜少し寝冷えでもしたようで、勢い良くくしゃみを一つ。これがなぜか腰に来て、突然の腰痛に襲われてしまいました。しばらくは腰に手を当てて「痛たた...。」

もっとも、噂に聞くぎっくり腰に比べるとかなりマイルド。痛みを我慢しながら料理を続けて、食事も普通に摂りました。ただ、60歳という自分の年齢を考えると、このまま悪化したらヤバいかもと心配に。

ラッキーなことに私は、この歳になるまで本格的な腰痛は経験したことがありません。引越しなどで丸一日荷物運びをした翌日に、少し腰が痛いなんてのは時々あるぐらい。経験者が言うところの、大の大人が泣くほど痛いとか、数日から一週間は布団の中でエビのように丸まってるしかなかったとかの、悲惨な目には遭ったことがない。

特にぎっくり腰対策ではないけれど、50歳を過ぎてネグロス島に移住してからは、ほぼ毎日、筋トレや自転車漕ぎをやってるので、少なくとも腰痛に関しては大丈夫だろうとタカを括ってたんですよ。

ところが、今までなかったような、くしゃみ一発の腰痛。そう言えばしばらく前に、ちょっと咳き込んだ拍子に、腹筋がこむら返りを起こして、死ぬかと思うほど痛い目にあったなぁ。

要するに、何をするにしても肉体的には「もう若くはない」と意識して用心しないと、そのうちとんでもないことになるかも。なので、今回の腰痛。大したことはないと思いつつも、大事を取ってその日一日は、筋トレも自転車漕ぎも自粛。食事の用意以外、できるだけベッドで横になって、スマホ見たり本読んだりで過ごしました。

よく言われることですが、腰を痛めると、通常のちょっとした動作をするにも、いかに腰が大事な役回りをやってるかがよく分かります。

ところで、もし動けないほどの腰痛だったらと考えたら、フィリピン暮らしの方が対応はし易い。というのも、家内が仕事で子供が学校の平日昼間だけでも、メイドさんに来てもらえるから。介護とまではいかなくても、簡単な食事は作ってもらえるし、トイレに行く時に支えてもらったりぐらいなら大丈夫。

ごく近い将来、高齢の両親をフィリピンで介護することを視野に入れてるし、もう少し先の将来には、自分がお世話になるかも知れない。住み込みの介護士や看護師を雇うのが、それほど難しくないフィリピン。要介護の程度にもよりますが、少なくとも日本にいるよりは、QOLを下げずに、天寿を全うできる可能性が高いように思います。



2022年11月14日月曜日

結核こわい

 今日は、本当に怖かった話。先日、フィリピン人の家内が結核の疑いで検査をしました。結果は陰性で事なきを得て、本人も私もやれやれなんですが、改めて結核蔓延国のフィリピンの現実を思い知った次第。

そもそもフィリピンの医療レベル自体、お世辞にも高いと言えません。一番の理由は、医師や看護師の報酬が安すぎて、まともな医療従事者の多くが、アメリカを始めとする海外に流出してしまうから。つい先日も、家内の従弟夫婦が看護師として渡米したばかり。州都バコロドの病院に勤務する別の従弟も、渡米資格を得るため「自分を殺して」我慢して働いてるんだとか。

さてフィリピンでの結核についてネットで調べてみると、サイトによって順位のばらつきがあるものの、死因のトップ10には間違いなくランクイン。WHO選定の「結核高負担国」で、これでも1990年代に比べると、日本の支援などがあって状況は改善したそうです。

以前にも書きましたが、抗生物質の投与で治る病なのに、なぜこうなるか? それはもう、貧困と無知の故、としか思えません。実際に友人の中にも結核だと診断されているのに、失業を恐れて治療しない人がいました。また、基本的に結核治療は無料のはずなのに、公立の診療所などでは担当者によっては代金を請求されたり、薬の処方を渋ったり。挙句が、子供も配偶者も家族全員に蔓延して、十代の若者が亡くなる悲劇も。

家内の場合は、しばらく嫌ぁな感じの咳が続いてるなと思ったら血痰が出て、慌てて近くの結核診療所(そんな機関があるんです)で検査を受けました。レントゲン撮影の結果が微妙で、若干の影が写っていたため、痰を調べることに。検査自体はそこではなく、「ラボ」と呼ばれる別の施設で行われるそうで、これが2週間も待たされる。

待たされる方は堪らんですよ。いくら治療できる病気でも、やっぱりフィリピンでTB(ティービー、Tuberculosis / テュバルキュロシスの略称)となったら、不治の病というイメージを持つ人が多い。家内もしばらくは眠れない夜をすごしました。

さらに陰性の結果が出ても、咳の原因追及や治療については、上記の診療所の医師はまったく当てにならない。この辺りが、前述のような構造的問題を抱えるフィリピン医療のリアルな姿。仕方がないので市内にある有料のクリニックへ。まともな医療を受けようとすると、貧困層には厳しいぐらいのお金がないと、ダメなんですよ。

そこでは結核の専門医が、聴診器による診断で、結核患者に多い呼吸時の「水泡音」(泡がぼこぼこするような音)がないから大丈夫とのこと。ただし、別の感染症だと判断して、やっぱり抗生物質を処方されて帰ってきました。2週間分で1,500ペソ(4,000円弱)なので、貧乏な人は我慢しちゃうかも知れません。

しかも、毎日キチンと服用しないと、感染している菌に耐性ができてしまうのは、結核やその他の感染症と同じ。フィリピン、特に貧困層には、この「毎日キチンと」が苦手な人が多い。結核がそう簡単に撲滅されないのは、こういうところにも原因があるんでしょうねぇ。



2022年11月8日火曜日

フィリピンで作るお好み焼き

 来月、日本へ一時帰国なので、やっぱり心の中に「食べたい物リスト」を作ってしまいます。ただ、移住して数年ぐらいまでのような、ちょっと大袈裟に言うと、日本食に対する飢餓感、みたいなレベルではありません。

これは私が、ネグロス島での食べ物に慣れたっていうのもあるでしょうが、本格的に自炊を始めて、日常的に食べたいと思うような家庭料理ならば、ほぼ作れるようになったからでしょう。

まず最初に作ったのがお好み焼き。...と書くと、やっぱり関西人だと笑われそうですが、日本にいる時は、そんなに頻繁には食べてませんでした。それならなぜ最初に? 要するに簡単で、ネグロスでも材料が容易に入手できるから。

とろろ芋とか青のり、紅生姜となると、さすがにシライでは売ってませんが、小麦粉にキャベツ、豚肉、ネギ、生姜なら、地元の人も普通に利用する食材。公設市場に行けばいくらでも売ってます。さらにキューピーのマヨネーズととんかつソースは、隣街のタリサイにあるスーパーメトロの輸入食材コーナーにあるんですよ。これだけ揃えば、再現度は90パーセント以上。たまにお客さんにも振る舞いますが、日本人にもフィリピン人にも大好評。

そして一番嬉しかったのは、イメージ通りのカツ丼が作れた時。

豚肉の当たり外れがあるので、固くてイマイチの肉だと嬉しさも半減のリスクはあるものの、美味しいのに当たったら満足度はとても高い。こちらも材料は、玉ねぎ、青ねぎ、卵に醤油、砂糖など、一般的な材料。パン粉もセイブ・モア(地元のスーパー)に、なぜかフィリピン製なのに「パン粉」って日本語表記のものが。




その他にも、自分が食べたい一心で、いろいろ試してみました。最初の一時帰国では、関西人なら一家に一台常備されているたこ焼き器を持って帰ったし、日本のコンビニなら定番のポテトサラダ、天ぷらにエビフライ、ハンバーグ、オムライス、ロールキャベツ、餃子、春巻き...。子供の頃に母が作ってくれた献立は、ほぼ網羅したと思います。

とまぁ、ずいぶんと自慢たらしく書き並べたものの、海外暮らしの邦人で、多少なりともやる気がある方なら、この程度の料理はしておられることでしょう。

ちなみにカレーもこっちで日本のルーが売ってるので、移住後数ヶ月で作りました。唯一日本にいる時からずっと作ってるんですよ。そして意外にも美味しくできるのが、クリームシチュー。こちらはルーは売ってないんですが、その代わりにカンベルの缶入りポタージュスープを使ってます。飽くまでも私の好みですが、断然ルーよりもいい感じ。

助かるのは、うどんと焼きそば用の麺は、パック入りの生麺があること。これに加えて、乾麺ならば蕎麦も素麺もあります。ペットボトル入り麺つゆは高いので敬遠して、ほんだし、みりん、キッコーマンの醤油で自作。ついでに麦茶まであるのは嬉しい限り。

ということで、日本にいた頃から、グルメを気取るほど舌が肥えてるわけでもなく、王将の餃子とか天下一品のラーメン、家族亭の天ぷら蕎麦に、回転寿司で大満足な私。これは見下しているわけではなく、この手の外食チェーンは、世界に誇るべきレベルの高さだと感心しております。

もちろん、本格的な和食とか神戸ビーフをご馳走してもらえるなら、大喜びで御相伴にあずかりますよ。



2022年11月7日月曜日

ハロウィンは飲んで騒ぐお祭りじゃない


出典:The Dialog

 コロナ禍以前は、毎年のように書いてたネタ。そもそもハロウィンは、酒飲んで騒ぐお祭りではありません。興味のある方は、ウィッキペディアなり何なりで、調べていただけたらと思いますが、発祥は大昔のアイルランド。毎年10月31日に、亡くなった家族の霊が自宅に戻ると信じられ、それをお迎えするために食べ物を用意しておくという習わしだったそうです。

はい、季節は違いますが、日本の裏盆会(お盆)と、まるっきり同じ。

それがアメリカに伝わって、ご存知「トリック・オア・トリート」(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ)に転じました。なので元来は、キリスト教とは無関係。むしろ異教の悪魔的な習慣だと敵視するクリスチャンも、少数派ながらフィリピンでもいるらしい。

ただカトリックでは、11月は死者の月とされます。ハロウィンは、翌日11月1日の万聖節(All Saints' Day)と11月2日の万霊節(All Souls' Day)の前夜祭という位置付け。正しくアイルランドの伝統を受け継いだフィリピンのお盆。なので、各地から帰省してお墓参りをする、8月の日本と同様の風景が繰り広げられます。

久しぶりに家族や親戚が一同に会したら、パーティやってお酒が入って...というのはフィリピンならば当然の成り行き。それでもカラオケやディスコで騒ぐのは、さすがにこの時期は控えるもの。伝統的には、夜通し故人の墓の前に集って、ロウソクの灯りの元、静かに死者と語らいます。

とは言え「仮装」という絶好のパーティアイテムがあって、若者を中心に騒ぎたくなる気持ちも分かる。最近の日本でもそうだし、アメリカやフィリピンの都会でも、ハロウィン・パーティはすっかり定着した感があります。

そんなわけで、一応カトリック信徒の私としては、ハロウィンのお祭り騒ぎを苦々しく横目で見ながら、それも仕方ないかと思っていた矢先、韓国ソウルの繁華街、梨泰院で起きた大事故。

圧死された方々は、さぞや苦しく無念だったことでしょう。亡くなったのは大多数が20代の若者。高校生の子供がいる身としては、親御さんたちの悲しみを想像すると、ハロウィンの意味を履き違えている云々と、批判する気は失せてしまいます。

私が思ったのは、今回の事故の遠因は3年も続くコロナ禍。制限されていた、外出や人との接触が一気に解放されたことが、大きかったんじゃないでしょうか。考えてみれば、10代から20代にかけての3年って、私のようなオっさんの3年とは比べものにならないほど貴重な時間。私が感じていたストレスの何倍、何十倍もの重圧だったのかも知れません。

時あたかも、ここフィリピンでは、長かった学校閉鎖が解かれ、この11月から本格的に対面授業の再開が予定されています。息子の学校も、まさに今日11月7日の月曜日から、ようやく毎日の対面授業が始まったところ。どちらかというとインドア派で、外出できないなりに日常を楽しんでいた息子ですが、やっぱり多少なりとも鬱積した感情はあったでしょう。

せめてこのクリスマスシーズンぐらいは、ハメを外して騒いでもいいんですが、あの事故のニュースを見ると若干の心配もしてしまいます。まぁソウルやマニラのような繁華街がない田舎のネグロス島なので、それも取り越し苦労なんでしょうけど。

ちなみに、昔から人混みが大の苦手な上、酒も飲めない私。なぜあそこまでハロウィンに浮かれ騒ぐ人が多いのかは、今でもまるっきり理解できません。



2022年11月3日木曜日

香港経由で一時帰国

 今年(2022年)も残り2ヶ月というこの時期に、諸般の事情で師走めがけて、日本への一時帰国が決まりました。本当なら、こんな寒くなる季節に帰るのは、もうひとつ気が進まないんですが、仕方ありません。しかもお金もやや心細くなってきたので、あちこちに観光行ったりグルメ三昧というのも無理。家族帯同なしの一人旅ということもありますし。

フィリピン・ネグロス島に移住して約10年。過去3回の一時帰国をして、やはり印象深いのは一番最初の2016年。この時点で私自身の連続海外滞在期間が3年と少し。仕事での出張が多かったとは言え、こんなに長い間、日本を離れたのは初めてだったので、食べ物やら温泉やら友人との再会などなど。懐かしさが溢れました。

そして、前回の帰国から、またも3年の間隔で4回目の一時帰国。正直なところ、以前ほどの日本への郷愁やら恋しさっていうのはありません。もちろん、昔から大好きだった天下一品のラーメンとか、王将の餃子、お好み焼きにカレーは、今回もたくさん食べるでしょうし、嫌いになったわけではないけれど、最初の飢餓に近い感じはないんですよね。

それよりも、いろいろと面倒ごとが増えたのが、コロナ禍後の海外渡航。まず航空費用がずいぶんと高い。以前はちょっと高めだったフィリピン航空でさえ往復6〜7万円だったと記憶してます。ところが、調べてみたら軽く10万円超えばかり。昨年ぐらいに比べれば、だいぶ安くなったんでしょうけど、これは懐が痛過ぎ。かと言って、格安セブパシフィックだけは信用できない。4月にセブ行きがドタキャン食らいましたから。

結局、あちこちのサイトを当たって落ち着いたのが、香港経由のキャセイパシフィック。所要時間は直行便の倍以上になるものの、何と価格が5万円台。関西空港着が夜遅くになりそうですが、遅れさえしなければ、当日のうちに自宅に帰れそうなスケジュール。その他も、安いのは台北や釜山経由。昔から不思議なんですが、飛んでる時間が長いのに安くなるってのは、どういうカラクリなんでしょう?


出典:The Jakarta Post

それはさて置き、次に厄介なのがワクチン接種証明。でも、さすがに制限はかなり緩和されたようで、無条件に2週間隔離なんてのはもうないし、日本で認可されたワクチンを3回接種済みなら、72時間前の陰性証明もいらないらしい。しかも嬉しいことに、ようやくデジタル庁がいい仕事をしてくれたようで、フィリピンのワクチンでも、オンラインで接種証明が登録可能。早速やってみたら、これが思いの外簡単。

フィリピンで発行された証明書を、どうやって認証するのかと思ったら、スマホで写真撮ってアップロードするんですね。長年ITに関しては発展途上国だった日本でも、やればできるやんか。

ということで、当初は結構気が重かった旅行準備ですが、渡航と入国に目処がついて、だいぶ前向きになって来ました。円安というタイミングもあるので、大荷物にならない範囲で、新しい老眼鏡作ったり、パソコン関係の機材を買って帰ろうと思います。

心配なのは台風。この頃はクリスマスでも関係なしですからねぇ。ついこの間は、セブ空港で大韓航空が滑走路オーバーランで事故ってるし。まぁ、こういうのは悩んでもしょうがないので、後は神さまにお祈りするしかないですけどね。


2022年11月2日水曜日

絶対に失敗したらアカん国

 いつからこんなことになったんでしょうねぇ、日本という国は。

前回投稿した、今私が住んでいるフィリピンの片田舎シライで、なぜ毎年大きな被害を出しながら、治水がまったく進まないのかを考えみました。日本では治水に限らず、建築や土木、あるいは技術改善で解決できる分野に関しては、間違いなく世界のトップレベル。フィリピンのみならず、多くの先進国ですら羨むほどに、便利で安全な社会になったと思います。

私が子供の頃から就職してしばらくの間ぐらいは、そのおかげで経済は右肩上がり。途中、オイルショックで足踏みはしたけど、すぐにバブル経済の時代。私が社会人になって10年ぐらいは、給料は毎年確実にアップするし、20代の真っ只中だった私の世代は、ずいぶん楽しい時期を過ごしました。

ところが日本お得意のハコモノ・ハードウェアから、ITやソフトウェアに劇的なパラダイムシフトが起るタイミングで、バブルが弾けてしまった。当時から土地神話への過度な傾斜に、警鐘を鳴らす人はいっぱいいました。永久に膨らみ続けるバブルはあり得ないって。でも、誰も止まれなかったんですよね。

絶対大丈夫と思われてた証券会社や銀行までが、倒産したり生き残りのための経営統合。あの当時の悲喜劇は、今でもよ〜く覚えています。私の親戚にもいました。株で大儲けしてブイブイ言わしてたのが、あっという間に自己破産。本人は鬱病になり家族は生活保護で細々とした暮らしという、まったく絵に描いたような「失われた10年」。(すでに30年?)

そこからでしょうねぇ、社会全体が異常なまでに失敗を恐れるようになったのは。私が子供の頃から、他と違わないように、目立たないようにとの同調圧力はありましたが、就職活動中の学生が、全員「制服か?」と思うぐらい同じような色、同じような仕立てのスーツを着るほどではありませんでした。


出典:Aviation Wire

就職先の職場でも、戦中戦後の混乱期を知っている、型破りで時には敢えてルールも破ろうといった、野武士みたいな上司もいたし、そもそも経営者が、終戦直後のドサクサでのし上がったような人でした。

ところが、ハコモノ・ハードウェア志向で、世界第二位の経済大国を謳歌していた最中のバブル崩壊。失敗するのが怖いもんだから、成功体験にひたすらしがみついて、気がついたら世界はグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの天下(いわゆるGAFA)。得意だった家電ですら、中国・韓国メーカーの後塵を拝して久しい。

実は私、ガラケー絶頂期から大凋落の時期に携帯電話関連の会社に在籍。そこでなぜiPhoneが売れるのかを分析した技術者たちは、タッチパネルや液晶の精度にしか着目してない。いや、そこじゃないでしょ?

いまさら言うまでもなくスティーブ・ジョブスの天才的なところは、iTunes、App Store の立ち上げに他なりません。つまりシステムとソフト。音楽も映画も、本もゲームも、およそ考えられるエンターテイメントやサービスは、全部 iPhone 経由で入手できる仕組み。今では当たり前ですが。

あれだけコテンパンに負けてるのに「端末の性能では、我が社が勝っている」という思考自体が敗因だって気づかないまま、事業そのものがほぼ廃業の憂き目に。

産業界だけでなく政治も同じで、日本のお役所のIT化の遅れは、日本が発展途上国呼ばわりしている国からも、哀れみを受けるほど。ハンコや紙の書類に固執する規制を、いつまでも墨守してちゃダメでしょ。アマゾンで検索したら、2022年の今でもファックス電話がたくさんヒット。それだけでもかなり絶望的に気分になります。

高齢者はネットもスマホも使えないって、いつまで言ってるんでしょうかね? それがなければ、いろんなサービスが受けられないってなれば、年寄りでも使うようになりますって。私の母など、70過ぎてからパソコンでコープの宅配注文のやり方覚えてましたよ。問題は、今できない人に合わせて、できる人にまで不便を強いるのが当然という考え方。

まぁ、年寄りは年金もきっちりもらってるし、そういう世代は選挙でも投票するから、結局、社会も政治も、ジジババの方しか見なくなる。若い世代は人口も減るし、給料は安い。いよいよ「絶対に失敗したらアカん国」化に拍車がかかる悪循環というわけです。

ということで、失敗を恐れるがあまり、新しいことをしなくなるだけでなく、新しいトライを積極的に邪魔をするような社会に嫌気がさして、私は日本からフィリピンに移住したわけです。たまに観光で行くぐらいならともかく、いくら便利で安全でも、あの息苦しさの中で死ぬまでいろって言うのは、私には厳しすぎですねぇ。