2019年11月30日土曜日

「一汁三菜」呪いの言葉その2


前回からだいぶ間が空いてしまいました。フィリピンから見た、日本人の心を縛る「呪いの言葉」第2回です。

今回は「一汁三菜」。
なぜそれが呪い?、と思う方は、おそらく日常的に料理をせず、家族の誰かに食事の準備を完全に依存しているか、ほぼ毎回外で食べている人。あるいは料理が大好きで、毎日三食作るのが、まったく苦にならない人でしょうか。

一汁三菜の由来を調べてみると、儀礼的な食事の献立が元になっているらしい。詳しくは「一汁三菜」「本膳料理」などを参照いただくとして、要するに一般庶民の食生活とは、かけ離れたものだったということ。

戦前の昭和11年(1936年)生まれの、私の母によると、少なくとも母が物心ついた頃の食事って、ずいぶんと質素だったようです。品数もそうだし、毎食、卵や肉を使ったおかずが食卓に並ぶことなんてあり得ない。

私が小学生だった昭和40年代の後半ぐらいの時期に、母がシミジミ「ほんまに、贅沢な世の中になったなぁ」と言ったのが、今でも印象に残っています。当時の母の感覚からすれば、ほんの20年もしないうちに、食糧難から飽食の時代になったのですから。

そこまで極端な比較ではなくても、白米にスープ、メインデッシュに副菜が2種類なんて、フィリピンだったら立派なコースメニュー。前日までの残り物が累積で、たまたまオカズが3品となることはあっても、全部一から用意するのは、来客時とかせいぜい週に一回がいいところ。

フィリピンだけでなく、私が滞在したことのある、東南アジア諸国や西ヨーロッパ、アメリカなど、ざっと10カ国以上で、こんなに気合の入った献立を毎日用意する家庭は見たことがありません。特にアメリカの平日の夕食は、冷凍ピザを電子レンジでチン、以上終わり、みたいな感じ。

もちろん現代の日本でも、一汁三菜を厳格に守る家ばかりではないでしょう。以前に比べれば共働き率も上がったし、時間的にも労力的にもかなり厳しい。フィリピン移住後は、ほぼ毎日、家族のお弁当を含む三食を作っている私には、それがどれだけ大変か、容易に想像がつきます。

ところが、ネットの記事やSNSの書き込みを読んでいると、この習慣に固執する人もいるらしい。

私の知る限り、大抵の場合、一汁三菜が当然と考えるのは夫。しかも料理しているのは専業主婦だけでなく、家事育児+フルタイムの仕事をしている奥さんというのも、相当数おられる。さらに許し難いことに、コンビニのお惣菜や冷凍食品には「手抜きだ」「愛情が足りない」とホザく輩までいるとのこと。

たまに一時帰国して、日本のコンビニで売っている食材のレベルの高さに感動してしまう私にすれば、これはもうハラスメントとかイジメだと言いたくなるレベル。文句あるんやったら、2〜3ヶ月ぐらい、家族の全員のために掃除洗濯ご飯炊き、ワンオペでやってみぃ!

やっかいなのは、これを言うのがオっさん連中だけでなく、毎日の料理に追われる本人が、一汁三菜を守れないのは私がダメで、家族への愛が不足してるからだと、自分を追い詰めてしまったりする。さらに姑が「私の若い頃は...。」的追い打ち。こりゃ地獄ですな。

誤解のないように書き添えておきますが、料理する事に喜びを感じて、あるいは上手に工夫して、毎日無理なく一汁三菜を実行している方を非難する気は、まったくありません。そういう人は尊敬します。その恩恵に預かる家族は超ラッキー。ただ、それが当然のことだと、押し付けるのはマズいというお話。

間違いなく言えるのは、日本の一般家庭料理が、世界的に見てオーバークオリティだということ。私が思うに、日々の献立は一汁一菜でも十分。

例えば、カレーライスと卵スープ。刻んだキャベツとトマトを添えた豚カツに、野菜多めの味噌汁。栄養のバランスも悪くないと思うし、ある程度の量があれば、十分満足感もあるでしょう。(つまり、私が毎日作ってるのが、こんな感じ)

ということで、「食生活の豊かなニッポン、すごい」と、自分で料理もせず満足に浸っている人は、それを誰が支えているのかを、胸に手を当てて、よ〜く考えてみるべきだと思いますよ。


2019年11月28日木曜日

新築のお隣が床上浸水

今日は、前回投稿した洪水に関する追記です。

現在住んでいる、ネグロス島シライ市内の宅地、セント・フランシス。いわゆる「ビレッジ」という形式で、周囲に壁を巡らし、警備員を配置。大袈裟に言うと、外界からは隔離された高級住宅地。

ただ、マニラやセブなどの本格的なビレッジとは違い、裏手に回れば壁がなくて、竹製の貧弱な柵だけだったり、トライシクルに乗っていれば、部外者でもフリーパスだったり。セキュリティ的には、かなり抜け道が多い。

ただ、海沿いや下町の土地が低い場所に比べると、海岸線からは比較的遠く、道路が冠水することも少ない。また冠水してもせいぜいくるぶしぐらいまでで、雨さえ止めば数時間で水が引くのが常。

それを思えば先日の大雨では、このセント・フランシスでさえ、かなり広い範囲で朝から夕方くらいまで冠水したままだったのは、相当な雨量だったんでしょう。我が家の場合、そうなることは、設計時にある程度は折込済み。具体的に言うと、1階の床を、更地の状態から約50センチの高さに設定。

その分、土砂やコンクリートなどが余分に必要で、費用もそれだけ掛かったけれど、ここでケチったら、家財道具が水浸しになるリスクが増すというもの。さらに、もしもの場合を考えて、当初の予定より2階の面積を広げて、家具の避難場所も確保。

幸いにして今回は、そこまでにはならず、砂利を敷いた庭は、うっすら冠水しても、床の高さまではまだまだ余裕があるぐらいでした。



ところが、新築のお隣さん。どうやら基礎の嵩上げが中途半端だったらしく、可哀想なことに、出来立てのお家が床上浸水。幸か不幸か、作庭とフェンス作りの途中で、まだ住人は入居前。


フィリピンの住宅は、総タイル張りの床が基本。日本と違って畳やフローリングは使わないので、この程度の水害ならば、それほどの被害は出ない。でも家具は揃っていたようなので、ダメージはあったかも知れません。

さて、セント・フランシスでこうなると言うことは、海岸に近い市街地や下町は、さらにたいへんな状況。市の中心を走る幹線道路のリサール通りは完全に水没して、交通網は麻痺状態。


我が家のメイド、ライラおばさんが住むギンハラララン地区に至っては、全戸が床上浸水。翌日スマホで撮影した動画を見せてもらいましたが、そもそも嵩上げも何も、家全部が土間みたいなもので、生活空間がすべて水浸し。これはたいへんだ。

とは言え、これぐらいの洪水には慣れっこな、逞しい住民の方々。動画に出てくる人たちは、大人も子供も笑顔なのがすごい。死者や重傷者が出なければ、不定期のイベントみたいなものなんでしょうか。スマホ画面を見せてくれたライラも、どことなく楽しげ。

洪水のために、出張マッサージが1日遅れになったセラピストのオバちゃんは、どれだけたいへんだったかを力説。それがまるで自慢話に聞こえるから可笑しい。こちらでも洪水だったと言うと、これでみんなお仲間とばかりに満面の笑顔。

私が小学生低学年ぐらいだった頃、台風で学校が休みになり、父親が雨戸を釘で補強したり、母親が非常食のおにぎりをたくさん作ったりすると、すごくワクワクしたものです。今回の洪水では、そんな昔の記憶が蘇ってしまいました。


2019年11月27日水曜日

誕生日に床下浸水

11月26日は、家内の誕生日。すごい童顔で、30代後半ぐらいなら余裕でサバを読めるけれど、実はもう54歳。アラ還の私とだって3歳しか違いません。20年前の新婚時代なんて、二人とも30代だったのに、私が、フィリピンから高校生ぐらいの女の子を騙して連れて来たと、濡れ衣を着せられたほど。

実際のところ、日本人の夫とフィリピン妻のカップルは、親子か、下手すれば祖父と孫娘ぐらい歳の差婚も。まぁ、20歳以上若い女性が連れ合いというのもよくある話なので、勘違いされたのは、仕方ないかも知れません。

それはさて置き、フィリピンでの誕生日。
一般的には家族だけでなく、親戚や友達、場合によっては一度も会ったことのないような、友達の友達でも参加OKの大パーティも珍しくないお国柄。特に子供や、18歳のデビューパーティ(フィリピンの成人式に相当)は、たいへんな出費になりかねない。ジョリビーやマクドナルドの2階で、貸し切りパーティも多い。

それを思うと、我が家はみんな至って質素。私の誕生日は別にしても、息子も家内も、そんな大騒ぎは全然望まないし、親戚も、パーティをしないからと、苦情を申し立てたりはしません。(するとなったら、大喜びで来てくれるでしょうけど)その点は、フィリピン離れしてますね。

それでも、何もしないという選択肢は無し。日本みたいに「忘れてた」なんてのは論外にしても、家族だけでレストランで食事とか、小さくてもケーキぐらいは買わないと。今年は平日ということもあり、フライドチキンとケーキを用意して、家内が仕事から帰ってから、ささやかながら自宅でバースディ・ディナーと思っておりました。

ところが、誕生日当日の朝は、激しい雷雨。しかも、台風が接近しているわけでもないのに、尋常じゃない降り方がいつになく長時間。私が目を覚ました6時過ぎには、すでに自宅前の道路がくるぶしぐらいまで冠水して、子供の登校は無理な状況。







少々の冠水は珍しくないシライでも
今回の水位は移住後の新記録

自家用車で送っていけなくはないけど、側溝にでもハマったら身動きができなくなりそう。当然、トライシクル(オート輪タク)も拾えません。

もしこれが日本だったら、学校からの連絡がないと、どうするかの判断に迷う保護者が大多数。でもフィリピンの場合、ちょっとでも危ないと思ったら、休ませるのが常識。家内曰く、「登校させるかどうかを決めるのは、教師じゃなくて親」と実にはっきりした態度。

結局、子供は自主的に自宅待機。登校時間をだいぶ過ぎてから、シライ市長マーク・ゴレツ氏が、フェイスブック経由で、市内全域の臨時休校を宣言したことが伝わりました。ちょっと情報が遅いなぁ。

むしろゴタコタしたのは家内の出勤。なんとこの土砂降りと洪水の中、時間通りにオフィスに行こうとしてます。もう水は膝ぐらいにまでなって、日本ならば床下浸水レベル。雨も弱まる気配はない。専業主夫の日本人が、フィリピン人の妻を押し留めるという、まるで逆転の構図。いや、普通に危ないでしょ。

こうして、子供も家内も予定外の休日となりました。
私にしても、ケーキも何も買いに出かけられません。メイドのライラおばさんも来るはずはない。後で聞いたら、ライラの住むギンハララン地区は、全戸が床上浸水でたいへんだったそうです。

仕方がないので、その日のお昼は、冷蔵庫にあった材料でデッチ上げた、スパゲティ・イタリアンと、たまたま買い置きがあった、アサヒ・スーパードライで、簡易のバースディ・ランチ。子供も一緒だったし、結構家内は嬉しそう。


その後、雨はお昼過ぎには止み、夕方には日差しも戻りました。水が引いたのは、暗くなってから。とは言え、停電や断水もなく、基礎を高目に作った我が家は、生活に支障が出ることもなかった。結果的に終日家族で過ごせたので、意外にも、記憶に残るいい誕生日でしたね。



2019年11月25日月曜日

快感、洗浄便座

ゲストハウス向けに購入(フィリピンで見つけた洗浄便座)して、2ヶ月以上たった先週、ようやく使ってみた洗浄便座。実は水道が通った10月初旬で、使おうと思えば使えました。日本で名前の通ったのウォシュレットなどと違い、電源を必要としないタイプ。




温水は出ないし使用後の温風乾燥もない、もちろん便座は冷たいままで、自動でカバーが開閉するはずもなし。要するに少しだけ特殊な形状の、水道蛇口が増えただけの代物。

しかしながら、年間気温が20度を下回るこのないフィリピン・ネグロス島の平野部。基本の洗浄機能以外は不要なものばかり。唯一、乾燥だけはあれば便利でしょうけど、それだけのために価格を上げてもなぁ。

なので、超単機能ながら、これは買って大正解でした。「Bidet(ビデ)」は使ってないので分かりませんが、お尻洗浄の「Wash」に関しては、何の不満もありません。十分きれいになったし、温風乾燥はなくても少量のトイレットペーパーで拭けば問題無し。これで、約9,000円はお買い得。



考えてみると、日本市場向けの商品って、完璧を求め過ぎて不必要に多機能で高価格になってる気がします。多機能化自体は悪いことじゃないけれど、シンプルで安いという選択肢が皆無、というのはいかがなものか?

最近まで製造して売る側にいたので、出来ない理由は、散々聞かされてました。できるだけ多機能にシフトして、機種数を少なくした方が、単価は下げないで済むし管理も楽。また、薄利多売に走っても、中国ブランドに勝てない。

そんな言い訳ばかりしてるから、フィリピンの電気屋さんで、日本メーカーの影がすっかり薄くなっちゃったんですけどね。

それはさて置き、今回の洗浄便座と、日本式にバスタブと洗い場のある浴室が揃えば、日本人の住まいとしては最強。この週末にお迎えした最初のゲストの方にも、かなりご満足を頂けたようです。やっぱり水回りって大事ですね。

ということで、設備はほぼ狙い通りにできたゲストハウス。いよいよ来年(2020年)から、本格的に利用者を募ろうと思っております。

ご利用対象者は、これからフィリピンへの移住を考えておられる方。特にリタイアして老後の生活をフィリピンの地方都市で過ごそうというご夫婦か、それに準じるカップル(同性も可)。

従来は老後をフィリピンでと考える人は、奥さんがフィリピン人で、その実家近くに住む、というパターンが大多数だったと思います。でも最近は、夫婦とも日本人で、年金だけでの生活は苦しい日本を出て、と考える方も多いでしょう。

フィリピン人の配偶者ではなくても、比較的永住ビザを取得しやすいこの国。英語はそこそこできるし、少しは海外経験もある。でもフィリピン暮らしがどんなものなのか、イメージするのが難しい...。

ならば、本格的にアクションを起こす前に、1〜3ヶ月ぐらい住んでみませんか?というご提案。家賃は月10万円以下(詳細は未定)。100平米2LDKの一戸建てで、家具調度もWiFiも完備。生活に必要なノウハウはもちろん、移住に関する各種コンサルタントにも対応。

ご興味のある方は、以下のフェイスブック内のホームページにアクセスいただき、メッセージを送ってください。

フィリピン・ネグロス島永住日記


2019年11月23日土曜日

ゲストハウスは、BMW一台分


BMW 4シリーズ・クーペ

今年(2019年)4月8日に着工した、裏庭のゲストハウス。敷地300平米のところに、鉄筋コンクリート平屋建て、総床面積100平米(屋根付き駐車場と離れ浴室を含む)を建設。それに加えて、5年前に建てた母屋のリノベ作業のすべてが、昨日11月22日に終わりました。






当初「4ヶ月で建ちますよ〜」と豪語していた、大工の棟梁リトの見積もりを上回る事、3ヶ月以上の7ヶ月半を要しての竣工。ただし、金額に関して言われていた200万ペソは、ほんの少しオーバーしただけで、ほぼ予測通り。フィリピンでの仕事としては、まぁまぁだったと言う感じでしょうか。

最終的には、家具調度と母屋のリノベを含めて、ざっと250万ペソで着地。日本円ならば、約530万円となります。坪単価では、100平米を30坪とすれば、18万円ぐらい。ネットで調べてみたら、坪単価20万円でもマトモに住める住宅が出来るかどうかは微妙なライン。実際には、40万円から70万円にはなってしまうらしい。

しかも木造じゃなくて鉄筋コンクリートでは、知人の日本人建築家によると、これはざっと日本の1/5程度になるんだそうです。つまり、日本なら2,650万円。どっひぇ〜。

考えてみれば、高級車の代表格であるBMW、4シリーズの新車最低価格が584万円。上級車種の7や8シリーズだと軽く1,000万円超えなので、今回のゲストハウスは、BMW一台分、それもかなり安い部類ということ。ツー・ミリオン・ペソと言うと、フィリピンの庶民には、そう簡単には手が出せない価格なんですけどねぇ。

さてそんな大仕事の最終日。残っていたのは一部の塗装と、前々からお願いしていた、隣の庭に生える樹木の枝打ち。木の種類はよく分かりませんが、結構落ち葉が多いのと、硬い実が成って、頻繁に我が家の敷地に落下してくる。ちょっと危ないので、これを機会に何とかしたい。

隣家は、数年前までたくさんの鶏を飼育していた、敷地3,000平米はあろうかという大豪邸。年に数回、庭で闘鶏を開催して、近所迷惑なこと甚だしく、鶏の飼育係と大揉めになった事もあります。その後、オーナーが寝たきりの病気になり、違法行為である宅地での闘鶏は諦めた模様。その代わりに養鯉業を始めて、現在は至って静かで平和な関係。

前日、鯉の世話をしている、使用人と思しきオジさんに、家内とメイドのライラが大声で「ウチの敷地にかかっている、枝を切ってもいいですか〜〜〜」。すると「ボスに聞いてみます〜〜〜。」の返事。翌朝、「切ってもいいですよ〜〜〜。」の答えがありました。

ということで、まさしく「猿(ましら)の如く」木にの登った、一番身軽な大工リーボイ君。ほんの小一時間ほどで、かなり大きな10本程度を枝打ち。こういう作業には慣れてるんでしょうね。実に手際よく片付けてくれました。



その後は、敷地内やその周辺の大掃除。見違えるようにきれいになった現場で、少し早めの午後3時前に最後のサラリーを支給。長い間、お疲れさん。


もちろんまっすぐ帰宅はせず、
近所のトロトロで一杯やってます。


2019年11月21日木曜日

初入浴、ゲストハウスのお風呂

昨日(11月20日)夕刻、遂に電気を含めて完全オープンとなった、裏庭に建設したゲストハウス。それほど広くはないけれど、フィリピンの一般住宅にはあまり見られない、いろんな仕掛けを施した一軒家。中でも一番の「売り」が、日本式の風呂場。満を辞しての、初入浴。

日本式なんて書くと大げさですが、バスタブがあるだけでなく、横に洗い場があって、その組み合わせが独立した浴室になっているということ。




さぁお湯を張ろうとしたところで、ちょっとトラブル。そこそこ熱いお湯は出ても、水圧がイマイチ。加圧タンクを設置して、ポンプ全開のはずが期待値を遥かに下回る感じ。もしやと思ってポンプの電源を見たら、ブレーカーがオフになってました。

ガチっと電源を入れたら、ガ〜っと音がしてポンプが始動。タンクの水が空っぽに近かったらしい。ちょっとびっくりしたけど、蛇口のお湯は勢いよく日本の一般家庭並みに。

そのまま順調に入浴かと思いきや、溜まったお湯が茶色い!まるで有馬の金泉か?というような濁った色。今でも時折、山頂から水蒸気が立ち上るカンラオン山を中央に頂くネグロス島。本気でボーリングすれば温泉の一つや二つは出てくるでしょうけど、これは水道水。


要するに敷設された水道管が錆びているから。通常の生活で、こんな量の水を一度に溜めることはあんまりないフィリピン。渇水もなく、停電はしても断水が滅多にないので、最近ではバケツに水を張っておくこともない。なので水の濁りに気がつかない。

それでも、長く使っている食器や浴室の白いタイルには、この錆色の水垢が付着するので、突然こうなったのではなく、以前から錆び混じり水を生活用水にしていたんですね。ネグロスの水道水が飲料にできない理由が、よ〜く分かりました。

もう一つには、加圧タンクが使い始めだったことが大きい。停電でタンクの水を使い切った直後には、はっきり分かるほど茶色い水が出ることがあります。しばらく使っていると元に戻る。つまり、次回には、もう少しマシになっていると思われます。

さて、入浴できる程度のお湯が溜まるまで、1時間近くほどかかってしまいました。アメリカンサイズのバスタブなので、予想以上に湯量が必要だったのと、温度を確認しながら、蛇口を閉じたり開いたりしてたせいです。

お湯に浸かるのは半年前の一時帰国以来。
いや〜、やっぱりお風呂はいい。バスタブ選びに、ちょっと奮発した壁面のタイル、窓の外に並べた観葉植物などなど。真剣にデザインした甲斐があったというもの。日本での入浴体験と比べても、ほぼ遜色のない結果。

それにしても、日本式のお風呂って、ずいぶん贅沢なものだと実感。水道代に電気代はかかるし、シャワーだけなら半畳で済むスペースが、普通に2畳は必要。多くの日本人が毎日お風呂に入っていることを考えると、すごい労力とエネルギー消費。

ということで、追い焚きはできないし、毎日お湯を入れるのは経済的に無理なので、これからは、週一回のちょっとしたイベントにしようと思っております。浴室の外には縁台替わりに木製ベンチも置いたし、土曜の夜は湯上りにサンミゲール(フィリピン産ビール)ですね。



2019年11月20日水曜日

ようやく電気引き込み

内装・外装に作庭も終わり、家具・調度まで揃ったのに、電気だけが来ない状態が続いていた新築のゲストハウス。最初の申請からほぼ2ヶ月、待ちに待ってようやく今日(11月20日)の午前中、セネコ(CENECO ネグロス中央電力)のスタッフ4名がやって来て、電気の引き込みと新規メーター取り付けが完了。なんと長い道のりだったことか。





作業自体はたったの10分ほど

フィリピンの役所や公共サービスの仕事って、万事こういう調子。思えば、永住ビザ取得に運転免許、建築申請などなど...。即日交付なんてことは絶対なくて、何週間も何ヶ月も待たされるのが常。待たされるだけでなく、いつになるのか分からないというのがツラい。

日本で同様の目に遭った唯一の記憶は、フィリピン人家内の日本への入国ビザ待ち。この時は6月に申請して発給が9月末だったので、1990年代当時としてはずいぶん早い方でした。それでも半年か1年か、見通しすら教えてくれない入国管理局の態度には、いまだに恨みと不信感が残っております。

それはさて置き、電気引き込みの件。実は有料で宿泊頂く最初のお客さんが、この週末に来られる予定。このブログを通じて知り合った、セブ在住の日本人男性。ずいぶん前からゲストハウス建設に注目されていて、完成したら是非お邪魔しますと、まだ更地の時期から予約済み。

年齢は70代ながら、ダイビングやダンスを趣味とされる超元気な方。こちらに来られる目的が、昨年から年に一回シライ市内で開催される、ダンス競技会への参加のため。セブやネグロスだけでなく、マニラやミンダナオなど、フィリピン全土からプロ・アマを問わず、多くのダンサーが集まってきます。(昨年の様子はこちら / ネグロス島で Shall we ダンス?

当初、ゲストハウス工期は4ヶ月と言われていて、4月着工なので8月末。フィリピンのことだから最大2ヶ月ぐらいの遅れを見込んでも10月には終わっていると見込んで、11月後半ならば余裕で大丈夫と、ご要望をお受けした次第。

予想通りに(!)建物が出来たのが10月の半ば。想定外だったのが、電気の引き込みの遅れだったという訳です。蓋を開けてみれば、チェックインの3日前という綱渡り。やれやれ。

と書きましたが、メーターは取り付けたけど、最後の結線を配線工のサルディにやってもらわないといけません。彼がまた、最近の建築ラッシュの影響で多忙な男。携帯にメッセージ送ってもなかなか返事をしてくれない。

いくらよく知っている人がお客さんとは言え、早めにエアコンや給湯器のテストぐらいはしておきたい。最後の最後まで気を揉ませるフィリピンなのでした。


【追記】夕刻、サルディが来て結線してくれたので、半年振りのお風呂を楽しみました。それについては次回投稿します。


2019年11月18日月曜日

発電機のお引っ越し


裏庭のゲストハウス新築は、工事も完全に終了し、最盛期には大工さん7名、配管兼溶接工1名、配線2名の10名体勢だったのが、先週からは4名に。作業は6年前に建てた母屋のリノベです。

以前にも少し触れましたが、リノベの内容は、1)母屋とゲストハウス間の屋根新設、2)古くなった東屋の建て替え、3)発電機の移設、4)庭の植物伐採と砂利の敷き詰め、5)洗濯機周りの改造、6)壁の再塗装。

今日(11月18日)時点で残っているのは、6)壁の再塗装のみ。先週末には1)〜5)がすべて終了。特に、3)の発電機の移設は、ずいぶん前から気になっていた案件なので、ホッとしております。

以前の設置場所の何が問題だったのかというと、騒音と排気ガスがひどかったこと。発電用のエンジンなんて、日本では見たことも触ったこともなく、運転時の状況がほとんどイメージできていないまま、適当に設置したのが間違いの元。


台所の窓から手が届く距離に置いたもんだから、停電時に料理する時、窓を全部閉め切らないと、喧しいし排気ガスは煙たい。年中真夏みたいなネグロス島でこれをやったら、もう汗だく。

音はともかく、排気ガスを外に出す排気管ぐらい付けるべきでした。と気付いて、大工さんに排水用の樹脂パイプでマフラーを作ってもらったら、一撃で溶けちゃった。我ながら、エンジンなどメカニックに関する知識の無さ加減には情けない思い。

一応、発電機の周囲には、母屋建設時の余った金属材で屋根の囲いはしたものの、雨は防げても、騒音はダダ漏れ。この状態で4年、ついに前回の失敗を是正する機会に恵まれたというわけです。

新しい設置場所は、元の位置から2メートルほどしか離れてませんが、今回は敷地の角を利用して、フェンスの外に凸形状に設けることに。壁には穴を開け、ここを内側から扉で完全に塞げるようにして、音漏れが最小限。マフラーも金属パイプで作ります。


左が新規、右側が旧設置場所


敷地の外から見たところ
昔の公衆便所みたい


出来上がったのが、先週の金曜日。配線工のサルディにも来てもらい、ケーブルの延長も終ての試運転。

ちょっとした工夫でもやってみるものですね。もちろんそれなりに騒音はしますが、以前に比べると格段にマシ。排気ガスは、エンジン起動時には多少の煙は出ても、その後は全部敷地外へ排出。


日本に比べると停電が頻繁で、自宅に発電機を備えている世帯が一定数あるフィリピン・ネグロス島。こうした設置ノウハウも確立されてると思うんですが、大工さんなら誰でも知っているというほどでもないらしい。


ということで、ゲストハウスには
最初から発電機小屋完備
まだ中身は空っぽですが

フィリピンでの家作りも、今回で2回目。発電機関係に限らず、まったくの最初と2回目では結果に雲泥の差がでます。何事も経験は大切だと実感した次第。私は日本で、建築や建設の専門職にあったわけではありませんが、今、日本人のどなたかが、フィリピンで一戸建ての家を建てたいと尋ねてきたら、かなり的確なコンサルタントをする自信があります。

何でしたら、間取りのデザインやインテリアコーディネイトも、良心的な価格でさせて頂きますよ。このブログはフェイスブックでもホームページがありますので、よろしければ、そちらにメッセージください。

2019年11月14日木曜日

「他人に迷惑をかけない」呪いの言葉その1


フィリピンに移住して、距離を置いて日本からの情報を見聞きすると、国内にいた時とは違った見え方がしてきます。しかも、企業からの駐在などではなく、早期退職して住民票も抹消したので、ほとんどのしがらみがなくなった事も大きい。

それに加えて、日本語版ながら、ニューズウィークやCNN、BBCなど、親会社が日本に所属しないメディアの記事を読むようにしていると、国内から発信されている情報とは、まったく別の切り口があることに気付きます。

そして特に気になった内容に関しては、英語の元記事から関連する記事をグーグル翻訳で読んでみたり。ここ数年で、自動翻訳の精度はずいぶんと改善して、意味を掴むだけなら、十分使えます。

最近では、薬物使用や不倫をした芸能人、事件・事故に絡んだ、特定の人物を叩く見出しばかりが並ぶのにウンザリして、ヤフー・ジャパンをブラウザのホームページに設定するのを止めました。政治や経済だけがニュースとは思いませんが、半分以上が三面記事的というのは、ちょっと異常。

日本を外から見る感覚が身についてくると、日本に住んでいた頃には常識だと思っていたことが、実はフィリピンや、その他の国からすると、恐ろしく時代錯誤だったり、とても歪んでいたり。

ということで、これから何回かに渡って、私が感じる、現代日本人の思考や行動を精神的に縛っている「呪いの言葉」を、いくつかピックアップして、それについての考えを投稿したいと思います。

その第一回が「他人に迷惑はかけない」。

意味そのものは、ちっとも悪くはないし、良好な対人関係を築く上での基本的な考え方。ところが日本人の場合どんどん拡大解釈して、自分への諫めだけでなく、周囲の人にまで強要するクセがあるようです。それも無言の同調圧力で。

例えて言えば、糖分の取り過ぎは体に悪いと聞いて、砂糖一粒でも猛毒だとばかりに極端な糖質制限をした挙句に、血糖値が下がり過ぎて倒れてしまうようなもの。

つまり、会社の同僚や上司に迷惑をかけてはいけないから、熱があろうが頭痛がしようが、這ってでも出社して、深夜に及ぶ残業をする類の話。あるいは、台風や大雨で、交通機関が止まると分かっていても、仕事に出かけて帰宅難民になるパターン。

さすがに、会社が相手ならば、これはおかしいと気付く人も増えたようで、先日の台風19号の時には、無理せず家に止まろうとの声がネット上で多数派。

もっと深刻なのは、生活保護の捕捉率(条件を満たした人が、保護を受けている割合)が2割程度だとか、周囲の助けを拒んだ末の孤独死など。「他人に迷惑をかけない」メンタリティが、影を落とした結果じゃないでしょうか。過労死や自殺が多すぎるのも、根っこは同じなのかも知れません。

忍耐を美徳とするのは、間違いではないし、フィリピンに暮らすと、ちょっとは我慢しろよと、言いたくなる場面に出くわすことも多いのは事実。それでも、健康や命に関わる痩せ我慢は、どう考えても行き過ぎ。

「迷惑」の定義にもよりますが、そもそも人間って、誰の迷惑にもならずに生きるなんてできません。病気になったり怪我をした時、誰にも頼ってはダメなんて、それは無理。困っている人を助けようとして、拒絶されるのもつらいですよね。

ある程度の年齢になって、どうしても周囲の助けが必要になった時、私のような外国人に対してさえ、フィリピン社会は温かい。家族・親類はもちろん、近所のオっちゃんやオバちゃんも、こっちが困っているとなったら、本当に親身になって心配してくれます。

最初に「他人に迷惑はかけない」と言い出した人は、決してそんなつもりではなかったんでしょうけど、「甘え」や「自己責任」などの文言と組み合わされることで、日本を生き難く、息の詰まりそうな国にしていると思いますね。


2019年11月12日火曜日

フィリピン側に立つボクシング観戦


このブログでもたまに触れておりますが、実は私、大のボクシングファン。正確にはWOWOWエキサイト・マッチのファンと言うべきか。

これは1991年、日本で衛生放送が開始され、WOWOW(ワウワウ)がまだ、JSB・日本衛星放送の社名だった頃から続くボクシング専門の番組。当時はテレビの製品開発の仕事をしていた関係で、いち早くチューナーを購入し、開局時から視聴しておりました。

エキサイト・マッチは、最新の現地映像をそのまま使った画期的な内容で、毎週一回でだいたい3試合を放送。日本ではボクシング関係や熱心なファン以外には、ほとんど知られていないような選手を多数紹介。

解説のジョー小泉さんは、英語にスペイン語、韓国語にタガログ語まで堪能で、プロのマッチメーカーにしてトレーナー。アメリカを始めとして、世界各国のボクシング雑誌に寄稿するライターでもあり、日本人としては、ファイティング原田さん以来二人目の世界ボクシング殿堂入りをしたという人。

この来歴でも分かるように、ボクシングに関しては、まさに生き字引。選手のプロフィールや、その国のボクシング環境、歴史にテクニック。どんだけ引き出しがあるのかというぐらい、多彩で的確なコメントが立て板に水。しかも素人に分かりやすい平易な表現。この番組を見て、かなりディープなボクシングファンになった視聴者は、多いんじゃないでしょうか。

1990年代、破壊的な強さを誇ったマイク・タイソンから、世界初の6階級制覇チャンピオンのオスカー・デラ・ホーヤ。ジョージ・フォアマン奇跡の復活。ミドル級出身でヘビー級王者になったロイ・ジョーンズ。無敗のまま引退したメイウェザー。エキサイトマッチがなければ、生涯名前も知らなかったかもしれないボクサーの試合を、たくさん見せていただきました。

中でも衝撃的だったのが、「フィリピンの英雄」マニー・パッキャオが、スーパーライト級の全勝チャンピオン、イギリスのリッキー・ハットンを、左カウンターのワンパンチで2ラウンドKOした試合。ライトフライ級(8階級差!)から勝ち上がってきたパッキャオでは、体格も体力も圧倒的に不利との前評判を、木っ端微塵に打ち砕きました。今ユーチューブでその映像を見ても、鳥肌もの。

そして先日、井上尚弥選手と対戦した、ノニト・ドネアの名前を知ったのも、エキサイト・マッチを通じて。私たち家族がフィリピンに移住する半年前の2012年10月に、西岡利晃選手の引退試合にして、スーパーバンタム級王座統一戦の相手がドネアでした。

試合は一方的にドネアの攻勢で、9回途中にレフェリーストップによるTKO。この頃のドネアは本当に強かった。全然、負けそうな気配すら感じさせませんでした。

そんな流れだったので、ドネア・井上戦に関しては、どちらかと言うと私は、フィリピン側に立った見方。西岡戦の時とはまったく逆で、井上選手は「モンスター」と呼ばれ、試合前時点で、プロ通算18戦全勝16KO。オッズも井上1.14倍に対してドネア5.5倍で井上有利。

当然フィリピンでも、ライブでテレビ放送されると思ったら、まさかの完全無視。そんな殺生なぁ。どうもフィリピン国内では、パッキャオの名声があまりに高過ぎて、ドネアも世界5階級制覇のすごいボクサーなのに、注目度がイマイチ。

仕方がないので、ネットの文字ベースの速報を逐一チェック。試合終了後、ほとんどすぐのタイミングでアップされたユーチューブ観た時は、もう結果は分かっていました。

ご存知の通り、11ラウンドにボディブローでダウンしたドネア。カウントアウト寸前のダメージ。0-3の判定負けは異論の余地なし。それでも序盤には、井上の右目上部を出血させました。この時、眼窩底と鼻を骨折してたんだそうです。負けたとは言え、やっぱりパンチは強力だったんですね。

フィリピン人の家内も、もちろんドネアの名前は知ってましたが、井上に負けたと私が教えても、「ふ〜ん、そりゃ日本で試合をしたからでしょ?」と軽くあしらわれてしまった。私の方がよっぽど残念がっていた次第。

ちなみにフィリピンでは、WOWOWを正規ルートで視聴することはできません。移住で失ったもののほとんどに未練を感じない私ですが、唯一エキサイト・マッチが見られなくなったのは、一抹の後悔がありますね。


2019年11月8日金曜日

居座り台風24号

今週は、変な天候が続いた、ここフィリピン・ネグロス島。毎日雨が降るのは、よくあることながら、照ったり降ったりが極端に変わる。朝は眩しいほどの日差しだったのが、昼過ぎには一天俄かに掻き曇り、雷を伴った激しい雨。それも夕立ちどころではなく、自宅前の道路が軽く冠水するほど。

夕刻には止んで、虫とカエルが大合唱で、ここまでなら普通のパターン。この一週間が少し変なのは、夜半から再度の豪雨。しかも降り始める直前に、決まって突風が吹き荒れて、落ち葉や、どっかから飛んできたレジ袋で、砂利を敷き詰めた新しい庭が、たいへんな状況に。


ほんの10分程度で、
カンカン照りの快晴からこの状態

どうやら諸悪の根源は、フィリピンの西、南シナ海に居座った台風のようです。この台風24号、フィリピン名クィエル(Quiel)、そして国際名がナクリー。これを書いている、11月8日のフィリピン時間午後10時現在で、中心気圧975hPa、中心付近の最大風速が秒速35メートルで「強い」勢力を保っています。

フィリピンでは、大抵の台風や熱低は、東からやって来るのが通り相場。ちょうど6年前の今日、2013年の11月8日に、ネグロス島を含むビサヤ諸島を直撃した、上陸した台風としては史上最強だった30号ヨランダは、まさにフィリピンを東から西へ横断するコース。太平洋に面する、レイテ島の州都タクロバンが、高潮のために壊滅的被害を受けました。

そんなイメージがあるので、台風がフィリピンの西側で発生して、そのまま停滞するというのは、私の6年間のネグロス暮らしで、あんまり記憶にありません。東海上に台風が居座るのは時々ありますが。


東に台風があると、それこそ日本の梅雨末期のように、連日ダラダラと降雨で、時折雨脚が強まる感じ。今回とはだいぶ状況が異なります。

それにしても、いい加減にしてくれないと、壁面の塗り直しにかかり始めた、自宅のリノベ作業の効率が悪くて仕方がない。申し遅れましたが、4月から始まったゲストハウスは、大工さんの仕事としては完全に終了。今週からは、母屋のリノベに集中しております。

そんなぼやきが天に通じたのか、やっと今日、台風24号が動き始めたようです。朝7時過ぎに、昨夜からの雨が上がり、久しぶりに夜まで晴天続き。こうなると普通に暑い熱帯のフィリピン。日本は立冬で、関西地方の平野部でも、朝晩10度近くまで下がっているそうですね。気温差が20度で、今もTシャツ短パンで扇風機使用中。

今日はこの天気に乗じて、先週末から放置していた、大量の植木鉢の植え替え作業。経年変化でボロボロになったプラスティックの鉢から素焼き鉢へ、あるいは、育ち過ぎた植物を大きめのものへ。何しろ50鉢もあるので、昼から夕方までの3〜4時間ぐらいでは、半分も終わりません。この週末は、庭仕事に明け暮れることになりそう。



2019年11月6日水曜日

社長の机は男の夢


何だか時代錯誤なタイトルになっちゃいました。
社長が女性というのは、フィリピンでは全然珍しくないし、日本でさえ、昔に比べればずいぶん増えたと思います。

だいたい男の私にしても、社長どころか課長になるのも嫌で、昇格試験を途中で投げ出したほど。なぜなら、周囲に幸せそうな管理職が一人もいなかったから。そのうち心を病んで、それどころではなくなりました。

そうではなく、社長とか重役が使っているような、どっしりした大きな木製の机を、自分専用の書斎に置くのが、昔からの夢だったというお話。日本に住んでいれば、書斎を持つこと自体が、結構難しかったりします。

実は、フィリピンに移住したのは、書斎を作って天井まで届く本棚を置きたかったから。そこまでは6年前に実現したので、次は「社長机」。自宅を新築した時に買っとけば良かったんですが、以前から使ってたコンパクトなデスクが残っていたので、つい買いそびれておりました。

今回、ゲストハウス建設に乗じて、使い古した家具や家電製品を移動して、母屋用に新品を購入する件は、前の投稿で書いた通り。(爆買い!家具と家電)たまたま家内がデスク代わりに使っていた、引越し前のダイニング・テーブル。これをゲストハウスに持っていって、私の机を家内へ。そして待望の「社長机」を買っちゃおうという訳です。

ベッド4つと大物家電購入で、1日分のキャッシュとカードの上限を使い切った週末。今週は11月5日の火曜日が、ネグロス島だけの祝日「シンコ・デ・ノベンブレ」。スペイン語で「11月5日」そのまんま。1898年のこの日、マニラの中央政府に先駆けて、いち早くスペインから独立し「ネグロス共和国」が誕生したことに因みます。

その休日を利用して、前回買い残した家具などを、家内と一緒に探しに行きました。

まずは、手付金をだけだったベッドの代金を払いに、バコロドの家具店デューフォームへ。ついでに前回来た時に目を付けていた、ベッドにもなるソファーを購入。家内のたっての希望です。


本当なら、ここでデスクも買いたかったけれど、残念ながら置いてません。仕方がないので、近くのショッピングモール、ロビンソンズでガス・コンロを買って、さらに別のお店へ。


料理担当主夫としては、
書斎机に劣らない重要アイテム

日曜日に行った、やる気のない格安家具店とは違い、安くても接客はまずまずなロペス(Lopue's)の家具売り場。品揃えや価格は、一昔前のダイエーみたいな感じ。

まずは靴箱購入を決めてから「良い品物があれば...。」と探してみたら、「社長机」のイメージに近いデスクがありました。値段は17,000ペソ(4万円弱)で、無垢の木製ではなくプリント合板。それでも割としっかりした造りで、それなりの重厚感はあります。眉間にシワを寄せる家内を横目に、ほぼ即決で購入。

ということで、当日に配達してもらって、今日は朝から家具の移動。楽しい作業ではありましたが、夕方に終わった頃にはクタクタ。今、新しいデスクでこのブログを書いております。やっぱり広い机はいいですね。広いだけでなく、今時の事務机なので、パソコンを使うこと前提の配慮が嬉しい。




ささやかながら、また一つ夢が叶った気分です。


2019年11月3日日曜日

爆買い!家電と家具

まだ電力会社のセネコ(CENECO / Central Negros Electric Cooperative)が、電気の引き込み工事に来ない、11月最初の週末。待っていたら、家電製品や家具を買いそびれてしまいそうなので、取り敢えず買える分だけ買っちまおうと、行ってきました隣街の州都バコロド。

まずは、ネグロス島内では最大手ショッピングモールのSMシティ。その1階にある家電量販店で、エアコン3台と蔵庫に洗濯機。移住直後の6年前以来の爆買いです。

相変わらず、テレビや携帯、白物家電に至るまで、幅を利かせて目立つ所に並んでいるのは韓国のサムスンやLG。以前は日本の家電メーカーに所属していた身としては、やっぱり感じる一抹の寂しさ。

でも、このところの日系メーカーの製品は、昔のように高くても売れるという傲慢さが影を潜め、意外にも買いやすい価格帯になってるんですよ。サムスンの洗濯機なんて、バブル真っ盛りを思わせるような、なんでも詰め込んだ超多機能。買いたくても手が出ない高額商品。

なので、無理して日本メーカーの製品を買う感じがなく、家内の同意も得やすい状況。エアコンでは、日立の一体型が一番安かったりします。ただし、品質が悪いわけではなく、同型のものを昨年購入したところ、音は静かで消費電力が少ない。それでもしっかり冷える優れモノ。6畳から4畳半程度の部屋に設置するので、0.8馬力の最小タイプを3つ購入。

冷蔵庫も洗濯機も、価格的には真ん中かちょっと安いぐらいのパナソニック製、中級機種を選びました。合わせて約7万ペソ(15万円程度)。1日に使えるカードの上限と手持ちキャッシュの大半を使ったので、今日買えるのはここまで。




その後、同じフロアにあるレストランの一康流で、久しぶりに家族で豚骨ラーメンを頂き、次に目指したのが、SMシティの百貨店。ここでベッドとソファの視察。

ちょっといいなと思ったソファが3万ペソ!これは高過ぎ。ベッドはシングルを4つ買うつもりながら、高い方に振れた品揃えなので、ダブルやセミダブルしかありません。これは専門店に行った方がよさそう。

SMに見切りを付けて、ジプニーに揺られること5分。ダウンタウンに昔からある家具と家電のお店。見るからに「安かろう悪かろう」で、売り場の冷房は効きがよくないし、店員の兄ちゃんのもやる気なし。一応、安くてそこそこのベッドを見つけたものの、前金渡してもリザーブはできないとのこと。

さらに格安店を一軒回って、最後に訪れたのが、家内が教えてくれた比較的最近オープンのデューフォーム(Dewfoam)という家具専門店。半年ほど前に、やっぱり家具を探していた時に行った、バコロド最高級店、ソニア・インテリアの近くながら、そこまで高くはありません。ソニアをイケアとすれば、少しニトリに寄ったぐらい。



とは言っても、ネグロスでは十分高級で通る品揃え。嬉しいことに、高いばかりではなく、やや低価格な方にも選択肢が。格安店とほぼ同額のベッドもありました。しかもスタッフの対応は高級店レベル。値段は頭に入っているし、値引き交渉にも丁寧に応じてくれる。まず、ちゃんとした英語を喋ってくれるのが素晴らしい。

ということで、すっかりこの店が気に入って、総額5万ペソでシングルベッド4つと、予備のマットレス 2つを、1万ペソの前払いで取り置きしてもらうことに。マネージャーのオッちゃんも、接客態度はお見事。そしてフィリピンでは有能なセールスに多い、ゲイの方でした。

ついでにソファもいいのが見つかったので、明後日にキャッシュを用意して来る時には、こちらも買うことに。2万ペソだけど、品質もデザインもたいへんよろしい。

ちなみに新品はすべて、今私たちが住んでいる母屋に置いて、ゲストハウスには母屋からの中古品を移動することにしてます。そうしないと、家内の許可が出ませんので。