2018年11月30日金曜日

ブログ疲れ


お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、今年(2018年)の年頭以来、毎日1本このブログの投稿を自分に課してまいりました。宿泊旅行先でネット環境が整っていない場合は、帰宅後にまとめて2本3本と連続投稿。おかげさまで、1年に1ヶ月足りない11ヶ月ながら、今執筆しているものを含め、334本を投稿。

我ながらよく書いたなぁという達成感とともに、少々疲れてきたのも正直なところ。やっぱり毎日、内容にバラエティを持たせて、読者の方が飽きないよう工夫するのは、相当な重労働。私にとって文章を書くことは、ただの作業ではなく、すなわちテーマに関して考えること。

今でも10本程度のアイデアストックは常備しているので、ネタ切れというわけでもありません。一番しんどいのは、フェイスブック内グループでのシェアに対するコメント対応。

言いがかりのように、罵詈雑言を浴びせかけてくる手合いには、捨台詞を残して相手をブロックすれば済むので、それほどでもない。厄介なのは、丁寧な口調ながらも繰り返しコメントを重ねて議論を吹っかけてくる人。

ネット上でのコミュニケーションは、かなりの経験を積んできましたが、専門家同士の情報交換ならまだしも、素人が政治や社会、宗教など、大きなテーマで言い争って、どちらかが考えを改めたり、建設的な結論が出たのを見たことがない。却って相手への反感を、募らせるだけなのがオチ。要するに時間の無駄。

そう思ってるのなら、何を書かれても放っておけばいいんですが、性格的に、それほど大らかにできていない私。場合によっては、ネガティブなコメントを読んで、数日ぐらい気に病んだり。ストレスに溢れた日本での生活から逃げ出して、せっかくネグロスで安穏と過ごしているのに、これでは本末転倒ですね。

ということで、今後は、既成グループ内のシェアは限定的に。その代りに、このブログ専用のフェイスブック・ページを新設しました。ページに「いいね」をすれば、FBユーザーも今まで同様、更新のお知らせをお届けして、ご不便なく読んでいただくことができます。また、私にとっても、コメント管理の自由度が高い。

---〉 フィリピン・ネグロス島永住日記(フェイスブック内)

ブログトップページへの直リンクはこちら
---〉 ネグロス島永住日記

それでは少々気の早いことながら、どちら様も、よいクリスマスと新年をお迎えくださいませ。


2018年11月29日木曜日

衣食足って礼節を知る、とは限らない

先月紹介した、隣街バコロドにできた高級イタリアン・レストラン。前回は息子と二人だけだったので、先日の日曜日、家内の誕生日祝いで、家族3人でリピートして来ました。料理もサービスも、「超」フィリピンレベルなのは変わらず、約1時間程度の食事は満足で、家内も喜んでくれたものの、ちょっと腹が立ったのは他の客。

たまたま隣席にいた、父親と男女の子供と思われる3人連れ。子供と言っても、もう高校生か大学生ぐらいで、身なりもちゃんとしてる。ただ、その態度が高級レストランにはまったく不似合い。

3人ともひたすらスマホに夢中。それも食事を待つ間の暇つぶしなんてものじゃなく、スマホをテーブルの上に置いて、まったく料理も見ずガツガツ。君らは、スポーツ新聞読みながら、喫茶店でモーニング食ってる日本のサラリーマンか? それだけならまだしも、ユーチューブか何かの動画を、音量マックス状態で鑑賞中。店のBGMが聴こえないほどやかましい。

これが、私たちの席からは、手の伸ばせば一発お見舞いできるぐらいの至近距離だったものだから、ちょっと我慢できるような状況ではありません。

私が下手な英語で直接客に文句を言ったら、喧嘩になりかねないので、仕方なく家内経由でウェイトレスさんに抗議。そこはさすがの、お高いレストラン。お店の人もそれ相応のサラリーを貰っているらしく、対応は迅速にして的確。客に注意を促すよりも、私たちを騒音客から一番遠い、奥のテーブルに移動させてくれました。しかもフィリピンでは滅多にない、一言の謝罪も付けて。

これがジョリビーとかのファーストフード店だったら、私も仕方がないと諦めたかも知れません。でも、少なく見積もっても、客単価が軽く1000ペソになろうかというお店。ネグロスとの経済格差を勘案すれば、日本で一人一万円を払うぐらいのレベル。そこで、周囲に騒音を撒き散らすなんて、考えられない。食事中ずっとスマホ見てるだけでも、マナーを疑われるでしょう。

家内曰く、これはお母さんがいないから、躾がダメなんだ。う〜ん、それはちょっと見方が偏り過ぎだと思うよ。仮に父子家庭であっても、ちゃんとしてる人はいくらでもいるし。でも、そう勘ぐられても仕方がないほどの、傍若無人ぶりではありました。

そして食事を終えて帰ろうとしたら、さっきの躾放棄の父親が、車に乗ろうとしているところに遭遇。これが、真っ赤なホンダ、シビック・タイプR。こんなのネグロスで初めて見た。


出典:HONDA

嫌味なぐらい高級車然としたスポーツカー。日本で買ったら450万円はする代物。これを見る限り、衣食足るどころか、フィリピンでは大金持ち。それなのに家族してまったく礼節をわきまえていないのは、相当恥ずかしい。

十日前に投稿した、豪邸に住みながら月2000円程度の共益費を払わない、モラル皆無の金持ちの話。それと根っこが繋がっている感じ。何だかなぁ...。


2018年11月28日水曜日

今度はロビンソンズがシライ進出


バコロド市内にあるロビンソンズ
出典:Philippines Plus

今週末の12月1日、西ネグロスの州都バコロドで、巨大ショッピングモール、アヤラ・キャピタル・セントラルのオープンを数日後に控えて、今度はロビンソンズが、このシライ市内に新規モールを計画中との情報が。

シライでは、私たちが引っ越してきた2013年に、スーパーのプリンス。2015年、同じくスーパーのセイブ・モア。そして今年(2018年)3月に、シライ初のショッピングモール、ガイサノ・シライがオープンしたばかり。さらにダメ押しとばかりに、9月にはガイサノの1階にジョリビー・シライが。

実のところ、比較的規模の小さなスーパーは、そこそこの賑わいでも、ガイサノについては目論見通りの売り上げが出ているのかどうか、少々疑問。ジョリビーのお陰で、閑散とした印象は免れているものの、肝心のデパートや食料品売り場の客入りは今ひとつ。いつ行っても、レジで並ぶ必要がないぐらい。

素人目ながら、経営陣はシライを田舎の地方都市だと、多少舐めてかかっていたようにも見えます。どうせ高額商品を並べても買えないだろうから、安かろう悪かろう、品揃えも適当に、みたいな感じが見え隠れ。まぁガイサノ自体が、他の流通大手に比べると、安売り中心で、昔のダイエーっぽくはありますが。

でも、そういうコンセプトなら、シライに既存のスーパーで、だいたいは間に合ってしまうぐらい他店は充実。中流以上の層にアピールするのは、前述のジョリビーに加えて、テナントに入っている家電量販、ホームセンターぐらいなもの。だからと言って、公設市場と勝負できるほどの安さでもないし、低所得者は、涼みに来るのが関の山で、メインの購買層にはならないでしょう。

なので、ここ数年続いたシライでのスーパー、モールの新規出店ラッシュは、一息ついたんだろうと思ってました。そんな矢先のロビンソンズのお話。

情報ソースは、フェイスブック内ページの、「西ネグロス・バコロド建設ブーム」。予定地らしき写真が数枚と、ロビンソンズ・シライ・プロポーザルの文字があるだけで、店舗詳細、開店予定時期など、まったく未定の模様。

ただ、シライ市民の一人としては、せっかくだったらバコロド店ぐらいの規模にはしてほしいもの。どうやら予定地は、今年から大規模な造成が始まった、住宅地と隣接するらしい。この場所に住むような人たちは、間違いなく中流以上。大邸宅を構える大金持ちも、多数入居しそう。

もし私が、ロビンソンズの企画担当者なら、シライの富裕層だけでなく、シライへのアクセスが比較的容易な、ネグロス北部のビクトリアスやカディスのお客さんも、取り込むことを考えるでしょうね。つまり、シネコンやゲームセンター併設、高級食材も扱うグロッサリー、ジョリビーだけでなく、チョーキンやグリーンウィッチなどの有名ファーストフードチェーン。

ありきたりな大型ショッピングモールながら、バコロドへ出るにはちょっと遠いと思っている人たちにアピールし、家族で出かけられる、お手軽な「非日常」に浸れる場所。(要するに私が、近所にあったらいいなと、思ってるだけです。)

ということで、ガイサノの時は、見事に期待を裏切られたので、今度こそはと、しばらく状況を見守りましょう。


2018年11月27日火曜日

ボラれ自慢


先週末に投稿した「マッサージ代の追加請求」。何人かの方から反響があって、「私も何百ペソ取られた」「私は何千ペソ払わされた」みたいな経験談が多かった。これって、病院の待合室で爺さん同士、自分の病状がいかに悪いかを披瀝しているみたい。ちょっとしたボラれ自慢。

中には、フィリピンあるあるとの指摘もありました。まぁ金額の多寡で言えば、たった150ペソだし、脅されて身の危険を感じたわけでもない。フィリピン在住の方から、よくあることだと言われるのも分かる。

私にしたって、もっと悪質な、タカり同然の要求には、何度か出くわしたことはあります。でも、今回の呆れポイントは、セコくて理不尽な追加請求そのものより、お互いの素性が分かっている状況だったこと。

マニラみたいな大都会なら、たまたま乗ったタクシーだとか、偶然利用した商業施設で、当事者と顔見知りなんてことはまずなくて、その後、どこかで出くわすことも、ほぼ有り得ないでしょう。

ところが今回は、メイドのライラに紹介された親戚で、名前も「ビビアン」だとバレてる。住んでいるのは隣街。しかもライラも一緒になって憤慨。私の家が出入り禁止になるだけでなく、当然ライラを通じて噂が広がるのは、目に見えている。たった150ペソのために、仕事の機会を失った上に、親戚・縁者の間でも評判を落とすって、想像できなかったんですかね?

まぁ、本当の最貧困層の人だったら、日々の暮らしに苦労し過ぎて、感覚が麻痺するか、最初っからそういった常識を、身に付ける機会すらなかった、なんてこともあります。以前には「なぜ俺に、借金を頼みにくる?」とツっこみたくなる人もいました。

とは言え、私の周囲の人は、メイドや大工さんの紹介を誰かに頼むと、意外と慎重だったりします。これはシライのような小さな街で、知り合いの知り合いは皆知り合い、だからでしょうか。特に仲のいい友人とか親戚になると、紹介した人の行いが悪かったら、自分の顔に泥を塗られたように感じる人も、結構いるんですよ。実際ライラは、かなり怒ってたし。

それとは反対に、紹介先の待遇が悪くても、やっぱり紹介者の肩身が狭くなる。ライラの話ばかりになってしまいますが、彼女は最近、近所の大きな家のオーナーから頼まれて、知り合いの女性をメイドとして紹介したそうです。ところが、広い邸内の部屋すべてに、一流ホテル並みのハウスキーピングを要求され、しかも完全ワンオペ。サラリーの安さの割にはあまりの無茶振りで、1日で辞めてしまいました。

その報復、というわけでもないでしょうけど、知り合いがどんだけ酷い目に合わされたかを、あちこちで喋りまくっているライラおばさん。まぁすでに隣近所では、メイドが居付かない家だと、有名だったんですけどね。

ことほど左様に「恐怖の噂社会」であるフィリピン。さらに地方のネグロス島。雇い主の家に入って、プライベートなことを見聞きする機会があるような職業、メイドにお抱え運転手、ガードマン、そしてホームサービスのセラピスト(マッサージャー)。こういう人たちには、余程のことがない限り、声を荒げたりするのは禁物。

なので、そっち側にいるはずのビビアンなのに、ずいぶん下手を打ったなぁと、腹が立ったり呆れたりしたわけです。


2018年11月26日月曜日

”Bang Bang” アリアナ!



フィリピンで人気のポップソングというと、タガログ語で歌われる、OPM(Original Pilipino Music )がよく知られていて、レジン、ロッセル、シャロン・クネタなど、中には海外にまで名前の知られた大物歌手が目白押し。

私のお気に入りはドナ・クルーズで、1995年に大ヒットした「ハーバン・マイ・ブーハイ」(Habang May Buhay)は、20年以上経った今でも、フィリピンでは誰も知っているスタンダードナンバー。私が歌える、数少ないOPMレパートリーの一つでもあります。

とは言うもののフィリピンでは、OPMしか聴かれないわけではなく、FMラジオやショッピングモールのBGMなどでは、やっぱりアメリカン・ポップスが幅を利かせている。若い人だけに限れば、そっちの方が存在感が強いぐらい。

それに感化されたわけでもないけれど、私も、移住してから急に聴き始めたアメリカン・ポップス。少し前だと、ブリトニー・スピアーズや、デミ・ロヴァート。主にスペイン語で歌うシャキーラ。ちなみにメイドのライラ(43歳)は、ブリトニーの大ファン。そして私が最近ハマっているのが、アリアナ・グランデ。

もちろん、若い頃もよく聴いてたんですよ。懐かしいところでは、カーペンターズ、バーブラ・ストライザンド。ビリー・ジョエルにシンディ・ローパー、マドンナ、マライア・キャリーなどなど。

ところが、仕事やプライベートでいろいろ難しい事が重なった、1990年代の半ばから〜2000年代には、FM放送もめっきり聞かなくなり、音楽CDも買い控え。この時期は、私にとっての「失われた10年間」みたいなもの。一度遠ざかると、知らない新人がどんどん増えて、すっかり疎遠になっていまいました。

呼び戻されたきっかけは、「レリゴー」でおなじみの「レット・イット・ゴー」。言わずと知れたディズニー映画「アナと雪の王女」の主題歌。オリジナルではなく、デミ・ロヴァートのカバー版を愛聴しております。フィリピンでは、映画もデミも大人気。

そこから、家内に「何を今頃、若向けの歌を聴いてるの?」と呆れられながら、ブリトニー・スピアーズのアルバムを3枚一気買いしたり。そしてアリアナ・グランデにたどり着いた次第。

中でも二人のシンガー・ラッパーと共演の「バン・バン」(Bang Bang)は毎日聴くほどで、まるで高校生に戻ったんかと、セルフ突っ込みをしてます。昔と違って、歌詞の意味も少しは分かるので、ずいぶんな内容だなと思って調べてみたら、やっぱりネット上では「過激だ」と話題になってました。

要するに若い女の子が、私と寝ましょうと誘ってる歌詞。「隠喩」という表現で説明している人もいますが、私でもだいたい理解できるぐらいだから、そんなレベルではありません。さすがに放送禁止用語をモロに使ったりはしないけど、誤解のしようもないほど、露骨な言い回しで溢れている。だいたい「バン・バン」って、とても即物的なタイトルだし。

ただ、性的にきわどい歌やパフォーマンスなら、デビュー当時のマドンナの頃から、わりと頻繁に用いられてきたやり方。もうオっちゃんぐらいの歳になれば、この程度では驚きませんよ。バン・バンが評判になったのは、日本人にもフィリピン人からも、キュートと形容されるアリアナの容姿とのギャップ。

清純派、とまでは言わなくても、「いかにも」なマドンナに比べたら、(実生活ではいろいろあるにしても)見た目が良い子っぽいアリアナは、正統派ボーカリストのイメージ。仕掛けたプロデューサーは、その辺りのファン心理を、実に上手く掴んだと思います。女性からの支持も絶大。

ところで、英語はネイティブ並みに聞き取れる人が多いフィリピン。身近なところで、私のイロンゴ語の家庭教師にして、ついこの間、23歳になったばかりのロマ嬢に、この歌詞どう思う?って聞いてみました。

当然ながらアリアナ・グランデは知ってたロマ。自分でもギターを弾いて、アリアナの曲はよく歌ってるそうです。「バン・バンって、あんまり好きじゃないんですよね。」と言うから、てっきり歌詞のことかと思ったら「コードが難しくて、上手く弾けない」。そっちか〜。


2018年11月25日日曜日

私的フィリピン美女図鑑 4人のマーメイド


たいへんお待たせしました。前回の美女図鑑、ハロウィン向けにセクシー・ヴァンパイアを描きましたから、早いものでほぼ1ヶ月が経過。気が付いたら来週からはアドベント(待降節)で、正真正銘のクリスマスシーズンに突入です。

ヴァンパイアでは、美しいながらも、少々禍々しい路線に走ったので、今回は同じ想像上の美女でも、ファンタジーっぽいお題、マーメイドを描いてみました。それも4人。

最初はディズニーの「リトル・マーメイド」のイメージから出発したものの、最近はやたらリアルな表現に凝り過ぎの美女図鑑。映画の設定通りに16歳のアリエルを描こうとすると、あまりにもロリコン趣味になってしまいそう。

なので、仮に実写版「人魚姫」映画が製作されたとして、アリエルのお姉さんたちの4人をフィリピン系の女優が演じたらどうなるか、といつものように妄想を膨らませてみました。

なぜ4人かというと、フィリピンを代表する4つの民族、マレー系、中国系、インド系、スペイン系と、まったくちがう系統の美女を一つの画面に収めようとの試み。それだけでなく、水中を泳ぐ人魚となると、ポーズの自由度がぐんと上がる。せっかく初めてのモチーフなので、一つのポーズ、一人のモデルに固定するのが、何だか、もったいなかったんですよ。

ところが実際に描き始めると、予想以上の難物。人魚なので、当然、腰から下は魚。ただ、例によって肌の質感を思いっきり描き込んでいるので、表面が鱗だとコスプレみたいになってしまう。いろいろ悩んで、結局はイルカの尾鰭を参考にしました。つなぎ目は一番苦労した箇所。

もう一つ難しかったのは貝殻のブラ。それを聞いて、武田久美子さんを思い出した方は、間違いなく40代以上ですね。写真集ならば良くても、イラストにすると「取って付けた」感が満載。そこで考えたのが、まるで型取りして作った、オーダーメイドのような形状。




出来上がりは、やっぱりディズニーにはそぐわない、セクシー過ぎる4人の人魚姫と相成りました。そりゃ、このレベルで4人も描けば、1ヶ月はかかってしまいます。ところで、人魚のヒップって、こうなってたんですね。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。
王女カンシライ
マイティ・フィリピーナ
クリスティン
サウンド・オブ・パラダイス
フィリピーナ in キモノ
マニラ・ガール
スーパーの警備員
タクロバンの薔薇
ジュリア・バレット
オフィレニア5人姉妹
ホワイトレディ
メイン・メンドーサ
スーパーの警備員 再び
日比カップル

2018年11月24日土曜日

マッサージ代の追加請求


フィリピン暮らしも、そこそこ長くなって、金銭関係で驚いたり怒ったりする事が、ずいんぶん減りました。ところが数日前は、久しぶりに「ブチッ」と来た。

日本にいた頃から、時々マッサージに通っていた私。昔からマッサージは大抵の街にあったでしょうけど、最近のリラクゼーション流行りのせいか、駅前や商業ビルの中に、若い女性が1人でも入れるような、ちょっと洒落た店構えのマッサージルームが増えました。私は、エエ歳したオっさんですが、そういう場所に出入りしていた次第。

そしてフィリピン移住。他の東南アジア諸国と同様、この国もマッサージはとても一般的。こちらではスパと呼ばれるマッサージルーム。マッサージャーはセラピスト。昼間など、多少経済的に余裕のある奥さま連中の、溜まり場になってたりします。

しかも安い。好景気で人件費が上がっても、相場は1時間300ペソ(約700円)。かなり本格的な全身のオイルマッサージや指圧もある。このシライ市内にも、全国チェーンを展開するロイヤル・スパという店があって、週一で通っておりました。

この2年ほどは、通うもの面倒になって、もっぱら自宅で出張マッサージ。少し前に、このブログで書いたように、いつも来てくれるセラピストのシェリルは、有名なリゾート、ボラカイ島で仕事を見つけてお引越し。ドゥテルテ大統領の逆鱗に触れて、島が閉鎖になっていた半年間は戻ってくれたけれど、再開と同時にまたサヨナラ。

そこで、新しいセラピストはいないかと、メイドのライラに尋ねてみると、親戚に1人いるとのこと。住んでいるのも、シェリルの実家と同じく隣街のタリサイ市。早速、土曜日の昼過ぎに来てもらいました。

料金は、家内の分を含めて、2時間で750ペソ。ちょっと高い。でもマッサージの腕が良ければそれでもいいかと、まずはお試し。ライラとよく似た、ガッチリした体格のおばちゃんセラピスト。見た目通り、腕力も握力も強くて、まぁまぁな感じ。

その日は、約束通りの金額を支払って、機嫌良く帰っていったのですが、問題はその数日後。何を思ったのか、いきなり150ペソの追加請求を携帯のショートメッセージで送りつけてきました。つまり750ペソは間違いで、900ペソが正しい金額なんだそうな。

ちょっと待てよ、コラ。別に値切ったわけでもなく、その額を決めた時には、ライラもいて、言い値で払ってる。しかも後になって何の理由もなく、追加で払えって、どういう了見だか。

こう書くと、だからフィリピン人は信用ならんと、すぐに国籍だけで決めつける、おっちょこちょいな日本人もいるでしょう。そうではなくて、フィリピン人の家内も、紹介したライラですら、何考えてるのか分からんと憤慨の様子。

もちろん私も、もう1ペソ、1センタポも払うつもりはなくて、すぐに「二度と来るな」と返信してブロック。

それにしても、本当に理解に苦しみます。最初に、やや高めの料金でも、文句を言わずにあっさり払ったんだから、悪い顧客ではなかったはず。これで毎週呼んでもらえれば、月4回として、3,000ペソの収入になる。ライラの月給が4,000ペソだから、割のいい仕事ですよ。もったいない話ですね。

ということで、またセラピスト探し。今日、イロンゴ語家庭教師のロマが、市内の公設市場の近くに、良心的なスパがあって、出張サービスもしていると教えてくれました。セラピストは全員盲人で、アシスタントが同行するそうです。次はそこに、頼んでみましょうかね。


2018年11月23日金曜日

ニュージーランドのあしながおばさん


今年(2018年)の中頃から、相次いで宿泊のお客さんを迎えてきた我が家。なぜか、ず〜っと日本人が続きました。それが、もうすぐ12月という時期になって、久しぶりにフィリピン人の泊まり来客です。

やってきたのは、ディオニシオ夫妻。お二人とも私と同年代の50代半ば。陽気だけど騒がしくなく、知的で上品だけどフィレンドリー。身近にいるフィリピンの知人と比べると、やや珍しい雰囲気。どちらかと言うと、家内のフィリピン大学時代からの友人の中に数人、近い佇まいの人が思い当たるぐらい。

実は、私はもちろん、家内も初対面。聞くところによると、夫妻はニュージーランド在住。奥さんがオークランドで図書館に勤務されているそうです。その関係で、おそらく処分する本がたくさんあったんでしょうね。今年3月、バリックバヤン・ボックスに二箱、約千冊の英語書籍を、シライ市内の学校へ寄贈されました。

それだけなく、ミンダナオなどにも、同様の寄付をしている篤志家。生まれはルソン島イロカノ地方なのに、なぜあまり縁のなさそうなネグロス島かというと、家内と共通の友人を通じてのこと。

ネグロスの隣、パナイ島にある、フィリピン大学ビサヤ分校ミヤガオ・キャンパス。ここで10年ほど昔、学長をしていた家内の大学の先輩グレン。学長を退任後、家族でニュージーランドに移住し、今大学生の娘さんエリエルが、ディオニシオ夫人と知り合いました。そこで、教育省のシライ・オフィスに勤める家内に、寄付の話が舞い込んだという経緯。

フィリピンでは、海外で成功した出稼ぎ労働者が、地元の自治体や、母校の同窓会の費用として、まとまった額の送金をするのは、よく聞く話。家族や親戚だけでなく、故郷の同胞たちを、少しでも助けられたらとの願ってのこと。

とは言え、いくら友人の紹介があっても、災害や内戦で大きな被害が出たわけでもなく、他地方の人からすれば、知名度が低いシライ市を寄付先に選ぶのは、なかなかできることではありません。現金ではなく、学校に本を寄贈というのも、とても好感が持てます。

ということで、今回のシライ訪問は、たまたま別件で日本へ旅行する機会を利用してのご挨拶。私は、昼過ぎのフライトでマニラから到着したご夫妻を旅行代理店の社員よろしく、お二人の名前を印刷した紙を持って、空港ゲートでお出迎え。どの人なのか分からないって、意外とドキドキするもんですね。

その後、数時間のシライ観光にお連れしたり、私の料理した夕食を振舞ったり。大したことはできませんが、シライへのご厚情に感謝の気持ちを込めました。仕事から帰宅した家内は、翌日、寄贈先の学校がある山間部、ランタワンでの歓迎パーティに向けて、大きな中華鍋一杯に、フィリピンの家庭料理、アドボを用意。

僅か12時間ほどのディオニシオ夫妻との交流でしたが、こちらまで何だか温かい気持ちになることができました。


両端がディオニシオ夫妻


2018年11月22日木曜日

街のキャパシティ・オーバー

先週末に、私の住むネグロス島シライ市で開催された、ボールルームダンスの競技会。参加のために市内入りしたのが、セブからだけでも総勢80名だったと言いますから、金土の二日間は、少なくとも120〜130名ぐらい、シライの人口が増えていたことに。

シライ市の人口は、公称12万人。それも、かなり広大な市域全部でこの人数で、沿岸部、山間部の市の中心から離れた場所も含まれています。田舎=過疎が当たり前の日本と違い、少々辺鄙な所でも人がいっぱいなのがフィリピン。

その証拠に、たまにシーフードを食べに、海辺のバラリン地区へ行ったり、休日にマウンテンリゾートのランタワンやパタッグを訪れると、道路へはみ出して遊ぶ、大勢の子供たち。感心することに、マーケットやコンビニはなくても、学校だけはある。

ひょっとすると市街地だけの人口って、せいぜい5〜6万程度しかいないんじゃないか。それに日本の京阪神、関東地方と違い、住宅地がびっしりで隣接する自治体との境界が分からないなんてことはあり得ないネグロス。広大なサトウキビ畑の中に、街が島のようにポツン、ポツンと点在。

こういう状況なので、たまの催事で外部から100人単位の流入があると、あっと言う間に道は渋滞、宿泊場所や食事のできる場所は、人で溢れることになってしまいます。

今回も、ダンス競技会に参加するために、シライに来たお客さんを迎えに行ったら、数少ない市内の幹線道路は、ずいぶんと車が多かった。普段こんなことになるのは、たまに葬式の行列が通って、車線規制がある時ぐらい。

宿泊に関して言えば、私が思い浮かぶホテルやペンションって、十指に足りない。一番大きなリッチモンド・ホテルでも、客室は20もなかったと思います。なので予約が取れず、隣街のタリサイやバコロドに宿を取って、わざわざ車で通った人も多かったでしょう。


シライで唯一ホテルと呼べる
リッチモンド

レストランは一番影響が大きくて、朝から深夜まで続く競技会だったので、昼や夜の食事時には、テイクアウトを求めて参加者が殺到。市内唯一のジョリビーに、たまたま家族で夕食に出かけたら、ライスもスパゲティも全部品切れ。仕方がないのでハンバーガーとフライドポテトだけを注文しました。

さらに信じられないのは、競技会当日に、わざわざ早朝から夕方までの計画停電があったこと。会場となった市営の体育館には、まるでこれに備えたように、数ヶ月前に大きな発電機が据え付けられたものの、1ヶ月以上も前から日程は分かってるんだから、何もその日にぶつけなくてもいいのに。

でも、よく考えたら、フィリピンの他地域と同様、このシライでもすごい勢いで新規の宅地造成が進んでいます。来年にはアミューズメントパークまでオープン。スーパーやショッピングモールなど、なんだか無闇に作るなぁと思ってましたが、やっぱり万単位で人口が増えれば、そんな設備投資もあながち無謀とも言えない。

100人程度の来客で、街のキャパシティがオーバーするシライ市なので、先を見込んでの建設ラッシュは、当然なのかも知れません。


2018年11月21日水曜日

カレー大好きメイドのライラ

久々にメイドネタです。

今年7月の初めから通いで働き始めた、ベテランメイドのライラおばさん。相変わらずのお喋りながら仕事はキッチリこなし、最近では、ほとんど何も指示する必要もないぐらい。掃除・洗濯は元より、朝、魚を買えば、昼までには、三枚におろしてくれるし、買い物の間違いもなくなり、肉も野菜も所定の位置に確実収納。

料理に関しても、過去のメイド4人がことごとくハズレだった(最初から料理できないと言われてた)のに対し、煮物、揚げ物、炒め物、だいたいはやってくれます。特に魚に関しては、私よりも美味しくできる献立が多数。ミルクフィッシュやアジの煮付け、小魚のフライは、任せっ切りで作ってもらうことも増えました。

ところが、なぜかスパゲティを茹でるのだけはイマイチ。別にアルデンテの微妙な茹で加減を要求しているわけでもないのに、どうやったら、こんな変な具合にできるのか?というぐらいの代物ができてしまう。最初の一回以降、これだけは任せることがありません。

ちなみにフィリピンでは、ライラに限らず黙っていると、麺をポキポキ折って、グダグダになるまで煮込まれてしまいます。

とは言っても、やっぱりメインで料理しているのは専業主夫の私。基本ライラは、アシスタント役。当初は私が調理する、肉ジャガや麻婆豆腐、そばやうどんなどを、ちょっと距離を取って恐る恐る眺めていた感じ。出来上がったものを勧めても、笑顔で拒絶するのが常でした。

比較的低所得層の人って、食べ物には保守的なケースが多い。なので、私も無理強いすることなく、時にはライラが、近所のトロトロで1人分のおかずを買ってきたり。

ところが、いつ頃からか、日本食にも興味が出てきて、ちょっと味見させてくださいとか言い出すようになり、気が付いたら、だいたいの料理は進んで食べるようになりました。特にライラのお気に入りは、日式カレー。

私が作るカレー、ルーはこちらでも入手できる日本製。ただ材料を塩コショウで炒めて、水を入れて煮込み、ルーを放り込むだけではありません。擦り下ろした野菜やトマトソース、ココナツミルクなどを入れて、ちょっとだけ凝ったレシピ。ライラだけでなく、フィリピン人の親戚や友達にも、評判は上々。


「週末カレー」と称して作る、毎週土日のカレーを心待ちにしているライラ。先日など、週明けに少しだけ残ったカレーを、自分のお昼用に取っておいたら、出勤してきたライラが目ざとく冷蔵庫の中から見つけて、朝ごはんに食べちゃったり。ちょっと悲しかった。

また、素麺も好物。私が素麺を茹で始めると、自発的ネギと生姜を刻み始めるほど。箸は使えないので、小皿に盛った麺に、薬味と麺つゆをぶっかけて、スプーン・フォークで美味しそうに食べます。

ということで、来年の年明けには、我が家での勤務が半年の節目。このぐらいの時期を過ぎれば、わりと長続きするようなので、これからも機嫌良く、仕事をしてほしいものです。


2018年11月20日火曜日

やっちまった者同士


同好の志を見つけるのに、これ以上はないというほど最適なSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)。フィリピン移住前は、ほぼミクシィ一辺倒だった私も、今ではフェイスブックとツィッターのユーザー。コミュニケーション・ツールという点では、このブログもその範疇に入るでしょう。

最近でこそ、ボランティアや英語留学などの分野がありますが、ひと昔前だったら、仕事以外でフィリピンに関わってると言うと、それだけで色眼鏡で見られたし、日本国内でフィリピン関係者をリアルで探すとなると、フィリピンパブかカトリック教会みたいな、極端な選択肢しかなかったように思います。

さらに、フィリピンに移り住んでからは、SNSなしでは近くに住む日本人を見つけることさえ至難の技。私にしても移住前は、若いフィリピーナと同居する爺さんしかいないものだと、勝手に決め付けていたので、ネグロスのような僻地に住めば、ずいぶん孤独な毎日になるだろうと覚悟してました。

ところが物事は、やってみないと分からないもの。まずスピードや安定性で問題は多いものの、予想よりネット環境はずいぶんとマシ。少なくとも日々SNSを使うぐらいなら、あまりストレスは感じてません。

それ以上に予想外だったのが、年齢・性別・フィリピン在住/渡航の理由など、千差万別の日本人をSNSを通じて知ったこと。男女を問わず若者もいるし、仕事絡みにしても実に多種多様。若いフィリピン女性と中高年日本人のカップルにしたって、水商売経由ではないケースがいっぱい。これは私自身の不明を恥じるべきですね。

ということで、移住後にこのブログを書き始めたり、フェイスブック内のフィリピン関係グループに入ったり。それが高じて、今では自分がグループ運営に関わったりもしております。有難いことに、そこで知り合った人が、フィリピン/日本在住を問わず、かなり頻繁に、このネグロス島の我が家までお越しい頂くようになったのも、それこそまったく予想外の展開。

最初にフィリピン好きというフィルターを通しているので、当たり前な話ながら、実際に会うと気の合う人ばかり。共通の話題はいくらでもあるし、価値観が近い。日本語を喋れる貴重な機会ということもあり、初対面なのに、つい2時間3時間と話し込んでしまいます。

考えてみれば、フィリピンに住んでいたり、わざわざネグロスまで来る人って、何かしら、「やっちまった」経験があるんですよね。これは必ずしも悪いことではなく、周囲の反対を押し切って、自分がやりたいことをやっちまったという意味。私の場合だと、美術系の大学に入ったことや、離婚、その後の国際結婚、早期退職にフィリピン移住。(少し前に「人生の撤退戦」と題して、このブログに投稿した通り)

よく、やらずに諦めて後悔するより、やって後悔した方がいい、なんて聞きます。我が家に迎える日本人のお客さんは、まず全員がご賛同。そして、フィリピン住まいを後悔している人は、来たことがありません。

まぁ中には、それを後悔しまくって、SNSにフィリピンへのネガティブな投稿ばかりというのも見かけます。でもそういう人は最初から関わりにならないし、絡んできたら即ブロックなので、これからもリアルで顔を合わせることはないでしょう。


2018年11月19日月曜日

お屋敷、売ります

最近私はフェイスブックで、バコロド・西ネグロス建設ブーム(Metro Bacolod and Negros Occidental Construction Boom)というページをフォローしてます。その名前の通り、ここ数年来、建設ブームまっ最中の西ネグロス州都バコロド。その周辺の新しい建造物を紹介するもの。

このところ一番の話題は、西ビサヤ地方最大の売り場面積というアヤラ・モールの開店。バコロドにはすでに、流通大手のSM、ロビンソンズ、ガイサノが以前から大型ショッピングモールを構えていて、言わばアヤラは、最後の大者。

他店が市の中心部からやや外れた場所に、広大なパーキングスペースを確保して、2〜3階の建物による、郊外型のスタイルなのに対して、アヤラは満を持しての州庁舎のすぐ隣。その名もアヤラ・キャピトル・セントラル。直球ど真ん中・真っ向勝負の5階建て。

どうやらこれは、アヤラ・キャピトルを中心とした、大規模な再開発事業のようで、周囲には何棟ものコンドミニアムが林立し、新しいホテルも開業したところ。当初はマスカラ・フェスティバル(ネグロス最大のお祭り)のある11月の目標だったのが、結局12月1日オープンのアナウンスがありました。それでも残すところ、もう10日余り。

そんな感じで、このページは、とにかく景気のいい話がテンコ盛りで、時々、個人住宅の写真も掲載されたり。先日私の目を引いたのが、そんなトピックのひとつ。

売り家
リノベ済みで、敷地 1,160平米、総床面積 700平米
アメリカンサイズの寝室が5部屋
全室ウォークインクローゼット、
 トイレ・バスタブ付きシャワー完備
別棟にトイレ・シャワーのある家政婦、運転手部屋あり
庭は全面芝生
24時間警備の宅地内
グレートな選択、グレートな暮らし

 




すっごいですね。
最後の1行は、つい調子に乗って、ルー大柴さんっぽく訳してしまいました。

価格の記載はないけれど、ネグロスでもこの規模だと、土地込みで2,000万ペソはするはず。日本だったら軽く億の単位になるのは、間違いない。我が家が300平米の敷地に総床面積がベランダを入れても200平米程度。ざっと3倍以上です。

購入価格もさることながら、維持費もすごいでしょう。どう少なく見積もっても、メイド3名、庭師と運転手が1名づつ。場合によっては警備員も雇う必要がありそう。ただの使用人だけじゃなく、本気で執事が欲しいぐらい。こうなると、家じゃなくてお屋敷ですね。

この記事をフェイスブックでシェアしたら、バコロド生まれで、今は日本に住んでいるフィリピン人の友達から、私も気にしてましたとのコメント。この人、小さい頃はずいぶん貧乏だったそうで、近所にある同じような豪邸を見上げては、いつかはこんな家のオーナーになってやると、まるで昔のスポ根マンガの主人公みたいに、闘志を燃やしていたんだとか。

それにしても、この家を買う人は、一体何人で住むんでしょうか。4〜5人ぐらいだったらスカスカで寂しいかも知れません。台所の写真を見ると、ここで料理するのは広すぎて寒々しい。これはオーナーやその夫人が、自分で立ち働く場所じゃないですね。それこそ料理人の2〜3名もいて、毎日晩餐会でもしないと。

そんな想像をしていて思い出したのが、30年以上前のバブル最盛期の頃、何を勘違いしたか、父親が買った中古のベンツ500SEL。黒塗りの神戸ナンバーで、しかも左ハンドル。普通に走っても、周囲の車が避けてくれる超強面。

たまに借りて運転したら、高速道路で料金を払う時に、助手席側のウインドウまで、シートベルト外して腰を浮かさないと手が届かないほどの広さ。これは運転手付きで、オーナーは後部座席に乗る車ですね。

つまり、いくらお金があろうが、家でも車でも、あるレベルを超えてしまうと、私のような庶民には無意味。300平米の家でも、1人で留守番したら怖がってしまう小心者ですから。

前述の、バコロド出身の友人は、この家を買うほどでなくても、ちゃんと家族もいて、それなりに充実した暮らしぶり。やっぱり維持費を考えると現実的ではないと、思っているようです。


2018年11月18日日曜日

サブディビジョンの危機


約1年前、私たち家族の住むサブディビジョン(宅地)で、大金持ちで大邸宅に住んでいるのに、共益費を滞納している人が多く、問題になっているという投稿をしました。(共益費の滞納)。

その後も、払わない奴はずっと未納のままで、ついにサブディビジョンの管理事務所がキレて、夜間の街灯はもう点灯させないし、警備員は全員解雇するとのお達しが。このセントフランシス・サブディビジョンは、約300ヘクタールの敷地面積で、ざっと600世帯が居住。そのうち、ちゃんと共益費を払っているのが1/3だけと言うから驚きます。

そして今日、緊急招集されたロット(分譲地)のオーナー会議。議論は当然ながら地元の言葉(イロンゴ語)なので、ここは家内に行ってもらうしかありません。昼過ぎの午後2時に出かけて、帰ってきたのが5時前。相当紛糾したらしい。

結局、未払いのオーナーは、ほとんど欠席。それでも通常は20人程度しか集まらないこのミーティングに、60人もの出席者。口々に、私たちはちゃんと払ってるのに、警備員の解雇は困ると大合唱。そりゃそうだ。私だって同じことを言うでしょう。

ちなみに現在の共益費は、1ロット(平均して150平米)につき150ペソですから、たったの320円。私たちの所有しているのが4ロット(600平米)なので、月1300円。かなり大きな家でも、せいぜい8ロット(1200平米)ぐらいなので、2600円。いくら日本との経済格差が大きいネグロスでも、ここに住んでいて、払えないような金額ではありません。

滞納分は免除して、来年からちゃんと払えば許してやろうという妥協案も出たらしいけど、それは不公平だと一撃で却下。当たり前や。

こういう話、フィリピンでは珍しくないらしい。鳴り物入りで分譲を開始した高級住宅地が、共益費不払い慢性化のために、警備員も照明設備も維持できず。管理者が早々に諦めて放り出し、拳銃強盗や殺人の犯罪が横行したりすることも。

そもそも、セントフランシスに居を構えている人たちって、警備がしっかりしてるからこそ、この場所を選んだはず。まったく理解に苦しみますね。

最悪の場合、警備員がいなくなったら本気で怖いので、顔見知りの隣人3〜4世帯の共同で、夜間のみのガードマンを雇おうかと、家内と話をしていたぐらい。拳銃購入の選択肢もありますが、やっぱり子供もいる家の中に、人を殺せる凶器を置くのは、気が進まないし。

ところが幸運なことに、今、宅地オーナー会の会長さんが弁護士。彼の提案による今日の結論は、以下の通り。

警備員も夜間の街灯も従来通り継続する。その代り、犯罪者の侵入などで、未納者宅から警備員詰所に通報があっても、一切対応しない。その家の周辺のみ照明は使用不可。未納者所有の自家用車が宅地のゲート通過の際は、警備員ではなく、自分でゲートを開けさせる。

まるで嫌がらせみたいな話ですが、共益費支払いを促すには、こんな子供っぽい手段も仕方ないんでしょうね。私としては、警備の現状を維持してもらえるなら、文句はございません。

ということで、今回のサブディビジョンの危機は、何とか回避されました。取り敢えずはやれやれです。それでも、金を払わない連中が徹底抗戦の構えに出たら、次はどうなることやら。まだ安心できない年の瀬になりそうです。


2018年11月17日土曜日

ネグロス島で、Shall we ダンス?

へぇ〜、フィリピンにもこういう世界があるんだ、と感心してしまいました。

私の住むネグロス島、地方都市シライの市営体育館で、今日(2018年11月17日)ボールルームダンスの競技会が開催されました。それもネグロスとか西ビサヤ地方ローカルではなく、セブやミンダナオ、マニラからも、たくさんのダンサーを招いての全国大会。

ダンスに関しては、映画「Shall we ダンス?」を見たぐらいで、知識も感心もほとんどなかった私。それがどうしてダンス競技会を観に行くことになったというと、セブ在住の日本人の友人、Mさんが参加されたから。

Mさんは、少し前に、「ミスターM in セブ」と題した投稿に書かせていただいた方。御歳70を既に超えているというのに、孫娘ほど歳の離れたパートナーと共に、ほぼ毎日ダンスを楽しんでおられます。お若い頃からのダンス好きとは言え、すごいですね。

当初は、西ネグロスの州都バコロドで開かれるはずだったこの競技会。なぜか、その近郊シライに変更となり、シライは初めてというMさん御一行の案内役を仰せつかった次第。とは言っても、奥さま運転の自家用車で、フェリーで来られるとのことで、シライ市内に入ってから落ち合って、宿泊場所や会場へのナビゲートをしただけです。

Mさんによると、フィリピンでのダンス人気は、日本など比べものにならないぐらい。日本ではダンスホールに通うのは、シニア層が中心なのに対して、競技会の出場者を見ても、10〜20代の人たちが多い。私は全然知らなかったんですが、ボールルームダンスの世界では、35歳を過ぎると「シニア」になっちゃうんですね。

またフィリピンでは、特に男性の場合、40歳過ぎるぐらいには、ダンスから遠ざかる人が多く、Mさんは、どこへ行ってもブッチ切りの最高齢記録保持者。そんなユニークな存在でもあり、また気さくで飾らないお人柄も手伝って、セブから大挙80名もやって来た関係者の中で、かなりの人気者。こういうのは実に羨ましい。

そんな経緯で、生まれて初めてライブで、しかも前日の練習など、汗が飛んで来そうなほどの至近距離でボールルームダンスを見ました。プロのダンサーも多数いるようで、男性はイケメンで逆三角形体型、女性は美人で谷間とくびれ。動きは当然キレッキレ。誰か私の美女イラストのモデルになってくれないかなぁ。


タキシードとロングドレスの
スタンダード


動きも衣装もセクシーなラテン

日本だったら、プロダンサーなんて接点の持ちようがなかったでしょうけど、フィリピンだからか、それとも競技会の開催場所がシライだったからか、練習後にMさん夫妻と夕食中のレストランに、あの逆三角形&くびれ軍団がご来店。何の気取りも衒いもなく、初対面の私に対しても挨拶してくれました。

ちなみに日本ではスタンダードと呼ばれる、タキシードとロングドレスで踊るダンスがメインなのに対し、フィリピンでは圧倒的にラテン。衣装もぐんとセクシーで、男性は胸をはだけ、女性は足を大胆に露出。映画で竹中直人さんが、野性的に踊ってたカテゴリー。なのでみんな筋肉質になるんですね。

ということで、思いもよらず、自宅から徒歩の範囲で、大迫力のダンスを見せてもらうことができました。Mさん、ありがとうございます。


2018年11月16日金曜日

即効、抗生物質

またもや下痢についてです。尾籠な話ばかりで申し訳ありません。

日曜日の夜から始まって、何と木曜日の午後になっても、相変わらずの1日3〜4回のトイレ通い。発熱したり寝込んだりするほどではなく、お腹は減るし夜も眠れて、外出しなければ日常生活にはさほどの支障はないけれど、下痢ばかりが、どうにも止まらない。

私のフィリピン生活では、数ヶ月に1度の下痢は付き物でも、大抵は1日か2日で治ります。正露丸がだいたい効くんですけどね。こんなにしつこいのは、移住してからせいぜい3回目ぐらい。

一昨日も書いた通り、近所のクリニックに行って、抗生物質を処方してもらえばいいのは、分かっています。ただ、どうしても抵抗があるんですよ。誤解されている方も多いけど、抗生物質って万能薬ではありません。効果があるのは細菌性の病気だけ。

風邪やインフルエンザって、ウィルスが原因の疾病なので、抗生物質は無力。なので、ウィルス性の下痢(ノロウィルスなど)には、飲んでも無駄なんだそうです。それどころか、発疹や肝機能障害など、場合によっては深刻な副作用が出ることもある。また、中途半端な服用だと、耐性菌(薬が効かない細菌)を作り出してしまったり。

典型的なのは、フィリピンで猛威を振るう結核。この病は、正しく抗生物質を使えば、ほぼ完全に根絶できるはず。ところが、病気に対する理解や知識がない貧困層の人たちには、仕事を失うことを恐れて、結核であることを隠し、結果的に家族や職場の同僚に感染させるケースが多発。

治療を始めても、結核菌を排除できる以前に、自己判断で薬の服用を止めて耐性菌にしてしまい、そのまま亡くなることもあるそうです。このためフィリピンでは、糖尿病やガンよりも多くの人が結核で亡くなり、死因の第6位になるほど。(1位は心臓疾患)

そんなフィリピンの現状なので、できれば抗生物質の世話にならずに、病気は治したい。でも、さすがに5日目になっても、回復の兆しが見えないと根負けしてきます。毎食お粥も飽きてくるし。何より長時間の外出ができないのが精神的に堪えますね。

ということで、ついに行ってきました、お馴染みのクリニック。日本の開業医とは少々スタイルが違って、一箇所に数名の専門医が集まり、受付だけが共通。病状に合わせて、受付の人が個別の部屋にいるドクターへ振り分けるシステム。同じ建物に薬局もあって、処方箋に応じて医薬品を販売します。(外部の薬局で購入することも可)

州都バコロドにある総合病院に比べると、診察費が安いこともあって、いつ行っても大勢の患者さんが待っている。これも私がクリニックに近寄りにくい理由の一つ。ヤバい感染症を移されそうで怖いし。

ところがたまたま閉まる直前の、夕方5時過ぎに行ったら、もう患者さんは誰もいなくて、即ドクターの部屋へ。なるほど、こうすれば待たなくて済むのか。多分、山間部から受診に来るような人は、帰りのジプニー(乗り合いバス)がなくなっちゃうから、こんな時間まで居るのは無理だと思われます。

さて、顔なじみのお医者さん。日曜日から下痢だと言うと、開口一番「刺身食べたんじゃないでしょうね?」。マニラやセブの、日本人の板前さんがいるレストランならともかく、シライで買った魚を刺身で食べるほど、無謀なことはしませんって。

それは私が日本人だと知っての冗談だったようで、診察そのものは5分で終了。めでたく抗生物質を3日分出してもらいました。やれやれ。診察費と薬代、合わせて1,100ペソ(約2.400円)。我が家のメイドの月給が4,000ペソなので、決して安くはありません。


帰宅して早速服用すると、これが水道の蛇口を閉めたがごとく、ピタッと下痢がストップ。まるでタチの悪い冗談みたい。やっぱり細菌性だったんですね。それでも一度飲み始めたら、途中で止める訳にはいかない。今日もドクターの指示通りに、服用を続けてます。

この即効性は、以前にも経験があって、いまさら驚きはしません。ただ難儀なのは、反動で下痢から便秘にシフトしまうこと。もう30時間もお通じがないので、今回もやっぱりそのパターン。

でも、久しぶりに食べた炒飯や焼きそば、食後のコーヒーなど、涙が出そうなほど美味しかった。やっぱり日々の食事を、健康で美味しく頂けることに勝る幸せは、あまりなさそうです。神さまに感謝。


2018年11月15日木曜日

ネグロス昆虫記

今を去ること40年以上前、私は虫採り少年でした。ただ採って虫かごに放り込んで飼い殺しではなく、かなりマメに標本まで作ったり。住んでいたのが、1960〜70年代の尼崎だと言うと、あんな工場から排出される煤煙と汚水まみれな街で、虫なんていたのか?と思われそう。

ところが同じ尼崎でも、北部の阪急沿線は、まだまだ住宅地でも田圃や雑木林が点在し、空き地もいっぱい残ってました。カブトムシなど、当時でも子供に人気だった昆虫はいなくても、トンボにチョウ、セミ、バッタ、コガネムシなどなど、子供が補虫網を持って走り回るだけの種類も量も、ちゃんといたんですよ。

タイコウチやゲンゴロウといった、水棲昆虫もいたぐらいなので、きれいな池や小川もありました。虫じゃないけど、ざる一杯にオタマジャクシを捕まえて、自宅の水槽で飼ったことも。ほとんど全部アマガエルになって、放した裏の田圃で、ゲロゲロ鳴いてたのを思い出します。

夏休みになると、母方の祖父の田舎、長野県中野に大遠征。りんご農園を経営する大叔父の、当時はまだ茅ぶきだった家に泊めてもらい、それこそ朝から晩まで昆虫採集三昧。忘れもしない、大物のカラスアゲハやノコギリクワガタをゲット。

そんな素養(?)があるせいか、フィリピン・ネグロス島に移り住んでも、何かと気になるのが虫たち。もちろん虫採りは中学生ぐらいには卒業。だいたい、こっちで、補虫網や虫かごで売ってるの見たことがないし、子供が虫を採ってる姿も皆無。

大人でもセミを知らないのには驚きました。ネグロスにもセミはいるし、鳴き声は日本のものと違っても、ちゃんと鳴いるのに。

そんな具合に、人間が無関心なので、虫の方も警戒心が薄いらしく、夜間などよく我が家のベランダに飛んできたりします。熱帯なので、見たこともない珍しい種類が多いのかと思いきや、意外にも、昔見たものとよく似ている。

カナブン、トンボ、カミキリにカマキリ。昼間にはモンシロチョウそっくりなのが、庭先に舞っていたり。2年前に投稿したように、セミが網戸に止まってることもある。たまに家の中に侵入して、家内が大騒ぎすることも。




実は、ネグロス島って、日本の収集家にとっては、クワガタの産地として知られてたんですね。ネット検索したら、最初にヒットしたのが、インターメディアツヤクワガタという、ものものしい名前のクワガタ。何と日本にも輸出されて、アマゾンで売ってるらしい。(現在は在庫切れ)


出典:Amazon.co.jp

これは長野県どころではない、虫採り少年にとっては夢の楽園。平地でこれだから、山間部へ行けば、もっとすごいでしょう。昔の自分を連れて来たいぐらい。

それにしても、私がカラスアゲハに目を輝かせていた時と、同じぐらいの年齢の息子。ヤツは昆虫に興味を持つどころが、外でさえ遊びません。無理強いするつもりはありませんが、何とも勿体無いことです。


2018年11月14日水曜日

お世話になってます正露丸

一昨日の月曜日にも書いた、久しぶりに罹った下痢。実は今日、水曜日もまだ症状が続いております。日曜日の夜だったので、もう四日目。こっちに住んでいると、手洗いとか怪しい食材は料理に使わないなど、気を付けてはいても、3〜4ヶ月に一度ぐらいはなってしまう。

しかし今回のはちょっとしつこいですね。通常だとトイレ通いが続いても、せいぜい丸二日まで。息子も私より24時間ぐらい遅れで、数回軟便があったもののすぐに回復。家内はまったく何ともなし。

こうなると、早く病院へ行けと言われそう。移住後すぐの時期は、すぐに通院してたんですよ。ところが、こっちのお医者さんって、症状の重い軽いに関係なく、すぐに抗生物質を処方しちゃうんですよね。

移住した年の8月に、マニラの日本レストランで食べたウニに当たって、強烈な下痢と嘔吐、発熱。救急車でバコロド市内の病院に搬送され、2泊入院したことがあります。そのレベルなら、止むなしでしょうけど、1日に3〜4回程度の下痢にまで、ロクに検査もせずにいきなり抗生物質は、ちょっと怖い。

なので最近は、よっぽどヤバいと感じない限り、下痢での通院は、できるだけ控えております。SNSに投稿したら、O157とかアメーバ赤痢とか、文字面だけも恐ろしげな単語がコメントに並びますけどね。

ということで、ただいまお世話になっているのが、正露丸さま。例によって、日本からのお客さんに持ってきてもらったり、一時帰国の際に自分で買ったり。やっぱり昔から馴染みのある薬には安心感があります。


この投稿をするに当たって調べてみたら、元々日本人が開発した薬品じゃなかったんですね。1830年にドイツの化学者が樹木から抽出した物質が起源なんだそうで、日本はまだ江戸時代の天保年間。200年近くも前。

その後、オランダ経由で日本に持ち込まれ、製品化されたのが20世紀に入ってから。日露戦争に出征する兵士が大量に携帯したことから、露西亜(ロシア)征伐をもじって征露丸と命名されました。そこから数えても、ざっと120年の歴史。すごい。

で、今使っているのは、セイロガン糖衣Aというもの。あの独特の臭気と黒い丸薬のイメージを払拭して、ずいぶんとスマートな感じ。これじゃなかったら、息子や家内には受け付けられなかったかも。

よく考えみたら、薬は1日3回服用しているけれど、ちょっとマシになったと油断して、コーヒー飲んだり、朝食の残りのソーセージつまんだりするのが良くなかったらしい。そこで今日の昼以降は、ライラに作ってもらったお粥と、梅干し。水分補給は、家内の買ってきたハイドライトという、粉末タイプの甘くないポカリスエットみたいなもの。


ということで、今のところ12時間以上、腹下しがございません。すっごくお腹は減ってますが、ここが我慢のしどころ。でも日課の筋トレは続けているので、これで腹回りだけでも痩せないものでしょうか?


2018年11月13日火曜日

フィリピン人の未来は明るい


もちろん、本当にフィリピン人の未来がどうなるかは、私にも、当のフィリピン人にも分かりません。でも、家内を含めて、この国の多くの人たちと付き合った経験から言うと、主観的には、どの人の未来も、ずいぶんと明るく見えているような気がします。つまり、日本人に比べると、先の見通しが楽観的。

日本と違って、年に2回も3回も米を収穫できるし、厳しい寒さを心配する必要もない。バナナやパパイヤなんて、ほとんど放置しておいても実がなる。そんな環境で何世代も暮らせば、楽観的にもなるでしょう。

ただ、それがいいことばかりとは言えないのは、皆さんお気づきの通り。概して熱帯に住む民族は、優しい気候のせいか、寒帯や温帯、乾燥地帯の民に比べて、気性が穏やか。周囲の国々を攻め滅ぼし、巨大帝国を打ち立て、世界文明を築く、なんて勇ましいことは、昔からやったことがなさそうです。

そんな歴史にまで話を広げなくても、先の見通しが甘いと、仕事面で差し障りが多い。自宅を建てた時の大工さんを見ていても、行き当たりばったりと言うか、計画性がないと言うか。工期も材料も、まず見積もり通りには進まない。それも1〜2割程度の差どころではなく、最初に発注した建材が不足で、買い足しを繰り返し。終わってみれば2倍以上も必要だったなんて日常茶飯事。

だからと言って、見積もった人が責任を感じて、思い悩んだりすることは、ほぼあり得ない国民性。ここで問い詰めて叱りつけたら、逆恨みされることは間違いないでしょう。日本人がフィリピンで人を雇った時に、陥りがちな落とし穴です。

その点日本人は、先の心配をすることにかけては世界一。何をするにも準備が完璧になるまで動かない。まず貯金だ、資格だ。最低でも3年は経験を積まないとダメだ。業界によっては、今でも10年の修行は当然と思っている人さえいるぐらい。

特に最近、日本では人生90年、100年と言い出して、老後破産なんて恐ろしい言葉がネット上でよく見られます。それでなくても、貯蓄率が異様なほど高い日本のこと。今後はその傾向に拍車が掛かるんでしょうね。

でも考えみてば、行き過ぎた準備は、往々にして将来のために、現在を犠牲にすることになります。本当はやりたかった夢を諦めて、安定性最重視であまり面白くもない仕事に就き、精神を病むほど人間関係に悩み、60歳、70歳になるまで同じ会社で働き続ける。

それも、今の時代、入社してから30年以上も先まで、その会社や業界が安泰なんて、まず考えられない。私にすれば、30年の住宅ローンを組むなんて、およそ信じられません。

現に私が所属していた家電業界なんて、テレビ、ビデオ、オーディオなどの花形商品は、見る影もなく儲けが出なくなり、世界市場では、ほとんど中国、韓国のメーカーに取って代わられました。これを書いている私自身が、定年を待たずに早期退職したぐらい。また新しいところでは、大手の各銀行が、人員の大幅削減に動きだしたという報道も。

ここまで来ると、果たしてフィリピン人と日本人、メンタリティの上でどっちが幸せなのか、考え込んでしまいます。日々の食事に困るような貧困レベルは別として、中流レベルのフィリピン家庭。この人たちって、それなりに苦労はあっても、一般的な日本人ほど、先のことを心配しているとは思えません。

狂ったような長時間残業もないし、夫婦共働きでも、家族揃って夕食を摂るのが当たり前。いざとなれば、大抵頼れる親戚はいるし、住み込みのメイドさんや看護婦さんも、それほど無理しなくても雇える環境。そりゃ子育ては楽だし、子供が増えるのもよく分かります。普通に考えて、これは幸せでしょう。

常に最悪を想定する日本人と、いつだって一番上手くいくことしか考えないフィリピン人。死ぬ時に「いい人生だった」と思えるかどうかまで含めると、意外にもフィリピン人の未来は、日本人が想像するより明るいのかも知れませんよ。


2018年11月12日月曜日

朝起きたら洪水

洪水と言っても、よくテレビニュースの映像で見る、マニラなどでのものに比べると、大したことはありません。せいぜいくるぶしまで浸かる程度。

この時期フィリピンは、相変わらずの台風シーズン。5年前のスーパー台風ヨランダで、ネグロスと同じビサヤ諸島に属する、レイテ島東岸を中心に壊滅的な被害が出たのが、2013年の11月8日。

今回は、台風が来ていたわけではありません。例年10月から年末にかけては、おそらく西ネグロスでは、一番過ごしやすい季節。朝はよく晴れて爽やかで、昼間は少し暑くなるものの、たいてい夕刻から深夜にかけての夕立で、温度がぐっと下がるパターン。就寝時には、扇風機も不要なことがほとんど。

この土曜日の夜も、いつもと同じく「ドッサー」という感じの豪雨。せいぜい1時間程度で終わりのはずが、どうも明け方まで止まなかったらしい。明るくなってからも、止んだかな、と思ったらまたぶり返し。そして朝7時過ぎ。寝室から見た、自宅前の道はすっかり冠水していた次第。



他の地域は分かりませんが、私たちの住む宅地では、台風時の数日続く雨よりも、ゲリラ豪雨的な短時間の集中豪雨の時にこうなりやすい。敷設されている下水管が細くて、対応しきれないんでしょうね。

どうも長年、この状況は放置されていたのが、昨年頃より、州都バコロドやここシライ市で、ようやく直径が1メートルぐらいのコンクート管埋設の工事がスタート。最初に見かけたのが、バコロド市内でしょっちゅう道路が冠水する、ショッピングモールのロビンソンズ前。2年前にこのブログでも取り上げました。


2年前のバコロド・ロビンソンズ周辺

シライでも、南北に走る幹線道路、通称ハイウェイのリザール通りや、空港と市街地を結ぶエアポート・ロードでも現在工事中。

ただ、本当に困るのは、海沿いに建ち並ぶ住宅に暮らす人たち。我が家のメイド、ライラも、そんな場所の一つ、ギンハララン地区に住んでいます。今朝訊いたら、やっぱり膝ぐらいまで水が来たそうで、たいへんだったとか。

さて、我が家周辺の洪水は、午前中に日差しが戻り、昼過ぎぐらいにはすっかり水が引いて、普通に夏の暑さが戻りました。朝は外出できなかった息子も、昼食後は従兄姉のいる、家内の実家に元気よくお出かけ。

その洪水とは関係ないんでしょうけど、今度は私の腹具合がよくない。自炊が基本だし、同じものを食べている家族は何ともないので、これは寝冷えでもしたか。熱帯の国に暮らしているので、気は付けているんですが、どうしても数ヶ月に1度ぐらいはこうなってしまいます。明けて月曜日の今日も、朝から30分おきぐらいのトイレ通い。

こういう状況になると、つらいのがこのブログ。
年初に一念発起、今年は毎年欠かさず投稿を心に決めて、早11月も半ば。宿泊旅行先にネット環境がなくて、1日飛ぶこともあったものの、翌日には2本投稿でキャッチアップ。今日ですでに年間投稿数が’316本目。

時間に余裕がなくなると厳しいので、トイレの小康状態を見計らって執筆している今が、午後4時過ぎ。ということで、残り1ヶ月半。何とか頑張って2018年を終わらせ、来年からは、それ以前のペース、2〜3日に1本に戻したいと思ってます。

今日は下痢で体力が落ちているせいか、弱気な終わり方になってしまいました。


2018年11月11日日曜日

言い方がちゃうだけやんけ


たいへん唐突ながら、「広島名物もみじ饅頭」と聞いて、すぐに漫才コンビB&Bが思い浮かぶ人は、若くても40代後半以上の方に違いありません。このネタが一世を風靡した1981年は、まさに漫才ブームの絶頂期。

のちに「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも」などを世に送り出した、フジテレビのプロデューサー横澤彪さんが、「THE MANZAI」で火をつけた漫才ブーム。そのブームの中心的存在で、掛け合いではなく、もの凄い早口でほぼ1人喋り、もう1人は相槌を打つだけというスタイルで大人気になったのが、B&Bの島田洋七さん。(北野たけしさん、島田紳助さんは、それを真似たそうです。)

代表的なネタが、広島出身の洋七さんと、岡山生まれの相方、洋八さんが繰り広げる、広島vs岡山の自慢合戦。そこで出てきたのが、「広島名物もみじ饅頭」。対抗する「岡山名物マスカット」をしょぼくれた声とジェスチャー、もみじ饅頭は大げさなアクションと大声で言う洋七さんに、「そんなもん、言い方がちゃうだけやんけ」と洋八さんがツッ込むのが、お馴染みのパターン。

漫才を文章で説明しても、何が面白いのか全然分かりませんね。B&Bをリアルタイムで見ていなかった人は、ぜひユーチューブを開けて「もみじ饅頭」「B&B」で検索してみてください。

長いネタ振りで申し訳ありません。なぜ今頃「もみじ饅頭」を持ち出したかと言うと、今勉強中のイロンゴ語で、そういう語法があるんですよ。

冗談みたいですが、例えば Dugay dugay(ドゥガイ・ドゥガイ)という言葉。短くポン・ポンと切るように「ドゥガイ・ドゥガイ」と発音すると、「すぐ後で」という意味。ところが、ちょっとゆっくり「ドゥガイ・ドゥーガイ」と後半を引っ張って発音すると、真逆の「ゆっくり」になってしまいます。

これだけなく、Kuha kuha は、クハ・クハ「手に入れる」/クハ・クーハ「真似する」、Luto luto ルト・ルト「料理する」/ルト・ルート「熟し過ぎ」、Bata bata バタ・バタ「子供っぽい」/バタ・バータ「若すぎる」などなど。

日本語でも多少イントネーションを変えることで、微妙なニュアンスを表現したりはします。また同音異義語も多いけれど、漢字を書けば違いは明白。イロンゴ語の場合は、ニュアンスどころではなく別の意味になるのに、文字面はまったく同じ。それこそ「言い方がちゃうだけうやんけ」とツッ込んでしまいました。

家内によると、こういう語法は、公用語のタガログにはないようです。ひょっとしたら、セブアーノなど、他地方の方言にはあるかも知れません。

ここからは私の推測。最近でこそマザータング(母語)として、小学3年生までの正規教科になったイロンゴ語。ちゃんと教科書もあるけれど、それ以前はあまり印刷されることもなかったんじゃないか。公式文書は英語かフィリピノ語(タガログ)で事足りるし、スペルも人によって違ったりして、書き言葉としての整備が、あまり成されていない印象を受けます。

ということで、今日は想像もしないところで、イロンゴ語と漫才ネタが頭の中でリンクしてしまった、というお話でした。


2018年11月10日土曜日

フィリピン人にも偏見はある


当然と言えば当然。いくらカトリックが多くても、フィリピン国民だってただの人間。差別や偏見が、皆無なはずはありません。週1回、2時間のイロンゴ語レッスンで、今日たまたま出てきた、国籍や肌の色に関する偏見に基づいた言い回し。

なぜそんな話になったかというと、まったく別件で「あなたは、役に立たないものばかり買ってるね」という例文があり、じゃぁケチって、どういう言いの?と尋ねたわけです。

教えたくれたのが、Dalok(ダロック)という言葉。そこから脇道に逸れて、フィリピンで「ケチ」と呼ばれたら、それはかなり酷い罵倒になるとか。日本ならケチを良く言うと「倹約家」だけど、それに相当するイロンゴ語はないとか。そして、こういう表現もありますよ、と教えてくれたのが...。

Daw inchik ka.(ダウ・インチック・カ)「あなたは中国人みたいだ」が転じて「あなたはケチだ」という言い方。

別に、最近ネット上に溢れている嫌中・嫌韓の言説に流されたわけではなく、実際に会話の中で出てくることもあるそうです。ただし、良識のあるフィリピン人なら、これは偏見だと分かっていて、無闇に使うわけではない。

中国系の人、特に仕事関係で付き合った人々の印象から言うと、ケチというより無駄遣いをしない。それこそ倹約家であり、見栄を張って浪費したりしない人が多い気がします。台湾や大陸中国では、直接の利害関係がなくても、ずいぶんと手厚いもてなしをしてもらいましたよ。

これ以外には、「インド人みたいだ」Daw turko ka.(ダウ・トゥルコ・カ)だと、臭いという意味。これも相当ひどい。

ちなみに、偏見に基づく慣用句ではないけれど、私がフィリピンでたまにムッとするのが、日本人・中国人・韓国人の顔つきの特徴として、指で目尻を釣り上げる仕草をすること。家内の親戚が私の前でやるぐらいだから、悪気は全然ないんでしょうけど、殴ったろか、と思いますね。

当のフィリピン人は、肌の色が黒いと言われるとムカつくらしい。「色黒」イコール「頭が悪い」という偏見があるんだとか。イロンゴ語で「あなたは色が黒い」Negro ka.(ネグロ・カ)と言ったら、「お前は馬鹿だ」となってしまうので要注意。

これらとは反対に、日本人はみんな気前がいいとか、金持ちだとの偏見も根強いフィリピン。褒められてると思って、喜んではいけません。単に、物の値段も分かってない世間知らずだと、言われてるようなもの。

私など、初めてフィリピンに来た頃から、ボッタクられないように、1人でタクシーに乗る時など、極力日本人だと悟られないようにするのが常。英語だけ喋ってれば、大抵中国人に間違われます。よく考えたら、日本人=英語ができないとの偏見もあるんでしょうね。

ということで、実際の会話で、こんな言い回しを使おうとは思わないけれど、ラピュタの呪文同様、良い言葉に力を与えるには、悪い言葉も学んでおく必要がある。実生活では悪い言い方も知っていないと、気付かないまま相手の気分を害したり、悪口を言われているのにトンチンカンな返答をしたり。やっぱり無知なのは、よろしくないですね。


2018年11月9日金曜日

軽やか海外移住


ちょっと前に、「自己責任で萎縮する日本」というタイトルで、どういう経緯かに関係なく、苦境に陥った日本人を支援するのは、日本政府の義務だ、という趣旨の投稿をしました。つまり、若いフィリピーナを追いかけて、国外逃亡同然のオっちゃんが、まんまと女に騙されて、身包み剥がれて路頭に迷ったとしても、大使館が日本への帰国を補助するぐらいは当然だということ。

改めて書くまでもなく、日本国憲法では「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と明確に定められいます。マニラでの路上生活は、どう考えても「健康で文化的な」生活とは思えない。政府の代表である大使館の職員が、助けを求めている日本人を黙殺するのは、やっぱりダメでしょう。

全財産も、日本にいる親類・縁者からの信用も、すべて失ってるんだから、これ以上ないというほど、自己責任は果たしている。せめて帰りの飛行機代ぐらい面倒見たれよ。可哀想やんか。

これに対して、私はたとえフィリピンでのたれ死んでも、政府の世話にはならないし、期待もしてない。と自己責任の権化のような、肩に力の入ったコメントを頂きました。ある程度は予想してましたけどね。

本人さんが断固として拒否するなら、それは当事者の勝手。ただ、私が言いたかったのは、そういうことではなく、痩せ我慢が当たり前と思う人が多過ぎるから、日本国内でも海外でも、本当に困っている人が、受けられるはずの支援から外れてしまっている事実。

まぁ、痩せ我慢してエエ格好する気持ちも、分からないではありません。私だって、言ってみれば日本に住むのがつらくて、逃げ出したという側面もある。たとえ予想外の災害や戦災に遭ったとしても、いまさら政府の助けを受けたいとは思わない。

ただ、勘違いしてはならないのは、「世話になる」「情けを乞う」などの感情に訴える話ではなく、これは、在外公館の仕事の一部。税金を払っているとか、住民票の有無とか、関係ない。だって「すべての国民は、...権利を有する」って、書いてあるでしょ。

もちろん実際に助けてもらったら、職員さんにはお礼を言いますよ。権利がどうこう以前に、礼儀ですから。災害時、被災者救援のために働く自衛隊員の方々に、感謝の念を持って接するのと同じことです。

フィリピンに関わり始めて、かれこれ20年以上。いろんな事情でこの国に住む同胞の姿を、数多く見てきました。フィリピン女性を伴侶とし、フィリピンを永住先に選んだ男性の中には、「死んでも帰らない」「誰の世話にもならない」と、必要以上の悲壮感で、ガチガチになってる人が時々います。

海外移住そのものが、お金も時間もかかるし、中高年以上の年齢なら、やり直しが難しくなるのも分かる。でも正直なところ、そこまで思い詰めなくても。何か、よっぽど日本に居られないような事でもやらかしたのか、あるいは日本に恨みでもあるのか。実際、そういう人もいるでしょうけど。

ところが最近の、日本からの若い移住者や長期滞在者は、ずっと軽い感じ。別に真剣さが足りないとか、不真面目だと言いたいのではありません。住む場所にフィリピンを選んだ動機が、シンプルに住みやすい、ビジネスチャンスがある、などなど。印象が、カラッと乾いている。

やっぱり話していて気分がいいのは、こういう「軽やかさ」のある人たち。こっちで暮らせば、それなりに不便はあっても、基本的に楽しもうとする姿勢なので、考え方が前向き。

50歳、60歳を過ぎれば、背負いこむものが増えるのは仕方がない。でもそれを敢えて表に出して深刻ぶった顔しても、何もいいことはありません。せっかく残りの人生を楽しむために海外移住したんだから、軽やかに過ごしたいものだと、自戒の意味も含めて、日々考えております。


2018年11月8日木曜日

緑の効用



着陸直前の機窓から
上:ネグロス、下:マニラ

フィリピンに住んで良かったことは数あれど、私が最近特に感じるのは、緑の多さ。これはフィリピンと大括りにすると誤解されそうです。マニラやセブの都会ではなく、ネグロス島内であっても州都バコロドではない。ここシライだったからと言うべきでしょう。

緑が多いだけなら、マニラ首都圏近郊でもセブ周辺にも、いくらでも場所はあります。ただし、田舎過ぎると生活は確実に不便。同じネグロス島内でも、ちょっと山の方には、かなりの大きくて学校まであるのに、コンビニも市場もない集落は多い。下手すると電気や水道も未整備で、病院もないのは、切実に困りますね。

そう考えるとシライは、徒歩圏内(こちらではトライシクル圏内?)に、公設市場はもちろん、ショッピングモールのガイサノ内を含め、セーブモア、ロペス、プリンス、フードマンと5つもスーパーがある。ちょっと多すぎるぐらい。

そして私たち家族の住んでしいるのは、おそらくシライ市内で最も環境がよい、セント・フランシス・サブディビジョン。特に我が家のあるフェーズ1の区画は、価格がやや高い上に、2〜4ロット以上の一括購入が条件なので、投機目的のランド・オーナーが多い。土地を買ったけど家は建てないというパターン。

つまり、家の周囲は空き地ばかり。と言っても地肌がむき出しなわけではなく、人を雇ってバナナやパパイヤを植えたり、野菜を作ったり。さらに放置してても、勝手に樹木が生えて、すぐにジャングルに戻ろうとする勢い。そりゃそうですね。冬がなく、年中日光と雨には事欠かない熱帯地方。

こういう場所の一軒家なら当然のごとく、窓の外はどの方向を見ても滴るような緑一色。天気の良い朝は、たいへんに気分がよろしい。





2階寝室から朝の風景

この家に引っ越してから、はっきり自覚できるほど体調が良くなったのは、仕事を辞めたとか、今まで住んだこともない広さの家、という理由もあるでしょうが、この毎日見る緑の効用は大きかっただろうと思います。

緑を見ることで、こんなに心安らぐと、やっぱり人間は、樹上生活をしていた猿の仲間の末裔なんだと実感する次第。一説によると人間の祖先が木から降りて地上に住み、結果として二足歩行を獲得したのは、環境が変わってジャングルが消滅したからなんだとか。今の私が感じているのは、DNAに刻まれた、かつて慣れ親しんだ森への郷愁なのかも知れませんね。

正直言って、マンションの高層階で、周囲を見渡せる絶景に囲まれた生活にも、憧れないわけでもない。バコロドに最近できたコンドミニアムは、西に面して海を望む素晴らしいロケーション。日本人の友人が時々そこからの夕焼けをSNSに投稿していると、羨ましいと思います。

それでも、手に届く範囲に木や草があり、隣の空き地に自生する、極楽鳥花を切り花にして、祭壇に飾れるのも捨て難い魅力。時には裏庭から収穫した果物が食卓に上るのも、ある意味、理想郷かも知れませんね。


2018年11月7日水曜日

いつ出すフィリピンのクリスマスツリー


クリスマス大好きなフィリピンの人々。月の名称が、berで終わる「バー・マンス」がクリスマスシーズン。つまり、9月 Septem"ber" からというのは、こっちに住んでいる人にとっては、もはや常識。

本当にラジオからは、時折クリスマスソングが流れるようになるし、ショッピングモールのショーウィンドウの飾り付けも、ツリーやらサンタやら。移住当初は、あまりの気の早さに、ずいぶん戸惑ったものです。

ところが移住して5年以上経過して、フィリピンで6回目のクリスマスともなると、それが当たり前の感覚になって来ました。さすがに9月の最初からではないにしても、10月初旬には、いつ自宅居間に、クリスマスツリーを出そうかとタイミングを計るようになります。

実は、何度か試行錯誤をしておりまして、一昨年は、9月から出してみたんですよ。ところが12月25日を迎えるまでに、4ヶ月も出しっ放しにしてると、なんだか途中でダレてきて、せっかくの年末ワクワク感が半減する気分。

昨年はその反動で、12月まで我慢。今度は飾っている期間が短すぎて、この間出したのにもう仕舞う。勿体無いなぁ〜となりました。すっかり頭がフィリピナイズされちゃった証拠。

そこで今年は、家内の提案もあり、ハロウィン翌日の11月1日、万聖節が終わってから。これにはちゃんと訳があって、先日も投稿したように、フィリピンの万聖節って日本のお盆。この国にしては珍しく、この前後数日だけは歌舞音曲は控え、亡き人を偲びます。やっぱり電飾キラキラは似合いませんからね。

ということで、我が家のツリーを出して、そろそろ1週間。日本的には、まだだいぶ先走ってますが、フィリピンに住んでいる感覚とすると、ちょうどいい感じ。赤道直下より少し北に位置する国なので、南国常夏でも、夏至に比べると1時間は日没が早くなる。家内がオフィスから帰宅する6時前には、イルミネーション映えする暗さ。


メイドさんの手伝いで、
ツリーの飾り付けをする家内

とは言っても昼間晴れれば、相も変わらぬ30度越えの真夏日。風が冷たくなることもなく、雪がちらついたりもしない。それでも、短パンTシャツで聴く、ユーミンの「恋人がサンタクロース」や、山下達郎の「クリスマスイブ」も、だんだん違和感がなくなってきました。慣れってすごいですね。


玄関ホールにも飾り付け


2018年11月6日火曜日

文化遺産でフードコート


昨日11月5日は、ネグロスの独立記念日、シンコ・デ・ノベンブレ(Sinco de Novenbre)。フィリピン全体が独立する直前に、ネグロス島民が自力でスペイン軍を追い出し、ほんの一瞬ながらネグロス共和国が樹立されたことを祝う日です。

その時期に合わせて、3年前から始まった、シライ市のフードフェスティバル「カオン・タ」。カオン(Kaon )は「食べる」。タ(Ta)は、「私たち」を意味するキタ(Kita)の短縮形。直訳すると「食べましょう」。これはイロンゴ語で、食事前の決まり文句なので、意訳すれば「いただきます。」みたいな感じでしょうか。

シライ市民にはすっかりお馴染みになったこの行事。今年は、私たち家族3人と、家内の親戚4人も誘って、晩ご飯を食べに行きました。

フードフェスティバルと最初に聞いた時は、シライ市内で収穫される農作物や、鶏・豚の肉、魚などの展示即売でもやるかと思いました。そうじゃなくて、近在のレストランが期間限定でケータリング。つまり、フードコートみたいなもの。

それだけだと、お祭りの時に出る屋台と大差がないけれど、この企画の肝は、シライ市の中心部に博物館として保存されている、築100年のスペイン風住宅「バライ・ネグレンセ」(Balay Negrense ネグロスの家)を会場にしていること。



さすがに文化遺産の建築物内で、煮炊きはできないらしく、出店はその広い園庭。テントや照明機材を持ち込み、仮設のステージまで用意され、生バンドの演奏付き。夜店よりもかなり落ち着いた雰囲気。


値段は一品100ペソから200ペソ程度なので、市内のレストランで普通に食べるよりも、ちょっと割安ながら、客層は中の上という感じ。この時期は市役所前広場のプラザに、移動遊園地が開設し、正真正銘の夜店が立ち並んでいるので、もっと安く楽しみたい人たちは、そっちに流れているらしい。





ということで、少し早めに行ったこともあり、それほど混雑もなく、割とゆったり食事をすることができました。私が頼んだのは、ネグロス名物バコロドチキンの串焼き。素朴な料理ですが、当たり外れがない。


それにしても感じるのは、昨今のフィリピン経済の好調振り。二十数年前、初めてシライに足を踏み入れた頃には、プラザの夜店一択でした。それが最近では、カオン・タだけでなく、同じ週末に、民族楽器のコンサートがあったり、2週間後にはソーシャルダンスの大会が催されたり。

お祭りイコール、酒飲んで屋外ディスコにカラオケという、垢抜けない田舎スタイルが、少しづつ変わっていく気配を感じます。底辺の貧乏人と超大金持ちの二極から、中間層のボリュームがずいぶんと増えているんでしょうね。

何をするにせよ、選択肢の幅が広がるのは、喜ばしいことです。