2019年9月30日月曜日

窓屋にクレーム?

裏庭に建設中のゲストハウス。最後まで残ったのが、配管と電気会社への通電申請。そして、網戸を含むアルミサッシ窓の取り付け。最初の二つは、手間がかかるのは最初から分かってました。意外にも難航しているのが窓。

依頼したのが、何回かこのブログでも投稿している、シライ市内にあるファガン・ガラス&アルミニウム。オーダーメイドが基本で、ガラスとアルミなどの金属を使った、建具全般の制作と取り付けが業務領域。






6年前の母屋建設時にも使った業者さんで、値段は張るけど品質とサービスは、フィリピンにしてはかなり良好...のはずだったんですが、どうも今回の担当者は「ハズレ」だったらしい。

材料を持って来たから、すぐにでも作業に掛かるのかと思ったら、そのまま黙って帰ってしまい、1週間以上も音沙汰なし。思い出したように来ては、ちょこちょこっと仕事して、また黙って帰る。それでも仕上がりが良ければ、文句は言わないけれど、昨日(9月29日の日曜日)は、ちょっと対応がひどかった。

まず、人が出入りできるサイズの窓用に頼んだ網戸が二つ。全面スクリーンだと、以前に作って貰った、同じ仕様の現物まで見せているのに、下半分アルミ板で塞いだものを持って来ました。すぐに対応するわけでもなく、またもや材料を持って来ただけ。

同時に修理依頼の母屋の網戸4つも、3つは一応は完了したけど、目を離した隙に、取り付けもせず、貸したコードリール(ドラム型の電気延長コード)まで屋外に放置で、またもや黙って帰宅。

今建ててるゲストハウスはともかく、住んでいる家の、しかも寝室の網戸なので、窓も開けられない。仕方がないので自分で取り付けたら、これが実に建て付けが悪く、無理したら簡単にフレームが折れてしまいました。その他にも、不具合や指示通りになっていない箇所がいくつかあって、今日は朝から気分が悪い事、この上なし。

人件費、材料費が安い職人さんではなく、ネグロスでも断トツの高額料金。これは日本人ではなく、地元の人が施主だったとしても、普通に怒るレベルですよ。よっぽど店に怒鳴り込もうかと思いましたが、それをやっても効果がどこまであるやら。血が上った頭を冷やして、ここは地元民の家内に、コンプレイン(Complain 苦情)を一任。

ちなみに、なぜか日本では、本来所有権を主張したり、損害賠償を求めたりする意味の「クレーム Claim」を、苦情全般に使ってます。でも、英語のネイティブスピーカーに、文句のつもりで「クレーム」と言っても通じません。例えば、空港の「Baggage Claim」って、荷物の苦情じゃなくて、荷物所有権を主張する場所、つまり荷物の受け取り。ましてやクレーマーなんてまったく意味不明。

とここまで書いたところで、まるで、聞こえてたんか?みたいなタイミングで、家内からの連絡を受けて、例の窓職人がやって来ました。さすがにクライアントの腹立ちを察っして、最初に「アイム・ソーリー」だったので、自制心を総動員して諭すような口調で、「ちゃんと帰る前に報告してや。頼むで。」と、関西訛りの英語でお説教。これでもだいぶキツかったかも知れませんけど。

ということで、本当は苦情など言わず、平和裡に仕事を済ませて欲しいだけなので、頼みますよ、ファガンさん。


2019年9月28日土曜日

バスタブと流し台 + 本物の呪医

一週間以上ぶりに、ゲストハウス建設関係の投稿です。

気が付いたらもう9月末。着工が4月8日(2019年)だったので、あと1週間で工期が半年を超えます。おかしいなぁ、棟梁のリトは「4ヶ月で出来ますよ〜。」と調子良く言ってたくせに。というツッコミを入れてみても、笑って誤魔化されるだけのフィリピン。それぐらいの事は、もう十分に理解しております。

とは言え、もうすぐ終わりなのも確かで、明日、日曜日の窓インストールを持って、屋内の作業は完了。建物周囲のタイル張りも、例の1ダース全滅の不良品を、ようやく交換して、こちらも週明けには何とかなるでしょう。大物で残っているのは、フェンスのモルタル仕上げと塗装のみ。

今週のハイライトは、何と言っても、バスタブと流し台の設置。特にバスタブは寸法採りのため、7月から母屋2階のベランダに安置されたまま。本当に満を辞しての再登場。待たせたねぇ、バスタブさん。まぁ、浴室の壁や床が出来ないと、先にバスタブ置いたりしたらキズだらけになるので、これも仕方ない措置。

タイル担当のビンゴル君、フィリピンの大工さんにしては、悪くない仕上がり。ほんの一坪程度の浴室ながら、日本式に体の洗い場があって、ゆったり浸かれるバスタブがあると、まだ入浴する前からリラックスできそうな予感。


そして、もう一つの水周り代表は、キッチンの流し台。キャビネットは一ヶ月ぐらい前から、組み立て・取り付け出来てましたが、その上に置く、人造大理石をカットしてくれる専門の石切り職人さんが、やっと来てくれたのは今週初め。作業そのものは、流し部分を切るだけなので、数時間で終了。二人分で閉めて4,000ペソ(1万円足らず)也。




アルミを打ち出した流しを取り付け、周囲に防水用のタイルを張って、オリジナルアレンジの流し台が完成しました。写真ではまだですが、今日の夕方に、蛇口と排水管も。


さて、それ以外のトピックは、作庭に向けての準備。
先月伐採した、推定樹齢20年の木。しばらく根っこを天日に晒した無残な姿。そこへ、たまたまやって来たのが、ネグロス島の隣街バコロド出身で、福島県在住の友人ダイアナさん。仕事で一時帰国してて、時間が取れたので小一時間ほど我が家に立ち寄ってくれました。

以前に「フィリピン美女図鑑」で、バスケットボールのフィリピンナショナルチーム所属する、ダイアナさんの三女、リナさんにモデルをして頂いたこともあります。

ところでダイアナさん。「見える体質」なんだそうです。何が見えるって「霊」が。冗談ではなく、フィリピンにいた頃は、呪医の仕事もしていたらしい。フィリピンではまだ普通に職業として通用する呪医。病気を治したり、無くし物を見つけたり。

庭に放置された木を見るなり、「この木はまだ生きてますから、庭の隅っこに植え治直してください」とのお告げ。やっぱりカマカマさま(フィリピン版の座敷童みたいな精霊)の住処だったとのこと。

文章にすると、何ともオドロオドロしい感じながら、まるで「当然」の口調で、気負いもなく勿体ぶったところもない。大工さんに伝えると「あ、そうですかぃ」とばかりに、炎天下に大汗かいて穴掘って、こちらも「当然」のように、幹だけになった木を植え直してくれました。


実のところ、100パーセント精霊話を、信じ切っているわけではないけれど、やっぱり呪医さんの言うことを無視して、良くない事が起こったら後悔しそう。実利的には、指定の場所に緑が茂れば、西日避けにもなるんですよ。

ということで、少し心にわだかまっていた事もスッキリ軽くなった週末でした。


9/15〜9/28の出費

石材切削工賃:4,000ペソ
大工さん給料(2週間分):38,713ペソ
塗料関係:4,715ペソ
セメント、フェンス用鉄筋など:21,140ペソ
砂利:6,400ペソ
配線・配管部品:5,915ペソ
カーテンバーなど:9,630ペソ

計:90,513ペソ

本日までの合計:1,915,698ペソ


2019年9月26日木曜日

フィリピンで読む横溝正史


何を今更と言われそうなタイトル。フィリピン・ネグロス島に移住した際、大量に運んだ蔵書にあった横溝正史さんの探偵小説を、九冊一気に読み返したんですよ。

私の同世代、つまり1970年代の後半から1980年代にかけて、学生時代を日本で過ごした人々なら、知らぬ人はないと思われる横溝正史さん。彼が生み出した、日本史上最も有名な私立探偵、金田一耕助が活躍する一連のシリーズが、文庫本に映画、テレビ、果てはコミックやサウンドトラックのレコードに至るまで、本当に大ヒットの連続でした。

私も案に相違せず、当時の角川書店の若き経営者、春樹氏の計略にまんまと乗せられて、角川文庫の金田一耕助モノは、ほとんど全部読破。新品で買うお金がないので、最寄り駅の阪急塚口の駅前にあった古本屋さんで、何冊も買い漁ったものです。

横溝ファンには、説明するまでもないことながら、横溝正史さんの代表作、「本陣殺人事件」から「悪魔の手毬唄」までは、ほぼ昭和20年代に世に出た小説。作品が書かれた時代を反映して、金田一耕助本人は、ニューギニアからの復員兵だし、闇市やヒロポン(覚醒剤)中毒、農地改革による地主や庄屋階層の没落、斜陽族にロマンスグレーなどなど、私の親が学生だった当時の、世相や流行語が満載。

そして、作品の多くが山奥や孤島の村落を舞台としたもの。たとえ東京で起こった殺人事件でも、その原因は何十年も、時には何百年も昔の、因縁話や言い伝えなどが絡んでいる。横溝作品を語る上で必ず使われる形容詞が、「おどろおどろしい」でした。

一旦は忘れられた作家、横溝・探偵小説の魅力は、その精緻なトリックだけでなく、古い日本のビジュアルイメージを盛り込んだ独特の作品世界、それと対照的な、論理的で明晰な頭脳と、ユーモアを兼ね備えた「金田一耕助」という、人物像に依るところが大きい。これが、若い世代にアピールすると見抜いた、角川春樹氏の慧眼がすごい。

さらに印象的なのは、一連の表紙絵。担当は、杉本一文さんというイラストレーター。杉本さんの名前は知らなくても、横溝ワールドを完璧にビジュアライズしたイラストは、一度は目にしたことがあるでしょう。

私など、この表紙に惹かれて、横溝作品を買い求めたと言ってもいいぐらい。先日投稿したフィリピン美女図鑑のアゲハのイラストにも、杉本さんの影響が、色濃く残っています。




その杉本画伯がポスターを描いた、角川映画の第一弾にして、大ヒットを記録した「犬神家の一族」。そして当初は、角川と松竹の共同制作で始まった企画が、後に松竹単独の作品となり、「祟りじゃぁ」が流行語にまでなった「八つ墓村」。金田一耕助役は、前者が石坂浩二さん、後者は寅さん以外で唯一のヒット作となった、渥美清さんが演じました。

この2作、実はDVDを買って、ネグロスまで持って来てます。さらには「犬神家の一族」の英訳版「The Inugami Clan」まで。家内と一緒に楽しめたらと思ったのですが、どうもイマイチ、ピンとこない様子。何代にも渡る恩讐とか怨念というのが、分かり難いらしい。

考えてみれば当然かも知れません。家内の親戚で、親子二代で奥さんとは別に愛人がいて、それぞれに子供がたくさん、みたいな叔父や従兄弟がいても、あんまり陰湿に、恨み恨まれとはならない。腹違いの兄弟姉妹が笑顔で写真撮って、何の屈託もなくフェイスブックに投稿するようなお国柄。

もちろん修羅場になることがあっても、妻と愛人みたいな、当事者同士で一時的に血の雨が降るぐらい。延々とネガティブな感情を内に秘める人って、かなり少数派じゃないでしょうか。仮に人殺しがあっても、それこそ「八つ墓村32人殺し」みたいな、激情に駆られた犯行は、想像できるかも知れませんけど。

ということで、久しぶりで初読の頃を思い出しながら、金田一耕助シリーズを読み耽った、約2週間。やっぱりフィリピンには、陰々滅々なおどろおどろしさは似合わないようです。


2019年9月23日月曜日

私的フィリピン美女図鑑 可憐な少女 アゲハ

爆乳のドロンジョさま、超ナイスボディのムキムキ・フィリピーナと、重量級のモデルさんが続いている美女図鑑。描いている私も、おそらくご覧になっている方々も、少々胸焼け気味かも知れません。それではと、今回は一転して可憐な少女をモチーフにしてみました。

選んだのは、またもや70年代のアニメに登場するキャラクター。1973年4月から半年間、全26話が放送された「ミクロイドS」。時間枠は土曜日の8時半という、子供向け番組としては遅めの設定。

当時のNET系列では、7時半の仮面ライダー、8時の人造人間キカイダー、そして8時半のデビルマン。石ノ森章太郎さんに永井豪さん原作が連続の、今では考えられないような、超豪華ラインナップが組まれていました。ミクロイドSは、このデビルマンの後継番組として、手塚治虫さんのコミックと同時企画。

進化して、高度な知能と科学力を持った蟻「ギドロン」が、人間を捕らえてミクロ化し、奴隷として使役するというダークなストーリー。原作では、かなり重いエピソードもあったそうですが、アニメは子供向けらしいヒーローものでした。

ギドロンと戦うのが、ミクロ化された3人のミクロイド、ヤンマ、アゲハ、マメゾウ。その女性キャラのアゲハが、今日のモデルです。

ところで、イラストを描いていていつも思うのは、アニメや特撮の主役って、なぜか身体にぴったりフィットしたコスチュームが多い。これはヒーローものの本家、スーパーマンからの伝統なんでしょうか?

特に女性キャラはその傾向が顕著で、この手のテーマで描く時は、「ボディスーツ」「レオタード」「スクール水着」なんてキーワードで画像検索してます。アゲハが着ているのって、本当にそのまんまレオタード。さらに、色が派手。複数のヒーローだと、見た目に分かりやすくするために、原色の赤・青・黄色・緑とかをテーマカラーにした服装。ゴレンジャーがその典型でしょうね。

アゲハもご他聞に漏れず、白地に真っ赤な文字「W」をあしらったグラフィック。これではどう描いたって漫画です。あ、もともと漫画か。なので、敢えてあまりリアルな画面構成にせず、見るからにファンタジーっぽくまとめてみました。

主役は、バレリーナみたいにスリムで清楚なフィリピーナ少女。ミクロイドなので、相対的に大きく表現した、熱帯の花や草。薄暗いジャングルをイメージして、周囲には蛍が舞う、完全に私の「趣味の世界」。もう還暦が近いオッさんにしては、少女趣味に過ぎるかも。


出来上がりを見ると、手塚治虫さんというより、松本零士さんの、昆虫を扱った作品みたいな感じです。


過去の「私的フィリピン美女図鑑」は、こちら。

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2019年9月21日土曜日

マニラ市長に倣う街の大掃除


少し前の話題ですが、この7月(2019年)、マニラの市長に就任したイスコ・モレノ(Isko Moreno)さん。前任のエストラーダさんに続いて俳優出身。またもやイメージ先行で選出されたのかと思いきや、なかなかどうして、少なくとも正義感と実行力は相当なレベルのようです。

それと言うのも、フィリピンの政治家としては極めて異例な経歴の持ち主。幼少期を、スラム街で有名なトンドで過ごし、古新聞や空き瓶を拾って家計を助けるような暮らし。それがティーンエイジャーの頃にスカウトされて芸能界に。国民的ボクサーのマニー・パッキャオを思い出させるようなサクセス・ストーリー。

1974年生まれなので、まだ40代の半ば。映画の主役を張る俳優だけあって、男前で知名度抜群。しかも貧乏人の気持ちが分かるとなれば、そりゃあすごい人気なのも分かります。ちなみにイスコは芸名で、本名はフランシスコ・モレノ・ドマゴソ。

そこまでだったら、フィリピン国民、マニラ市民に有名、で留まっていたんでしょうけど、彼の名が、まにら新聞やアジア経済ニュース(NNA Asia)などの、日本語の記事で紹介された「電撃的な事件」が、ディビソリア地区を始めとする、マニラ市内の違法露天の撤去。
新マニラ市長の浄化作戦
マニラ新市長、露天を撤去


フィリピンに住んでいたり、多少なりともこの国と縁がある方なら、首都圏でも地方都市でも、大々的に路上を違法に占拠した商店や、貧困者の住宅などを目にしたことがあると思います。

私が初めてその状況を見た時には、フィリピンの後進性の象徴みたいに感じたものの、慣れというのはすごい。何年も住んでいるうちに、いつしか当たり前の景色に。最近ではそんな場所で、普通に食材を買ったり、散髪してもらったり。

ほんの7年ぐらい居候してる外国人でもそうなので、地元の人にすれば、生まれた時からある生活の一部。違法占拠のために引き起こされる、渋滞などの不便すら日常化。これを強制撤去したのですから、そりゃフィリピン人も在留邦人も驚くでしょう。

ただ、モレノさんが突然変異的に蛮勇をふるったわけではなく、対麻薬戦争や汚職撲滅...、3年に及ぶ、ドゥテルテ大統領の強権的政治手法が背景なのは間違いない。それでもモレノ市長には殺害を予告する脅迫状が届いたそうです。当然ながらモレノさんは「脅迫には屈しない」と一蹴。映画の役を地で行く格好良さ。
マニラ市長に死の脅迫状

さて、麻薬戦争の時と同様、中央の派手な動きは、地方政治にも速やかに広がること野火の如し。先日、永住ビザ更新で隣島パナイに出かけた帰り、たまたまタクシーが通った裏通りで、ネグロス版・街並み浄化作戦の現場を目撃しました。

場所は、バコロド市内の海岸沿いを南北に走る、片側二車線のサン・ホアン・ストリート。本来なら並行するラクソン・ストリート同様に、幹線道路の役割を担ってしかるべきところ、左右が違法露天や住居に占拠され、トラック2台がすれ違うのも難しいような状態。

そんなトタンや角材で作られたバラック群を、片っ端から取り壊しの真っ最中。私が見た時には、住民と監視の警官が争ったりすることもなく、至って平和的に作業が進んでました。



西ネグロスの州都バコロドは、ここ何年か経済成長が著しく、マニラ首都圏に周回遅れながら、市内各地でコンドミニアム、商業施設の建築ラッシュ。こちらも街を大掃除しようとの機運が高まっていたんでしょうね。新聞の記事によると、追い出された4,000軒の建物関係者は、全員ではないかも知れませんが、すぐ近くにできる商業施設に引っ越しするとのこと。

こういう話を聞くと、昭和30年代生まれの私としては、いつものように、昔の日本を思い出してしまいます。生まれ育った兵庫県尼崎市で、自宅最寄り駅、阪急塚口周辺が再開発された時の記憶がダブって仕方がない。もちろん当時は、強制執行ではないけれど、古い木造の住宅や店舗が撤去され、道が拡張され、巨大なショッピングモールが建ち並ぶのは似たような風景。

ああいうことができるのも、国全体の景気が良くて、立ち退いた人たちに、多少なりとも仕事や住む場所の当てがあるから。もし退去者全員がその日から路頭に迷うなら、暴動になってしまう。

ただ、その後30年で、先細りの運命を日本が辿ったのを知っているだけに、今は少々複雑な心境なのも正直なところです。


2019年9月20日金曜日

タイル1ダースが全滅

さて、今週初めから、最後のタイル張り作業が始まった、裏庭に建設中のゲストハウス。屋内の床や浴室の壁など、主だった場所は、先月には終わっています。残っているのは、駐車スペースと、建物の周囲を1メートル幅でぐるっと囲んだ通路部分。1枚のサイズが40センチ角のタイルを、560枚敷き詰めます。



フィリピンの一般住宅の場合、床材はタイルが標準仕様。中にはコンクリート打ちっ放しでお終い、あるいは土間のままなんて言う安普請もありますが、それはよほど経済的に余裕のない世帯。

逆に富裕層なら、最近の日本の住宅のように、フローリングやウッド・デッキを用いるケースもあるようです。値段は高いけど、建材店には売ってますから。ただフィリピンでは、湿気やシロアリ対策を相当厳重にしないといけないでしょうね。極貧でも大金持ちでもない私は、当然のように、内も外も総タイル張り。

ところで、6年前に母屋を建てた時には、タイルを張り終わってもずいぶん余りが出ました。これは現場監督を任せた、日本人の実父の仕業。一体どんな数え方してたのかと言うぐらい。もったいないので、タイルを細かく砕いて敷く、こちらでは「クレイジーカット」と呼ばれる手法を、庭のあちこちに使い、残りタイルを処理。


今回は全部自分で管理したら、誤差は数枚。やっぱり自分の懐から金が出て行くと思うと、その辺りはシビアになります。それほど注意深くても、避けられないのが不良品。100枚も買えば、数枚は割れているのが当たり前。もちろん泣き寝入りではなく、レシートを添えて、購入した店に持っていけば、新品と交換してくれます。母屋の時も、何回かありました。

ゲストハウスでは、私の目の届く限り破損はなく、最近は商品管理がマシになったのかと思ってたら、やっぱりやってくれましたね、シティ・ハードウェアさん。

何十枚、何百枚の大量購入では、ダンボール箱で配達されるタイル。20センチ各程度の小さなものなら25枚入り、40センチや60センチだと一箱12個の1ダース。この1ダースが丸ごと全部、割れてました。


それも、粉々に近いような状況。生産地から小売店までの間、あるいは購入後の配達途中で、よほどの高所から落としたのか? 開けて見ないと分からないし、50箱近くも一度に納品なので、とても全部開封しての確認はしてられません。

また、ウチの大工さんたち、店に持って行くのは分かってるんだから、箱のまま保管してくれたらいいのに、全部出してバラバラに放置。仕方がないので、施主自らがパズルのような作業で再梱包。小一時間も中腰姿勢だったので、翌日は腰から背中にかけて筋肉痛。

それにしても、40センチのタイル12枚って、ずっしり重い。持って行くのも大変だし、また同じ重さの新品を持って帰ると思うと、どよよ〜んな気分。

ということで、慌てて交換して、またタイル破損が発覚したら二度手間、三度手間になりかねないし、少し足りないことも有り得ます。ここは焦らず、もう少し事態を静観することにしましょう。


9/11〜9/14の出費

屋根敷設作業費用(残金支払い):17,500ペソ
セメントなど:19,325ペソ
配線材料:2,484ペソ
土砂、コンクリートブロック:5,250ペソ
カーテンポール留め具:2,100ペソ
配管材料:8,306ペソ
非常灯など:2,976ペソ

計:57,941ペソ

本日までの合計:1,825,185ペソ


2019年9月17日火曜日

京都芸術大学が二つ?

フィリピンには全然関係のない話題で申し訳ありません。

今日は、私が34年前に卒業した大学、京都市立芸術大学のお話。1985年3月に、この大学の美術学部デザイン学科というところを卒業して、専攻したプロダクト・デザインをそのまま活かして、工業デザイナーとして就職。

専門学校でもないのに、ここまで学校での勉強と、その後の職業がシンクロすることの方が珍しいかも知れません。つまり、京都芸大と専攻の教授方には随分と恩義を感じているし、人一倍、母校愛を持っている。特に当時、助教授だった先生からの言葉は、今でもたくさん覚えているほど。ほんと、お世話になりました。

京都芸大の歴史は古く、1880年(明治13年)創立の京都府画学校が母体。当時、明治維新の影響で、政治も文化も皇居までも、新首都の東京に移ってしまい、地盤沈下を危惧した京都市民の間から、近代的な美術家養成機関を作ろうとの声で、生まれたそうです。

ちなみに私が入学した時(1980年)の、入試問題の課題の一つが、創立100年を記念したモニュメントのデザインをするというものでした。

卒業生には、著名な日本画家、洋画家、陶芸家、染色家、彫刻家など錚々たるアーティストが名を連ねています。それ以外にも、東京オリンピック(1964年)の施設シンボルデザイン、ロングピース(煙草)のパッケージデザインで知られた田中一光さん、サントリーウィスキーのCM「アンクルトリス」で有名な柳原良平さん。

音楽学部からは、ベルリンフィルの客演指揮者を務められた、私の少し先輩の佐渡裕さん。ちょっと変わった経歴では、在学中はデザインを専攻しながら、卒業後、作曲家になった宮川泰さん。宮川さんは数々の歌謡曲の作曲だけでなく、宇宙戦艦ヤマトの音楽担当としても活躍されました。


京都市西京区にある
京都市立芸術大学キャンパス

さて、何気なく大学の略称を使って「京都芸大」と書きました。学生や卒業生、関係者、地元の京都市民の人々は、もっと縮めて「京芸」(きょうげい)と呼んだりもします。

その親しまれた名前を、京都市内にある別の美術系大学が名乗ろうと発表したのが、今年(2019年)の8月。前身の服飾学校から、1977年(昭和52年)に京都芸術短期大学として発足し、1991年、4年制大学になった私立の京都造形芸術大学。来年(2020年)4月から、校名を「京都芸術大学」とするそうです。

発表前に打診された、京都市長も本家の京都市立芸術大学の学長も「それはアカんやろ」と、再考を促していたのに、無視する形で一方的に発表されました。造形大学の内部でも寝耳に水の事後報告だったらしく、卒業生だけでなく、現役の教授や在学生から疑問視。どうやら理事長の独断による決定のようです。

この理事長、経営者としてはなかなか遣り手で、実績のあるデザイナーとのコラボレーションや、企業との連携、派手なところでは、2013年まで秋元康さんが副学長で、その関係から、秋元さんが校歌を作り、それを歌うAKB48の衣装を在学生がデザインしたり。話題作りには事欠きません。

現在、京都造形芸術大学の在籍者数は1万人を超え、京都市立芸術大学の10倍以上。ビジネスの観点だけで見れば、はるかに大規模。私が嫌だなぁと感じるのは「規模も大きいし、金持ちになったんだから、由緒ある名前を名乗っても文句はあるまい」みたいな、傲慢な態度が見え隠れする点。そうでなければ、わざわざ創立140年になろうかという、同じ市内にある大学に、ここまで似せた名前にしようとは思わないでしょう。

それにしても理解に苦しむのは、その意図。典型的「誰得?」というやつ。両大学の関係者だけでなく、一般のマスコミからも疑問や非難があがり、私がツィッターでフォローしている、噺家の立川志らくさんが、コメンテーターを務める番組の名前を例に取って、「ひるおび!の裏番組、ヒルナンデス!が、ヒルオビナンデスと改名したようなもの」と皮肉。

私も、フィリピンで日系企業っぽい名前を冠した「アカリ」「ペンソニック」などの中国製ブランドを思い出してしまった。

しかも、すでに30年近い歴史を持つ、「造形芸術大学」の名前を捨てる意味が分からんと、在学生や卒業生から、かなり辛辣な反対意見がネットに投稿されています。さらに在学生が発起人となった反対署名運動まで起こる始末。

そしてとうとう9月2日、京都市立芸術大学が「京都芸術大学」の名称使用の中止を求めて、大阪地裁に提訴。まぁ一連のやり取りを見ていると、これも仕方ないなぁ。

ということで、フィリピンやネグロス島の話題を期待しておられる、読者の方々には申し訳ありませんが、あんまり頭に来たので、母校が巻き込まれた名称問題について投稿しました。


南国映画館「この世界の片隅に」


本当に遅ればせながら、やっと観ました「この世界の片隅に」。日本で公開されたのが3年前の2016年。その時にはもう私はネグロス島に住んでいたので、ネット経由だけながら、それでもかなり話題になってました。

まず、クラウドファウンディングを使って、四千万円近くの製作資金を集めたというのがすごい。映画を観てから、キンドルで原作のコミックを読んだところ、確かに監督の片渕須直(かたぶちすなお)さんが惚れ込むのも分かるし、これをアニメで観たいと思う支援者がたくさん集まったのも、無理はないという出来栄え。

私がこの映画のDVDを購入したのが、一昨年(2017年)に一時帰国した時。去年、姪っ子が英語留学で我が家に逗留してた時に「これ観たい」と言われたけど、時間が取れず。

実は、原爆を扱ったものなので、何となく観るタイミングを逸してたというのが正直な所。恥ずかしながら、小学生の時に読んだ「はだしのゲン」がトラウマになっていて、一人で観るのを躊躇ってました。家族と一緒にしても、それなりに気合いが必要で、結局2年以上も居間の棚に放置状態。

満を辞してDVDを開封したのが、今年(2019年)の広島原爆の日8月6日。結果から言うと、もちろん一部に被爆直後の悲惨な描写はあったけれど、全体としては、何とも温かくて切なくて、心が安まるような映画。この作品を評するには、もう散々使われたであろう表現ながら、たとえ住んでいる国が非常時でも、人々の暮らしは同じように続き、嬉しいことも悲しいことも、平時と変わらなかったんですね。

広島弁の発音にも、相当な神経を使ったとのこと。そのせいか、まったく違う作風ながら、全編に方言を使い、とてもリアルに大阪の下町を再現した「じゃりン子チエ」を思い出してしまった。私は原作もアニメも、ネグロスに持って来てます。

さて、戦時中の日本というと、国中が上から下まで年中ピリピリ緊張していたようなイメージがあって、当時を舞台にしたドラマや映画では、誰もが戦争協力を第一に振舞っていた(あるいはそう見せるようにプレッシャーがかかっていた)と描かれることが多い。

でも考えてみたら、朝から晩までそんな状態なわけはなくて、実際、当時小学生だった両親の話を聞くと、辛い体験がある反面、意外と疎開先・信州の田舎生活を楽しんだ思い出もあるようです。そりゃそうですよね。

そして、原作にも映画にも一貫してるのが、日常生活のリアリティ。食材をどうやって調達し、料理し、衣服は、住居は...。ちょっとした一コマでも、おそらく当時の写真や書物を探したり、体験者からの聞き取りをしたりなど、たいへんな労力が必要だったでしょう。

素人ながら、時々イラストを描いている経験からすると、モデルのコスチュームや持ち物、背景など、かなりきちんと調べないと、想像だけでは全然リアルな絵にならない。たった一枚描くだけでそうですから、戦争を知らない、私とほぼ同世代の、こうの史代さん(原作者)と片渕須直さん、およびスタッフの熱意と苦労が偲ばれます。

さて、一緒に観た、中学一年生の息子の反応。
途中で飽きてしまわないかと思ってましたが、「スターウォーズ」や「宇宙戦艦ヤマト2199」に対するのと同様の集中力を最後まで維持。なるほど、子供には歴史の教科書より、よっぽど伝わるもんですね。良質な映像作品の持つ力を実感しました。今大学生の姪っ子が、絶賛してたのも頷けます。

それに、ただ昔の日本を興味深く、だけでなく、各所に今のフィリピン暮らしと重なる部分があって、同じシーンで親子がニヤリ。例えば大事に仕舞ってあった砂糖壺にアリがたかる場面。フィリピンの家庭では、映画と同じく、食材の入った器を水盆に置いたりするんですよね。

ところで、この映画、原作ではとても重要なピソードのひとつが、ほとんど丸ごとスキップされてました。当初から片渕監督は、もし映画がヒットしたら、その部分を追加した映画を作る、という意味の発言。

その言葉の通り、映画館によっては2年以上に及ぶ、異例の大ヒット・ロングランを記録し、世界中に配給。約束を守って、この12月、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」として、「完全版」が公開されるそうです。今度はネグロスの映画館でも観られるでしょうか?


2019年9月14日土曜日

どかんと支払い15万円

大詰めを迎えた、裏庭でのゲストハウス建設。
屋内の作業は、洗面台や便器、温水器の取り付けと、それに伴った配管の仕上げ。配線はほぼ終わっていて、外からの電線を引き込むための電柱を作ろうという段階。ガスに関しては、フィリピンではプロパンで自前供給なので、これが出来れば電気・水道の2大インフラが完備。ネットを含む電話と、テレビはまだでも、その気になれば住むことができます。


ただし電気の方は、電力会社に申請して工事をしてもらう関係で、電柱が立ったからすぐに...という訳にもいかないのがこの国のつらい所。そんなこんなで、9月中には何とか竣工という読みは、ちょっと微妙になってきました。

そんな中、先日、窓をお願いしているガラス&アルミニウムの業者さん、シライ市内では品物も価格も最高級の「ファガン」さんに、ようやくの支払い。すべてオーダーメイドのスライド窓7箇所、ルーバー窓5箇所、玄関と勝手口、大窓2つのための合計4枚のスクリーンドア、合わせて67,000ペソ(約15万円)。

何分にも金額が大きいのと、カード支払いができないことがあり、経営者のミスター・ガン本人に、自宅まで集金のご足労を願いました。いつものように、秘書みたいな女性を同伴して車で乗りつけたガン社長。毎度のことながら元気なオっちゃんです。開口一番、「支払いは、現金ですか?小切手ですか?」

なるほどなぁ。カード払いがまだまだ一般的ではない田舎のネグロス。高額な支払いでは、小切手も普通に選択肢の一つ。私が子供の頃の日本では、小切手なんて、余程の金持ちか、自分で商売でもやってなければ、まず縁がないものでした。

実はフィリピンに移住してから、一度だけ使った小切手。6年前に自家用車を購入した時は、トヨタのディーラーですら、カード払いが不可。さすがに代金の80万ペソを現金で持って行くのは恐ろしくて、メトロバンクのシライ支店で発行してもらったのが、生まれて初めての自分名義の小切手。何だか、大金持ちになったような気分でした。

それはともかく、67,000ペソでもネグロスでは十分な大金。この日のために2回に分けて銀行ATMで下ろして準備したキャッシュ。何度も書いているように、最高額紙幣が1,000ペソなので、67枚もの札束。やっぱりこれはすごい物量感。

さぁ、これで窓の方は目処が立って、9月中には何とかなりそう。でも、窓と同じぐらいの見積もりが出ている、4箇所の特注のアコーディオンドアが、まだ材料が入荷してません。何でもマニラに注文しているそうです。こちらは、もうちょっとかかるかも。


そして土曜日の今日(2019年9月14日)、長らく地面が剥き出しだった前庭に、ようやくコンクリート打ち。他にも多少、コンクリートを打つ場所は残っているものの、面積が大きいのはこれが最後。そこに敷設予定の560枚のタイルは購入済みなので、今週で大きな山を越した感じ。出費合計も、200万ペソのほぼ9割近くに到達しております。




押入れの棚や特注の家具も
次々と出来上がってます


9/11〜9/14の出費

窓一式製作・取り付け費:67,042ペソ
コンクリートブロック、土砂など:8,250ペソ
鉄筋追加:6,990ペソ
塗料関係:4,475ペソ
配線関係:1,600ペソ
大工さん給料:21,713ペソ

計:110,070ペソ

本日までの合計:1,767,244ペソ


2019年9月12日木曜日

停電のこと

21世紀の日本で、広域で何日も電気が止まるなんて、そう起こることではないでしょう。

今月(2019年9月)9日、関東地方に上陸した台風15号は、記録的な強風を伴っていたそうで、ネットによると、千葉市内で瞬間最大風速が50メートルに達したとのこと。この風が千葉県下の各所で送電線を切断し、この投稿を執筆している時点で、まだ約34万戸で停電しています。

台風での停電と言えば、私たち家族がネグロス島に移住した年(2013)の11月に、フィリピン中部の、ネグロスを含むビサヤ諸島を横断したスーパー台風「ヨランダ」(30号台風)が記憶に新しいところ。

この時の瞬間最大風速は、日本の気象庁による解析では、何と90メートル。上陸した台風としては、史上最強・最悪でした。ただ、最も深刻な被害をもたらしたのは、風雨もさることながら、レイテ島の州都タクロバンを襲った、津波レベルの高潮。フィリピンだけで死者6,300名の大惨事。

ここネグロスのシライでも、日本では体験したことのないような強風が吹き荒れ、停電は2昼夜に。島の北岸をかすめた程度でも、たいへんな影響。



ヨランダ通過直後の夕食風景

当時は、直撃でもないのに、こんなに長いこと電気が止まるなんて、やっぱりフィリピンのインフラはまだまだと思ったのですが、千葉ではもう停電が4日目。しかも、まだ復旧の目処が立ってない。50メートルの強風って物凄い威力だったんですね。

ヨランダの時は、事前に「前例がない被害をもたらす恐れあり」「風速60メートル超」の情報が。それでなくても停電の多いネグロス。電気がなければ、水も止まるのは分かっていたので、飲料水とシャワーやトイレに使う水を貯めておいたのは、言うまでもありません。また、食料もかなり買い込みました。

それでも、3日間に及ぶ停電だと、食料はともかく、生活用水はかなり逼迫。そんな不安に加えて、夜間に灯りがないのと、ネット不通の状況は、心理的に相当堪えました。それに懲りて、その後、自家用の発電機を購入したほど。千葉県では、あの状態が4日も続いているんですね。それは本当に大変だ。

それにしても、最近は台風に限らず、自然災害で日本のことを心配することの方が多い。災害とまではいかなくても、真夏の暑さが、フィリピン在住の日本人がビビるほどの気温って、一体どうなってるんでしょう。

実はフィリピン移住を決めた時、海外の友人から「東日本大震災があったから、日本から逃げ出すの?」みたいな見方をされたことがあります。もちろん、そんなことはなくて、もう10年も前から準備をしていたフィリピン移住。

ところがここ数年というもの、そんな話が、冗談では済まなくなって、少々怖くなっております。


2019年9月10日火曜日

フィリピンで見つけた洗浄便座



ついに在フィリピン日本人待望の、洗浄便座がフィリピン市場に。と、一人勝手に興奮しております。ネグロス島暮らしの田舎者なので、ひょっとしてマニラ首都圏やセブなどの大都会では、もう広まってたりするんでしょうか?

先日の日曜日(9月8日)、最後の大物建材購入のため、行ってきた高級ホームデポのウィルコン。何を取っても全部価格が高めに設定されていて、タイルなど、数がたくさん必要なものは、シティ・ハードウェアやハンディマンなどの量販店で済ませてますが、洗面台、便器、バスタブの三点セットだけは、多少値が張っても、後悔のないものを選びたい。

バスタブは採寸の関係で、数ヶ月前に先行購入して、残るは洗面台と便器。母屋の時は中国ブランド(それでも決して安くはない)の洗面台を買って、1年もしないうちに不具合続出。なので、今回はヨーロッパかアメリカ製にと決めてました。そうなると、お店はウィルコンの一択。

サービスは大したことないけれど、品揃えはさずが。前回バスタブを選んだコーラー( KOHLER )、イタリア資本のポッジィ(Pozzi )、アメリカン・スタンダード(American Standard )などの商品が、メーカー別にずらり。店頭では気付きませんでしたが、TOTOも扱っているらしい。そこで見つけたのが、冒頭に書いた洗浄便座。


ウィッキペディアによると、日本では、一般住宅での普及率が2015年で80%近いそうです。私が日本にいた7年前でさえ、駅や商業施設などでも当たり前のように設置されてたし、洗浄便座がないからと、海外旅行に二の足を踏む若い人までいるらしい。

最近でこそ生活必需品になった洗浄便座。1980年代頃までは、キワモノのイメージがありました。一躍普及のきっかけになったのが、TOTOウォシュレットのテレビCM。今では伝説となった、戸川純さんを起用した「おしりだって洗ってほしい」。リアルタイムで見ていた人には説明不要の、衝撃的な内容でした。



その後、INAXやパナソニックが参入しましたが、やっぱり定着しているのはTOTO「ウォシュレット」の登録商標。ウォシュレットだけで、累計販売台数が3,000万台を超えているそうです。

今住んでいるネグロスの我が家は、この文明の利器はありません。その代り、多くのフィリピン住宅と同じく、トイレとシャワーが併設なので、用が済んだら水洗い。ちょっと面倒ながら、もう6年もこれなので、すっかり慣れました。

そもそも、排便後におしりを水洗いするのは、フィリピンでは昔からの習慣。場所によっては、トイレにシャワーが付いています。ただこれを使うと、トイレの床がビショ濡れになってしまいますけど。それに石鹸もなしで、素手で洗うことになる。普通の日本人には心理的なハードルが高い。

ちなみにおしりを洗う手は左。左手が不浄だと言ったり、握手は右手に限られているのは、このように深ぁい訳があるのです。と、すっかりフィリピンスタイルに染まったようなことを書いてますが、たまに帰国すると、やっぱり日本式の洗浄便座は便利。できればフィリピンでも使いたいと思うのは人情。

さて、ネグロスに移住して、初めて店頭で見た洗浄便座。よく見ると電動ではなく、温水は出ない。当然、暖房機能もなし。要するに、水道栓につながったノズルがついているだけのシンプルな構造。値段も4,000ペソちょっとなので1万円もしない。メーカーはアメリカン・スタンダード。




まぁ、寒い冬のないフィリピンで売るんだから、水も便座も温める必要は皆無だし、シンプルで安いのはいいこと。これは買いです。

ということで、設置するまで、実際の使い心地は分かりません。まだ配管が完了するまで10日やそこらはかかりそうなので、ちょっとドキドキしながら待っております。


造り付け家具


八割から九割方の作業が終わり、遠目にはほとんど最終形に近づいてきた、自宅裏庭に建設中のゲストハウス。当初見積もり額200万ペソの、およそ80%に到達し、残り作業の主だったものは、敷地三方のフェンスと作庭、そして造り付けの家具。

フェンスについては、既にある母屋と同じ構造で塗装も同じ。一応図面は描いたものの、それほど詳細ではない概略図。棟梁のリトも「勝手知ったる」感じなので、危なげなく見ていられます。ちょっと心配なのは、造り付け家具。

造り付け家具と言っても、日本式家屋では珍しくもない、押入れの棚。日本の大工さんなら、それこそ大体の寸法さえ伝えれば事足りるレベル。ところがフィリピンでは、正確に押入れという概念を、共有するベースが希薄。

敢えて訳せば、クローゼット。でも襖がないし、布団の上げ下ろしをするわけでもない。使い勝手がちょっと違う。特に今回は、竣工後、近所にある日本人向け英語学校の学生宿舎として貸すことも考えて、学生さんが夜間や休みに個人デスクとしても使えるよう、少し変則的な押入れにしようというアイデア。

なので、2段の棚板の下は、床からの高さが75センチと、普通の押入れに比べるとかなり低め。左右は約1メートルごとに縦板で区切り、壁面には電気のコンセントを完備。もちろん、洋服を掛けたりもできるように、ハンガーをかけるバーも付けます。

さすがに、ここまでやると、略図と口頭だけの指示では心許ない。その上、フィリピンの大工さんって、読図能力がイマイチな人が多い。ウチに出入りしてる大工さんは、ここネグロス島のシライ市でも、かなり腕のいい部類に属するのは間違いないけれど、こればかりは信頼して任せるのは少々不安。

たかが棚を作るだけにはやや大仰ながら、正面図だけでなく、組み立てを説明するイラスト(アイソメ図〜 Isometric Projection)を併記。日本の職人さん相手にこんなことしたら、「馬鹿にしとんのか?」と怒られそう。

また、ついでに母屋で使う本棚や、壊れてしまった家内の鏡台の作り直しも頼むことにして、12枚の図面+イラストをパソコンで描画。まさにこのブログを書いているのと同時進行で、プリントアウトしたものを見ながら、大工さんが合板を切ってるところです。







ところで本棚。これは日本で買ってもそうなんですが、しばらく使ってると、棚板が反ってしまう華奢な作りのものが多い。普通は、端から端までぎっちり本を並べないものなんでしょうか? しっかりした本棚があっても、ずいぶん高価だったり。それもあって、特に本棚は、材料の組み方も指示しないと、思った通りの出来上がりにならない可能性が多分にあります。

ということで、着工6ヶ月目の9月も中旬。10月までには終わるかどうか、微妙な感じです。


9/6〜9/10の出費

コーナーモール、カーテンバーなど追加:4,397ペソ
電気給湯器 × 2:14,200ペソ
洗面台・便器セット:18,500ペソ
土砂、コンクリートブロック500個:11,650ペソ
鉄筋・セメントなど:18.376ペソ
大工さん給料:17,600ペソ

計:84,723ペソ

本日までの合計:1,657,174ペソ


2019年9月7日土曜日

水圧は自前で上げるフィリピン

最初に書いておきますが「ライフライン」を電気、水道、ガス、あるいは通信、交通などのインフラ設備を指して使うのは、典型的な和製英語。本来は「命綱」を意味する言葉です。ちゃんと分かって書いてますと言わないと、鬼の首を取ったかのように指摘する人がいるんですよね。

それはともかく、日本でライフラインと言われ出したのは、確か1995年の阪神淡路大震災の報道からだったと記憶しています。私がいた尼崎でも停電。比較的早い時間で復旧したものの、人生最長の電気のない時間でした。それから20年足らずで、その記録は、ネグロス移住直後の2013年、スーパー台風ヨランダであっさり更新。あの時は、丸二昼夜でしたからね。

まぁ、史上最強・最悪の台風では仕方ないにしても、ネグロスのライフラインは本当に頼りない。ここ最近は計画・計画外を含めて、矢継ぎ早の連続停電。短ければ10分とか30分。長ければ12、3時間も電気が止まる。このブログでも何度もボヤいてます。

電話・インターネット、ケーブルテレビもイマイチ。通信障害は日常茶飯事だし、停電時に相手がPLDT(フィリピン長距離通信、日本ならばNTTみたいな会社)だと通話できなかったり。電力は発電機で賄っても、途中の配信設備がダウンするせいか、テレビをつけても砂の嵐。

ガスは、最初から配管自体がありません。どこの家でもガスボンベを常備して、ガスがなくなったら、近所のガソリンスタンドや、ガス専門店でボンベごと新しいものと交換。下手にインフラ依存していないので、皮肉なことに、ガスが一番安心かも知れません。ただ深夜や早朝にガス欠は困るので、我が家ではボンベは二つをローテーションさせてます。

そしてメインの話題は水道。
裏庭に建設中のゲストハウスのために、先週の日曜日に購入したのが、水道水を加圧するためのポンプとタンク。井戸水でもなく、ちゃんと水道があるのになぜ必要?と思われるかも知れません。

フィリピン在住でも、コンドミニアム暮らしをされているとピンとこないかも。実はフィリピンの水道は、とても水圧が低い。水道局は「盗水」つまり、勝手に配管をいじって水道水を盗む輩が多いからだと説明してます。それも多少はあるでしょうけど、おそらく、きちんとメンテナンスができてなくて、漏水が多いんじゃないかと推測。

特にシャワータイムの朝に、水が出なくなるのはとても困る。なので、経済的に余裕のある家庭なら、水道水を貯めてポンプで加圧する設備を自前で購入するのが一般的。ホームデポに行けば、自家用の発電機と共に、いろんなサイズのポンプとタンクが並んでます。

と書くと、何やらすごい機材が必要なのかと思いきや、直径40センチで高さ1メートルちょっとのタンクと、私でも持てる程度の小さなポンプがあれば、普通の家の生活水は十分カバーできます。値段も両方合わせて、数万円程度。畳半畳分のスペースがあれば余裕で置ける。



ただ、ここまで準備しても完全ではありません。つい最近もあったのは、たまたまタンク内の水が少なくなったタイミングで長時間の停電があると、ポンプが動かず我が家だけ断水。ちょうど発電機が不調で、修理しようとしてた矢先だったので、本当に困りました。

もっと言えば、今年夏にマニラ首都圏やセブで起きたような渇水になれば、いくらポンプを用意しても意味はありません。実際に高級コンドミニアムでも断水したそうです。

それにしても電気や水道も、安定供給には自助努力が必要なのは、さすがのフィリピン。その昔、日本人は水と安全はタダと思ってると、外国から批判されたりしました。今では批判する側の気持ちが、何となく分かってしまいます。


2019年9月5日木曜日

ガラス&アルミニウム

9月に入ってから、初めてのゲストハウス建設レポートです。

タイル張りは、あと数日程度で完了の見込みで、塗装も外装・内装含めて、仕上げ塗りの段階。今日はいよいよ、窓の取り付けが始まりました。

日本の住宅ならば、アルミサッシでスライド式の窓が一般的。サイズも決まっていて、カタログから選ぶことが多いでしょう。ここフィリピン・ネグロス島の場合、よく見かけるのがルーバー窓。短冊状ガラスの角度を変えて、開口面積を調整できるタイプ。こちらでは「ジャロジー」と呼ばれています。

スライド式に比べて、気密性を保ちにくいけれど、寒さのないフィリピンの平地。それより、大きなガラスが不要で安く上がり、ほぼ全開放にできるから風通しも良好。防音(外からも中からも)を気にする人も多くなさそうだし。

でも、我が家の場合、気密性も防音も、普通に気になる日本人(つまり私)がオーナー。そんな要望を満たすべく、母屋を建てた時に一番業者探しに苦労したのが、窓屋さんでした。

まず既製品は、私の感覚からすると、よくこれで商品として売ってるなぁ、というレベルもちらほら。いくらジャロジーでも、ガラスの間の隙間が大き過ぎ。その割にはずいぶん高い。ならばオーダーメイドの窓屋さんは、と言うと、こちらもいいお店が見つからない。

職人さんの人件費が、ざっと日本の1/3〜1/4かそれ以下なので、さほど工賃を気にする必要はないにしても、技術レベルがまだまだ。第一、お客さんの要求水準が、日本に比べると段違いの低さ。(日本が厳し過ぎとも言う)

何とか探し当てたのが、シライ市内で一番、ひょっとすると、西ネグロスでも3本の指に入りそうな「ファガン」。決して大規模な業者ではなく、従業員全部合わせて10人ながら、経営者のガンさん(中国系メスティーソ)は、もう70歳になるというのに、まったく爺さんっぽくない、バリバリのビジネスパーソン。

信頼度は高いようで、店先のホワイトボードには、個人住宅だけでなく、商業施設や公共建築などのスケジュールが、いつもいっぱい。フィリピン全体が好景気で建築ラッシュなので、ずいぶんと儲けているらしい。いい車乗ってるし、最近自宅を新築したそうな。

日本からの輸入アルミ材も扱っていて、私が知る限り、シライで自宅の窓を任せられる唯一の「ガラス&アルミニウム店」。こちらでは、窓やショーケースなどの専門店をこう呼びます。

その代わり、やっぱり高い。スライド窓7つ(床までの大きなものを2つを含む)、ジャロジー5つで、見積もりが金額が 7万ペソ(約15万円)。追加でアコーディオンドア4箇所を頼んだら、そちらが6万ペソ(約13万円)。合計 13万ペソか〜。こりゃ、屋根一式とほぼ同額。ちなみにアコーディオンドアは、押入れの襖代わり。サンプルを確認したら、プリント鋼板を使った、なかなかいい品物。

家内は「高過ぎる」とお冠ですが、日本で同じ数のアルミサッシ窓とアコーディオンカーテンを全部オーダーメイドしたら、とてもこんな金額では収まらないでしょう。

ということで、そのファガンさん。塗装とタイル張りがだいたい終わったのを見計らって、本日(9月5日)、まずはスライド窓のインストール。まだ仮付けでコーキングは明日以降ながら、窓枠がはまると佇まいがすいぶん変わるもんですね。建具の印象って、建築デザインでは、とても大切な要素だと再認識。






そしてその傍らでは、最後のコンクリート構造物となる、外周のフェンス敷設。一番最初の基礎工事と同じく、またも穴掘って、鉄筋を立てて。3メートル毎に立てる柱が20本。


もう作業は終盤に差し掛かかり、ファガンさんへの支払いが済めば、あとは家具や家電製品になる見通し。この調子で、何とか9月中には、終わってほしいところです。


8/29〜9/5の出費

鉄筋・セメントなど:41,423ペソ
塗装関連:8,040ペソ
追加タイル約800枚、水道加圧用ポンプなど:65,421ペソ
バス、洗面関係備品:12,036ペソ
大工さん給料:20,475ペソ
その他:805ペソ

計:148,200ペソ

本日までの合計:1,572,451ペソ