2022年2月23日水曜日

日本の中古家具は粗大ゴミ

 かれこれ3週間ほど前のことなんですが、隣街の州都バコロド市内にできた、日本の中古家具を扱う店に行ってきました。

店と言っても、港近くにある倉庫をそのまま使った、大きな物置みたいな場所。フェイスブックでフォローしている、バコロド近辺の新しい飲食店や各種店舗を紹介しているページで見つけて、以前からちょっと気になってました。

実は昨年末、自宅システムキッチンの流し台下の棚板が突然外れて、置いてあった食器がガラガラと崩れ落ちる事故が発生。日本から運んだお気に入りの食器が多数割れてしまいした。

このシステムキッチンはタイ製。作りそのものは比較的しっかりしていて、それなりの値段もした代物。8年使い続けた今も、これと言った不具合もなかったんですが、たくさんの皿を収納し過ぎたようです。つまり過積載による荷崩れ。

崩落の原因は、棚板の留め具が一箇所破損によるもの。そこは角材のつっかえ棒をして修理したものの、さすがに同じ量の食器を置くのは怖いので、別の場所にある、フィリピンに引っ越してから購入した食器棚に半分以上を移動。

この食器棚がイマイチなんですよ。

上2/3ぐらいガラス扉を使って、パっと見は高価に見えるけど、建て付けが悪くて、開閉の度にガラスが割れるんじゃないかと心配になる。一番ダメなのは、大きさの割に棚板が少なくて収納できる量が限られている。こういう点は、日本に住んでいた頃、ニトリで買った食器棚は、よく考えられていました。

皿やお茶碗だけでなく、箸・フォーク・スプーンを収納できる引き出しや、コンセントがあって電子レンジが置けるスペースなどなど。こういう当たり前なデザインが、意外とフィリピンの地方都市ではあまり見かけません。

そういう前振りがあっての、日本の中古家具やさん。買うかどうかは品物を見てからですが、一応置き場所の寸法測って、今使っている棚の移動先の目安もつけてから、家内と一緒に勇んで出かけたのでした。

ところが到着したのが、何とも裏寂れた倉庫街の一角。ウェアハウスと言えば聞こえは良いけど、正直なところちょっとこれはいくらフィリピンでも、お客さんに来てもらう場所とは思えません。


中に入ってからは、さらにガッカリ感。中古屋なので家具が古いのは当たり前でも、掃除も何もしてない、埃まみれのまま。その古さも、店先にあったカセット付きのレコードプレーヤーに代表されるように、新しくても30年は経ってるような品ばかり。骨董品か?

これは明らかに、引っ越しやら家屋の取り壊しの際に出た粗大ゴミを、そのまま運んできたんでしょうね。「水のトラブル110番」とフリーダイヤルの番号を印刷したシールが貼りっ放しなのは、苦笑するしかありません。しかも私の地元に近い大阪の高槻市。

一応、お目当てだった食器棚はいくつか見つけましたが、引き出しの取手や棚板を固定する部品が紛失しているなど、とてもそのままでは使えない瑕疵が。これですごく安いなら考えないでもないけれど、値段を聞いたら何と15,000ペソ!30,000円以上します。

ニトリのサイトを見たら、同じぐらいのサイズの新品が、40,000円台からあるので、いくらなんでもこれは暴利過ぎ。家内共々呆れ返って、早々に引き上げました。本当に商売になるんですかねぇ?

ということで、そろそろ経済活動も元に戻りそうな状況のフィリピン国内。飛行機チケットの価格が落ち着いたら、昨年(2021年)マニラにオープンしたイケアに行ってみたいと思っております。



2022年2月19日土曜日

「続・家政婦は見た!」養女逃亡

 前回、フィリピン版の児童相談所ことDSWD(Department of Social Welfare and Development / 社会福祉開発省)の職員が、我が家のお隣さんで子供を保護したというところまで投稿しました。今回はその続編。そして半年ほど前に書いた「家政婦は見た!」の続きでもあります。

詳しくは半年前の記事を読んでいただくとして、大雑把に言いますと、今は亡き資産家の老アメリカ人が、そのフィリピン妻名義で建てたのが、我が家の2軒向こうにある豪邸。その奥さんには連子が一人いて、すでにその連子も高校生のなる二人の娘と一人の息子がいる、50代になろうかという父親。


ややこしいのは、奥さんと連子の男性が、血の繋がった母子なのにとても仲が悪く、奥さんからすれば孫の母親、つまり義娘との正式な結婚も許さないほど。そして、ただ仲が悪いだけでなく、夫が残した遺産や土地家屋を息子には絶対渡したくないと、どこかの貧しい家から養女を迎えて、その子を遺産の相続人にしてしまいました。

もうここまででも、小説かテレビドラマみたいな展開。そして昨年の中頃、その奥さんが新型コロナに感染して呆気なく他界。

こうなると、連子のおじさんの天下。まだ16歳の養女の後見人になって、連れ合いの女性とも入籍。自宅で2昼夜に続く、近所迷惑甚だしいウェンディング・パーティで大騒ぎしたのは、ブログにも書きました。

さて、こんなに詳しい内情が分かるのは、その家のメイドさん、向いに住む家内の友人ナンシー、そして連絡係とも言うべき我が家のメイド、ライラおばさんの連携プレーによる、噂話ネットワーク。文字通りの「家政婦は見た!」なわけです。

さて、その後はと言いますと、泡銭を握ったおじさんは、隔週ぐらいのペースで、めでたく正妻となった女性の親戚を呼び集めてのカラオケパーティ。何十人もやってきて、相変わらずの2泊3日で大騒ぎ。うるさいなぁ。

特に仕事もしてなさそうだし、いつまでお金が続くのかと思ってたら、案の定、私立の学校に通っていた娘が、学費を払えず無料の公立へ転校。これって、持ち慣れない大金を持ってしまった人が、身を持ち崩すパターン。フィリピンあるあるの典型です。

そして奇しくも聖バレンターンデー。ライラおばさんが、我が家の前を走って逃げる養女さんを目撃。

後から聞いたところによると、金欠のおじさんが、亡き母が所有していた別の宅地を売り払おうとして、現在の持ち主である養女さんを脅すか何かしたらしい。身の危険を感じた養女さんが、シライ市内のDSWD事務所に駆け込んだわけです。16歳にしては、なかなか賢明な判断。

養女さんは無事保護され、翌日にはDSWDだけでなく、警察まで乗り出しての大騒ぎ。逮捕とまではならなかったようですが、おじさんとその妻、3人の子供たちは、自家用車に積めるだけの荷物と共に、どこかへ退去。

当のおじさんは自業自得としても、可哀想なのは子供たち。ちなみに娘の一人は、私の息子のクラスメート。何とも後味の悪い結末になってしまいました。


2022年2月17日木曜日

フィリピンの体罰


しばらく前に、子供のことを心配する余り、いつまで経っても対面授業を再開できないフィリピン、みたいな投稿をしました。(フィリピン学校再開への道

そして今日のお題は「体罰」。結論から言うと、私が見聞きする限り、親や教師が子供を叩くってのは、滅多にないと思われます。少なくとも最近では。どちらかと言うと、私の目からすれば、もうちょっとは子供を厳しく躾けろよ、と言いたくなるほど、公共の場所で子供が暴れようが騒ごうが、ほぼ放置のフィリピンの保護者が多い印象。

ただ、これにはちゃんと理由があって、子供への体罰、あるいはそれがエスカレートしての虐待には、公的機関が介入できる仕組みができている。

よく知られているのが、DSWD(Department of Social Welfare and Development / 社会福祉開発省)。完全に同じではありませんが、日本の旧厚生省に相当するようなお役所。端的に言うと、危機的状況にある個人、つまり性別・出自・障害などで差別されたり、人身売買の被害者、災害の被災者、貧困層、その他社会的弱者を支援するために設立されたもの。

第二次大戦前のまだアメリカの統治下にあった1939年(昭和14年)に Department of Health and Public Welfare / 厚生省として設立され、紆余曲折を経て1987年コラソン・アキノ政権下で現在の名称となりました。

守備範囲はずいぶんと広いですが、一般市民にとってその名前を聞くことが多いのが、子供への体罰や虐待への介入。つまり、日本の児童相談所と似た位置付け。ただ、何かと批判の多く、問題の多い日本の児相と比べると、かなり強い権限を有しているらしく、私の家内やメイドのライラおばさんも「DSWD」の名前には一種の畏怖を感じるほど。

それぐらいDSWDが一般家庭に影響力があって、たまに「〇〇さんの家にDSWDが入って、子供が保護された」なんてことも。

なぜこんな話を始めたかというと、最近、ツイッターで日本の児童虐待の話題に対して、常々私が感じている「フィリピンでは体罰どころか、強い口調で子供叱ることが稀」と呟いたところ、フィリピン在住の日本人から「私の知っているフィリピンの人は、子供のころずいぶん叩かれたそうですよ」とのコメントが複数。

どうやら、ほんの十数年前まで、あるいは現在でも比較的人目の届きにくい家庭だと、やっぱり体罰はあるようです。実は私も子供への体罰、というよりも虐待は、一度だけ、ここシライで目撃したことがあって、驚いてこのブログにも投稿しました。(子供を殴るな!

そういう経緯で、家内にフィリピンでの子供の体罰ってどうなの?て訊いたら、一瞬声をひそめて「DSWDが来るよ〜」。それを受けて調べてみた次第。

いくら子供好きが多いフィリピンでも同じ人間。数は少ないとは言え、我が子に暴力振るったり性的虐待を加える親もいるのは事実。実際、たまにニュースになったりもします。その現場では、DSWDが活躍してるんでしょうね。

ということで、またフィリピンのリアリティの一端を垣間見たと思ったら、つい数日前、なんと我が家のある同じ宅地、それも2軒向こうのお隣さんで、DSWD絡みの騒動がおこりました。次回に続きます。



2022年2月10日木曜日

コーヒーメーカーは諦めた

 4年前の2018年にも似たような投稿してました。(3代目のコーヒーメーカー

私は小学生の頃からコーヒーを飲んでいた、大のコーヒー好き。当然ながらフィリピン・ネグロス島に移住した後もコーヒーメーカーを買い込み、毎日食後の3回欠かさず愛飲しております。その話も去年しましたね。(フィリピンで飲むコーヒーの味

そのコーヒーメーカーなんですが、先日まだ購入後半年ちょっとしか経ってないのに、ガラス製のポットが「ぽろっ」という感じで欠けてしまいました。洗っている途中で、落としたり、特に力を入れたわけでもないのに。

これが移住後の4代目のフィリップス製品。ヒーターがダメになって、一応は天寿を全うしたと言える3代目を除いて、すべてポットの破損で使用不可。

もう何回書いたか忘れたほど、フィリピンでのアフターケアはダメダメ。取扱説明書には、サービスセンターの電話は明記されてても、すんなり繋がった試しがない。買った店に問い合わせても、メーカーに電話しろの一点張り。その上最近モノによっては、保証期間を1年から半年に短縮されてたり。

扇風機やシャワー用の温水器は、需要が多いせいか、街中の修理屋さんでなんとかなるんですが、コーヒーメーカー使うような金持ち(!)は、新しいのを買えってことらしい。まぁ1万円もしないしなぁ。

それにしても9年で4台オシャカってのは、許容範囲を超えてます。さすがに新しいのを買う気にはならず、電気式コーヒーメーカーは諦めて、コンロでお湯を沸かして手動でコポコポやることにしました。

ちなみに手元には、3年前に日本で手に入れた小さなコーヒーミルがあり、濾し器は使えなくなったコーヒーメーカーの部品が残っている。つまり、少々不安定なのを我慢すれば、今でもコーヒーメーカーなしでコーヒーは淹れられるわけです。実際に手持ちの道具だけでやってみたら、私好みの濃いめの味になって、皮肉なことに電気に頼るより美味しい。

そこで、近所のガイサノ(昔のダイエーみたいなショッピングモール)に、コーヒードリッパーを探しに出かけた次第。


プラスティック製のこんなの

さすがに田舎街のシライでは、家飲みはインスタントコーヒーが主流で、そういう気の利いた道具はなかった代わりに、ちょっと洒落たポットを見つけました。

多分、紅茶用なんだろうと思われる陶器のポット。サイズからして一人分か、デミスタカップで辛うじて二人分程度。我が家では豆で点てるコーヒーを飲むのは私だけだし、来客もほとんどないので、これで十分。しかも1,000円程度なので、財布にも優しいし。




ということで、前から使ってたミルと並べてみると、ちょうどいい感じ。移住直後の9年前にこのポットと出会ってたら、コーヒーメーカー4台も買わずに済んだかも知れません。



2022年2月8日火曜日

フィリピン学校再開への道


息子が在籍するシライ市内の小中高一貫校
聖テレシタ学院

コロナ禍を受けて、フィリピンの学校が閉鎖されたのが一昨年(2020年)の3月。この国で、学校での対面授業が行えなくなって、もうすぐ丸2年となります。

大規模な災害や戦災で、長期間に渡って教育がストップするというのは、どの国でもあり得るし、現実にあったでしょうが、丸々2年間、しかも1億もの人口を有する国全体で学校が閉鎖状態というのは、ちょっと聞いたことがありません。

日本でも2020年の春休みが前倒しになり、6月までは一斉休校の措置が取られたものの、せいぜい3ヶ月余りのこと。未成年〜若年層は重症化のリスクが低いなどの、データに基づいた科学的な判断がされた結果。

2022年2月の現在でも、感染者が出たとなったら、学校閉鎖となるのは仕方ないしにしても、フィリピンに比べれば、必要最小の限定的な対応でしょう。全世界の教育現場を全部把握しているわけではないですが、少なくともアメリカや西ヨーロッパの国では、ここまで極端に学校を閉ざしてはいないように思います。

もちろん学校へは行けなくても、閉鎖の約半年後には、モジュールと呼ばれる紙に印刷した宿題だったり、オンラインでの授業は再開していて、フィリピンの子供たちが、この2年間、何の教育も受けていないわけではありません。

しかしながら、ただでさえ多言語による授業で、落ちこぼれが生じやすいフィリピン。先生にすれば、モジュールとオンラインだけで、学習に付いていけない子供を見極めることさえ難しいでしょうし、何よりも当の子供が強いストレスを感じるのは、想像に難くありません。

幸運にも、現在高校生の息子は、ネット環境は問題ないし、親が言うのも何ですが、元々成績は学年トップクラスだったせいか、今の状況には順応できているようです。別にコロナ禍ではなくても、部屋にこもって読書したり、ネットゲームをするようなタイプだったことも大きい。

それでも育ち盛りのこの時期に、ずっと屋内に閉じ込められているは、どう考えても良いわけはないので、宅地内限定で犬の散歩をさせたり、ワクチン接種後には、できるだけ一緒に出かけるようにはしています。

つい最近では、たまたまオンライン授業のない日がモジュール配布だったので、久しぶりに息子を登校させました。人によって対応がまちまちなフィリピンなので、門前払いに備えてメイドのライラおばさんが同行しましたが、すんなり中に入れたそうです。

対応した先生や、顔馴染みの警備員のオっちゃんたちは、息子が大きくなっていることに驚いたとのこと。そりゃそうでしょうね。14歳から16歳まで、一度も面と向かって会ってなければ、大きくもなるでしょう。もう背丈は母親を追い抜いたぐらいですから。

さて、オミクロン株の感染爆発がようやくピークアウトしそうな気配となり、2月10日には、条件付きながら海外からの観光客の受け入れを表明したフィリピン政府。ドゥテルテ大統領からは、警戒レベルが2以下になったら、学校を再開するようにとの指示が出されました。

ちなみにここネグロス島のシライでは、すでに昨年後半から、山間部の小さな学校1校限定ながら、実験的に対面授業が再開しています。現在はレベル3の西ネグロスも、新規感染者数は減少中なので、おそらく遅くとも6月の夏休み明けには、市内のすべての学校で同様の流れになりそうな情勢。

それにしても、フィリピンの子供への過保護ぶりが象徴されるような、2年間の学校閉鎖。二言目には「子供が可哀想」となるフィリピン。もし今すぐ全国で対面授業が再開されたとしても、この「失われた2年」の影響は、長くフィリピンにのし掛かるのは間違いないと思います。



2022年2月4日金曜日

反ワクチンに堕ちる人々


出典:CNN.co.jp

 一旦は収まりかけたかに見えたコロナ禍は、新たな変異株のオミクロンにの出現により、母国日本でも、ここフィリピンでも再び新規の感染者数が連日新記録。数字だけを見ると憂鬱になりそうです。ただ、1年前に比べると、お先真っ暗の危機的状況というのとは、ずいぶん変わったと感じるのは、多分私だけではないでしょう。

オミクロンの感染力は極めて強く、フィリピン在住の友人・知人の中にも感染したという話を聞きますが、幸いどなたも重症化や入院にはならず。普通の風邪よりかなり辛い症状は出ても、何とか自宅療養で回復されたとのこと。そして重要なのは、私の知る限り、全員がワクチン接種を済ませていたという事実。

相変わらず日本のマスコミは、感染者数の増加を見出しにする一つ覚えスタイル。ひたすら不安を煽り立てる報道が多い。デルタ株が猛威を振るった時期とは、明らかに状況が変わったのを周知して、国民の不安を抑える方向にならないものでしょうか。

だからと言って、すべてを一気にコロナ前に戻すべきとは思いません。外出時にはマスク着用、適切な距離を保って手洗い励行、大人数での会食を慎む姿勢は、もうしばらく必要でしょう。ただ、ワクチン接種を済ませた身としては、仮に感染しても重篤化の可能性が低いと思えば、精神状態には雲泥の差があります。

ところが、ここまでワクチンの有効性がはっきりした2022年2月現在でも、反ワクチンを頑なに信じ込んでいる人がいるのは、理解に苦しみます。しかもフィリピン在住邦人で、私が実際に会ったり、SNSで頻繁なやり取りがあった方の中から、いつの間にかガチガチの反ワクチンとなった人が3人も。

3人に共通しているのは、全員、平均以上の知的レベルの持ち主だという点。有名国立大卒だったり、実業家、医療関係者など、正直に言って、私などよりよっぽど頭の良い人たち。それなのにSNSのタイムラインを見ると、どう考えても眉唾物の、陰謀論で染まったユーチューブ動画や記事のシェアが並んでたりします。

特徴的なのは、単にワクチンに懐疑的なレベルに止まらず、かなり激しい口調で、ワクチン関係者や組織を名指しで非難。さらには、反ワクチン的な主張とセットになって、特定の隣国を嫌悪したり、極端な健康食志向になってたり。中には法皇フランシスコを犯罪者と決めつけた主張を展開されてる人も。

実はこの3人、いずれも反ワクチン以外では、ここまで極端でなくても、以前からそういう傾向がありました。それがSNS上で私が縁を切った理由でもあります。なので、知的レベルの件を除くと「やっぱりそうなってしまったか」とも思ったり。

いずれにしても、こうなると、SNSだけでなくリアルな付き合いがあったとしても、疎遠にならざるを得ないでしょう。以前にも書いた通り、もし家族の誰かが反ワクチンを信じ始めたら悲劇。

聞くところによると、これは日本人に限ったことではなく、フィリピンでも起こっているそうです。ワクチン接種完了率がこの期に及んでも54.2%と、今ひとつ伸び悩んでいるのは、反ワクチン感情が一因なのかも知れません。

残念ながら今回のコロナ禍は、健康面や経済面だけでなく、人と人とのつながりにおいて、深刻な爪痕を残したようです。



2022年2月2日水曜日

台風倒木ようやく撤去

 昨年(2021年)12月16日、フィリピン中部のビサヤ諸島を東西に横断し、各地で甚大な被害をもたらした22号台風オデットから1ヶ月半。我が家に残っていた台風の置き土産が、本日(2月2日)ようやく撤去。

置き土産とは、強風で倒れた樹木。向かいの空きロット(と言ってもオーナーはいるはずなんですが)に自生していた、推定樹齢20年ほどのかなり大きな木が、道路を跨いで我が家のフェンスに倒れかかっておりました。


日本だったら、木が生えている場所の地主が対応すべき案件なんでしょうけど、全然面識はないし、数年に一度ぐらい、人を雇って雑草を刈るぐらいで、地主本人は寄り付きもしない放置っぷり。一応周囲に金網の柵はあるものの、あちこち破れ放題。おそらく値上がりを見越しての転売予定物件なんでしょうね。

厄介なのは、ただ倒れただけでなく、電線を引っ掛けていること。そのお陰で我が家のフェンスにダメージはなく、幸運と言えば幸運なんですが、電線にテンションが掛かって、いつショートするかと、見ているだけで心臓に悪い。


まぁ、地主に連絡がついたとしてもこの有様なので、電力会社による撤去を待つしかなかったでしょう。実際、台風直後に、宅地の管理事務所が手配してくれたオッちゃん達が来て、普通の乗用車が通れる程度には枝を払ってくれましたが、電線の部分は電力会社のスタッフでないと無理とのこと。

さて、頼みのネグロス中央電力(略称 CENCO セネコ)はと言うと、管轄する人口約100万人の西ネグロス主要部の各地で電柱がぶっ倒れていて、復旧作業に忙殺。家内に頼んで連絡はしましたけど、何とか通電している我が家の優先順位が低いのは致し方なし。

半月ほど前には、セネコのスタッフが来て倒木の写真撮影をして帰ったので、忘れていたわけではないらしい。そしてようやく1月最終日の夕刻「明日、樹木を撤去します」とのこと。え〜っと、明日って旧正月でフィリピンの祝日なんですが、ほんとに来るの?と思ったら案の定すっぽかされて、24時間遅れの今日となった次第。

撤去作業そのものは、別段難しくもなく、最初に手斧で先端部分の枝を払い、大きな幹はお馴染みのチャーンソー。隣近所でやられると騒音で頭に来るのが、さすがに我が事となるとそれも気にならず。1時間ほどで、めでたく撤去が完了しました。



特に指示したわけではないけれど、そこは事情の分かったメイドのライラおばさん。ちゃんと作業に当たった4人のために、冷たい飲み物とスナック菓子を用意したのは、さすがでした。

ということで、セブや東ネグロスに比べると、被害は小さかったシライとは言え、倒木が目に入ると嫌でも台風を思い出す毎日。やっとこれで、気持ちの上でも区切りがつきました。あとは、屋根に残った大量の落ち葉や小枝の掃除です。やれやれ。