2022年4月3日日曜日

10年目に突入フィリピン移住生活

2013年4月に、家内と当時小学校1年生の息子を伴って、ここフィリピン・ネグロス島で始めた移住生活が、遂に10年目となりました。「あっと言う間だった」と書きたいところが、意外とそんな感じでもないんですよね。

大抵の場合、10代よりは20代、20代より30代と、歳を重ねるにつれて月日の経過が早まっていくものが、移住後の50代は、ひょっとすると20代に匹敵するかと言うぐらい、持ち重りがしております。

おそらく理由はシンプルで、40代での何倍、何十倍もの新しい経験を積んだからでしょう。今思いつくだけでも、移住してから始めたことって、本当にたくさん。

まず大工さんを雇って自宅の新築。ただ建てるだけでなく、それに付随して、電気・ガス・水道に通信関連が、日本では考えられないほどの不便さ。学生が社会人になるが如く、何もかも一からの学習。

永住ビザ然り、運転免許然り。お役所が絡む事柄は、時間も手間もかかること夥しい。

そうした生活の基盤が整ってからは、家内が就職して、予想外の成り行きで私は主夫に。主夫と言ってもメイドさんがいるので、私は専ら食事担当。それでもほぼ毎日3回、家族のために料理をするのは、今までまったく経験のなかったこと。

最初は、自分が日本食を食べたい一心だったのが、それなりに家内も息子も喜んでいるらしく、結構な楽しみになったのは、自分でもちょっと驚きました。

移住前の見方では、忙しく充実した生活は、おそらく最初の3年ぐらい。多くの定年後のフィリピン移住の先輩たちが語ったところでは、それ以降、持て余す暇との戰いになるだろうと踏んでました。なので、大量の書籍や音楽CD、DVDを持ち込んだところ、全然そうはならなかった。

まずこのブログ。

何度も書いた通り、自宅新築の推移を記録するためのもので、家が建ってしまえばそれまでのつもりが、思いの外ネタは尽きず。最盛期に比べるとアクセス数は減ったものの、今も100人ぐらいの読者がおられるようです。

そこからの派生で「ブログ読んでます」と、リアルな友達付き合いが始まることもしばしば。途中で喧嘩別れの相互ブロック、みたいなケースもありましたが、もしブログを書いてなかったら、フィリピン関連の日本の友人は、ほとんどいなかったろうと思います。

そして趣味のイラスト。

昔からきれいな蝶々や熱帯魚を描いたりしてたのが、人物画、と言うより似顔絵にトライしてから世界がど〜んと広がりました。特にフィリピンの親戚や友人に、誕生日祝いで描いたものが、こっちの想像を遥かに上回る好評を得て、今ではライフワーク。

もちろん嬉しいことばかりではなく、移住してからスーパー台風の直撃を2度経験。最初は移住半年で襲来した、2013年のヨランダで、2度目が昨年末のオデット。さらに極め付けが、もう足掛け3年目に入ったコロナ禍。どれも、人生に一回あるかないかレベルの災害でした。

最後は、比較的最近始めた、毎日のボイストレーニングと、家庭教師を招いてのイロンゴ語(西ネグロスや隣島パナイの方言)。歌唱に関しては、日本のカトリック教会で聖歌隊に所属するなど一応の素地はあって、コロナで出歩けなくなって週一のミサでの聖歌も歌えないことを解消するためでした。

それが、やってみると声も出るようになって、試しに親戚や友達の前で歌ってみたら、これまた予想を上回る反響。今年に入ってからは、イロンゴ語学習と組み合わせて、イロンゴに訳してもらった日本の歌を歌って、ユーチューブにアップしたりしてます。

ということで、50歳で早期退職しての移住だったので、10年経てば当然60歳。今年の10月にとうとう還暦を迎えます。まだ半年もあるんですが、せっかちで嬉しがりの関西人としては、フェイスブックに「60歳の誕生日パーティに来てくれるかな?」と投稿して、早々と気分の盛り上げております。

まぁ、これだけ新しい経験てんこ盛りだと、長く感じても不思議ではないですね。



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